49 野心に
次は野心の話をしよう。
2021年、元日決勝の後、野心にも様々なオファーが届いたらしい。国内のみならず海外からも。野心はそれらのオファーに全く興味を示さなかった。僕が聞くと、「え? 別にプロで目立ちたいなんて思っていませんでしたから。面倒ですし。兄さんと一緒なら迷わなかったんですけどね」ケロッと答えた。そう言えば野心は昔から、名前とは真逆で野心も野望も特に抱かない性格だったと、思い出した。僕はプロを諦めたが、代理人としてお前らをサポートすると言うと、「そういう事なら、どこへでも行きますよ」二つ返事であった。「年俸の一部を貰うけどいいか?」僕の質問に「一部と言わず半分ぐらい持ってって下さい」と、やはり欲のない返答。そんなには貰えないので、値下げ交渉 (笑) の末に3割で手を打った。
3月4月。僕は野心のため、J1のチームを中心に各地を回った。条件の良かったチームは3つ。
一つ目は横須賀ラピスラズリ。2020シーズンは若手有望株がゴールを守ったが、GKは重点補強ポイントに挙げているようだ。年俸は1000万円の提示。
二つ目は興津オパール。ベテランGKの
三つ目はオニキス明石。巨大スポンサーによる資本注入で大物外国人選手を積極補強。19年の天皇杯を勝ち取った。しかしリーグ戦の方は惨憺たる結果で、特にGKは最優先補強ポイント。天皇杯の活躍を見たオーナーが、新人としては破格の年俸2500万円を提示。正GKの確約と、活躍次第で増額もある。
この3チームを軸として当人に相談すると、「どこでも構わないですよ。兄さんに全てをお任せします」という返答のみ。3チームともに年俸面は好条件だし、出場機会も十分にあるだろう。……と言うより、野心の力で出られないチームなど日本には存在しないと、僕は思う。だからそこは問題ではない。むしろ問題にするべきは野心の今後。野心はJリーグの枠に収まる器ではない。今でこそ無名で、海外からのオファーが一部あるとはいえ、大したクラブではない。しかし野心であれば、必ず近い将来、世界で活躍する日が来るだろう。そうなると、海外移籍も視野に入れての交渉になる。
オニキスは条件面で一番だが、長期契約を望んでいる。海外移籍に関しては少し厳しい。オパールも長期契約を希望。チームの今度を背負って欲しいという話だ。本来有難い申し出なのだが、野心の今後を考えると、どうだろう? 最後のラピスラズリ。ここは若手GK同士で切磋琢磨して欲しいという話で出場が確約されていない。単年契約で移籍に関するハードルも低い。野心本人にも念のため確認を取った上で、ラピスラズリへの入団を決めた。夏の加入という事で、背番号は空いていた40番台になった。
入団直後、野心はベンチ外であった。連携面もまだまだだったし、監督へのアピールも不足していただろうから、これは止むを得ない。入団から1か月ほど経って、カップ戦への出場機会を得ると、すぐさま野心は本領を発揮。ビッグセーブ連発でチームを勝利に導いた。その活躍を見て監督はリーグ戦の正GKに抜擢。以降チームは安定して勝ち点を積み上げた。天皇杯の活躍が単なるラッキーではなかった事を証明すると、翌年の契約更新では単年契約ながら年俸倍増の2000万円。そしてその年、野心の活躍によりラピスラズリはリーグ戦を制覇する。
2023年の契約更新の時期。更に年俸アップの3000万円を提示された。それと同時に海外からのオファーも舞い込む。野心に希望を聞くと、「兄さんに全てお任せします」いつも通りの返答。正直、迷いどころであった。横須賀での活躍によって海外からのオファーも増え、
ロシア・プレミア・リーグ。欧州の複数チームからオファーもあったが、僕自身も野心も、ロシア語を話せてコミュニケーションが取りやすいロシア入りに迷いはなかった。昨シーズン、リーグを僅差の準優勝で終わり涙をのんだ、強豪ブルータス・オマエモッスクワァー。首都モスクワに本拠地を置き、ホームゲームは常に満員になる人気チーム。半年間の契約で3000万円を提示された。野心はすぐにレギュラーの座を掴み取ると、持ち前の反応と身体能力を存分に発揮し、チームは勝ち星を積み重ねていった。
しかし前半戦の勝ち点差が響き、この年も僅差で優勝を逃した。それでもリーグ最少失点で終えたのは野心の力に依るところが大きい。そこを評価され、契約更新では3年契約の年俸8400万円。もし優勝すればボーナスと年俸アップのオプション付きだ。
今後も野心はロシアを舞台に活躍を続けるだろう。
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