40 時間が止まったかのように

 神子からの鬼パス。それを狙って迫り来る関野。左足でシュート性のパスを完璧にコントロールした僕は、そのまま関野の頭を越すようにボールを浮かせると、入れ替わって裏へ抜け出した。與範が以前見せた抜き方の応用だ。関野は慌てて僕を掴んで抜かせまいとした。それも想定済みである。「抜かれそうなら手を使え」と、手や腕でコースを塞ぐ方法は、医師からみっちり叩き込まれている。僕が止める側ではなく止められる側になっても、その練習が活きた。

 関野が手を出す方向は分っていた。だから関野の伸ばした手を、腕を畳むようにしてブロックしつつ、体を捻ってかわし浮かせたボールを収める。そのままドリブルを始めると、木々岐鬼がすかさずカバーにやって来た。10メートルも運べなかった。「こっち!」フォローに来た玲人に預けると、僕はそのまま前方にフリーラン。木々岐鬼が僕のマークに付いたので、玲人は一瞬フリーになった。麻生がその行く手を遮ると、玲人は更に横へパス。走り込んできたのは神子。黒木と競り合いながらボールを受け、ツータッチ目で黒木の股を抜くと、右足を大きく踏み込んだ。


 神子の左足ミドル!


 ……が来ると、僕も、さいサファのDF陣も、観客も、みんな思った。そのぐらい迫力のあるキックフェイントだった。ドイツ代表としてワールドカップを戦ったキートでさえ、騙されてコースを切るべく捨て身のスライディングを敢行。だから神子が左足でボールを浮かせてキートの上を抜いた時、さいサファのDF陣は時間が止まったかのように、みな動きを止めてしまっていた。木真里の裏から回り込むようにPA内に侵入したのは與範。GK東山だけはこのラストパスに反応して、シュートコースを切るべく飛び出したが、與範はその鼻先でボールに触り、悠々とゴールを奪ってみせた。


 1-1。前半4分、早くも同点に追いついた。


 これで試合が落ち着く……とでも思った? そんな展開には全くならなかった。結果から言えば、この試合は激しい打ち合いになった。ほとんどノーガードの打ち合いである。というより、まずもって、さいサファの攻撃を防ぎきるのは難しい。攻撃時には両サイドも含めて5人がペナルティエリアに入って来るし、ボランチの2人は高精度の長短織り交ぜたパスでこちらの守備の穴を突く。前線の3人は見事な連携が取れていて、個人技でもコンビネーションでもゴールに迫り来る。医師が何度もクロスを跳ね返し、野心が幾度となく決定的なシュートを防いだが、この両名をもってしても到底防ぎ切れるものではなかった。

 そう、防ぎ切れないのだ。それは最初から分かっていた。だからこそ、僕たちは大きく両翼を広げた形の2トップと、神子をサポート役として高い位置に残して戦ったのだ。ボール支配率はさいサファが7割にも及んでいた。地力の差があるから、僕たちがボールを保持するのは難しい。神子か與範まで渡れば、ある程度はボールを持てるものの、そこまでなかなか繋げない。

 それでも、玲人も含めた前線の3人には「絶対に下がるな」と、言ってある。これは作戦だ。いくら押し込まれてもいい。下がるなと。特に玲人と與範の2人は、ハーフラインやや手前、タッチライン際のギリギリ自陣といった位置取りで、相手のDFにプレッシャーを与え続けた。これがなければ、もっとやられていたと思う。好き放題押し込まれて、木真里も木々岐鬼も、もっともっと前に出てきただろう。そうなれば反撃の機会もないまま、無残に散ったに違いない。


 そしてもう一つ。ミシャミシャは決して攻撃の手を緩めないのだ。2-0だろうが4-0になろうが。逆に僅差の試合であっても。ボール保持しながら相手陣内に押し込んで、サイドが高い位置を取って、ペナルティエリアの中にどんどん侵入してそこで勝負をする、その形を決して崩さない。2点取ったらあとは守る、というような戦いをしない。守りに入らない。残り5分になっても後半のロスタイムでも、常に攻め続け、高い位置でボールを支配し、ボールを失ってもすぐさま高い位置からプレスをかけて囲んで奪い返して、そこからショートカウンターを仕掛ける。それを90分間繰り返す。そんなミシャミシャサッカーだからこそ多くの人が魅了され、エキサイティングな試合展開に熱狂する。


 この第100回天皇杯決勝が、未来永劫まで語り継がれる名勝負になったのは、エキサイティングなミシャミシャサッカーだったからだろう。90分間、一瞬たりとも目が離せない。激しくも美しく、誰もが熱狂するような。

 僕たちがこの大会に参加し、一歩一歩階段を登り、主役となってこの最後の試合を、歴史を作ったことを、僕は誇りに思う。この記録と記憶は永遠に消えない。消えてはいけない。自画自賛になるが、僕はそう断言する。それと同時に、この素晴らしい決勝戦を戦った、さいたまロイヤルサファイアズにも最大級の感謝と敬意を捧げたい。

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