37 お嫁さんに

 決勝まで1か月。最後の練習に励む。プー太郎3人衆に加え、栗岡も毎日顔を出した。大学は大丈夫なのか?

 與範は僕が対面するさいサファの右サイドアタッカー、関野を模倣した仮想敵役を買って出た。以前もサイド練習で関野の真似をしていたが、あれは遊びだった。しかし今度は本気である。関野のドリブルのクセや特徴、研究と対策に時間を割いた。練習を重ねる間にやられる回数は減っていった。ドリブル突破のタイミングを見切り、腕と体を入れてブロック。「いいか、体を入れたらそのまま突っ立ってるんじゃねえ。棒立ちになると逆にオブストラクションの反則を取られちまう。だから余裕を持って体を入れた場合でも、絶ってえに競りながらボールを保持しろ」医師からも助言を受けた。


 夜は対策会議。一番の問題は出場停止になってしまった野元の穴。

 さいサファのサッカーは、簡単に言えばどれだけPAに侵入するか、それを突き詰めた形。2012年からさいサファを率いて9年目。セルビア出身のミシャイル・ミリヤ、通称ミシャミシャ。2011年、降格争いしていたさいサファを、押しも押されもせぬ優勝争い筆頭の強豪チームへと、変貌させた名将である。長髪をツーサイドアップに纏めた髪型が特徴的。二足の草鞋で人気グラビアモデルとしても活躍中。女性ならではの斬新な発想と戦術は唯一無二。

 メキシコ五輪で日本を史上最高の銅メダルに導いた鞍馬死円くらましえんが提唱した理論。「サッカーにおけるゴールの約9割がPA内からのシュート」極論すればサッカーで最も重要なのはいかにエリア内に侵入しシュートを打つか。これに尽きる。ミシャミシャはこの理論を基に独自のシステムと戦術を確立した。

 僕たちもこれに倣い、ゴール前までどう運ぶかを考えた。プロ相手にゴール前まで迫れるか? 神子と與範なら可能だ。二人なら必ずチャンスを作ってくれる。「ペナに入ったら逃げずに勝負だ。絶対に戻すな。何度もチャンスは来ないぞ」キャプテンはそう訓示した。同時に野元の代役には、付け焼刃ながら高さのある真壁を抜擢、守備練習に加わった。


 決戦が数日後に迫る。年の瀬、みな大掃除などで忙しなくなる中、相変わらず栗岡だけは我が家にいる。

「どう攻略すべきだと思う?」

「人数をかけてはダメね」

 栗岡の答えは明確だった。少しもたつけば一気に囲まれボールを奪われる。さいサファのオールコート・ハイプレスは、プロでも容易に突破できない。だから少人数で攻めるしかないと。

「弱点は?」

「凡平君はどう思う?」

「DF全員1対1に強いけど、木々岐鬼ききぎきを狙うのが良いと思う」

 中央に位置する助っ人キートを狙うのは論外だ。ここを抜くのは神子とて容易ではない。となれば両ストッパー木真里きまりか木々岐鬼だが、僕は後者が御しやすいと見た。だけど栗岡の見解は違った。

「さいサファの失点パターンで最も多いのは、実は木真里の裏なの。木真里は前にいる相手には強いけど、裏を取られると見失う癖があって……」


「栗岡。帰らなくていいの?」陽が落ちてきた。年末まで泊まり込もうとする栗岡に訊ねる。前に母が「もうお嫁さんになっちゃえば」などと、妙な事を言うものだから意識してしまう。今までは栗岡と二人きりになっても、こんなにドキドキしなかったのに……

 夕陽が窓から差し込む。帰る気配がない栗岡の横顔が赤く染まり、妙に艶っぽく見えた。栗岡もドキドキしているのだろうか。夏の旅行の後、栗岡の口数が減った時期があった。いつしか普段通りに戻ったが、最近また栗岡の口数が減っている。昔は二人きりで部屋にいても常にサッカーの話で盛り上がり、会話が途絶えるなんてなかった。だけど今、二人の間に無言の時が流れる。


「綺麗だ」

「えっ」


 思わず口を衝いて出てしまった。夕陽に染まる栗岡を綺麗だと思った。嘘じゃない。


「あいや、その……」

 言葉が上手く出ない。この夏以降、栗岡とずっと一緒にいて思っていた。気楽というか。栗岡は前からサッカー仲間ではあったけど、それ以上に、もはや家にいるのが当たり前というか。ずっと一緒にいたいというか。隣にいて欲しいというか……


「栗岡と一緒だと、何か楽しいな」

「ん……私も……」

「何て言うかさ。僕……栗岡の事が好きみたいだ」

「私も」


 間髪入れずの返答。予想外だった。


「私も?」

「うん」


 聞き間違いじゃない。


「栗岡……」

「ん?」

「……りんね」

「なに?」


 意を決して名前で呼んでも、りんねは嫌そうな素振り一つしない。


「りんね、僕と、付き合ってくれる?」

「やだなー……」


「だ、だよなっ!? 冗談だよ」そんな言葉が口から出かけた。それより早くりんねは続ける。


「……もう付き合ってるようなもんじゃん」

「そっか。そうかもな」

「同棲中?」


 カラッとした笑顔を向ける彼女をそっと抱き寄せる。避けようともせず僕に体を預けた。ゆっくりと近付き、額をくっ付ける。軽く目を瞑るりんね。茜色の空間の中、二人の影が一つに重なった。

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