12 勢いそのままに
玲人ならこのタイミングで裏を狙っているはずだ。だから僕は倒れ込みつつ、ライン際のボールに飛びついて、無理な体勢ながらも裏へロビングのパスを出した。そのあと、僕は勢い余ってライン外数メートルの所で観戦していた親族、友人たちの列に転がりながら突っ込んだ。観客はわっと避けたので、ぶつかって大怪我をするというような事態にはならなかったが、僕はその直後にどういう展開になったのかを知らない。観客の列から抜け出してピッチに戻ろうとした時、ちょうど玲人の蹴ったボールがネットを揺らしたところであった。
喜びに沸くイレブン。アップを始めていた與範は、その様子を見て一旦アップを取りやめた。更にその直後、精神的なダメージを受けていた相手の間隙を突き、田所が相手DFの裏へスルーパスを通すと、2列目から飛び出した市原がそれをきっちり決めて追加点を奪った。こうして與範の出番は完全になくなった。
試合前の戦略を忘れてしまったのか、調子づいて前へ前へ行こうとする攻撃陣だったが、最終ラインから走り寄ったキャプテンがひとことふたこと何か告げると、その後は試合が落ち着いた。それから予定通り、これ以上の点差を広げないよう丁寧に試合を運んだ。2対0の完勝であった。
試合後は打ち上げに行こうという声も出たのだが、ここはまだまだ通過点に過ぎない。来週の日曜日にも試合がある。あまり大袈裟なのも良くないだろう。というキャプテンの言葉に、その場で解散してゆっくり静養した。
16日の日曜日。32チームにまで絞られた県予選3回戦。対戦チームも草サッカーチームやジュニアのチームはふるい落とされ、実業団や社会人チームなどの実力のあるチームが多くなってきた。それでも優勝を目指す僕たちの方針は変わらない。可能な限り、野心、與範、医師は温存していく。この日の試合では與範が中盤に入り、他の2名はベンチスタートになった。
前半、僕たちは今大会初の失点を喫した。それも僕のサイドからやられてしまった。僕の寄せが甘く、簡単に上げさせてしまったクロスを、中央でフリーに近い状態でヘディングさせてしまった。GK健一もシュートに反応して目いっぱい手を伸ばしたが届かず。先制された。ここまでの2試合、それに何度か行った練習で、僕も、僕以外の他のメンバーも、無意識のうちに野心と医師の守る中央ディフェンスに甘えてしまっていたような気がする。医師がいればあの程度のクロスは簡単に跳ね返してくれたし、野心ならばあのヘディングシュートもセーブしてくれたに違いない。2人のどちらかがいればこの失点はなかっただろう。そういう甘えた気持ちを捨てなければ、天皇杯の優勝はもとより予選突破さえ夢物語だ。……と、試合終了後の反省会でキャプテンが厳しく訓示したのは、みなの心に刺さった。
対面した敵右サイドのアタッカーは、なかなか良い精度のクロスを上げてくる。アーリー気味のクロスや中に切り込んでの浮き球など、多彩なパスでチャンスメイクしてくるので、僕たちは度々ピンチに陥った。それを何とか全員で凌ぐと、間隙を突いた與範が見事なパスで玲人の同点弾をアシスト。後半には、失点に絡んだ僕が汚名を返上するクロスで與範のボレーシュートをアシストした。
與範を生み出してから1か月ちょっとが経過して、ようやく與範との呼吸も合ってきた。1月中は僕自身の持つ記憶と、生み出した際に植え付けられた新しい記憶、2つの記憶の齟齬に苦しんできたものの、ここに来てようやく記憶が馴染んできたという感じである。僕の上げたクロスは、普通の人ならば「どうしようか?」と迷ってしまうような中途半端な高さだった。胸ぐらいの高さから落ちてくるボールで、ゴール前では太ももから腰ぐらいの高さになる。頭で飛ひ込む高さではないが、足で蹴るには少し高く、かといって太ももでトラップしていてはシュートのタイミングを逃してしまう。そこで一瞬でも逡巡すればミスが生まれる。だけど與範にとっては絶好の高さなのだ。走り込んだ勢いそのままにボールに飛びつき、ジャンピングボレーで見事にミートしたシュートは、相手GKが全く反応できなかった。この得点が決勝点となって、キュー武は2対1で勝利を収めた。
これで16強が出揃った。次の対戦は来週。2月最後の3連休。22日の土曜日に試合を行った後、勝てば24日の月曜・祝日に準々決勝だ。ベスト4に残ったチームは、3月の1週目、及び2週目の日曜日に、それぞれ準決勝と決勝戦を行う。ここで最後まで勝ち残ったチームは、社会人チーム代表として『彩の国カップ』に出場する。これは3月の3週目、3連休を利用して行われ、学生ブロック代表チーム、及び前年優勝チームとの対戦を経て、晴れて埼玉県代表として天皇杯本戦に駒を進めるというわけだ。まだまだ先は長い。今日の試合の反省を生かし、気を引き締めてかからなければならないだろう。
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