ビーとフラット

押田桧凪

b and ♭

 ほかの人が見れば、双子だと勘違いされてもされるくらいに息があうんだ。ぼくたちは。顔も見たことないけれど、たしかにわかる。似てるんだ。

 双子だと勘違いされたままでいい。曖昧模糊な状態にしておけば、きっと消えてしまうだろうから。四月の自己紹介で話したことのように、誰の記憶にも残らなくていい。ぼくたちだけが、覚えていれば。ぼくたちだけが、つながっていればそれでいい。


 パソコンを開く。返信が来ていることを確認すると、胃の腑が熱く震えた。ひたひたと安堵感がぼくの胸に押し寄せる。




 学校では、ふつうに合わせることが一番大切で、ぼくにはそれが息苦しかった。


 小学校のときには、ぼくだけ違うご飯が給食で出され、最初はみんなに羨ましがられた。それにはすぐに慣れて、僕がアレルギーを持っていることをみんなは分かってくれた。給食、それから体育の時には、人一倍周りからは気を遣われた。

 ただ、一部ではそれは良く思っていない子がいたのも事実だ。彼らは、先生からも友達からも優遇されるぼくに腹を立てた。


 そうした不満は膨れあがって、牙をむく。陰では責められ、殴られ。心のどこかでこれはさだめだと理解していた。みんなと違って、ぼくだけが、手すりにつかまって舗装された道を歩く代償なんだと。


 ふつうの公立中学校に進学して、これまで通り給食のアレルギー申請をする運びとなったが、そこにもまた、臆面もなく暴力を振るうような猿山のボス的存在がいた。

 先生の前では、素直で人当たりが良い人物を演じながら、自分は特別で、選ばれた人間だという顔をして、平然とあいつらは奪っていく。倒れ伏したぼくを見下ろして、あいつらは、苛立ちと諦めがないまぜになったような不気味な笑みを浮かべて、おまえは弱者だと──ぼくが苦しむのを見るのが、無常の喜びであるかのように感じているのだ。

 現実の空費。幻のように、すぐに霧散していく一瞬の快楽を貪るように、気まぐれに人を痛めつけるような、悪が蔓延る世界はぼくには、決して、ふつうだとは思えなかった。


 小学校のとき同様、中学校にあがってからも通常のメニューとは異なる食事がぼくの分だけ特別に用意された。それはお母さんお手製の料理だった。

 けれどいつしか、給食室に毎日昼前には届けられるぼく専用の容器が奪われるようになった。

 ひどいときには、床一面にお椀の中身が飛び散って、汚れていた。ぬかるんだ地面を思わせる、ドロドロとした液体。その日の給食はつみれ汁だった。青魚アレルギーのぼくのために、お母さんがすまし汁にアレンジして作ってくれたもの。今も鮮明に、あの光景を思い出せる。気持ちが冷たく干上がるような、あの感覚をぼくは覚えている。



 ぼくは学校に行くのをやめた。それから二週間が過ぎた頃、お母さんは徐々におかしくなった。何かに取り憑かれるようにして、訪問販売や占い師と名乗る人からいろいろなものを買うようになっていった。

 長寿を謳うサプリメント、コラーゲン配合ゼリー、漢方や薬膳。けばけばしい色のネックレス、亀を模した像、小学生が粘土を固めて作ったような招き猫。家には専用の飾り棚が設けられた。きっと、お母さんは何かに縋っていたかったんだと思う。ぼくがふつうの子になれなかったから。ぼくが、大人のいう、正しい道を踏み外してしまったから。

 次々とあやしい物品が舞い込み、普段は温厚なお父さんもこれはまずいと思ったのか、 目を覚ますよう、お母さんを一心に説得した。

 それからぼくに学校へ行くように言った。


「どうしても、行かないとだめ?」


「午前中だけ授業がある、フリースクールに行くのはどうかな」


 寒々しいまでに爽やかで甘い笑顔を浮かべ、お父さんは言った。その表情には微かな戸惑いがにじんでいた。

 気づまりするような沈黙。迷っている猶予はなかった。ごめんなさい、とぼくは反射的に謝りたくなった。迷惑をかけてばっかりで、ごめんなさい。

 それと同時に、逃げ場はどこにもないんだと、ぼくはあまりのやるせなさに泣きそうになった。学校という言葉を聞いて、緊張でおなかがよじれそうになる。ぼくは、絞り出すような声でいく、とだけ答えた。



 フリースクールでは、ぼくのように、学校に行きたくない子だけではなく、家庭の事情やお金の問題で通うのが難しいといった子も少なくなかった。授業中にペアになった時以外は話さないから、とくべつ仲が良いわけではないけど。


「そのようなお子さんが決まっていうのは……。親御さんが……ええ。大丈夫ですよ、お母様、ふふ」


 ぼくは、授業以外の暇なときはいつも保護者との面談を盗み聞きしている。図書室の壁に耳を当て、静かに隣りの部屋の様子を伺う。薄い壁。昨日の、やんちゃな同学年の子との面会の時はかなり険を含んだ声だった。大人はコロコロと態度を変えるから、信用したらいけないんだ。今日は仕事用の明るい声。


 ちなみに、週に一回、生徒との面談も行われる。担任の先生ではなく、外部から来るカウンセラーの人と。そこで、ぼくは先月から新しいことをはじめることになった。

 文章を書く、ということだ。


「私に、じゃなくていいよ。自分のありのままの気持ちを書いてほしいから。友達や家族にたいして書くより、楽だと思うよ」


 ここのフリースクールの運営団体が、ブラジルの学校に教育支援のためにお金を寄付をしているという。カウンセラーさんがいうには、現地の学校に通う中学生とメールでやり取りをしないか、ということだった。

 正直、怖かった。ブラジルという国が遠いことしか知らない。もし、何か失礼なことをメールで書いたら、学校をやめないといけないのかな、とどこか深刻味に欠けた心配──ぼくは頭の片隅で現実逃避に走っていた。


 実際は、そんな印象とはぜんぜん違った。

 先月までに五回ほど、互いにメッセージを送信しあい、ぼくがフリースクールに通うようになった経緯についてはあらかたメールで説明した。


 メールを重ねていくうちにいろいろなことを知った。例えば、ブラジルでは正式な人名はとても長く、省略して呼ぶのが普通だそうだ。メールの相手の男の子──「ベルナルド」も本名ではないらしく、渾名であるベルナルドを更に省略して「ベド」と友達からは呼ばれていると書いてあった。

 メールアドレスと名前以外には、事前に与えられていた情報は少なかったので、知りたいことは質問する必要があった。


 前回のメールは、確か、神はいるのか、について訊いたんだった。もしかしたら、怒らせてしまったかもしれない。文面だけのやりとりでは、齟齬が生じてしまうのは避けられない。ましてや、国も、文化も、宗教も違う。


 目の前に立ちはだかる困難や辛いことをなんでも神様が与えた試練だと美化する人が嫌いだった。

 もし、神様がいるのならなんでぼくは救われないんだろう。神様がみんなを見てるなら、なんでぼくは。

 現に、ぼくは社会の裏側で動くなにか大きな力によって、大人からは学校へいくように言われ。それが、ふつうだと大人は言った。ふつうに従うことが正しいんだ。それに逆らうことはできなくて、流れるプールのようにまったコースを皆と同じ方向で進まないといけない。皆がその水温を心地いいと感じているのは、まるで南国のバカンス気分だから。いっぽう、ぼくの前には寒々しい景色がひろがっていて、暖かい火の灯る洞窟のような、そんな場所を求めている。今にも凍えじにそうな状態にいる、土の深く、雪に埋もれ息苦しさに藻掻くぼくがそこに居ることを誰も知らない。

 学校なんかなくていい。不謹慎なんだろうけど、昔みたいに飢饉や災害が訪れて、学校がなくなればなあと、何度考えたことか。きっとそんなことは起こらない。


 お天道様はぼくの頭上を素知らぬ様子で通り越していく。どこに、神様がいるというのだろう。



 ✤ ✤ ✤


差出人:Bernardo Rein

件名:知るものの世界

日時:2017年10月7日 17:27:36(JST)

宛先:Kajito Asio


 神は最もあなたをよく知っています。彼はあなたの意図の背後にある人です。

 あなたは世界をつくるのがどれほど難しいか知っていますか、これは私たちが神のために持っているものです?!!

 私たちの住む場所はその平らな形で、そして世界から見たその現実に含まれています。ひとつづきの世界です。

 少なくとも私たちはここにいます。あなたの年齢を除いて、あなたはいつでも私たちを望んでいました。だからこそ、神はあなたを守ってくれる。


 ✤ ✤ ✤



 翻訳機が使われているであろう文章。毎回、ベドから送られてくる文章はとてもめちゃくちゃだ。だから、ぼくが送っている日本語の文章ももしかしたら、おかしなポルトガル語に変換されているのかもしれない。


 なのに、伝えたいことは何となく掴める。まるで、ぼくたちは双子のように。

 なんの根拠もなく、双子のようだと思えるぼくがおかしいのは、自分でも分かっている。

 通じ合っているのだという盲信。ぼくはただ、何の関わりを持たない他者──それでいて話を聞いてくれる誰かに飢えているだけだ。



 日本では多くの神様をみとめ、色んな宗教が受け入れられている。何を信じるかは本人の自由で、信じることは強制されることのない、等しく与えられた権利だ。


 そして、ベドは神様の存在を感じている。けれどそれは、幼い頃からの刷り込みで自然と身につけた「概念」であって、自分の中から生まれた考えとは程遠いもののように思えた。ひとの唱える「説」。そんな不確かなものを、ベドは強く、信じているのだ。なんだか奇妙だ。


 それに、「平らな形」である世界って何だろう。

 もしかして、地球のことを指しているのだろうか。だとしたら。

 だとしたら、地球が平面だというのは完全に、時代に逆行する考え方のような気がする。


 星の動き、弧を描く地平線、水平線。白夜と極夜、潮の満ち引き。雲、風の流れ。循環。これらを全てを「自然の摂理」だと片づけるのは難しい。ブラジルでは学校で習わないのだろうか。それとも、宗教によって、学問を取り上げられてしまったのだろうか。──神がつくった世界。その世界は、一枚の紙の上に置かれているとでもいうのか。


 ゆっくりと、背中から冷や汗が湧き出る。違和感の原因を探ろうとキーボードに触れ「地球」「平面」と検索窓に二つのキーワードを並べる。

 パ、パ、と画面の一番上に表示されたのは、円盤上に世界地図がすっぽりと収まり、そして端っこは滝のようになって、海が切れているような画像だった。

 外側はドームのようになっている。神の力によって、月と太陽はドーム内の天蓋に存在し、ぼくたちの頭上を回る。一枚岩で完結する世界。そこに宇宙はない。

 

 解説サイトを流し読みしていく。

「通常、平面な地球はみずからの重みに耐えきれることはなく、その状態を維持するためには重力を否定しなければならない。……平面モデルでは、中心は北極、周りは南極で囲まれており、南極条約によってその果てが観測されていないことが、平面説の証左とされている。また、宇宙の映像はNASAによる捏造だと考えられており──」


 地球平面モデル。日本語で訳された地という言葉に、明らかに矛盾した考え方だ。


 以前、時間の概念を持たない先住民族がブラジルにいるとテレビで知った。ぼくたちの生きる世界では、時間を切り売りすることで収入を得るのにたいして、彼らには全く異なった価値観が存在しているのだと、なんだかぼくたちの方が逆に、時代に取り残されているように感じた。

 なんて言えばいいんだろう。込み上げてくるその感情を言葉にできなくて、もどかしかった。「何か」が足りない。先住民族の彼らには、大事な「何か」が欠けている。それは同時にぼくたちも既に大事な「何か」を失っているのことを示しているのかもしれない。

 豊かさ。彼らにとっての人生の充実は、時間にとらわれない生活にある。いっぽうで、科学技術がもたらした豊かさが、本当に正しい道といえるのか。


 インターネットが普及して、文明社会に生きるぼくたちはこうして、電子メールのやり取りができる。ベドからすれば、ぼくの居る日本は、地球の真裏──というより「世界の果て」ともいえるような場所。その片隅で、ぼくは生きている。


 自然科学の研究が進み、これまで恐れられていた超常現象にも説明がつくようになった。そんな中、科学の権威だけが一人歩きして、真実を直視しない──あるいは見失っている人がいることが、奇妙に思えた。


 けれど、信じることに罪はない。

 ベドの信じる「世界」を否定してはいけない。ベドにとっては、神様のつくったせかいに生きる自分はどこまでも正しくて、そのせかいが否定されることは冒涜なのだ。

 ぼくは学校という場に、知らず知らずのうちに拒絶された存在だった。そこにどういう力が働いているのか分からないけれど、もう何もかも嫌になって、人を信じることも、優しくすることもできず、自分がそこに居ることを呪うことでしか「世界」の中にぼくという存在を生かすことができない気がした。

 刺すような視線。歪んだ口元。ぼくにとって、学校だけが人とつながる世界で、けれども誰とも通じ合えないまま過ごすしかない、ひどく退屈な場所だった。

 明らかに、「世界」という一つの大きなパズルにはまることの無い異物。丸み、角、凹凸。ぼくを形作るピースは、決して世界に取り込まれることはない。

 だから、ベドの信じる、平面で、広いパズルのような地球を否定することは、そこからあぶれた「もうひとりのぼく」を生み出してしまうことに他ならないのではないか、と。ぼくにはそれが恐ろしかった。どうか。どうか、ベドはベドのままでいてほしいから。


 ✤ ✤ ✤


差出人:Kajito Asio

件名:Re: 知るものの世界

日時:2017年10月7日 14:42:23(JST)

宛先:Bernardo Rein


 ぼくたちのいる場所は少し離れている。けれど、こうしてベドとメールでやり取りできるのは嬉しい。そこに、相手がいるんだと思うとぼくは安心できるから。今ぼくのいる場所からずっとずっと真っ直ぐ歩いていった先に、ベドはいるんだろうね。


 今まで触れてなかったけど、ぼくは実は、学校でいろんな嫌な思いをしてきた。こうやって伝えるのも少し抵抗があるけど、ベドになら話せる気がする。話すというより、書く、だけど。


 人と関わることが苦手だった。何を言われるのか怖かった。友達からバカにされて笑い飛ばせるほど強くなかった。周りに迷惑ばかりかけてきた。お母さんとお父さんはぼくが、こんな子に育つとは思ってなかったはずだ。なのに、いつも優しくしてくれて。なんでぼくは普通じゃないんだろう。普通になれないんだろう、と何度も思った。

 ぼくは料理が好きだった。お母さんの手伝いをしてたから、包丁の扱いも上手かった。お母さんの手料理は美味しくて、ぼくはそれを作れるようになりたかった。

 今日のお昼もぼくが一品作った。鮭とキノコ、バター、コンソメを入れて、ホイル焼きにする。かぼすをかければ出来上がり。

 それで、小学校の調理実習のとき。スパゲッティの麺を茹でる時に、ぼくは砂糖を入れた。これが間違いだった。当然、みんなからは「ふつうは塩だろ」と責め立てられて、ぼくは何も言い返せなかった。班のメンバーがそれを伝えて、先生からも怒られた。ぼくはその時、砂糖で間違いない、ちゃんとお母さんと一緒に作ったときも砂糖を入れたことを覚えているんだ、と確信をもって行動した。でも、本当はぼくの記憶違いで、トマトの酸味をおさえるために、ミートソースの方に砂糖を入れるのが正解だった。悲しかった。悔しかった。全部ぜんぶ、ぼくが悪かった。ぼくのせいだった。恥をかいたというより、ぼくは自分を呪って、とにかくその場から消えたかった。穴に埋まる、とかじゃなくて、もう風に吹かれて飛ばされる砂のように、みんなの記憶から消し去られるような、そんな存在がよかったな、と思って。

 ベドはそんな時どうする。どう思う?


 ✤ ✤ ✤


 途中から文章を書くのに夢中になって、脱線してしまったかもしれない。おかしな表現になったかもしれない。これが翻訳されたあと、どれくらいベドに伝わるかは分からないというのに。

 だけど毎回、なるべく教科書のような、きちんとした日本語の文の形を保つように気をつけて書くようにしている。それが、最低限できることだった。



 ベドからのメールは回線や時差の影響なのか二日経って届くことが多い。だいたい、夕食前のおやつのときに。

 パソコンの前で、ドーナツの最後のひと口をもぐもぐと咀嚼しながら、ぼくはメールの中身を確認する。


 ✤ ✤ ✤


差出人:Bernardo Rein

件名:状況

日時:2017年10月10日 16:14:40(JST)

宛先:Kajito Asio


 状況。多くの場合、あなたを作るものです。

 あなたの人生の人々を再配置します。私は自分の人間関係を心からチェックする必要があります。心の中にあるものは不要です!そして言い訳なしで私を残しますか?

 そして、あなたの不在は私の命を奪います。


 毎回あなたの怒りを過小評価している人に固執しないでください。


 私たちはリスクを冒すべきです。

 ‎私たちは人生の奇跡を本当に実現することは決してありません。‎予期せぬ事態が発生することを許可しない限り。


 ✤ ✤ ✤


 現状から一歩踏み出せ、ということなんだろうか。

 あなたの不在は私の命を奪う。だいぶ大袈裟な表現だ。海外の人は多少オーバーに表現することが多いと聞くけど、これもその一つなんだろうか。ベドが、ぼくを気にかけてくれている。ベドがぼくの存在をみとめている。なんだか、嬉しかった。

 怒りを過小評価する、ってなんだか難しい言葉。ぼくが、学校やそこにいる人にたいして感じているのは、怒りというより不満、そして窮屈さだ。でも、ベドの言いたいことは分かる。リスクを冒し抜け出せ、と。これはエールだ。


 ✤ ✤ ✤


差出人:Kajito Asio

件名:ありがとう

日時:2017年10月11日 13:21:44(JST)

宛先:Bernardo Rein


 ありがとう。メールを読んで、そして返事を書いてくれて。いつも、ベドから励ましを貰ってばかりな気がする。

 ベドは落ち込んだ時、どうする? 何か、好きなものを食べたり、もしくは何もせず、ただぼっーとしたり、とかかな。


 ✤ ✤ ✤


差出人:Bernardo Rein

件名:約束のみを

日時:2017年10月14日 17:11:12(JST)

宛先:Kajito Asio


 私は別の日を生きることによって今日素晴らしい何かを持っていることを望んでいます。私が、このトラウマを私の体から処理できるようになるまで、標準的なアドバイスはどれも私のために働くことはありませんでした。


 あなた自身とあなたが望まないものを尊重しなさい。そして、あなたを数えるものを私のために数えないでください。

 私たちは優しさと愛情の名の下に自分自身を間違った。そして、私たちの胎児は心配と苦痛に他なりません。

 心に住んでいた人を除いて、どうやってそれを残しますか?

 あなたが私の心の真ん中にいなかったかのように。

 約束をした人を除いて、どうやってそれを破るのですか?

 そして、私の悲しみの大きさに無関心に進みます。


 ✤ ✤ ✤


 別の日を生きる。なんだか不思議な言葉だ。心機一転、切り替えるってことだろうか。

 望まないものを尊重する。これは、多分、嫌なことからは逃げていいんだと、トラウマ──つらい過去、思い出を数えるのはやめよう、と言っているのかもしれない。

 それを胸の内に(胎児?)しまいこんで、自分を偽るのは──何ともないように明るく振る舞うことは、優しさではないんだと。

 本心(心に住んでいた人?)に嘘をついてはいけないんだと。悲しい気持ちがそこに残るだけだ、とベドは教えてくれているような気がした。


 ✤ ✤ ✤


差出人:Kajito Asio

件名:Re:約束のみを

日時:2017年10月15日 15:24:51(JST)

宛先:Bernardo Rein


 別の日を生きる、というのを見て、思い出したんだけど。日本の詩人、谷川俊太郎さんの「春に」という曲で、「あしたとあさってが一度にくるといい」っていう言葉があるんだ。


 歌詞の意味的には、ワクワクした気持ちを表している言葉なんだろうけど、ぼくは、その日が、早く過ぎ去ってほしいという気持ちだと思った。

 未来に不安しかない。嫌なことを思い出して、押しつぶさそうになる。そんな時がまた明日、明後日にやってくるんじゃないかと思うと、ぼくは怖い。だから、早く終わってほしいんだ、というメッセージだと。

 YouTubeのリンクを貼っておくね。


 ✤ ✤ ✤


 送信した後になって、ぼくは気づいた。「地平線のかなたへと歩きつづけたい」という一文が歌詞があることに。それが、地球が平面である考えを否定する内容に当たるのではないかと心配になってきた。大丈夫、だよね。ぼくが、気にしすぎてるだけ。

 多分、ベドは日本語歌詞を訳さないだろう。


 ✤ ✤ ✤


差出人:Bernardo Rein

件名:神に委任します

日時:2017年10月17日 16:41:30(JST)

宛先:Kajito Asio


 私はやさしい人が好きです。あなたが彼と一緒にいる間疲れない人、簡単で柔らかくてシンプルな人。彼との葛藤はあまりなく、彼は滑らかで問題を複雑にしません。この特徴は、知的で、教育を受け、意識のある人、本格的な人を示しています。そして、膨満感は魅力的です。

 あなた自身への極度の残酷さ、あなたを喜ばせて生きるために、彼は美しいものを壊して生きることができます。

 神が彼を憐れんでくださいますように。

 そして、辛抱強く待ってください。神は善行者の報いを無駄にしないからです。


 ✤ ✤ ✤


「彼」がいきなり出てきた。三人称。 この文脈だと、ぼくが頼れる「誰か」のことを指しているのかな。

 そんな人に出会えたら、きっと幸せだろうね。嬉しいかもね。それを楽しいって言うんだろうね。笑って話したりするのかな。

 そんな人……、そんな人に出会ったことなんかないよ、ベド。


 ✤ ✤ ✤


差出人:Kajito Asio

件名:その時まで待つ

日時:2017年10月18日 12:36:41(JST)

宛先:Bernardo Rein


 ぼくは少し諦めていた。ぼくを救ってくれるような、一緒にいて楽しいと思える誰かに会えることはないんじゃないかって。

 それがベドだと思っていた。でも、ベドはそれよりもっとぼくの近くにいて、たとえ電子上だけに存在する、心の距離の近さであっても、こうして通じ合えるのが嬉しかった。

 だから、もうほかに望まないようにしようと思っていた。かなわない夢を見るのは苦しいから。

 ありがとう、ベド。もう少し信じてみます。信じて、そんな誰かに出会えるまで、必死で生きるよ。


 ✤ ✤ ✤


 うわあ。送信した後になって気づいた。最後の最後で常体と敬体が混じってる。学校の作文だったら、先生から注意されてるけど……、まあいいや。


 ✤ ✤ ✤


差出人:Bernardo Rein

件名:神聖なリターン曲

日時:2017年10月20日 16:41:52(JST)

宛先:Kajito Asio


 ‎やってきた朝に、希望の匂い、そして楽観的なメッセージ、そして喜びの称号を探してください。あなたはすべての最高のものでいっぱいの朝を見つけるでしょう。


 そして、聞いてください。ここに来て抱きしめて、そしてあなたの手に触れて。

 音は記憶に10月の花の香りを追う能力を与えます。


 ✤ ✤ ✤


 ぼくが送った曲の、お返しかな。

 メールの最後には音楽ファイルが添付されていた。「私の学校の聖歌隊が歌いました」というメッセージ。ぼくは、ゆっくりとマウスを動かし、再生ボタンを押した。




 信じるものは違うけれど。このやわらかな音色にのせられて響く歌声は美しかった。

 防災訓練で机の下に隠れたとき。身長が高いせいで頭を力強く打ちつけた時のような、そんな重い衝撃がぼくを襲う。めまい。ちかちかする白い視界。

 眠くなるような音楽。歌詞の意味が分からなくても、人類みな兄弟というように、僕たちはまるで双子のようだった。世界とつながることができたように思えた。


 絶対を信じたかった。

 絶対、助けてくれる。絶対、そこにいてくれる。絶対、見守っていてくれる。

 入院した時にベッドの周りで家族に囲まれる時のような、安心感をもたらしてくれる、ずっと傍にいてくれる、そんな絶対的な存在を求めていた。

 それを隣人愛というのか、それとも、ただの甘えなのか、神と呼ぶのかなんなのか、ぼくには分からない。


 けれど、きっとぼくたちはこの世界にいる。うつしかがみのなかに閉じ込められたような、ぼくたちは。双子のようにつながっている。互いに、信じるものは違うけれど。


 ぼくたちは、半音ずれた世界を生きる。

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