『朝昼夕のカリーなる教へ』に付随する話(ハヤシ)

紅灯空呼

夜の八時八分四秒に食ふべし。

 イヌクマ、弟子犬たちを集めて云ひ給ふ。


「汝ら朝の四時に辛口カリーを食へ。その辛味によりて目覚めバッチリ。昼餉は大辛カリーなり。その大なる辛味によりて、睡魔を打ち払ひて仕事バリバリ。夕餉は中辛にすべし。ほどよき辛味によりて眠りグッスリ。すこぶるよき生活を得べし。」


 弟子犬たち、これを聞き、目から鱗をボロボロこぼせり。

 ジョン、問ひて云ふ。


「師よ、甘口カリーはいつ食ふか。」


 イヌクマ、答へて云ひ給ふ。


「愚かなる者よ、甘口は幼児犬の食ふものぞ。リンゴとハチミツとがトロ~リ溶きをればなり。」


 弟子犬たち、これを聞き、しかと心得て『朝昼夕のカリーなる教へ』とて民草に伝へり。

 やがて犬から犬へと広む。


 ・ ・ ・


 八月八日、土曜の夕つ方、ハウゼズと云ふ営業犬きたるに、イヌクマ、弟子犬たちとともに彼の犬を迎へ給ふ。

 ハウゼズ、跪きてイヌクマに云ふ。


「よき師よ、『朝昼夕のカリーなる教へ』は、まさに大なる教へなり。」


 イヌクマ、これを聞き給ひ、怒り給ふ。


「我はよきかや。汝、それジョンにも同じこと云へるか。」


 とて、傍らに立つジョンを指し給ふ。

 ハウゼズ、いたく怖ぢたり。


「云ふまじ。」


 と答へて、続けて問ふ。


「師よ、ハヤシはいつ食ふか。」


 イヌクマ、訝り給ひて問ひ給ふ。


「ハヤシとはなんぞや。」


 ハウゼズ、携へたるニンジン、タマネギ、仔牛の肉を大鍋にてグツグツ煮、頃合ひを見計らひて秘伝のルウを溶けり。

 日暮れきたる辺り一面に、よき香り漂ひ広ごれば、ジョン、その匂ひを嗅ぎて口から涎をダラダラたれたり。

 ハウゼズ、煮えたる具と汁とを皿によそひて、イヌクマの前に出したる。


「これぞハヤシなり。」


 弟子犬の一人、イヌクマに銀の匙を手渡せり。

 イヌクマ、その匙にてハヤシをすくひ給ひて一口食し、感激のあまりに深く頷き給ふ。

 ハウゼズ、これを見、イヌクマに迫りて求めたり。


「師よ、審判を。」


 イヌクマ、笑みて云ひ給ふ。


「でりゃあうみゃあ。ハヤシもアリでよ。」


 ハウゼズ、これを聞き、身を震ひて問ふ。


「ハヤシはいつ食ふか。今か。」


 イヌクマ、答へて云ひ給ふ。


「イエス。ハヤシは夜の八時八分四秒に食ふべし。まさに、ハ、ヤ、シ、なり。」


 ハウゼズ、これを聞き、いたく喜びて『夜の八時八分四秒はハウゼズのハヤシ』とて、大いに伝え広めたり。


 この後、ハウゼズの創業したる食品會社「家の素」は、カリールウやらハヤシルウやら、はたまた赤唐辛子の粉末やらを作り、民草に安く売り与え、大いに繁盛す。


【 ~ イヌクマ食伝「序説 第三章」より抜粋 ~ 】

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