第2章 カトラル伯爵 14

 伯爵邸の広い廊下に、シェリーの衣擦きぬずれの音が静かに響いていた。召使いは見当たらなかった。燭台の灯りが二人を照らしている。


 シェリーはエントランスに立つと、カトラル伯爵に別れの挨拶をした。

「今日はお招きいただき、ありがとうございました。おやすみなさい伯爵」

 すると、カトラル伯爵は体を近づけると、シェリーの体をすばやく抱きよせた。

 

 シェリーはそれが何なのかわかった。

 一瞬目を閉じ、自然に顔を伯爵に向けた。

 シェリーの唇に伯爵はキスをした。彼女は伯爵の圧倒的な、力強い抱擁にあらがえなかった。彼女は気が遠のきそうな気分になり、思わず彼の背に手を伸ばした。

 二人はしばらく無言で抱き合っていた。


 カトラル伯爵は唇を離すと、彼女の顎を軽くつかみながらささやいた。

「君は私を嫌いではないな」

「違う。誤解しないで……」シェリーは必死に否定をした。

 だが、彼の前ではあまりにも無力だ。


 伯爵の目はいっそう輝き、シェリーの顔を見つめていた。

「君はきっと私を愛するようになる」


 シェリーは帰りの馬車の中で、複雑な気持ちになっていた。

 伯爵のキスを受け入れてしまった事が、後悔を生んでいた。しかも、そのキスに酔いしれてしまったとは……


 カトラル伯爵はシェリーに愛人になれとぬけぬけと言ったが、考えてみれば彼なら、どの女にも言っていそうだ。うかつにのれば火傷やけどするだろう。伯爵は女のことはよくわかっているから、シェリーが自分のものになるのは当然だとうぬぼれている。どこまでもふざけた男だ。


 シェリーにとって大切なことは、アシュビー家の家と領地を守ることだ。カトラル伯爵みたいな下品な男と関わるのは、なんの得にもならない。


 夕食会の出来事は、エリザベスには秘密だとシェリーは思った。

 カトラル伯爵の言動と行動について、エリザベスに正直に話したら、きっと気絶してしまうだろう。だから、どうだったとエリザベスに問われても、シェリーは退屈でつまらないものだったと答えた。


「伯爵にはがっかりよ。彼の提供する話題には興味が持てなかった。伯爵の教養には疑問を感じるわ。いったい今までどういう生活をしてきたのかしら」シェリーはいくぶん皮肉まじりに言った。


 朝食の焼きたてのパンケーキを切りながら、エリザベスが言った。

「頭が悪い男には見えないけれど、話をするとつまんないのね」

「馬鹿ではないと思う。ただ、普通とはなんとなく違う人なのよ」

「貴族なんてそんなものかも。浮世離れしている人たちだからね」とエリザベスが笑いながら言った。


 エリザベスは安堵していた。もし、シェリーがカトラル伯爵にひかれてしまったら、面倒なことになる。二人は立場が違いすぎる。シェリーが幸せになるには、分相応ということが大事である。それに、カトラル伯爵は、エリザベスから見ても、刺激的すぎる気がする。ああいうタイプの男は女を幸せにはできない。これで二人の仲が終わるのなら大歓迎だ。


 

 

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