第1章 仮面舞踏会 5

「大丈夫か?」と黒い仮面の男が言った。彼の目が強く光っている。

「ええ……」シェリーは怯えた声で言った。

 彼がふっと笑った。

「これだから世間知らずの娘はだめだ」


 その言葉に、シェリーはプライドを傷つけられた。浅はかな娘だと思っているのだろう。

「世間知らずじゃないわ」恐怖が覚めやらぬなかで、シェリーは強気を見せた。

「ちょっと油断しただけか?」彼があざ笑うように言った。

 実に皮肉っぽい。


「そんなところかしら…… 助けてくれてありがとう」

 シェリーは恥ずかしさもあって、しぶしぶお礼を言った。

 黒い仮面の男は暗闇の中でも、たくましい体をしているのがわかった。おそらく貿易商の成金だろう。


「こっちは、とんだとばっちりだった。せっかくいいところだったのに」

「えっ」とシェリーは言うと、少しはなれたところで、胸を大きく開けたドレスを着た赤毛の女性が見ていることに気がついた。

 彼らはお楽しみだったのだ。では、あの吐息はこの二人だったのか。シェリーのほうが気恥ずかしさを感じ、顔を赤らめた。


「ごめんなさい」シェリーはしおれて言った。

 黒い仮面の男が笑った。

「気をつけて帰るがいい」

 彼はそう言うと、落ち着いた足取りで、赤毛の女性へと歩み寄って行った。


 なんてことだ。これが仮面舞踏会だ。華やかではあるが、退廃と官能が交差する世界だ。

 シェリーは先ほどまでの恐怖で、すっかり気分がえていた。重たい足取りで大広間に戻ると、ダンスは終わり、音楽はセレナードに変わっていた。舞踏会は終わりに近づいている。


 人々は踊り疲れていたが、これから起こることを、伯爵が現れるという期待で、別の高揚感に包まれていた。


 最初に挨拶をした執事がまた、大広間の真ん中に立った。

「紳士淑女の皆様、本日はお楽しみ頂けましたでしょうか。それでは仮面舞踏会の最後に、カトラル伯爵からのお言葉があります」

 皆、固唾かたずをのんだ。


 しばらくして、大広間の二階の中央に位置する扉が開いた。

 黒い仮面をつけた一人の人物が現れた。


 シェリーは心臓が止まりそうになった。その登場した人物は、さっきシェリーを助けてくれた男だった。まさか彼が……


 黒い仮面の男は、二階から階段をゆっくりと降りてきた。彼が大広間に立つと、人々は後ずさりをして、無言で彼を取り巻いた。


 彼は毅然と顔を上げると、仮面を取った。

「私がカトラル伯爵だ」

 彼の声は響いた。

 人々は一斉に身をかがめ、深く敬意をあらわすためにこうべをたれた。


 彼がカトラル伯爵。この男が新しいあるじなのだ。


 カトラル伯爵は精悍な若い男だった。髪の毛は茶色で軽くウエーブがかかり、均整のとれた顔立ちは、支配者階級の優雅さが現れていた。その貴族的な顔の中で、目だけがときどき、野性的なひらめきを見せるのが、印象的だった。


 その肉体は、ほっそりとしてはいるが、頑健で敏捷びんしょうな動き方をする。貴族というより、まるで海賊のようだ。

 人々は内心思わずにはいられなかった。やはり、身分の低い階層の血が、この伯爵には流れている。


「今日、皆にこうして会えたことを嬉しく思う。このロルティサはカトラル家のもとで、長く繁栄を享受することができた。私も祖先と同じように、このロルティサの繁栄と平和を守っていきたい。皆も私に力をかしてほしい。そして共にロルティサを発展させていこうではないか」


 カトラル伯爵は、さらに良く響く声で言った。

 人々は腰をかがめ、恭順の意を示した。

 シェリーはカトラル伯爵の様子を人々の陰で、目立たぬように伺っていた。


(あの男がカトラル伯爵)

 シェリーはショックを受けていた。

 






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る