Ⅳ.かなどん ⑥
「……とにかくその、独特な人だってことは伝わってきました。コラボしてみたかったです。」
衝撃の初対面から一夜明けた、小雨が降る水曜日の午前中。俺は夏目さん宅のリビングで彼女と会話しながら、ひたすら生栗の皮を剥いていた。栗ご飯やマロングラッセの動画を撮りたいということで、下拵えの手伝いをしているのだ。何でも実家に親戚から大量の栗が届いて、それを半分貰ってきたらしい。
そんな地味な作業の最中、昨日事務所にやって来た『髑髏男爵』こと白鳥薫子さんの話題になったわけだが……そうか、コラボレーション動画か。向こうも夏目さんに対して興味を持っているようだったし、誘ってみれば良かったな。勢いに対応するのに精一杯でそれどころじゃなかったぞ。
終始押されっぱなしだったことを思い出しつつ、生栗に切り込みを入れている夏目さんに返事を返す。そういえば、モノクロシスターズの二人は今頃学園祭を楽しんでいるんだろうか? 一日目の今日はお土産を持って早めに帰ってくるらしいから、事務所に戻ったら話を聞いてみよう。
「髑髏男爵さんも夏目さんに……というか、『さくどん』について言及していましたよ。活動を始める時、『ブスどん』という名前にしようかちょっぴり迷ったと言っていました。」
「ブスどん、ですか。……凄い名前ですね。」
「まあその、夏目さんの人気にあやかる形で『ブスバージョン』をやろうとしたんだとか。さすがに失礼だということで、少し考えただけで思い止まったようですが。」
「私は別にいいんですけどね。誰かに真似されるくらいになれたんだと思うと、むしろ嬉しい気持ちすらあります。『何とか丸』とか『何とかどん』って名前のライフストリーマーはたまに見ますし、特に気にしたりしませんよ。」
あー、居るな。そういう人たちはネット上で『雪丸キッズ』とか、『さくどんチャイルド』とかって呼ばれているらしい。……真似されている当人たちがいいのであれば俺も文句はないのだが、何か問題を起こされたらと思うとちょびっとだけ怖いぞ。
そりゃあ無関係ではあるものの、よく知らない人が勘違いしてしまうことは有り得るだろう。とはいえいちいち『真似するのをやめてください』と言うのはあまりにもバカバカしすぎるし、似た名前ってだけで横槍を入れるのはクレーマーの行動だ。夏目さんを見習って良い方向に捉えて、行儀良くしてくれと祈りながら見守るしかなさそうだな。
パーカー姿の『さくどんチャイルド』たちを思って苦笑した後、栗の鬼皮を剥がしつつ応答する。夏目さんはプラスに受け取っているようだけど、深雪さんはどう思っているんだろう? 今度会った時に尋ねてみようかな。
「ちなみにまだ東京に居ますよ、髑髏男爵さん。今頃由香利さんと一緒に銀座で撮影をしているはずです。夜の新幹線で仙台に帰ると言っていました。」
「風見さんと? ……それってもしかして、私がこっちに駒場さんを呼んじゃった所為ですか?」
「予定が被ったというのもありますが、どちらかと言えば髑髏男爵さんの希望です。由香利さんはどうも彼女に気に入られたようでして。」
美人だ美人だとキツく当たっていたが、本気で嫌っているわけではなさそうだったぞ。昨日の後半は由香利さんもかなり遠慮なく『反撃』していたし、そういうところを逆に好ましく思われたのかもしれない。今日はさくどんさんの撮影があるんですと伝えたら、『それなら風見さんに同行してもらおうかしら』と指名してきたのだ。
そして由香利さんの方もそこまで嫌がらずに了承していたので、何だかんだで相性が良さそうなコンビだったな。対して俺は『もう少しブス扱いに慣れるように』と釘を刺されてしまったし、同僚どのを見習って白鳥さんとの関係を整えていく必要がありそうだ。
銀座で買い物をする動画を撮ると言っていたから、仲良くデパート巡りでもしているのかなと想像している俺に、夏目さんがかっくり首を傾げて疑問を寄越してきた。
「そのまま風見さんが担当になるってわけではないんですよね?」
「そうはならないと思います。由香利さんには営業の仕事がありますから、今日みたいな時にだけピンチヒッターをやってもらうという感じですね。……ただ、先々のことを考えて春に人員を補充する予定ではありますよ。半年ほど『マネージャー見習い』として俺の補佐をしてもらって、それから徐々に担当を付けていくつもりです。」
「あれ、そうなんですか。私はてっきり、駒場さんみたいな経験者を採用すると思ってました。」
「香月社長は生え抜きが欲しいらしいんです。……あとはまあ、そっちの方が初期の人件費が安く済むという側面もありますね。新卒狙いで行くんだとか。」
俺はもう一人か二人経験者を入れてから新卒に目を付けるべきだと思うのだが、香月社長は『駒場君に育ててもらうさ』と言って聞いてくれないのだ。……そもそも今更採用活動を始めたところで、誰か応募してくるんだろうか? ホワイトノーツは設立してからまだ一年も経っていない、赤字塗れの小さな会社なんだぞ。
それに酔狂な人間が気紛れで応募してきたとしても、内定を出した後で断られるって可能性が高いはず。どうせうちなんて『滑り止めの滑り止めの滑り止め』にもなれないような会社なんだから、就活生に面接の練習台とかにされるのがオチだ。悲観的すぎるのかもしれないけど、キープされた挙句辞退というのは有り得そうな話だぞ。
新卒の採用というのはそういうリスクに対応できる大きな会社が行うべきであって、うちみたいな新興企業がノウハウも持たずに手を出すのは危険すぎる。マネージャー経験者っていうのは案外居るもんだし、俺は中途採用を推したいんだけどな。
とはいえ香月社長が謎の『生え抜き』への拘りを持っている上、由香利さんみたいな『スーパー新卒』の例がある所為で反論し辛いので……今回も棚ぼたがあることを祈る他なさそうだ。十中八九まともな応募が来ずに、結局は中途採用になるだろうが。せめて採用活動のコストは抑え目にするように進言してみよう。
新入社員に関してを思案していると、夏目さんが笑顔で相槌を打ってきた。学生時代と就職後だと『就活』の見方が変わるけど、どっちにしろ厄介だという点は不変だな。さすがは日本を代表する呪いのイベントだけあって、応募側にも採用側にも平等に心労を与えてくるじゃないか。
「とにかく、春になれば駒場さんがちょっとは楽になるってことですよね? ……ひょっとして、違うんですか? アシスタント的な人が付くって意味かと思ったんですけど。」
「まあ、それに近いですね。仮に俺がチーフマネージャーだとすれば、新しく入ってきた人はアシスタントマネージャーやサブマネージャーといった立場になるはずです。」
「わあ、チーフマネージャーですか。出世ですね。」
「……そうですね。」
実際は全然出世じゃないぞ。給料が良くなるわけでも待遇が変化するわけでもなく、今までの仕事に新人教育がプラスされるだけだ。……別に嫌ってことはないし、新人教育は会社にとって必要だから面倒とも思わないけど、しかし結構なプレッシャーではあるな。ああ、胃が痛い。
正直、上司に気を使うよりも部下に気を使う方が俺としては難しいのだ。何故なら上司に対して怒ることなど滅多にないが、部下に対しては怒らなければならないタイミングが出てくるのだから。俺はもう、『誰かを叱る』という行為が苦手で仕方がないのである。
かといって『いいよいいよ、気にしないで』ばかりだと教育担当としては下の下だし、将来的にはその人のためにもならない。優しいのと甘いのは違うことくらいは理解できているぞ。……いやはや、想像だけで具合が悪くなってくるな。我ながら情けない限りだ。
要するにまあ、俺は根本的に『使われる側』の人間なんだろう。だからマネージャーを天職だと感じていて、だから香月社長と相性が良くて、だから誰かが下に付くとなるとストレスに思えてしまうわけか。うーむ、奴隷気質。
機械的に栗の皮を剥きつつ心中でため息を吐いていると、ぬるま湯を張ったボウルの中から新たな生栗を取っている夏目さんが話題を変えてきた。ああしておくと剥き易くなるらしい。そして鬼皮を剥いた後の栗も、別のボウルで水に浸けているわけだが……これは何のためなんだろう? 俺は栗の皮剥きなんて初めてだからさっぱり分からないぞ。
「何か剥いてて多すぎるように思えてきましたし、折角だから渋皮煮も作りましょうか。大きくて新鮮な栗だと何にでも使えて便利ですね。」
「……初歩的な疑問なんですが、マロングラッセと渋皮煮は違うお菓子なんですか? 俺は今までずっと同じ物だと思っていました。つまりその、和名と英名の違いなのかなと。」
「えと、全然違います。ざっくり言うと渋皮煮は渋皮が付いたままの栗を砂糖と一緒に煮込んだやつで、マロングラッセは剥いた後の栗にシロップを浸透させて作るお菓子です。」
全然違うのか。そこまではっきり言われると落ち込むぞ。……そもそも俺が『マロングラッセかつ渋皮煮』だと思って食べていたのはどっちなんだ? それすら分からんな。黒っぽかったし、渋皮煮だったんだろうか?
「……そうだったんですか。知りませんでした。」
己の無知っぷりに悲しくなりつつ応じた俺へと、夏目さんは更に調理の際の違いも述べてくる。……そういえば『甘露煮』なんてのもなかったか? 確かあれも甘い栗だったはずだし、いよいよ訳が分からなくなってくるな。『栗きんとん』だって甘い栗だぞ。
「お母さんの言い方だと渋皮煮は『早いけど面倒』で、マロングラッセは『楽だけど時間がかかる』料理なんです。渋皮煮は渋皮を傷付けないように鬼皮を剥いて、渋抜きして、繊維とか筋を丁寧に取らないといけませんから。私はそういうのを黙々とやっちゃうタイプなんですけど、お母さんは下処理の段階でイライラしちゃうみたいで。だからうちでは大抵お父さんが作ると渋皮煮になって、お母さんが作るとマロングラッセになってました。」
「面白い逸話ですね。マロングラッセの方だとイライラしなくて済むわけですか。」
「マロングラッセは渋皮を剥くのと、一個一個ガーゼで包むのが面倒なくらいですね。あとはひたすらシロップに漬け込んで、時々砂糖を追加する作業を繰り返すだけです。」
「どのくらい繰り返すんですか?」
普段料理をしない俺からすれば、マロングラッセの方も充分に面倒に聞こえてしまうぞ。というかもう、今やっている皮剥きが面倒だ。動画になるし、初めての体験だし、夏目さんと話しながらやっているのでギリギリ楽しめているけど、自分が食べるために家で一人黙々とやっている場面を想像すると……うん、かなりキツいな。
手を動かしながら考えている俺に、夏目さんは穏やかな笑顔で中々の答えを飛ばしてきた。
「うちでは大体三、四日ですね。お母さんが我慢できなくなって終わらせちゃうので、いつも短めで切り上げてます。」
「……四日で『短め』ということは、本来はもっと長いんですか?」
「えっとですね、マロングラッセって美味しいやつはこう……薄いガラスの膜が張ってるみたいになるじゃないですか。文字通りツヤツヤの宝石みたいな感じに。私が知ってる作り方であれにするには、一週間から十日くらいかかるんです。砂糖の白い結晶が付いてるマロングラッセならもっと短めで済みますし、あっちもあっちで好きなんですけどね。」
凄まじいな。拘ると十日もかかる料理なのか。長時間砂糖漬けにされる運命の栗たちを見て戦慄していると、夏目さんがむんと気合を入れながら話を続けてくる。
「今回は動画にするので、きちんと糖度を調整して一週間かけようと思ってます。駒場さんも楽しみにしておいてくださいね。ちょっと高めの紅茶と一緒に食べましょう。」
「はい、味わって食べることにします。」
完成してご馳走になる時は、一個一個丁寧に食べよう。俺がマロングラッセの恐ろしさを学習したところで、夏目さんが数個の栗を分け始めた。
「こっちのは動画で使います。栗ご飯とマロングラッセ用の『剥き方紹介』は撮りましたけど、渋皮煮用のやつはまだですから。渋皮煮にする栗は渋皮を完璧に残さないとダメなんです。お父さんはそこが一番大事なんだって言ってました。」
栗ご飯用の栗は下部を包丁で落としてササッと剥いて、今やっているマロングラッセ用の栗は先端に切れ目を入れてペリペリ剥いているわけだが……渋皮煮用の栗はまた違ったやり方で剥くのか。相変わらず料理となると引き出しが多いな。
栗料理の難解さに眉根を寄せつつ、夏目さんへと質問を投げる。ここまで来ると、下処理で一本の動画に出来そうだぞ。
「栗ご飯とマロングラッセと渋皮煮で別々の動画にするんですか?」
「そのつもりなんですけど、栗ばっかりだとくどいでしょうか? 栗ご飯だけは簡単すぎるので、何か合いそうなおかずとセットで動画にしようと思ってます。」
「季節の食べ物ですし、ジャンルが違うので大丈夫だと思いますが、マロングラッセと渋皮煮は一緒に食べて味の違いを語るのも面白そうですね。」
パッと思い付いたことを提案してみれば、夏目さんは何とも悩ましそうな声で返答してきた。
「あー、なるほど。……んー、どうしましょう。最近なんか、時間がかかることばっかりしてて動画のストックを使っちゃってるんですよね。だから二本を纏めちゃうのは少し不安です。この前もずーっと包丁を研いでましたし。」
「まあ、『前に食べた渋皮煮とはここが違う』という話をマロングラッセの動画に入れるだけでも充分だと思いますよ。それなら渋皮煮の動画への誘導にもなりますしね。……包丁の動画、後悔していますか?」
「後悔ってほどじゃないですけど、時間をかけた割には微妙だなとは……まあはい、感じてます。十一時間が六分ですもん。動画を簡潔にしすぎましたし、作業に手間取りすぎましたし、最初に編集した時の手応えもあんまりなかったです。久々にピンと来ない動画を作っちゃいました。」
俺は最初のチェックの際に結構面白いと判断していたのだが、夏目さん的にはそうでもなかったらしい。余計な話は一切しないで、ただ錆びた包丁を『レストア』する動画になっていたな。良し悪しはともかくとして、新しい雰囲気は出ていたぞ。
ただまあ、確かにさくどんチャンネルらしからぬ動画構成ではあったなと唸っている俺へと、制作者どのは小さくため息を吐いて続けてくる。
「でも、研ぐの自体はすっごく上手く出来ちゃったんですよ。元々良い包丁だったっていうのもあるんでしょうけど、使ってて怖くなるくらいに切れ味抜群なんです。……本当はもっと派手にピカピカさせる予定だったんですけどね。こう、鏡面っぽい状態に。だけどやってみたら不可能でした。そういうのは研磨剤とか、ロータリーマンさんが詳しそうな方面の知識が必要みたいで。」
「『ピカール』とかですか。鏡面仕上げまで行くと、『金属加工』の分野なんでしょうね。……しかし、和包丁としての美しさは出ていましたよ。新品同然でした。」
「もちろんああいう鈍い光沢も、包丁として綺麗だとは思うんですけどね。動画的にはインパクトが足りないかなって。……ライフストリーマーとしては失敗で、包丁の再生としては成功って感じです。どっちかって言うと撮影とか企画じゃなくて、編集の失敗なのかもしれません。新しいやり方に拘りすぎました。シンプルなのもいいかなって考えから試してみたんですけど、慣れてない所為で必要な部分まで削っちゃった気がします。」
「試行錯誤の過程ですよ。内容が濃くてさっと視聴できる動画でしたし、俺はそんなに悪くなかったと思います。……『お蔵入り』にはしないんですよね?」
それはちょっと勿体無いぞと思って尋ねた俺に、夏目さんは迷っている様子で首を横に振ってきた。
「近々上げます。ストックに回そうか迷ったんですけど、研いだ包丁を料理動画で使っていくわけなので、時系列が変にならないように今上げちゃうべきかなって。……叶に相談したら、久し振りに不機嫌な顔されちゃいましたしね。」
「叶さんが?」
「撮る時に長々と手伝ってもらったんです。カメラを持ってもらったりとか、片付けとかを。『それなのにボツだのストック行きだのになるの?』って怖い顔になったから、咄嗟に上げるよって言っちゃいました。」
「そういうことですか。」
容易に想像できるやり取りだな。そりゃあ『あれだけ手伝ってもらっておいて悪いけど、あの動画はボツだよ』とは言い辛いだろう。叶さん相手なら尚更だ。苦笑いで応答してから、ここがチャンスかもしれないと妹の話題を掘り下げる。先日深雪さんから貰ったアドバイスを実践する時が来たらしい。
「……叶さんは昔からあんな感じの子だったんですか?」
「叶ですか? ……昔はまあ、今とは違いましたね。ずっと私の後ろをついて来る感じの、物凄い『お姉ちゃんっ子』だったんです。」
「お姉ちゃんっ子ですか。そこは前にも聞いた覚えがありますね。……そういえば夏に雪丸さんとの対決企画を撮っていた頃、『嫌われて当然』みたいなことを言っていませんでしたか? あれはどういう意味だったんでしょう?」
ここで踏み込むのは俺らしくないかもしれないが、叶さんのことを考えていった時に先ずそこが引っ掛かるのだ。何とか聞き出したい部分だぞ。そんな考えから問いかけてみると、夏目さんは……おおう、分かり易く目が泳いでいるな。非常に気まずそうな半笑いで回答してきた。
「あっ、あー……はい。よく覚えてますね。私、そんなこと言ってましたか?」
「先々月、ゲーム対決をする前くらいに言っていましたね。とても気になるので、詳しく教えてもらえませんか?」
「くっ、食い付きますね。大した話じゃないんですよ? ただその、何て言えばいいか……昔の私は少しだけやんちゃな子だったんです。昔ですからね? 昔。今はもう違います。」
「やんちゃ?」
夏目さんに『やんちゃ』という表現は似合わないな。むしろその反対だぞ。首を捻りながら聞き返してみれば、彼女は視線を外したままで説明してくる。……由香利さんの『元ヤン』と同じようなパターンなんだろうか?
「十歳くらいまでは結構あの、暴力的っていうか……『パワータイプ』の子だったみたいで。叶のお菓子を横取りしたり、力で揉め事を解決してたらしいんです。あんまり覚えてはいないんですけど。」
「それはまた、今とは全く違いますね。」
「お母さんによれば、叶に強めのビンタをして『それ、お姉ちゃんに寄越しな』とかやってたんだとか。……いやあの、『強め』ってところは大袈裟だと思うんですけどね。お母さん、何でもかんでも大袈裟に言いがちなので。」
「……ビンタですか。」
まあ、姉妹だったら無くもない話……なのかな? 若干驚いてしまっている俺に、夏目さんは手を淀みなく動かしながら追加の『逸話』を語ってきた。集中しているというよりも、作業に逃避している感じだ。積極的に話したい内容ではないらしい。
「あとはいきなり隣町のショッピングモールに連れ出して置き去りにしたりとか、お母さんから『二人でアイス買ってきなさい』って言われて貰った五百円で、自分だけハーゲンダッツとチョコモナカアイスを買って叶には十円の……あの小っちゃい箱のガム、分かりますか? グレープとオレンジがあるやつ。あれしか買ってあげなかったりとか、真夏の暑い日に図書館で借りた本を代わりに返しに行かせたりとか、近所の怖い犬から逃げる時に囮にしたりとか、倉庫に閉じ込めたままで忘れちゃったりとか、怖い話をしつこく聞かせて不眠症寸前にしたりとか。そういうことを頻繁にしてたらしくて。」
「……そうなると、確かに『やんちゃ』だったようですね。」
「他にもプロレス技の標的にしたり、意味もなくほっぺを抓ったり、夏休みの宿題の工作をやらせたり、誕生日ケーキを強奪したり、家の手伝いを私の分までぶん投げたり、『叶の靴をどこまで飛ばせるか選手権』を開いてお気に入りの靴を川に流したり、お祭りの時に貰ったお小遣いを独占して叶には『元わたあめの割り箸』しかあげなかったり、毎日のようにお尻を蹴ったり、叶が大事に集めてた飾り付きのヘアゴムを輪ゴムみたいにして窓の外に飛ばしまくったり。中学校に上がる前の私は、そういう悪い姉だったんです。」
凄いやっているじゃないか、悪行。何て邪悪な子なんだ。悪どんだぞ、悪どん。あまりにもあんまりなエピソードの数々に顔を引きつらせていると、夏目さんはかなり後ろめたそうな表情で言葉を繋げてくる。行ったことはないけど、教会の告解室に居る人はもしかするとこういう態度なのかもしれないな。
「だからあの、ひょっとすると今叶がやってることはあの頃の『復讐』なんじゃないかと思ってまして。それで強く止められないんです。どう考えても悪いのは私ですし、もしそうなら正当な復讐ですから。」
「……中学生になってやめたのは何故なんですか? 何か切っ掛けがあったとか?」
「切っ掛けらしい切っ掛けは特にないので、単純にちょっと大人になったってことなんじゃないでしょうか? お母さん曰く、『急にお姉ちゃんらしくなった』んだとか。……要するに、因果応報なんですよ。私は自分がやってたような悪質な悪戯を、そのままやり返されてるだけなんです。だから本当は観念して受け入れるべきなんですけど、参っちゃってつい駒場さんに相談しちゃいました。」
話しながら落ち込んでいる夏目さんだが……なるほど、そんな背景があったのか。『子供の頃と性格が違う』というのはありがちな変化だし、俺も少なからず身に覚えがあるものの、ここまで大きく異なっているのは珍しそうだな。改心後の彼女しか知らない俺からすると、『悪どん時代』の夏目さんは想像するのが難しいぞ。
まあでも、それなら罪悪感は湧いてくるだろう。夏目さんが叶さんに強く出られない理由が判明したところで、担当クリエイターどのが俯きながらポツリと呟きを漏らしてきた。性格だけの問題ではなかったわけか。
「頑張って良いお姉ちゃんになって、罪滅ぼしをしてるつもりなんですけど……やっぱり叶、恨んでるんでしょうか?」
「叶さんから何か言われたことはないんですか? つまり、子供時代に関することを。」
「無いです。私の方からも怖くて聞けないので、一回も話題になってません。……それにちょうど私が中学生になる直前に家をリフォームして、姉妹で別々の部屋になったんですよ。だから前より会話する機会が減ったっていうのもありますね。何かこう、精神的に微妙な距離が空いちゃったんです。」
「変化のタイミングが重なってしまったわけですか。……俺としては意外な思い出話でした。人に歴史ありですね。」
少なくとも俺の問題を解決するに当たっては、重要な話だった気がするぞ。当時の夏目さんを恨んでいるが故なのか、はたまた何か別の理由があるのか。そこまではまだ確信を持てないけど、叶さんの行動を分析する一助にはなってくれそうだ。
栗の皮を纏めながら思考を回していると、夏目さんがおずおずと声を寄越してくる。不安げな顔付きでだ。
「……私のこと、見損ないましたか?」
「いやいや、そんなことはありませんよ。子供の頃の話じゃないですか。」
「それはそうなんですけど……でもほら、『子供だったから』で済ませちゃうのは良くないじゃないですか。やられた方はずっと気にするって言いますし、テレビとかでそういうエピソードを聞くと『うああ』ってなるんです。叶にもう、申し訳なくって。」
「……ですが、それでも叶さんは『お姉ちゃんっ子』だったんですよね?」
普通そこまでしていたら、その時点で嫌われそうだけどな。浮かんできた疑問を提示してみれば、夏目さんもよく分からないという表情で首肯してきた。
「はい、当時は相当なお姉ちゃんっ子でした。いつもべったりくっ付いてきてましたし、私が学校の行事で外泊する時とかは大泣きしてたんです。『お姉、行かないで』って。……五年生の林間学校の出掛けなんて、今生の別れレベルで泣き叫んでましたね。泣きすぎて過呼吸になってたのを覚えてますもん。お母さんによれば、帰ってくるまで私の枕を抱き締めながら毎日ぽろぽろ泣いてたんだとか。帰ってきた時は嬉し泣きしてましたし。」
「めちゃくちゃ好かれているじゃないですか。」
「だからそこも申し訳ないし、後悔してます。そんなに好きでいてくれた時期に辛く当たったりしないで、お姉ちゃんとして優しく接してあげてれば……きっと今よりずっと良い関係になれてたんだろうなって。」
うーん、また分からなくなってきたぞ。つまり夏目さんが『悪どん』だった時期は凄まじいお姉ちゃんっ子で、姉が優しくなると悪戯っ子になったのか。叶さんも夏目さんと同じように性格がくるりと変わったとか? だとすれば奇妙な姉妹だな。逆転現象だ。
兎にも角にも、立場がそっくり入れ替わったという点は理解できたぞ。夏目姉妹の不思議を感じていると、夏目さんが残りの栗を今までとは違うやり方で剥き始める。慎重な手付きで、下側から削り取るように剥いているな。あっちは渋皮煮にするらしい。
「ちなみにですが、中間の時期はどんな姉妹関係だったんですか?」
渋皮を傷付けずに剥ける自信がないし、残りは夏目さんに任せようと考えながら尋ねてみれば、彼女は目をパチクリさせて応じてきた。
「中間? 私が『まとも』になり始めた時期ってことですか? よく覚えてませんけど……でも、一つだけはっきり記憶に残ってます。真夜中に叶に起こされて、『お姉、何で優しくなっちゃったの?』って聞かれたことがあったんです。やけに思い詰めた顔で涙目だったから、何だか怖くなっちゃって。それで強がって『優しくなんかなってないよ、早く寝なさい』って叶の頭をぐしゃぐしゃにしたら、嬉しそうに笑って同じベッドに潜り込んできました。その出来事だけは何故か鮮明に覚えてますね。」
「そこだけ聞くと、叶さんはむしろ夏目さんが優しくなることを嫌がっていたようにも思えてしまいますね。」
「詳しくないので想像ですけど、私の所為で精神的におかしくなってたのかもしれません。犯人に依存する人質みたいな。そう思うと本当に危ないところだったのかもってゾッとします。」
「……それはさすがに、大袈裟に考えすぎじゃありませんか?」
どうなんだろう。程度はどうあれ、『幼少期に姉に好き勝手された妹』というのは世の中に一定数存在していそうだけどな。とはいえ夏目さんは深く反省しているようで、首をふるふると振って否定してくる。
「ひどいことをしてたんですから、大袈裟に捉えるくらいでちょうど良いんですよ。……うあー、本当に訳が分かりません。小さい頃の私って、一体何を考えてたんでしょう? ちゃんと妹に優しく出来てる子だって沢山居るはずなのに。」
「そこは人それぞれですよ。一生変われない人だって居るでしょうし、中学生で変われた夏目さんは全然『マシ』な部類だと思います。」
「だとしても後悔してます。……あっ、お湯。すみません、ちょっとお湯を沸かしてきますね。渋皮を剥く時にお湯に浸すと剥き易くなるんです。忘れてました。」
「それなら私がやりますから、夏目さんは剥いておいてください。」
こっちの栗は全部剥き終えてしまったし、暇な俺がやるべきだろう。撮影もするはずだから、カメラも準備しておかないといけないな。急に思い出したらしい夏目さんに一声かけた後、座卓を離れてキッチンスペースへと移動すると……料理長どのが栗をせっせと剥き続けながら指示を出してきた。
「アク抜きもしないとなので、鍋を三つ出して二つに水を入れて沸かしてもらえますか? 小さいのを一個と、中くらいのを二個お願いします。赤い両手鍋と黒い片手鍋です。」
「えーっと、了解です。これですよね? ……火にかけるのはこっちの二つですか?」
「ああいや、赤いのと黒いのの片方です。もう一個の黒い鍋には水だけ入れておいてください。全部八分の水量で。」
うーむ、俺は助手役として力不足らしい。これから何をするのかをいまいち把握できていないから、全てを指示してもらわないとこんな簡単な作業すらこなせないぞ。情けなく思いながら鍋に水を注いで、それをコンロに置いて火にかけるが……どうして三つも必要なんだろう? そして何故一つは水のままなんだ? 料理ってのはミステリーだな。
まあうん、栗料理に関する謎は大量に生まれてしまったけど、叶さんについては有力なヒントを掴むことが出来たぞ。あとはこれを活かして悪戯っ子どのに探りを入れられるかどうかだ。……そこが一番難しそうだな。今度こそ振り回されないようにしなければ。
ガスコンロに置いた鍋の水が沸騰するのを待ちながら、夏目姉妹の謎に考えを巡らせるのだった。
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