Ⅳ.かなどん ⑤



「何ていうか、無茶してますね。かなりの無茶を。」


髑髏男爵さんが事務所にやってくる当日である、大雨の火曜日の午前中。俺は肩を揉んでくれている小夜さんの感想を聞きながら、『アポロンくん』の動画を視聴していた。このアポロンさん……というか、アポロンくんさん? こそが香月社長が釣り上げた二人目の新規所属者候補なのだ。


『おっしゃ、いきます! レモン汁目薬まで三、二、一……っあ、さーせん! ミスりました! 俺、ビビっちゃって。ビビっちゃってるみたいっす。もっかいいきます! さーせん!』


「……お二人は真似しないでくださいね?」


アポロンさんが『レモン汁目薬』なる狂気の行動をしている映像を前に注意してやれば、小夜さんは俺の肩を肘でぐりぐりしながら不満げに返事をしてくる。ちなみに肩揉みを受けている理由は毎度お馴染みの『甘やかし罰則』だ。こういう穏やかな罰則なら大歓迎だぞ。


「ちょっと、駒場さん? 私たちはこんなことしませんよ。何でも真似する子供扱いしないでください。……私、こういう『ウェーイ系』の人って苦手です。ホワイトノーツで受け入れちゃうんですか? この人。」


『ウェーイ系』か。まあ、言わんとする意味は分かるぞ。動画の中のアポロンさんは二十代前半ほどの細身の男性で、茶色い髪をこう……ツンツンさせている髪型なのだ。俺の中で一番ピンと来るのは『ホストっぽい人』という表現だな。


小夜さんがちょっぴり嫌そうな顔で言っている間にも、動画内のアポロンさんは……絶対痛いぞ、こんなの。料理用のレモン汁を点眼してのたうち回り始めた。


『いっづ……ぁあ! これマジ、マジすか? マジで痛いんすけど! マジすか? マジすか! いってぇ! マジすか?』


誰に対して言っているんだ、その『マジすか』は。生活感が凄いワンルームの部屋の中で、マジすかを連呼しながら右目を押さえているアポロンさん。そんな動画を何とも言えない気分で見ている俺たちへと、字幕作成中の香月社長が話しかけてくる。苦笑いでだ。


「アポロン君はまあ、最近ちょくちょく出てきたタイプのライフストリーマーだね。『とにかくヤバいチャレンジをして注目を浴びる』という、CAWING氏やイルンダ氏、トマトスマッシャー氏なんかの『後追い組』だよ。」


「しかし、アポロンさんはより無茶をしている気がします。最近のCAWINGさんはきちんと安全を確認した上でやっている節がありますし、イルンダさんやトマトスマッシャーさんも一定のラインを守っていますが……この動画は恐らく初チャレンジを一発撮りしていますよ。物凄く危険な行為です。」


他の『危険チャレンジ系ライフストリーマー』たちの名前を出してきた香月社長に、シークバーが右端まで到達した動画を指して指摘してみれば、彼女は腕を組んで悩ましそうに応じてきた。


「もちろん問題ではあるね。『危険行為』は事務所として避けたいし、そこは君が指導してやってくれたまえ。」


「社長の見る目は信じていますし、やれと言うなら全力でフォローしますが……何故アポロンさんなんですか? そこが少し引っ掛かります。」


「そこ、私もよく分かりません。登録者数は四万だし、取り立てて珍しい内容の動画でもないですよね? 髑髏男爵さんは『伸びそう』って私も思いますけど、この人は……正直言って、いまいちじゃないですか?」


俺に続いて割とキツめな評価を下した小夜さんへと、香月社長は困ったように理由を話し出す。


「私もフォーラムの時点では記憶の片隅にあるって程度のライフストリーマーだったんだが……アポロン君はね、良いヤツなんだよ。兎にも角にも良いヤツだったんだ。」


「良いヤツ?」


謎の台詞を口にした香月社長に聞き返してやれば、彼女は半笑いでフォーラム当日の出来事を語り始めた。


「最初に彼を見たのは、君たちが到着する前でね。風見君とエントランスで待っていた時、同世代くらいの真面目そうな女性と二人で建物に入ってきたんだよ。その際アポロン君はゴミを拾ってゴミ箱に捨てたんだ。……ホットコーヒーをテイクアウトすると、熱くないようにカップに被せてくれる厚紙みたいなのがあるだろう? あれが少し離れた床に転がっているのを発見して、アポロン君はわざわざ近付いていって拾って捨てたのさ。」


「……私、全然気付きませんでした。」


会話を聞いていたらしい対面の由香利さんが言葉を漏らすのに、香月社長はクスクス微笑みながら話を続ける。……そして残った朝希さんは応接ソファに座って、外に繋がるドアをジッと監視中だ。ノートパソコンが届くのを待っているらしい。宅配業者の訪問を待つ犬みたいな行動で、ちょっと可愛らしいな。


「そりゃあ大したことではないがね、私はまあまあ感心したんだ。それまで何人も人が出入りしていたし、ゴミに気付いた人間だって沢山居たはずだが、しかし誰も拾って捨てようとはしなかった。私だってそうさ。余所の施設の遠くに落ちているゴミを、わざわざ歩み寄って捨てたりはしないよ。……だからまあ、何となく印象に残ってね。『良いヤツってのは居るもんだな』とぼんやり考えながら、二階に上がっていくアポロン君の背を見送ったわけさ。」


「……それがスカウトした理由ですか?」


「いいや、まだあるよ。次に彼を見かけたのは休憩時間だ。キネマリードの社員たちに自己紹介が出来た私は、ウキウキ気分で目当てのライフストリーマーを探しつつ二階ロビーを闊歩していたんだが……そこでまたしても彼の善行を目撃してしまったのさ。躓いて荷物を落とした男性に、『大丈夫すか! 大丈夫すか!』と大慌てで駆け寄っていくアポロン君の姿をね。」


そんなことがあったのか。それはまあ、確かに『良いヤツ』かもしれないと納得している俺に、香月社長はくつくつと喉を鳴らして詳細な状況を述べてきた。


「施設の職員か、上の専門学校の人間だったのかな? 何にせよ段ボール箱に入っていた紙を派手に散らかしてしまっていてね。アポロン君はそれを見た瞬間にノータイムで走っていって、かき集めた後で『全部ありますか? 大丈夫すか?』と心配そうに見落としがないかを確認していたよ。……周囲の人間も数名手伝っていたんだが、どちらかと言えばアポロン君の行動を見て流されたという雰囲気だったかな。」


「あー、想像できます。そういうのは最初に誰かがやり始めるのを見て、ハッとして手伝いがちですね。」


「その最初の一人になれる人間というのは少ないはずだ。だから私は二度目の感心を覚えたんだよ。」


「それで、スカウトしたというわけですか。」


面白い理由があったんだなと相槌を打ってみれば……あれ、違うのか。香月社長は首を横に振って口を開く。


「いや、まだあるのさ。三度目はフォーラムの終了後だ。これは風見君も知っているね?」


「はい、見ていましたよ。瑞稀先輩たちが一階に下りていった後、私と香月さんでスカウトの続きをしていたんですけど……その時、具合が悪くなった人を介抱しているアポロンさんを発見しまして。」


「『大丈夫すか! 救急車、呼びますか? でも俺、救急車って何番か分かんないっす!』と焦りながら騒いでいてね。結局アポロン君の連れの女性が冷静な対応をして、体調を崩した人物は施設内の救護室かどこかに連れて行かれたんだが……その光景を見ていた私は、これはもうスカウトするしかないと声をかけたわけさ。一度や二度は偶然でも、三度重なれば運命だよ。日に三度も同じ人物の善行を目撃してしまった以上、声をかけずにはいられなかったんだ。」


うーむ、三度の善行か。参ったという面持ちで話を終えた香月社長に、ポリポリと首筋を掻きながら声を返す。故事にありそうなスカウト理由だな。


「悪くない理由だと思いますよ。能力はもちろん重要ですけど、『一緒に仕事をしたい人』という点も大切ですから。社長の話を聞いた今、私はアポロンさんと一緒に仕事をしてみたくなりました。」


「ライフストリーマーとしての能力はまあ、私からしてもそこまで光るものを感じないが……アポロン君に関しては社長の我儘だとでも思ってくれたまえ。私は良いヤツに報われて欲しいんだ。彼の三度の善行を目にして、こういう人間こそが成功して欲しいと考えてしまったのさ。」


苦笑しながら語った香月社長へと、小夜さんが眉間に皺を寄せて発言を送る。ライフストリーマーとしてではなく、人間としてスカウトしたわけか。まあうん、そういう人が一人くらいは居てもいいんじゃないかな。


「良い人だっていうのは分かりましたし、そういうことなら『いまいち』は撤回しますけど……でも、救急車の番号を知らないのは凄いですね。」


「フォーラムの日に軽く話した印象だと、ちょっとだけ『おバカちゃん』な人間らしいね。頭の回転が悪いわけではなさそうなんだが、一般常識に疎いみたいだ。『スカウトすか! マジすか!』と驚いているアポロン君を、連れの女性が制御していたよ。」


「その連れの人、彼女さんとかですか?」


「距離感を見るにそうだと思うよ。キチッとした話し方の、知的な美人だったね。二人とも指輪をしていなかったし、動画内の発言からして結婚しているわけではないらしいから、交際している女性と一緒に来たってところじゃないかな。」


知的な美人と『マジすか!』のアポロンさん。少し意外な組み合わせだなと内心で不思議に思っていると、パソコンに向き直った香月社長が話題を閉じてきた。


「何にせよ、アポロン君とも近々会うとしよう。彼は都内に住んでいるらしいから、簡単に会えるはずだ。今日はとりあえず髑髏男爵さんに集中すべきだよ。」


「その髑髏男爵さんのことなんですけど……雨、大丈夫でしょうか? かなり強くなってきましたよ。」


由香利さんが心配そうに呟いたタイミングで、窓の外がパッと光って……数瞬遅れてから落雷の音が耳に届く。おいおい、雷まで落ち始めたぞ。数日前からずっと不安定な天気が続いていたけど、今日が今月一番の大雨になったな。


「ここまでの雨となると、お二人の学校の文化祭も心配ですね。」


雷の音にビクッとした朝希さんの背を眺めながら口にしてみれば、肩揉みの仕上げに入っている小夜さんが応答してきた。


「明日は小雨になるみたいですし、明後日は晴れの予報なので予定通りに開催すると思いますよ。準備してる人たちは地獄でしょうけどね。特に外の屋台とかを出すグループは。……そういえば、美容室の件は大丈夫そうでした。姉が連絡したらオッケーだって返事が来たんです。」


「っと、そうですか。分かりました、夏目さんにも連絡しておきます。日にちの指定はありましたか?」


急に話題を変えてきた小夜さんが言っているのは、例のインナーカラーの話だ。彼女たちの姉の高校時代の同級生が美容室をやっているので、頼めば撮影させてくれるかもしれないと先日提案されたのである。それでお願いしてみた結果、首尾良くオーケーが返ってきたらしい。


ラッキーだったなと喜んでいる俺の質問に対して、小夜さんは強めの力で肩を揉みながら回答してきた。


「出来れば来週の月曜日がいいって言ってました。定休日で予約が入ってないし、他のお客さんに気を使わず撮影できるからって。……オープンしたばっかりなんですけど、今月は予約がパンパンらしいんです。他の日だと営業時間前か後しか無理っぽいですね。そういう事情があるってことで、学校を休む許可は姉から貰えてます。」


「了解です、来週の月曜日で調整してみます。……忙しいようですし、休日に付き合ってもらうのは少し申し訳ないですね。」


「姉によれば、撮影自体は大歓迎みたいですよ。結構借金をして店を開いたので、今はとにかく宣伝したいんだとか。兵庫の美容室で修行して、独立してこっちに戻ってきたらしいです。」


「美容室のオープンはまあ、大変だと聞きますね。ライバルが多いですし、広いスペースが必要ですから。……場所はどこなんですか?」


『予約がパンパン』ということは、スタートダッシュには成功しつつあるようだな。あとは常連を掴めるかどうかだろう。苦労が多い職業に同情しながら尋ねてみれば、小夜さんはぽんぽんと俺の両肩を叩いて答えてくる。


「港区の大通り沿いです。ビルのテナントじゃなくて、建物丸ごとのタイプですね。姉は『立地が凄いし、コケたら首を吊るかもね』って言ってました。割と本気の顔で。」


「……だったら頑張って宣伝を手伝いましょう。恐らくその人は、一世一代の大勝負で出店したはずですから。」


「港区の大通りってのは中々だね。余程大きな出資者でも居たのかな? 何て名前の店だい?」


興味を持ったらしい香月社長が検索サイトを開きながら話に参加してきたのに、俺の首筋をぺたぺた触っている小夜さんが返答した。……これは今、何をしているんだろう? 揉んでいるというか、撫でているぞ。


「ラビットイヤー・アイリスって店です。」


「いいね、燕子花か。名前のセンスは合格だ。……おやまあ、サイトも気合が入っているようだよ。広い店だし、君の姉の友人は人生をベットして出店したらしいね。」


「えっと、『かきつばた』っていうのは?」


「花の名前だよ。英語の通称だとラビットイヤー・アイリスになる、青紫の美しい花さ。『唐衣 着つつなれにし つましあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ』って和歌を知らないかい? 折句を学ぶ時によく出てくると思うんだが。」


さっぱり分からん。俺と小夜さんがきょとんとしているのを目にして、香月社長はどこか残念そうに説明を続けてくる。古文は苦手だぞ。


「頭文字で『かきつはた』と表現しているのさ。現代における『縦読み』みたいなものだね。……古文は洒落っ気があって面白いぞ、小夜君。高校で選択したまえ。そういったものを楽しめてこその人間なんだから。」


「……数学の方が楽しいですけどね。あれこそ最優の学問ですよ。古文と違って役にも立ちますし。」


「風見君? 君、何故突っかかってくるんだい? ……単調な数学なんぞはそのうち機械の仕事になるよ。しかし和歌を読み解くのは未来永劫人間の役目だ。何たって数学と違って感情が必要なんだから。であれば未来ある小夜君が学ぶべきは、つまらん数学ではなく古文だろう?」


「香月さん、数学にも感情は必要なんです。機械にはない情緒と、美的センスと、何より発想力が。大昔の気取った上流階級のポエムなんかを学ぶより、そっちを覚えた方が絶対に応用が利きますよ。」


いきなり文系と理系の言い争いみたいな議論が始まってしまったな。二人とも大学では経済学部だったはずなのだが、辿った道筋は異なっているらしい。香月社長と由香利さんが討論しているのを他所に、小夜さんが最後に俺の首筋をひと撫でしてから罰則の終了を告げてきた。


「肩揉み、終わりです。」


「ありがとうございました、小夜さん。大分楽になった気がします。」


「またやってあげますから、その時も素直に受けてくださいね。……美容室に行った後、そのまま写真も撮っちゃっていいですか? 当日が一番『キマってる』状態だと思うので。ライフストリームのアカウント画像、いい加減更新したいんです。」


「ああ、そうですね。折角ですし『アー写』も撮ってしまいましょうか。写真スタジオに予約を入れておきます。」


所謂『アーティスト写真』は営業にも使うし、そろそろ用意しておくべきかもしれないな。良いアイディアだと思って賛同してみれば、小夜さんはちょっとびっくりしている顔付きで返事をしてくる。


「普通に自分たちで撮ろうと思ってたんですけど、スタジオで撮れるんですか?」


「スタジオというか、『写真屋さん』ですね。知り合いの店を当たってみます。宣材関係は事務所が担うべき部分ですし、費用も心配しないでください。どうせなら夏目さんと三人でプロに撮ってもらいましょう。」


「……緊張しますね。服とかもしっかり決めておかないと。」


「そんなに気負わなくても大丈夫ですよ。そこまで高額なわけではないので、やろうと思えばいつでも撮り直せます。『暫く使うかも』くらいの写真だと思っておいてください。」


最近では証明写真をプロに頼むのも一般的になってきているようだし、『スタジオでの撮影』はそれなりに身近なイベントになりつつあるはず。気に入らなければまた改めて撮ればいいさと考えている俺に、小夜さんはこっくり頷いて応じてきた。


「分かりました。……けど、これで来月のスポンサー案件の撮影にも間に合いそうですね。今後私たちに仕事が入るかにも影響してくるでしょうし、きっちり気合を入れて撮影します。」


「私も全力でサポートするつもりですが、あまり考えすぎないでくださいね? 自然体を見せるというのも重要ですから。」


「『自然体』は朝希がやってくれますよ。だから私は、そうじゃない部分に気を使うべきなんです。スマホゲームの撮影は初めてですし、色々と気を付けて──」


そこまで小夜さんが言ったところで、応接用ソファに座っていた朝希さんがパッと立ち上がって報告してくる。わくわくしている表情でドアの方を見つめながらだ。


「エレベーターの音、しました!」


「犬か、あんたは。」


この雷雨の中でエレベーターが到着する音を聞き分けたのか。小夜さんが呆れ顔で突っ込むのを尻目に、朝希さんは待ち切れないとばかりにドアへと近付いていく。議論をやめた香月社長と由香利さんもそれを見守る中、コンコンとノックされた後でドアが開いて──


「どうも、失礼。」


不吉さを感じる雷光と雷鳴を背景に、真っ黒なロリータ・ファッションの長身の女性が現れた。……これは、凄いな。生で見ると凄い迫力だぞ。黒いおかっぱ頭の下にある横長の輪郭、ぎょろりとした一重の目、張り出した頬骨、大きすぎる口、特徴的な長い顎、痩せ細った手足。見間違えようもない、髑髏男爵さんその人だ。宅配業者よりも先に彼女が到着したらしい。


物凄い派手さのロリータ・ファッション……というか、『ゴスロリ』ってやつかな? 姿の髑髏男爵さんを前にして、ドアの近くでぽかんと硬直している朝希さんへと、来訪者どのはぎょろっと黒曜石のような瞳を動かして声をかける。蛇に睨まれた蛙だな。朝希さん、金縛り状態になっているぞ。


「あらまあ、可愛らしい。貴女、モノクロシスターズの朝希ちゃんね? こんにちは。」


「ぁ……初めまして、モノクロシスターズの朝希です。」


生で目にする髑髏男爵さんのインパクトに呆然としながらも、小声で礼儀正しく挨拶をした朝希さんに──


「はい、初めまして。髑髏男爵です。……ンキシュアァァァァァ!」


えぇ……何だそれ。髑髏男爵さんはニコッと笑って応答した直後に盛大な『威嚇』を放った。犬歯を剥き出しにして目をグワッと見開いた、人間ではなく獰猛な『動物』の形相でだ。ジャングルでも通用しそうな威嚇だったぞ。原始的な恐怖が湧き上がってくるな。


そんな威嚇を至近距離で食らった朝希さんは、目をまん丸に開いて数秒間静止していたかと思えば……ぺたんと床に崩れ落ちてしまう。腰が抜けたらしい。怖かったんだろうさ。そりゃあそうだ。離れた位置に居た俺だって怖かったのだから。


「……ぁ、あっ。」


そして我を取り戻した後で脱兎の如く逃げ出すと、朝希さんは怯えた顔で俺の背後に隠れてしまった。ちなみに小夜さんは……おっと、あっちも警戒しているな。いつの間にか髑髏男爵さんから一番遠い事務所の隅っこに移動しているぞ。壁を背にしてジーッと『警戒対象』を観察しているようだ。知らない人が家に来た時の猫みたいな反応じゃないか。


髑髏男爵さんが一瞬にしてモノクロシスターズの警戒心をマックスまで引き上げたところで、いち早く驚きから復帰した香月社長が声を上げる。動揺の半笑いを浮かべながらだ。さすがの社長としても、この登場の仕方は動揺に値するものだったらしい。


「あー……ようこそホワイトノーツへ、髑髏男爵さん。代表の香月です。電話でも話しましたが、改めてよろしくお願いします。」


「よろしくどうぞ、香月社長。……ごめんなさいね、驚かせちゃって。朝希ちゃんがあまりにも可愛らしかったから、ついついお茶目な行動をしちゃったの。」


「……なるほど。雨は大丈夫でしたか?」


「ええ、平気。傘を持ってたし、駅からはシータクで来たから。ハイブリッド車のシータクで。仙台はパラパラ降りだったのに、こっちは大雨で驚いたわ。……朝希ちゃん、もうしないからこっちにいらっしゃい。お詫びに飴をあげちゃう。」


何かこう、『マダム』みたいな口調だ。特徴的な抑揚があるぞ。珍しく敬語で話している香月社長に応対しつつ、髑髏男爵さんは服装とよく合っているフリル付きのハンドバッグから取り出した……黒飴か? 渋い選択だな。黒飴の袋を俺の後ろで様子を窺っている朝希さんに差し出した。


それを見てピクッと震えた朝希さんは、不安そうに俺の顔を見上げて、『気を付けろ』のアイコンタクトを飛ばしている部屋の隅の小夜さんにも目をやった後、恐る恐るという足取りで訪問者どのの方へと歩いていく。勇気を出して歩み寄ってみることにしたらしい。


「……いただきます。」


「遠慮しないで沢山取っていいのよ? わしっと掴みなさい、わしっと。……ンシュゥゥゥウウ!」


「ぴっ。」


うわぁ、またやるのか。容赦ないな。飴の袋に手を入れた瞬間に再び奇声を浴びせかけられて、朝希さんは数個の黒飴を掴んだまま全力ダッシュで撮影部屋へと逃げ込んでいった。その背に続いて小夜さんも駆け込んでいくのを眺めつつ、髑髏男爵さんはにんまり笑って口を開く。……笑顔もちょっと怖いぞ。かなり失礼なイメージで申し訳ない限りだが、『口裂け女』そのまんまだ。


「はん、可愛すぎるのが悪いのよ。あの二人は私と違って、さぞ美人に育つんでしょうね。だったらブスとして威嚇せずにはいられないの。……あーもう、妬ましい!」


最後の言葉と共に右足で地を蹴った髑髏男爵さんへと、手を差し出して発言を投げる。……まあ、混じりっけなしの『変な人』だな。そこは動画で見た通りだぞ。度合いは予想を大きく上回っているが。


「初めまして、マネジメント担当の駒場瑞稀です。傘をお預かりします。」


「あら、ご丁寧にどうも。……貴方が私のマネージャーになるの?」


「はい、そうなりますね。よろしくお願いいたします。」


「それなら最初に一つだけ頼んでもいいかしら? 出来れば貴方だけじゃなく、ホワイトノーツの全員にそうしてもらいたいんだけど……ここ、座っても?」


黒い傘にもフリルが付いているな。彼女はフリルと黒が好きなようだ。話の途中で応接用ソファを指して尋ねてきた髑髏男爵さんに首肯してみれば、彼女はソファに腰掛けてから『頼み』の内容を語ってきた。


「皆さんには余計な気を使わずに、私をブスとして扱って欲しいのよ。……ブスでしょう? 私。そんじょそこらのブスとは格が違う、レジェンダリー・ブスよね? 酒場の吟遊詩人が抒情歌にするレベルのブスじゃない? 『おぉぉぉ、ブス! 最も偉大なるぅぅ、ブス! 貴女こそがクィーン・オブ・ブスランドォォォ!』みたいな。」


「いえあの、そんなことは──」


「はいそれ、その嘘。それが不要なの。気を使ってくれるのは嬉しいんだけど、私相手だと明確な嘘になっちゃうから。だって私、完全無欠なブスじゃない。……痩せてもブス、太ってもブス、歳を取ったら普通はみんな『おばちゃん』のジャンルになるのに、私だけは一貫して死ぬまでブス。眼鏡をかけたらガリ勉のブスで、水着を着ると水棲のブスで、厚着すると寒がりブス。そういうレベルのブスなのよ。だからもう、『そんなことありませんよ』はパーフェクトな嘘になっちゃうの。お分かり?」


そんなことを言われても、『そうですね、ブスですね』とは口に出来ないぞ。傘を受け取った体勢のままで返答に迷っていると、髑髏男爵さんは早口で続きを捲し立ててくる。やや興奮しているようだし、話していて勢い付いてきたらしい。


「私は生まれてこの方ずーっとブスで、地獄のような人生を歩んできたの。寝てもブス、覚めてもブス、学校でも職場でもブス、ブスブスブス。……だから私、ブスで金を稼ぐことにしたわけ。これだけアンフェアな人生なのに国はブスを保障してくれないし、このままじゃ私は損をするばかりでしょう? オリンピック級のブスに生まれた私は、ブスを売り物にするしかないのよ。」


「売り物、ですか。」


「他には何もないけど、ブスだけは売れるほど持ってるもの。私は世界有数のブス富豪よ。……そんな私がブスを売りにする場合、マネージャーたる貴方が『そんなことありませんよ』と言っているようじゃダメでしょう? 私がブスであることを認め、理解し、引き立ててもらわないとね。『いいですねー、髑髏男爵さん! 今日はいつにも増してブスですよ! ブス専目線でも無理なブスです!』というやり取りを私は求めているわけ。」


「……あの、はい。難しそうですが、努力してみます。つまりその、『ブスタレント』のような方向を目指すという意味ですよね?」


ひょっとすると今日俺は、一般人の一生分の『ブス』を耳にすることになるかもしれないな。傘を事務所の隅の傘立てに仕舞いながら応じてみれば、髑髏男爵さんはグルッとこっちに顔を向けて『お叱り』を寄越してきた。細かい動作がもう怖いぞ。大迫力だ。


「あーら、ブスタレントですって? 駒場マネージャー、貴方はちょっとブスの勉強が足りていないようね。座りなさい。私がブスのことを教えてあげるわ。」


「あっ、それは……はい、失礼します。」


「いい? 本物のブスはたった一握りなの。本物だって居るには居るけど、テレビで活躍してる連中の大半は『ファッションブス』か、単なるデブよ。」


何だ『ファッションブス』って。髑髏男爵さんの対面のソファに腰を下ろして謎の講釈を聞きつつ、ちらりと香月社長に助けを求めてみるが……おのれ、俺を生贄にするつもりか。気付かぬうちにデスクに戻っていた彼女は不自然に目を逸らし、お茶を運んできた由香利さんもサッと自分の席に逃げていく。俺が標的になったから、これ幸いと対処を任せることにしたらしい。


「混合してる人が多いけど、大前提としてデブとブスは違うわ。デブはね、痩せると普通になるのよ。だからブスでも何でもない人間がただ太ってるだけ。あんなもんブスとは言えないわ。お飾りブスね。……対してブスは、太るとむしろ緩和されるの。分かる? 痩せていると悲惨さが際立つから、太った方がまだ見られるようになるわけ。つまり太っていてブスを名乗ってる連中はね、ブスじゃないのに太ってるだけでそう名乗るファッションブスか、ブスから逃げようとしてあえて太った『緩和型ブス』だけなのよ。真のブスは痩せていてこそってことね。」


「……勉強になります。」


「そして更に、テレビで活躍しているブスは『見られるレベルのブス』なの。人気のブスタレントたちを頭に浮かべてごらんなさい。低くても中の下か下の上くらいの連中が殆どでしょう? 下の下は滅多に出てこないし、人気も出ないわ。……だってほら、ブスすぎるんだもの! どうしたって嫌悪感が湧いてきちゃうんだもの! そんなのテレビに出られるわけがないもの!」


自分の顔面を指しながら立ち上がって大声を出した髑髏男爵さんは、驚いている俺を見てパッと冷静になったかと思えば、すとんと座り直して一言謝ってくる。誰か、助けてくれ。


「失礼、興奮しちゃったわ。……下の下のブスの人生はね、下の下のブスにしか分からないの。テレビでやってる『ブスエピソード』なんて鼻で笑える程度のものよ。面倒な不幸自慢に聞こえるでしょうけど、もう自慢できるものが不幸くらいしかないのよね。」


「大変だったんですね。」


「私ったら、前に勤めてた銀行をブスでクビになったの。普通の銀行員だったから特別な仕事じゃなかったけど、誰より懸命に働いていた自信があるわ。サービス残業だって進んでやったし、一番面倒な部分を積極的に引き受けたし、不満も一切漏らさなかった。……けど、クビよ。私、自主退職を推奨された後で上司の立ち話を聞いちゃったのよね。『いやー、あのブスやっと居なくなるよ。仕事は出来るんだけど、毎日顔見てると気分悪くなるよな。代わりに可愛い子入ってくるから期待しといて。』って言ってたわ。その瞬間、プッツンしちゃったわけ。今までずっと堰き止めていた我慢が爆発しちゃったの。『頭の中で何かが切れる音』って本当にするみたい。私は確かに聞いたもの。頭蓋骨の奥の方で、何かがブチ切れる音を。」


「……それで、ライフストリーマーを始めたんですか。」


おずおずと相槌を打ってみると、髑髏男爵さんはにまぁっと笑って頷いてきた。夢に出てきそうな笑顔だな。


「それまでは必死に愛想笑いで受け流して、なるべく目立たない格好をして、進んで隅っこの方に行ってたけど……全部やめちゃった。この格好、凄いでしょう? ゴスロリよ、ゴスロリ。昔から憧れてたの。初めて着て鏡で見た時はね、我ながら異世界の化け物みたいだと思ったわ。『周りの目なんか気にせずに、好きな服を着るべきですよ』とかほざいてた店員も、いざ着てみた私を見たらドン引きしてたしね。けど、良い気分ではあったのよ。」


「……生まれ変わったわけですね。」


「その通りよ、駒場マネージャー。私は気付いちゃったわけ。我慢してたってブスはブスだし、いくら頑張っても所詮『頑張るブス』にしかなれないのよ。顔が良い連中と同じステージには決して上がれないの。……そう、貴女みたいな人生は歩めないってことよ!」


「えっ。……えっ? 私ですか?」


急に指差された由香利さんがびっくりする中、髑髏男爵さんは壮絶な笑顔で糾弾を飛ばす。良かった、ターゲットが移ったようだ。


「貴女には分からないでしょうね、私の苦しみが! だって貴女、美人だもの! クソ妬ましいわ。こっちが素寒貧どころか膨大な借金まで背負ってスタートしてるのに、貴女は伝説の装備一式とレベルカンストの仲間と固有の最強魔法を持って生まれてきてるようなもんよ。その癖『美人には美人の苦労があるんです』だなんて言っちゃってまあ……喧しいわ、小娘が!」


「いやあの、そんなこと言っていませんけど……。」


「言うのよ! 飲み会とかで言うの! じゃあ聞くけどね、貴女たち美人は母親に容姿で泣かれたことがある? 酔っ払った母親に、ボロボロ泣きながら『そんな顔に産んでごめんね』って言われたことがあるかしら? バイトの面接で『ごめん、うちは接客業だから君の顔じゃ無理だよ』ってど真ん中ストレートに断られたことは? 好きな男の子に勇気を出して告白した時、怯えた顔で『マジで勘弁してくれ』って拒絶された挙句、後日その男子の相談を受けた教師からやんわりと『可哀想だからやめてやれ』って注意された経験はあるの?」


「……無いです。」


『怒られている時の座り方』でオフィスチェアに座っている由香利さんの答えに、ヒートアップしてまた立ち上がった髑髏男爵さんが『ほら!』という顔付きで反応した。母親に泣かれたのか。それはキツいな。


「所詮ね、世の中顔なのよ。この顔は尋常じゃないレベルのハンディキャップなの。『性格を明るくすればいい』とか、『学歴があれば取り返せる』とかって台詞は最下層を知らない『まあまあブス』の戯言だわ。……唯一チャンスがあるとすれば、ゴリゴリの美容整形くらいね。大手術になるだろうから超怖いけど、もうそれしか縋れる道がないのよ。」


「……ちなみにその、香月さんもかなりの美人ですけど。」


「はん、上司に矛先を逸らそうとしたって無駄よ。香月社長は事前に動画で予習して耐性をつけて来たし、おっぱいがデカすぎてピンと来ないもの。……だけど貴女はなんか、大学とかに一人は居そうな美人じゃない! 『ミス・何ちゃら』を受賞して、アナウンサーになって人気が出て、金持ちの『一般男性』と結婚して幸せな家庭を築くタイプの美人! 私はそういう美人が一番嫌いなの! どんだけ人生楽しむつもりなのよ、どちくしょうめ!」


褒めているんだか貶しているんだかよく分からんな。雪丸スタジオの動画のお陰で難を逃れたらしい香月社長が、自分のデスクで密かにホッと息を吐いているのを他所に、弱り切った様子の由香利さんがポツリと抵抗を放つ。


「でも、顔よりも大事なものがあると思いますけど。」


「出たわね、その訳の分からない常套句。ありませーん! そんなもの存在しませーん! 愛も金も顔があってこそなんですー! 白雪姫がブスだったら死体遺棄で終わってるし、眠れる森の美女が『眠れる森のブス』だったら眠りっぱなしよ!」


「……仮に白雪姫がブスだったら、そもそも美しさを妬まれて毒林檎を食べさせられることがないので、普通に幸せに暮らせるんじゃないでしょうか?」


由香利さんの冷静な突っ込みを受けた髑髏男爵さんは、興奮した状態で口をパクパクさせていたかと思えば……何とまあ、本能で生きているな。両唇を口の中に入れた顔で、変な声を上げながらダシダシと床を踏み始めた。お手本のような『地団駄』だ。


「ンンゥー! 聞きたくないわ! 美人の冷静な指摘なんて聞きたくない! ンンゥー!」


「……髑髏男爵さん、落ち着いてください。契約の! 契約の話をしましょう!」


ああ、凄い。物凄く変な人だ。人間というのは『プッツン』するとこうなってしまうのか。両手を振り回して『ンンゥー!』をしている髑髏男爵さんを宥めつつ、内心の動揺を必死に鎮める。これに比べれば香月社長や深雪さんは一般人だぞ。今まで接してきた中で一、二を争うぶっ飛び加減だな。


果たして俺はこんな人を制御できるんだろうかと不安になりながら、腰を浮かせてまあまあと落ち着かせてみれば……髑髏男爵さんはピタッと平静な態度になって謝罪してきた。感情の振れ幅が大きすぎないか? 一瞬で百からゼロになったぞ。


「失礼、また興奮しちゃった。ごめんなさいね。……そうだわ、駒場マネージャー。距離を縮めるためにちょっとしたゲームをしてみない? 私にね、あだ名を付けるの。」


「……あだ名、ですか。」


「ええそう、あだ名。ひどいのがいくらでも思い付くでしょう? 怒らないから思い切って口にしてみなさい。私をブス扱いすることに慣れる一歩目よ。」


「あー……なるほど、それは中々難しそうですね。」


正直、思い付きはするが……やはり失礼だと躊躇ってしまうぞ。そんな俺を目にした髑髏男爵さんは、またもや由香利さんを指して促しを送る。


「じゃあ、美人な貴女! 性格が良さそうな駒場マネージャーは困ってるみたいだし、性格が悪そうな貴女から行きましょう。貴女、お名前は?」


「……風見由香利です。」


「あら、名前まで涼やか美人。つくづく妬ましいわ。……だけどホワイトノーツに所属するなら、仲良くならなきゃいけないものね。私にあだ名を付けてごらんなさい。遠慮せずにどギツいのをぶつけてきていいのよ? さあ風見さん、セーイ。」


何故か英語で催促した髑髏男爵さんへと、由香利さんはそれほど躊躇せずに回答した。平時の彼女ならもっと遠慮するだろうし、『性格が悪い女』扱いにちょっとイラッとしているのかもしれないな。


「まあ、強いて言えば……『鶏ガラ』とかですかね?」


うわぁ、由香利さん。強いて言ったにしては……その、強すぎないか? まさかの強力さのあだ名を耳にして、俺と香月社長が顔を引きつらせる中、髑髏男爵さんはパチパチと上品に拍手をしながら満足げに首肯する。いいんだ、これで。


「ブラーヴァ。素晴らしいわ、気概がある美人は良い美人よ。『鳥』という要素に『死』や『残り滓』のイメージを織り交ぜたわけね?」


「……いえ、そこまで深く考えたわけではありませんけど。」


「私のあだ名歴の中には似たようなあだ名がいくつもあるわ。鳥シリーズだと小学四年生の時の『怪鳥女』とか三年生での『ハゲタカ』なんかがあるし、大学生の時には『白鳥さんって、産まれたてのグロい鳥にちょっと似てるよね』とのありがたい評価をいただいたもの。……私の本名、白鳥薫子しらとり かおるこなのよ。信じられないほどに似合わないでしょう? 名字も名前も全然ブスじゃないのに、顔だけはブスなわけ。だから名字を『イジられる』ことがよくあったのよね。下駄箱に『死んだ白鳥の靴置き』って書かれたりとか、『バッドエンドの醜いアヒルの子』って言われたりとか。」


白鳥薫子さんか。まあ、似合うか似合わないかの二択だったら……似合わない方かもしれない。悲しい逸話を聞いて気まずさに包まれている俺たちに、白鳥さんはあだ名の話を継続してきた。


「そして『死』もよくある要素だわ。『髑髏男爵』って名前が正にそうだもの。これ、小学生当時のあだ名をそのまま引用したのよ。私にぴったりだと思って。……中二の頃は同級生から『屍蝋』って呼ばれていたし、『死神』とか『ガイコツ』はどの世代でも言ってくる人が居たわね。高校の時に頑張って太ったんだけど、勝手にガリガリに戻っちゃうの。胃下垂なのよ、胃下垂。それでお腹がぽっこり目立っちゃうから、『餓鬼』って呼ばれてた時期もあったわ。」


「……苦労したんですね。」


「もう慣れたわ。その時々の流行に乗る形でのあだ名も多かったわよ。ポケモンの『カブトプス』とか、ドラクエの『デスタムーア』とか、エヴァンゲリオンの『サキエル』とも呼ばれていたから。『パターンブス、白鳥サキエルです!』ってな具合にね。……それじゃあ続いて香月社長、あだ名セーイ。」


「あ、私もやるんですか。では……『深海魚』、とか?」


おおっと、また強いな。香月社長から深海魚呼びされた白鳥さんは、にっこり笑顔でうんうん頷く。どういう気持ちから来る笑顔なんだろう? 内心がさっぱり読めないぞ。


「シンプルでいいわね、深海魚。『オクトパス白鳥』や『サハギン』、『マーマン』や『アンコウ女』に近いものを感じるわ。……特にマーマンにはほろ苦い思い出があるの。小学五年生の時に男子から付けられたあだ名なんだけど、仲が良かった女の子が『薫子ちゃんは女の子だから、マーマンじゃなくてマーウーマンでしょ!』って怒ってくれたのよ。当人は庇ったつもりだったんでしょうけどね、そこは嘘でも『マーメイド』と言って欲しかったわ。私は所詮人魚じゃなくて魚女なのね。人よりも魚要素が優先されるみたい。どうしても下半身じゃなくて、上半身が魚のタイプになっちゃうわけ。」


「……逸話が多いんですね。」


「ブスに関する話は数え切れないわよ。小学生の頃は単純にからかわれて、中学生になると分かり易いいじめに変わって、高校では陰口になり、大学ではむしろ気を使われ出したわ。『比較対象』にするために仲良くしてきた子も居たしね。私が隣に立つと、『普通クラス』が急に美人に見えてくるの。……だから飲み会にも頻繁に呼ばれたわ。幹事の子がそりゃあもう賢くてね。何だかんだ言い訳を付けて必ず男五、女六で開催するのよ。そうすると私以外の女が決して余らないの。誰も私とセットになりたくないから、必死に他の子たちにアピールするってわけ。巧妙でしょう?」


計算高い子だな。大した『合コン戦略』じゃないか。結構な作戦に唸っていると、髑髏男爵さんは肩を竦めて言葉を繋げる。


「けど、その子とは今も仲良くしてるわ。変に気を使わずに、『引き立て役をやってもらう代わりにご飯代タダでいいよ』って言ってきたのよね。『あんたは見たこともないようなブスなんだから、それを利用してタダ飯食っちゃいなよ』って。……ライフストリームのことを教えてくれたのもその子なの。これで大金持ちになって、私をクビにしたクソ銀行を見返してやれってアドバイスしてくれたわ。」


「良いお友達ですね。」


「まあ、そうね。口は悪いし美人だし既婚だしガサツだけど、何だかんだで助けられてるみたい。メイクの動画もね、その子に言われてやり始めたの。可愛い子が化粧したところで七十から九十にするのが精々だけど、私の場合はマイナス二百からプラス三くらいに出来るからって。元があまりにもブスだと違いが際立つらしいのよ。……そう、それで事務所に所属しようと思ったわけ。化粧品のスポンサーとかを狙いたいと考えてるの。普通は綺麗な人が選ばれるんでしょうけど、効果を目立たせるためにブスもたまには選んでくれそうじゃない? ブスなら他に負けないわよ、私。そこだけは三十一年間生きてきて未だに敗北を知らないから。」


「『無敗』なのはともかくとして、化粧品狙いで行くのは悪くない方針だと思いますよ。男性の私から見ても非常に高い技術のメイクでしたし、説明も丁寧で好感が持てます。こちらで積極的に働きかけていくので、コスメ関係のスポンサーを狙ってみましょう。」


『メイク前とメイク後の差が際立つ』というのは俺も動画チェック時に思ったことだ。目の前に居る白鳥さんはきちんと化粧をしているわけだが、動画内に居たメイク前のすっぴん状態の彼女は……まあその、大分凄かったのだから。あの変化は他のメイク系ライフストリーマーでは絶対に、絶対に出せない要素であるはず。


そして何より、美容系のスポンサー料は相場が高い。どこがどう影響してそうなっているのかは定かではないけど、前職の経験からするに高額の仕事になるはずだ。テレビのコマーシャルに比べてしまえばガクッと安くなるものの、現状のライフストリームでもそれなりの値段で受けられるだろう。


俺が笑顔で賛同したのに対して、白鳥さんはご機嫌な面持ちで返事を返してきた。


「あらまあ、嬉しいことを言ってくれるじゃない。一応ね、お化粧に関しては改めて勉強し直したのよ。……最初のうちはハイテンションのレビュー系とかでリスナーを掴んで、徐々に落ち着いた美容系の動画をメインにしていこうと思ってるの。美容グッズってお金がかかるから、収入が少ないうちはちょっと不安で高い製品に手を出し辛くてね。カメラとか編集用のパソコンとかで貯金残高が一気に減っちゃったのよ。」


「思い切った初期投資をしたんですね。……込み入ったことを聞きますが、生活は厳しい状態ですか?」


「いいえ、まだ暫くは平気。『開き直り』の時に狂ったように買い物しちゃったんだけど、それまでロクな趣味がなかったからしこたま貯金できてたの。節約して切り崩していけば、ライフストリーマーとして軌道に乗れるまでは持つと思うわ。……予想だけどね、予想。最悪バイトか何かするわよ。私が私らしいままでやれる仕事は多分これだけだから、どうにか頑張っていかないとね。」


「分かりました、こちらも全力でフォローしていきます。動画の構成や編集に関する提案や、今後の細かい方針についても話したいんですが……先ずは契約の書類を片付けてしまいましょうか。」


ようやく本題に入れそうなことにホッとしていると、白鳥さんがピンと指を立てて話題を戻してくる。……やっぱり俺もやらないとダメなのか、あだ名。上手く逃げられたと思ったんだけどな。


「まだ貴方からあだ名を付けてもらってないわよ。さあ駒場マネージャー、セーイ。長い付き合いになるかもしれないんだから、ここで一発ド派手なあだ名を付けて頂戴。」


いやはや、個性的な担当クリエイターが現れてしまったな。パチンと指を鳴らして促してくる白鳥さんを前に、諦めの苦笑いを浮かべながらあだ名を絞り出すのだった。

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