Ⅳ.かなどん ④



「洗脳じゃありませんか、洗脳。貴方は洗脳されようとしているんです。マインドコントロールですよ。」


ショッピングモールの三階にあるゲームコーナーで、例の女児向けアニメのアーケードゲームで遊んでいる深雪さんの警告を耳にしつつ、俺はかっくり首を傾げていた。『マインドコントロール』というと、一昔前に新興宗教絡みで問題になったあれか? ちょっと大袈裟に聞こえてしまうぞ。


日曜日である十月二十三日の昼間、俺は深雪さんと二人で東京郊外のショッピングモールを訪れているのだ。叶さんの問題に関してを相談したいと連絡したら、交換条件として今日の午後に開催されるヒーローショーへの同伴を求められたので、会場となるこの施設へと二人でやって来たわけだが……さすがは日曜日のショッピングモールだけあって、買い物客で物凄く混雑しているな。


もうこの場に居るだけで疲れてくるぞと苦笑している俺に、筐体のボタンを連打している深雪さんが話を続けてくる。これはイラスト入りのカードを使って遊ぶアーケードゲームで、彼女はレアリティが高いカードを手に入れようとしているらしい。


「瑞稀さん? 貴方は今、『大袈裟だ』と思っていますね? そんなことをしてくるかは怪しいところだし、されたとしても易々と引っ掛かるはずがないと。」


「……まあ、はい。しっくりは来ていません。」


「甘いですよ。人間に対する条件付けというのは、案外簡単に出来てしまうものなんです。必要なのは専門的な知識ではなく、むしろ度胸と演技力ですからね。貴方の話を聞く限り、件の生意気な小娘はその二つを所有しているようじゃありませんか。」


そこで百円玉を投入しながら一度区切ると、『必ず一枚カードが出てくるよ!』という可愛らしい音声が流れている筐体を尻目に、深雪さんはこちらを振り向いて言葉を繋げてきた。


「つまりですね、『飴と鞭』ですよ。最も古典的なマインドコントロールの基本形です。小娘は古来のやり方を実践したわけですね。……相手が嫌がることを強制的に命令して、従ったらベタベタに褒める。そのまんまじゃありませんか。恐らく貴方を自分に依存させようとしているんでしょう。」


「……依存、ですか。」


「決して縁遠い話じゃありませんよ? ホストやキャバ嬢が行っているのはこれの応用ですし、法治社会の運営だって延長線上の行為ですから。『人間のしつけ』は細かく分解していくと、犬のしつけとほぼ同じなんです。従ったら褒めて、逆らったら怒り、よく出来たら大きな報酬を与えて、上手くできなかったら小さな報酬しか渡さない。それだけの話なんですよ。……『本来のお客様』たちが来ましたね。邪魔にならないように一度離れましょう。」


こちらを見ながら近付いてくる小学校低学年くらいの女の子たちを発見した深雪さんは、大量のカードや百円玉を筐体の上から回収して『ゲームをやめる』のボタンを押す。そのまま少し離れた位置にササッと移動した彼女へと、すぐさまゲームを始めた女の子たちを横目に声を送った。


「……子供が来たら譲るんですね。」


「それがこういう趣味における最低限のマナーですよ。優先権は常に『本来のお客様』たちにあるんですから。私たちは彼女たちがプレイしていない時に、こっそりやるべき罪深い存在なんです。」


「『罪深い存在』とまでは思いませんが、良い心がけだとは思います。……要するに、あの抱き締めながらの囁きは『大きな報酬』だったわけですか。」


「そうです、間違いありません。なので甘やかされた挙句、『好き好き』と言われてコロッと絆されないように。そんなものは嘘であり、方便ですからね。貴方を従順にさせるための演技ですよ。『営業好き好きモード』です。」


そりゃあこっちだって本気にはしていないが……うーむ、やはり嘘だったのか。叶さんは役者だな。たとえ演技だとしても、他人にあんなことをするのは恥ずかしくて抵抗があるはずだ。それが思春期なら尚更だろう。それなのに完璧にやってのけた彼女は、小さな一流女優と言えるのかもしれない。


「しかし、着替えをやらせたのは何のためなんですか?」


深雪さんの背を追って騒がしいゲームコーナーを歩きながら尋ねてみれば、彼女はポップコーンの筐体……ハンドルをくるくる回して遊ぶあれだ。俺が子供の頃からこういうコーナーには絶対ある機械へと歩み寄りつつ応答してくる。


「あくまで予想ですが、一つは単純に条件付けのためでしょう。報酬に対する労働の部分ですね。言うことに従えば、甘い飴を貰える。それを貴方に分かり易く教えるプロセスですよ。『嫌がることや無意味なことをやらせる』という行為そのものに意味があるんです。でなければ調教になりませんから。」


叶さんに従えば、報酬を貰える。それを俺に擦り込ませようとしているわけか。恐ろしい話だなと唸っていると、深雪さんはポップコーンのゲーム筐体に二百円を投入しながら続けてきた。……彼女が妙に『しつけ』に関して詳しいのは、小型犬を飼っているからなんだろうか? ある意味では実践済みの知識なのかもしれないな。


「そして二つ目は単なる性癖ですね。着替えの一件のみに焦点を当てるのであれば、私はこっちの理由の方が大きいんじゃないかと考えています。貴方に着替えさせられていた小娘は、興奮している様子だったんでしょう?」


「様子というか、実際そう言っていました。……つまり、サディズム的なあれですか?」


「あのですね、瑞稀さん。『サドとマゾ』なんてのは分類好きな連中の戯言ですよ。分かり易く当て嵌めると安心するから、何となく対極にして扱っているだけです。精神的な病気という意味での使用ならまだ分かりますが、ぼんやりした性的嗜好の話で使うのは感心できません。人間の性癖はそんなに明確なものではありませんからね。踏まれて興奮するし、踏んでも興奮する人間だって沢山居ます。」


「……なるほど。」


深雪さんって、こういう方面の話題だと特に饒舌になるな。『しつけ』の話よりも『性癖』の話をしている時の方が若干早口だし、語調に熱が入っているぞ。好きなんだろうか? そんな疑問を持っている俺へと、日本一のライフストリーマーどのは会話を継続してくる。


「小娘は好き勝手に着替えさせられるのに興奮していたんじゃありませんか? 着せ替え人形扱いされることへの興奮か、赤ん坊のように扱われることへの興奮か、あるいは成人男性にやられるのに興奮していたのかは判別できませんが……どちらかと言えば被虐嗜好寄りな気がしますね。」


「……『好き勝手』にしているのは向こうなんですが。」


「シチュエーションを作り出したという意味ですよ。あとはまあ、最後の『舌を引っ張る』は完璧に被虐嗜好です。そのうち首輪とリードを付けて、外を散歩させろと言ってくるかもしれませんね。……嗜虐的な側面も持っているようなので、首輪を付けるのがどちらになるかは不明ですが。」


「……深雪さん、助けてください。もう頼れるのは貴女だけなんです。」


どっちも嫌だぞ。警察にでも見つかったら即逮捕の状況じゃないか。かなり本気で懇願してみれば、深雪さんは何故かちょっと嬉しそうな顔で左右に小さく揺れた後、筐体から取り出したポップコーンの容器を差し出しつつ首肯してきた。


「私だけが頼りですか。……いいでしょう、任せてください。友達の頼みですからね。苦笑いで一肌脱いであげますよ。」


「ありがとうございます。」


ポップコーンをひと摘み受け取りつつお礼を述べてみれば、深雪さんは少しだけ黙考してから口を開く。


「方法はいくつか思い付きますが、前提としてさくどんさんと小娘の仲が壊れるのは嫌なんでしょう? ならスパッと関係を切るという策は使えませんね。以前会った時にも言った通り、私はそれが最良だと思うんですが。」


「虫がいいことを言っている自覚はありますが、それは可能な限り避けたいです。」


「まあ、貴方らしいですよ。最善を目指すのは悪いことではありません。今回はその方針に付き合ってあげましょう。……この件において最も重要なのはですね、小娘側の目的が瑞稀さんではなく、さくどんさんにあるという点です。貴方から聞いた小娘の発言を鑑みるに、瑞稀さんが好きで支配したいわけではなさそうですから。」


「それはそうだと思います。私をどうこうしたいと言うよりも、『姉のマネージャーを取ってやりたい』という趣意を持っているようでした。」


そこはほぼ間違いないぞ。自信を持って同意した俺へと、深雪さんはポップコーンを口に放りながらピンと人差し指を立ててくる。


「であれば解決すべきは小娘と貴方との関係ではなく、さくどんさんとの関係ですよ。そうすれば結果的に貴方からも手を引くでしょう。……姉を憎んでいるわけではないんですよね? SNSに下着姿の写真を上げようとするのは、相当過激な行動に思えますが。」


「違うはずです。妹さんのさくどんさんに対する感情は、好きの裏側にある嫌いなんじゃないでしょうか? 反転というか、好きだからこそ嫌いというか……意味が伝わりますか?」


「分かりますよ。……絶対にそうだと言い切れますか? 作戦を立てるにおいて、そこは非常に大切な部分です。家族だろうと憎むことはあるという前提を踏まえた上で、改めて考えてみてください。」


真面目な顔付きの深雪さんに促されて、脳内でこれまでの叶さんとのやり取りを振り返った後……首を縦に振って返事を飛ばす。


「言い切れます。妹さんはさくどんさんのことが好きで、だから嫌いなんです。行動や発言からするにそうとしか思えません。」


「では、瑞稀さんの見立てを信じましょう。……そうなるとSNS云々は本気ではありませんね。ただの脅しで、実行する気はないはずです。」


「無視してもいいということですか?」


「恐らくですよ? 恐らく貴方が小娘の要求をパーフェクトに拒絶して、さくどんさんに洗いざらい打ち明けた場合、小娘は全てを諦めて手を引く……はずです。しかしそれは貴方が望む結末ではありません。だったら今は従っておいた方がいいでしょうね。あまりにも過激な要求をされた時は、強気に拒否してみてください。何だかんだ言いつつ引くと思いますから。」


そう言われるとちょっとホッとするな。行くところまで行く前に、こっちの意思で歯止めをかけられはするわけか。カプセルトイ……所謂『ガシャポン』のコーナーへと歩きつつアドバイスを口にした深雪さんは、俺に百円玉を数枚渡して指示を寄越してくる。この人、ショッピングモールのゲームコーナーで幾ら使う気なんだろう?


「瑞稀さんはこの箱をシークレットが出るまで回してください。私は下のを回しますから。……兎にも角にも、さくどんさんとの関係を探るべきですね。瑞稀さんが正しいのであれば、小娘は何かを求めてさくどんさんにちょっかいをかけているはずです。なら、先ずは何を求めているのかを探り当てるべきですよ。」


「妹さんは、さくどんさんの遠慮しがちな性格が気に入らないようでした。あとはこう、自分に強くぶつかってこないことにも苛々していましたね。……これ、シークレットじゃありませんか?」


ケースの表面にある『中身一覧』に載っていないぞ。最初に引いたカプセルの中身……さっきのカードゲームと同じキャラクターの、一頭身にデフォルメされた小さなフィギュアだ。それを深雪さんに見せてみれば、彼女はひくりと口の端を引きつらせて応じてきた。


「一発で引くとはやるじゃありませんか。……小娘側から一方的に読み取ろうとするのではなく、さくどんさん側にもそれとなく聞いてみるべきですね。多角的に見れば違うものを発見できますよ。」


「あー、そうですね。その通りです。今度遠回しに聞いてみることにします。……カードゲーム、空いたみたいですよ。」


「行きましょう。……一度瑞稀さんがボタンを押してみてください。私は運なんてものを信じていませんし、筐体の内部で一番上にあるカードが出てくるだけですが、それでも一応。」


「いやまあ、いいですよ。ここを押せばいいんですか?」


深雪さんほど『軍資金』が豊富ではなかったらしい女の子たちが去った後の、『お金を入れないとスタートできないよ!』と資本主義的なことを連呼しているカードゲームの筐体に近付いて、言われるがままにボタンを押してみれば……やけにキラキラしているカードが出てきたな。当たりなんだろうか? 俺はゴリゴリの『カードダス世代』だったから、こういう特別っぽいカードを見ると無条件でわくわくしてしまうぞ。


ちなみに深雪さんや夏目さんは『遊戯王・デュエルマスターズ世代』で、叶さんやモノクロシスターズの二人は『ムシキング世代』……かな? 当人たちがやっていたかはともかくとして、年齢的にはその辺りだろう。こういうことを考えていると自分が『おじさん』になってしまったようで悲しくなってくるな。


今ではもう滅多に見なくなってしまったカードダスの筐体を懐かしんでいると、深雪さんが呆れ半分、感心半分の声色でポツリと呟く。秋葉原とか中野に行けば、まだ沢山あったりするんだろうか? 近くを通った時に探してみるのも良いかもしれない。


「……PSRの冬服ツバサちゃんじゃないですか。」


「……『当たり』だったんですか?」


「低確率の最高レアで、かつその中でも今日の私の『お目当て』のカードです。十一月いっぱいまでの期間限定プリンセスカードなんですが、カードショップでは現在千七百円で売られています。」


「……じゃあ、赤字ですね。」


百円での通常プレイとは別に、カードを……『プリンセスカード』を二百円で出せるというシステムらしいのだが、深雪さんは少なくとも三十回以上『抽選』をやっていたぞ。最低でも六千円は使った計算になるな。


微妙な気分で相槌を打った俺に、深雪さんは満足げな笑顔で肩を竦めてくる。


「私は『ショップ購入派』を批判しませんが、同時に『自分で手に入れたい派』でもあります。赤字だろうが入手できれば勝ちですよ。……カードを手に入れた以上、もはやこの邪悪な搾取空間に用はありません。ショーが始まる前に昼食を食べましょう。フードコートとレストランのどちらが良いですか?」


「私はどちらでも構いませんが……カードを買うだけ買って、プレイはしないんですね。」


「目的はカードですからね。ゲーム自体は既にやり尽くしました。……フードコートにしましょうか。久々にケンタを食べたいです。実家の近くにあったのでよく食べていたんですが、今住んでいるアパートの近所には無いんですよ。」


「テレビゲームは苦手なのに、こういうゲームはやり尽くしているんですか。……まあ、分かりました。一階のフードコートに行きましょう。」


KFCか。聞いていたら俺も久し振りに和風チキンカツサンドが食べたくなってきたぞ。……どうも深雪さんはコレクター気質の人間らしい。ソーシャルゲームとかも好きそうだし、モノクロシスターズのスポンサー案件のことも話してみようかな。


何にせよ色々と助けてもらっているのだから、お礼としてヒーローショーでは一緒に盛り上がらなければ。ショーにおける『仕来り』はさっぱり分からないが……そういうのはまあ、ご飯を食べながら教えてもらえばいいさ。当たって砕けろの精神でやってみよう。


───


翌日の月曜日の昼。俺は早めに学校が終わったモノクロシスターズの二人と共に、買ってきたサンドイッチを事務所の応接スペースで食べていた。ちょうどお昼時に下校するということで、昼食を買いに行くついでに二人を拾ってきたのだ。ちなみに香月社長は既に食べ終えており、由香利さんはナッツ入りのエナジーバーのような物をもそもそと食べている。曰く、『ちょっとダイエット中』らしい。


「ということは、今週の水木に文化祭があるんですね。」


ポテトサラダサンドを手に取りつつ朝希さんから振られた話題に応答してみれば、対面に座っている制服姿の彼女はこくこく頷いて肯定してきた。今日はその準備があるから早めの下校になったわけか。平日に開催するのは珍しい気がするな。


「そうです。高等部の人たちが中等部の校舎も使うので、私たちは追い出されちゃいました。」


「中等部の生徒は出し物をしないんですか?」


「んと、部活に入ってる人はやります。部活動は高等部と繋がってることが多いから、中等部でテニス部だと高等部のテニス部の屋台を手伝うって感じです。」


「でも私たちは部活動をやってないから、当日楽しむだけで終わりですね。教室が使えなくなるので、明日は丸ごとお休みです。中等部だとクラスで何かやったりもしませんし、気楽なもんですよ。」


ふむ、基本的には高等部のイベントなのか。朝希さんの後でハムサンドを食べながら解説してきた小夜さんに、ふと気になった疑問を返す。


「そういえば、合唱コンクールはやらないんですね。」


「『合唱コンクール』? 何ですか? それ。」


「私の中学では毎年やっていたんですが……そうですか、小夜さんたちの学校ではやっていませんか。クラス毎に合唱を練習して、披露するイベントです。」


「うちではやってませんね。大きなイベントはこの前やった体育祭と、明後日からの文化祭と、三年生の修学旅行と……あと、一年生のオリエンテーション合宿くらいです。」


まあ、私立だもんな。俺の出身中学では学園祭が無かったし、山形の公立中学校と東京の名門私立女子校では細かいシステムが当然異なっているだろう。そもそも合唱コンクールは公立だとどこもやっているイベントなのか、それとも俺の学校が特殊だったのかすら分からないぞ。……共学だと女子が協力的で男子が面倒くさがるというパターンが多かったけど、女子校だとどうなるんだろう? 働きアリの法則みたいに、必ず面倒くさがる人間が出てくるとか? 少し興味があるかもしれない。


益体も無い興味を抱いている俺に対して、朝希さんがにぱっと笑って予定を語ってくる。


「二日目は一般開放されるから、お姉ちゃんと一緒に回るんです。有給取ってくれるって言ってました。」


「それは良かったですね。」


「駒場さんも来ますか? そしたらそしたら、お姉ちゃんと仲良くなれますよ?」


「いえ、私は……遠慮しておきます。姉妹水入らずで楽しんでください。」


朝希さん、たまに俺とお姉さんを『くっ付けよう』としてくるな。それにちょびっとだけ困りながら辞退してやれば、小夜さんが小さく鼻を鳴らして声を上げた。


「うちの文化祭なんて制約が多すぎてショボいんだから、駒場さんが来たって残念に思うだけよ。」


「厳しいんですか?」


「昔はもっと盛大にやってたみたいですけど、何世代か前に急に厳しくなっちゃったんです。高等部の生徒会が毎年毎年規則を緩めて欲しいって学校に文句を言って、理事会側が跳ね除けてます。……生徒の親族以外の男の人が入ってくる時は、軽いボディチェックまでするんですよ? カメラの持ち込みが禁止されてますからね。何年か前に盗撮事件があったらしくて。」


「まあ、防犯のためなら仕方がないですよ。」


二人が通っているのは有名な女子校だし、悪い人たちから目を付けられがちということか。生徒は派手にやって楽しみたいのだろうが、理事会側の心配も分かってしまうぞ。保護者会とかも多分、理事会寄りなんだろうな。俺が親だったらボディチェックを歓迎してしまいそうだ。


生徒会からせっつかれている運営サイドに同情しつつ、俺が苦笑いで送ったフォローを受けて、コロッケサンドを食べ切った朝希さんが話題を変えてくる。彼女たちの髪色が許されている以上、基本的には寛容な学校らしいけど……要するに防犯意識が高いんだろうな。そう思えば悪い要素ではないはずだ。


「それより、明日事務所に髑髏男爵さんが来るんですよね?」


「ええ、明日の昼過ぎに来てくれるそうです。大まかな部分は社長が電話で詰めたらしいので、直接会って詳細な契約内容の確認などをする予定ですね。」


「人が増えるの、楽しみです。明日はパソコンも届きますし、朝から事務所に来ます!」


朝希さんが言っている『パソコン』というのは、彼女たちが購入した『MacBookAir』のことだ。資金的な都合が付いたので、家でも編集作業をするために一台注文したらしい。今の二人にとっては結構な出費になったはずだけど、これで休みの日にもパソコンを使用できるな。


そして何故自宅ではなく事務所に配達されるのかと言えば、一刻も早く手にしたいがためにこっちの住所宛てで注文したからだ。二人もお姉さんも帰りが遅いから、自宅への宅配だと不在票を処理した次の日の受け取りになりがちらしい。たった一日すら惜しむのは微笑ましいぞ。余程に楽しみなんだろう。


わくわくしている様子の朝希さんを見て微笑んでいると、タマゴサンドを呑み込んだ小夜さんが指摘を飛ばした。ジト目でだ。


「結局喜んでるじゃない。やっぱりマックブックで正解だったのよ。」


「……私はまだバイオの方が良いと思ってるよ。絶対ウィンドウズの方が使い易いって。マックなんて使ったことないじゃん。」


「雪丸さんは『ライフストリーマーならマック』って言ってたわ。編集ソフトとの相性が良いし、創造はマックの領分だからって。」


「さくどんさんはバイオだけどね。だからそっちが正解だったんだと思うよ。」


うーむ、好みが分かれているな。『VAIO』か『MacBook』かの熾烈な論争の末に、機材担当の小夜さんが押し切る形で後者を購入したらしいのだが……つまるところこれは、OSの問題でもあるのだろう。『Windows』か、『Mac』か。そこに正解など無いぞ。それはもう、『きのこたけのこ戦争』と同ジャンルの議論なのだから。


ちなみに二人が言う通り夏目さんはVAIOのノートパソコンをサブPCとして使っており、深雪さんはMacBookProを使用している。Macの方はともかくとして、WindowsならVAIO以外にも選択肢は豊富なわけだけど……朝希さんは『さくどんさんと同じ』が良いのだろう。可愛らしい尊敬の仕方じゃないか。


ただ面白いのは、スマートフォンになるとメーカーが逆転するという点だな。夏目さんは『iPhone』を使っており、深雪さんは『Xperia』を使用しているのだ。キネマリード社もスマートフォン界隈に手を出そうとしている気配があるし、ある程度落ち着いたパソコン市場と違ってスマートフォン市場はこれから激戦区になるのかもしれない。


あるいは俺が気付けていないだけで、もう激戦化しているとか? その辺は香月社長が詳しそうだから、後で聞いてみようと思案していると……デスクの上の電話がコール音を響かせ始めた。朝希さんがビクッとしているな。うちは頻繁に固定電話が鳴る会社ではないから、急に鳴り出してびっくりしちゃったようだ。


「何驚いてるのよ、ビビり朝希。ただの電話でしょ。」


「小夜ち、うるさいよ。」


ニヤニヤしながらからかう小夜さんに、朝希さんがちょびっとだけ恥ずかしそうに言い返すのを横目にしつつ、デスクの方に視線を向けてみれば……何をしているんだ、あの二人は。香月社長と由香利さんが電話を挟んで睨み合っている光景が目に入ってくる。


「……取りたまえよ、風見君。」


「香月さんが取ってください。私は食事中なんです。たったこれだけの食事なんですから、せめてゆっくり味わわせてくださいよ。」


「イライラするならダイエットなんてやめればいいじゃないか。……いいよ、駒場君。私が取るさ。私は痩せているからたっぷり食べてご機嫌だしね。哀れな風見君と違って、中世の刑務所みたいな食事をする必要はないんだ。」


立ち上がりかけた俺を手で制止した香月社長は、ふふんと笑ってから電話を取って応対し始めるが……由香利さんが恨めしそうにジーッと睨んでいるぞ。残り半分のエナジーバーをリスのように齧りながら、怨嗟の目付きで社長を見つめているな。


「……じゃあ、私たちは歯磨きして着替えてきます。ほら朝希、行くわよ。」


「うん、行く。」


いつもは穏やかな由香利さんの変貌っぷりに、モノクロシスターズの二人はちょっとびくびくしながら給湯室へと入っていく。そんな彼女たちを見送ってから、残ったサンドイッチを持って同僚どのに近付いた。


「由香利さん、食べてください。身体を壊しますよ。」


「ダメです。一昨日の夜の体重計が言っていました。お前はもうお昼ご飯を食うなと。」


「これを聞くのは失礼でしょうし、嫌なら答えなくてもいいんですが……何キロだったんですか? 私には太っているようにはとても見えませんよ?」


このままでは事務所の空気が悪くなるということで、リスクを承知しつつもあえて踏み込んでみた俺へと……由香利さんは葛藤するように沈黙した後、ポツリと小声で回答してくる。同僚相手のケースは初めてだけど、この仕事をしていると年に五回は『体重問答』にぶつかるな。夏にあった夏目さんの水着の件以来だから、今回は二ヵ月振りくらいか?


「……五十二キロです。全裸の状態で。」


「……あの、由香利さん? それで太っていると言っていたら、実際に太っている人たちが激怒しますよ? むしろ痩せている方じゃありませんか。」


由香利さんの身長は160センチ台前半だ。何をどうしたら五十二キロで太っているという認識になるのかと呆れながら、ちらりとこっちを見てきた彼女へと誠心誠意の説得を続けた。……夏目さんの時もそうだったけど、元が痩せていると余計に太ったように感じてしまうのだろう。俺の経験上『太ったんです』と言ってくるのは大抵痩せている人だぞ。そして『痩せたんだよね』と言ってくるのは大体太っている人だ。何だか物悲しくなってくる話じゃないか。


「断言しますけど、痩せています。恐らく身長に対しての標準体重以下です。何より由香利さんは現状でとても魅力的な女性なんですから、体型で悩む必要は一切ありません。心配になるのでサンドイッチを食べてください。」


「……そうですか?」


「そうです。」


俺が強めに断定したところで、電話中の香月社長がわざわざ受話器を離して一言寄越してくる。


「私は149センチの四十二キロだよ。私よりちょうど十キロ重いね、風見君は。一億円の札束分さ。」


「はい、邪悪な社長から訳の分からない『一億円マウント』を取られました。やっぱりサンドイッチはやめておきます。」


「いやいやいや、身長差。身長の分ですよ。……香月社長、余計なことを言わないでください。」


一億円の札束って十キロなのか。無駄すぎる雑学を手に入れながら、えっへんと胸を張っている香月社長を尻目に言葉を繋ぐ。切り札である『標準体重』のカードが効力を失ってしまったな。夏目さんはこれで攻略できたのに。


「ひょっとすると、筋肉の問題かもしれませんよ? 営業で動き回っているから筋肉が付いたんじゃありませんか?」


「……なるほど、そうかもしれません。香月さんはふにゃふにゃのスカスカですもんね。」


「そうです、社長は筋肉皆無だから軽いだけです。脂肪ですよ、脂肪。由香利さんのは役に立つ筋肉だから、ちょっと重くなっているだけですね。」


「君たち、聞こえているんだが?」


芸能マネージャー時代にも、『ダンスの練習のしすぎで筋肉が付いた』という謎の説得方法を使っていたっけ。実際どうなのかは知らないし、専門家ではないのでそんなに変わるのかも定かではないが……よし、由香利さんは納得してくれたようだ。筋肉のカードも一軍に昇格させるべきかもしれない。


「なら、そういうことにしておきます。サンドイッチ、いただきますね。」


「どうぞどうぞ、食べてください。」


結局、当人が納得できるか否かなんだよな。それを再確認したところで……おっと、今度はそれか。タイツを持った小夜さんが部屋から出てきた。もうやめて欲しいぞ。


「駒場さん、タイツここに掛けておきますから。」


そう、忌まわしき『タイツ問題』が未だ尾を引いているのだ。何故か頑なに自分では持って帰らない小夜さんが、俺の椅子の後ろのブラインドに毎回脱いだタイツを掛けているわけだが……この子は一体全体何をやりたいんだ? 大量のタイツが掛けられている所為で、可哀想なブラインドが盛大に折れ曲がっているぞ。


「……小夜さん、いい加減に全部持って帰ってください。私は絶対に触りませんからね。」


もはや日除けとしての機能すら果たせていないブラインドを指して、小夜さんに要求を投げてみれば……彼女はムスッとした顔で返事をしてくる。というかこの子、何着タイツを持っているんだろう? 二週間目に突入したのにまだまだ終わりそうな気配がないし、ストックの数が物凄いな。


「駒場さんが回収してくれればそれで済む話です。こうなりゃ意地ですよ。そっちが折れるまでやめませんから。」


「何の意地なんですか。」


「だって、駒場さんはタイツが好きなんでしょう? それなのに私のタイツだけ避けるのは……何か、あれじゃないですか。私のこと嫌ってるみたいで気に入りません。」


「嫌っていませんし、一般的な男性というのは干してある他人のタイツを避けるものなんです。……お願いだから持ち帰ってくださいよ。来客があった時に変な事務所だと思われるじゃないですか。」


ハンガーが足りなくて直接ブラインドにタイツを掛けている小夜さんに頼み込んでみると、彼女に続いて撮影部屋から出てきた私服姿の朝希さんが……おお、豪快。わしっとタイツを全部回収して、それを双子の片割れに押し付けた。


「もう諦めなさい、小夜ち! 駒場さんに迷惑かけちゃダメでしょ! ……大体さ、こんなの駒場さんの席の後ろにショーツ干してるのと変わんないじゃん。恥ずかしくないの?」


「あんたね、タイツは『靴下』でしょ。」


「違うよ、タイツは『下着』だよ。……ですよね? 駒場さん。ね?」


「いや、私は男なので……そういう細かい違いは分かりませんね。」


タイツはタイツじゃないのか? ちんぷんかんぷんな心境で答えてやれば、サンドイッチを頬張っている由香利さんが己の見解を述べてくる。


「タイツは靴下ですよ。……靴下ですよね?」


「えー、下着ですよ。香月さん、そうですよね? ね?」


朝希さんの問いを受けて、電話中の香月社長は『そうだ』という面持ちで頷いているが……二対二で意見が割れたな。凄くどうでも良い意見が。


「ほらほら、下着じゃん。社長の香月さんがそう言ってるんだから、ホワイトノーツではタイツは下着なの! つまり小夜ちは、下着を事務所に干してるんだよ。」


「……違うわよ。」


「そもそも意味分かんないよ。何がしたいの? 駒場さんはタイツじゃなくて、『タイツを穿いた脚』に興味があるわけでしょ? タイツだけあったって邪魔くさいだけじゃん。」


「えっ。……そうなんですか?」


うわ、肯定しても否定しても地獄な質問が飛んできたな。驚いた表情で尋ねてきた小夜さんに、諦観を味わいながら首肯を返す。もう認めてしまおう。そうすれば少なくとも、西日に悩まされることだけは無くなるのだから。


「……まあ、そうです。」


「あっ、ふーん。なら私、勘違いしてたみたいです。……持って帰りますね、タイツ。」


「……どうも。」


大量のタイツを抱えて撮影部屋に戻っていく小夜さんへと、眉間を押さえながらお礼を口にしたところで……朝希さんが自分の脚を示して話しかけてきた。ショートパンツの下に、制服の時は穿いていなかったタイツを穿いている脚をだ。この話題、向こう一ヶ月は消えてくれなさそうだな。泣きたくなってきたぞ。


「じゃあはい、駒場さん。タイツです!」


「……朝希さん、いいですから。もういいんです。無理してタイツを穿く必要はありません。」


「私の好きな格好は、駒場さんの好きな格好です! ……触らないんですか? 私の脚、小夜ちより細いですよ? ちょびっとだけですけど。」


「朝希! 何ふざけたこと言ってんのよ! 双子なんだから同じでしょうが!」


触ったらお縄じゃないか。帰ってきた小夜さんが赤い顔で反論するのを耳にしつつ、心中で巨大なため息を吐く。……何か最近、こういう扱いに困る展開に巻き込まれがちだな。


「どう見ても私の方が細いじゃん。諦めて認めなよ。私の脚は細くて綺麗で、小夜ちのはぶっといの。お姉ちゃん、一卵性でも生活とかで違いが出てくるって言ってたよ?」


「ぶっとくはないわよ、ぶっとくは! ……いいでしょう、認めてあげる。脚はあんたの方が細い。そこはまあ、厳然たる事実だわ。けど胸は私の方が大きいんだからね。ぺたんこ! ぺたんこ朝希!」


「何さ、脚太人間! ……今気付いたんだけど、つまりそれって小夜ちの方が太ってるだけ──」


「朝希!」


とにかく流れに逆らわずにひたすらやり過ごそうと決意しながら、いつもの取っ組み合いを始めた双子を背に業務に向き直ったタイミングで、電話を終えた香月社長が……どうしたんだろう? ドヤ顔でピースサインを突き出してきた。


「駒場君、二人目だ。フォーラムで撒いた餌にまた魚が引っ掛かったぞ。」


「……まさか、所属したいという連絡だったんですか?」


「そうさ。まだ間に合いますかと聞かれたから、全然大丈夫だと答えておいたよ。スカウト上手な私を褒めたまえ、崇めたまえ、持ち上げたまえ。」


どうして誰も彼もが時間差で連絡してくるんだ? えへんと威張っている香月社長を眺めつつ、腑に落ちない気分で首を捻った後で……何にせよ忙しくなるなと眉根を寄せる。モノクロシスターズのスポンサー案件と、髑髏男爵さんの所属の手続きと、新たに連絡してきたクリエイター候補の動画チェックと、そして叶さん問題。それプラス日常業務となれば、タイツなどに構っている暇はなさそうだ。


いきなり仕事が増えたことに嬉しいやら悲しいやらの複雑な気持ちになりつつ、先ずは太鼓持ちとしての職務を全うすべく『褒められ待ち状態』の香月社長に言葉を送るのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る