Ⅲ.雪丸 ⑫
「あーもう、付き合ってられません! 小夜ちったら、狂ってます! 駒場さん、ジャケットください!」
お盆休みが明けた八月十八日の木曜日。ぷんすか怒りながら歩み寄ってくる朝希さんへと、俺は椅子に掛けてあった自分のジャケットを渡していた。このところ何度も繰り返されている所為で、もはや彼女の『ジャケット要求』に誰も驚かなくなってきたな。香月社長も由香利さんも気にせず業務を続けているぞ。
「あー……はい、どうぞ。」
「どうも。……ふぁー、落ち着きます。イライラが解消されてきました。」
それ、精神安定剤じゃないんだけどな。受け取ったジャケットに顔を埋めている朝希さんに、香月社長が苦笑しながら発言を送る。……まあでも、俺も特に恥ずかしくなくなってきたぞ。人間というのは適応する生き物らしい。
「嗅いでいて落ち着くとなると、フェティシズムとは少し違うのかもね。もしそうなら正反対の効果があるはずだ。」
「よく分かんないですけど、とにかく良い匂いなんです。嗅いでると安心するから、何だか眠くなってきます。ギュッてして寝たらぐっすり眠れるかもしれません。」
「堂々と言うじゃないか。」
「だって私、隠して嗅げないより言っちゃって嗅ぎたいです。」
うーむ、欲望に忠実だな。ジャケットを頭に被りながら平然と主張する朝希さんへと、今度は由香利さんが言葉を投げた。こちらも苦笑いでだ。
「ひょっとしたら、朝希ちゃんは父性を求めているのかもしれませんね。それなら『落ち着く』って発言にも納得できます。」
「……私、駒場さんにお父さんになって欲しいってことですか?」
「いえ、そこまで単純ではなくて……んー、難しいですね。心理系には詳しくないので、上手く説明できそうにないです。」
変に気まずくなるのは嫌だし、俺としてはあまり掘り下げないで欲しいぞ。由香利さんの困ったような声を意図的に聞き流していると、ジャケットをくんくんしながら俺の方をジッと見つめていた朝希さんが……僅かな期待を秘めた面持ちで『仮説』を寄越してくる。何だか嫌な予感がする表情じゃないか。
「どうせならお父さんよりお兄ちゃんの方がいいです。もしお姉ちゃんと結婚したら、駒場さんは私たちのお兄ちゃんになるんですよね?」
「……仮に結婚したらそうなりますね。仮にですが。」
「……お姉ちゃん、結構美人ですよ? 料理も上手だし、優しいし、柔道をやってたから強いです。掃除と洗濯はダメダメですけど、それは私たちが出来ます。どうですか?」
どうですかと聞かれても、こっちとしては答えようがないぞ。急すぎる『売り込み』を仕掛けてきた朝希さんから、どうやって逃げようかと思案していると……おお、ナイスタイミング。撮影部屋から勢いよく小夜さんが出てきた。
「ちょっと朝希、何で戻ってこないのよ。早く次の試合にいかないとでしょ? SVDをアンロックしないと何も始まらないんだから。」
「私、もう疲れた。駒場さんたちとお喋りしてるから、小夜ち一人でやってよ。」
「あのね、あんたが抜けるとスコアが下がるでしょうが! いいからひたすら私にキルを献上しなさい。SVDを使えるようにならないと、私のBG3はスタートしないの。愛銃無しでどうしろってのよ。」
「何でよりにもよって一番最後のアンロックのやつがお気に入りなのさ。めんどくさすぎるよ。……あと、ドラグノフのこと『SVD』って呼ぶのオタクっぽいからね。普通にドラグノフって言えばいいのに。」
俺の背後に隠れながら意見する朝希さんに、小夜さんはひくひくと口の端を震わせて反論を飛ばす。……つまり、待ちに待った『バトルグラウンド3』が今日プレイ開始になったのだ。だから二人は朝からずっとやり続けていたわけだが、朝希さんが遂に嫌になってきたらしい。FPSはどちらかと言えば小夜さんが好きなジャンルだもんな。
「SVDはSVDでしょうが! 全然オタクっぽくないわよ! それに2では初期選択できる装備だったの! だから使ってたの! 好きなの! 3でも早く使いたいの! ……ほら、分かったらさっさと『修行』に戻りなさい。アホみたいに撃ちまくって囮になって、そして私に弾薬を渡して死んでいくのよ。SVDをアンロックしたら交代してあげるから。」
「やだ。そんなことしてても全然面白くないもん。私、ヘリで遊びたい。動画的にもそっちの方が派手じゃんか。……ドラグノフなんか細くてダサいよ。骸骨みたいなフォルムじゃん。イギリスの狙撃銃の方が強そうでカッコいいって。」
要するに、『SVD』とやらはイギリスではない国の狙撃銃なのか。そして『ドラグノフ』は同じ銃の別名であり、小夜さんは前のタイトルでそれを愛用していたらしい。……ここまでの会話で俺が理解できたのはそこだけだぞ。ミリタリー関係は守備範囲外なのだ。
二人の口論を耳にしつつ、『骸骨みたいなフォルム』という表現に頭を悩ませている俺を他所に、小夜さんがダシダシと床を踏みながら反撃を放つ。どういう形の銃なんだろう? 調べてみようかな。
「何よその無茶苦茶な文句は! SVDはカッコいいでしょうが! シュッとしてるって言いなさい、シュッとしてるって! ……大体ね、ヘリなんて今は対空要素過多で空飛ぶ棺桶じゃないの。潔くバランス調整を待ってから遊びなさい。どうせ一月に出るDLCで一気に強くなるだろうから。」
「……でも、ヘリとか戦闘機はBG3の目玉要素だよ? 動画にすれば伸びると思うけど。」
「ヘリの動画だと他の実況者と内容が被っちゃうでしょ。あんなもん簡単に撮れるんだから。最速でSVDをアンロックして、それを『使ってみた』を上げた方が絶対伸びるわ。だってSVDは人気だもの。みんな好きだし、性能が気になってるはずよ。……はい、この時間がもう無駄。ロスよ、ロス。今日中にアンロックして動画を撮るんだから、喋ってる暇なんて無いでしょうが。」
「……イカれてるよ、小夜ち。休憩しないと死んじゃうって。それにお腹空いた。お昼ご飯はどうするの?」
朝の八時からやっているので、現時点で既に四時間以上プレイしていることになるな。ここまで熱中できるのは羨ましいぞ。朝希さんの恐る恐るの質問に対して、小夜さんは何を今更という顔で回答した。
「今日は我慢しなさい。食べてる時間が勿体無いわ。あと五時間やって、そしたら編集よ。」
「助けて、駒場さん。小夜ちが壊れちゃいました。頭がおかしくなっちゃってます。止めてください。」
「おかしくていいわ。私は誰に止められようとやめないわよ。今日のためにLoDのストックを撮って、それを編集して、夏休みの宿題を終わらせて、新しいマウスを買ったんだから。今日はね、BG3の日なの。私とSVDが再会する日なの。だから夜までやり続けるの。」
狂気を感じるな。そんなに楽しみにしていたのか。瞳孔が開いている小夜さんにその場の全員が引いたところで、香月社長が取り成すように声を上げる。
「しかしだね、小夜君。食事はすべきだよ。健康に悪いし、プレイにだって影響するはずさ。」
「だけど初プレイの動画と、SVDの動画は今日じゃなきゃいけないんです。今日上げないと意味がありません。そのためにアンロックして編集するには、ご飯の時間を削る必要があります。」
一刻も早くパソコンの前に戻りたい感じの小夜さんへと、朝希さんの縋るような目線に促されて妥協案を提示した。SVDへの拘りはさっぱり分からないが、『今日じゃなきゃダメ』というのは理解できるぞ。『解禁日』に投稿するのは重要だろう。
「私が簡単に食べられる物を買ってきますから、やりながら昼食を取るのはどうでしょう?」
「小夜ち、一人でやっててよ。私と駒場さんで買ってくるから。休憩しないともう無理。やりたくない。」
「……いいでしょう、そこまで言うなら休憩を許可してあげる。一人でやっておくから早く戻ってきなさい。」
「うん、早く戻る。だからもう行って。マジのゲーム中毒の人みたいで怖いから。」
怯える朝希さんをじろりと睨んだ後、小夜さんは無言でスタスタと給湯室に移動したかと思えば、冷蔵庫から出したらしいスポーツドリンクのペットボトルを手に撮影部屋へと入っていく。最後に『マジのゲーム中毒の人』っぽい一言を残してからだ。
「SVDよ、朝希。SVDだけは死んでも今日中にアンロックするからね。あれが無いBG3なんて、私にとってはコーヒーとミルクとチョコシロップ無しのカフェモカと同じなんだから。」
「……あれは、大丈夫なんでしょうか?」
カフェモカからコーヒーとミルクとチョコレートシロップを抜いたら何も残らないぞ。カップの中に無があるだけだ。パタリと閉じた撮影部屋のドアを見ながら問いかけてみると、ホッと息を吐いた朝希さんが疲れたように応じてきた。
「放っておいて平気ですよ。LoDをやり始めた時もあんな感じでしたもん。ピークを過ぎたら段々落ち着いてきます。……それよりご飯を買いに行きましょう! 私、お腹ぺこぺこです!」
「そうですね、私もそろそろ食べたいです。……社長と由香利さんは何がいいですか?」
どうせ出るなら、俺たちの分も纏めて買ってこよう。朝希さんが返してきたジャケットを羽織りつつ尋ねてみれば、香月社長が天井を見上げて数秒悩んでから答えてくる。
「んー……サブウェイはどうだい? サンドイッチだったらゲームをしながらでも食べられるだろうし、思い付いたら久々に食べたくなってきたよ。大学時代によく食べていたんだ。構内に店舗があったからね。」
「懐かしいですね、私も久し振りに食べたいです。……でも、近くにありましたっけ?」
由香利さんが賛同してから首を傾げたのに、脳内の記憶を引き出しつつ応答した。サブウェイか。俺は普段行かないタイプの店だけど、希望とあらば文句はないぞ。確か少し離れたショッピングモールの中に店舗があったはずだ。
「少し遠いですが、心当たりはあります。どうせ車で行くわけですし、折角ですから買ってきますよ。先に出るので注文する品をメールで送ってください。……コンビニとかよりは時間がかかってしまいますけど、朝希さんはどうしますか? お二人の分も私が買ってきますよ?」
「連れて行ってください。ちょっと動いてリフレッシュしないとやってられません。」
「そういうことなら二人で買いに行きましょうか。……では、行ってきますね。」
香月社長と由香利さんに声をかけた後、朝希さんと二人で事務所を出て一階に下りる。そのまま駐車場にある車に乗り込んだところで……おっと、電話か。ポケットの中のスマートフォンが震え始めた。
「っと、すみません。夏目さんからです。」
「はーい。」
助手席に乗った朝希さんに断ってから、蒸し暑い車内で窓を開けつつ電話に出てみれば、受話口から夏目さんの声が聞こえてくる。……しかしまあ、あっついな。夏場は乗る度これで嫌になってくるぞ。
「はい、駒場です。」
『あっ、夏目です。お疲れ様です、駒場さん。今大丈夫ですか?』
「平気ですよ。どうしました?」
『えっとですね、水泳対決の編集が終わったので確認して欲しくて。駒場さんからのオッケーが出たら、雪丸さんにも一応チェックしてもらう予定です。』
編集が終わったのか。対決企画の動画は今週の土曜日から上げ始めるので、三本目の水泳対決をアップロードするのは来週の月曜日だ。ある程度の余裕を持って仕上げられたらしい。
車のエアコンをマックスにしている朝希さんをちらりと見つつ、夏目さんへと電話越しに返事を返す。残念ながら、まだぬるい風しか出てこないと思うぞ。
「分かりました、昼食後に確認しておきます。社長にも字幕の最終調整を頼んでおきますね。」
『よろしくお願いします。……それと、近いうちに打ち合わせをしたいです。ちょっと時間がかかるかもしれないやつを。』
「何か新しい企画を始めるんですか?」
『じゃなくて、何て言うか……今後の大きな方針的なものを話し合いたいんです。私ったらお弁当対決の時、分不相応なことを言っちゃったじゃないですか。だけど言いっぱなしで何もしないわけにはいかないので、自分なりに色々考えてみようと思いまして。』
「私は分不相応とは思いませんが……そうですか、心境に変化がありましたか。」
あの日は深雪さんを家まで送った後、事務所に戻って夏目さんと弁当の残りを食べて、彼女のことも自宅に送り届けたのだが……確かに何か思い悩んでいたな。それを相談してくれる気になったようだ。
雰囲気を察知して真面目な口調で相槌を打った俺に、電話の向こうの夏目さんが肯定を寄越してきた。
『雪丸さんの発言を聞いてて感じたんです。私には自覚が足りてなかったなって。私自身は私のことをまだまだ未熟だと思ってますけど、ライフストリームをよく知らない人から見たら……さくどんって、日本個人二位のライフストリーマーなんですよね。もちろんあの、登録者数だけで言えばの話ですけど。』
「そうなりますね。」
『登録者数が少なくても面白いチャンネルは沢山ありますし、これからどんどん新しいライフストリーマーが出てくるだろうから、私は現時点の二位で驕っちゃダメだって自分に言い聞かせてきたんですけど……雪丸さんはきちんと一位であることに誇りを持って、立場に相応しい発言をしてました。』
そこで一度話を切った夏目さんは、少しだけ落ち込んでいる声色で続きを語ってくる。トップの自覚か。言われてみれば深雪さんはそれを持っているように見えたな。驕ったり浸ったりするのではなく、自負や戒めにしていたぞ。
『それを見て、反省したんです。自分がどう思ってようと、日本のライフストリーマーを評価する時にはさくどんチャンネルが一つの基準になるんだなって。私がへらへら笑ってまだまだですよって言ってたら、日本のライフストリーマーはその程度だって判断されちゃうかもしれません。……なので、人前で必要以上に卑下するのはもうやめます。本音では私より面白い人たちが山ほど居ると思ってますけど、動画ではそれを出さないようにしていきたいんです。日本のライフストリーマー全体の評価を下げるのは絶対嫌ですから。』
「……良い考え方だと思いますよ。登録者数的に、さくどんチャンネルはどうしたって目立ちます。ライフストリームに初めて触れる視聴者が、夏目さんの動画を基準にするというのは大いに有り得る話です。自信を持って強気にいきましょう。それはきっと他のライフストリーマーたちの利益にも繋がるはずですから。」
『はい、これからはそういう部分も意識していきます。……あとですね、コラボ動画を積極的にやっていきたいんです。』
「コラボ動画をですか?」
急な提案に首を捻りながら聞き返してみれば、夏目さんは若干迷っているような声で返答してきた。
『こっちは今すぐにっていうか、準備を重ねた上での長期的な目標って感じなんですけど……そういう流れを作っていきたいなと思いまして。ライフストリーマー同士で協力し合える雰囲気を作るには、コラボ動画を増やしていくのが一番だって考えたんです。今はほら、国内だと決まった人が決まったメンバーでやってるくらいじゃないですか。私が頻繁に色んな人とコラボしていけば、ひょっとしたらハードルが下がって少しは勢い付くかなと。』
「なるほど、全体を見据えた動きなわけですか。」
『あとあと、出来ればなんですけど……ライフストリーマーじゃない人ともコラボしていきたいです。そうすれば別界隈から人が流れてきてくれるかもしれませんし、ライフストリームをもっと盛り上げることにも繋がるはずですから。』
「ライフストリーマー以外となると、タレントさんとかですか? 面白いアイディアですね。」
うーん、盲点だったな。コラボ動画にライフストリーマー以外のゲストを呼ぶわけか。……今までは全く意識していなかったけど、積極的に働きかければプロモーション活動の一環として受けてくれるかもしれないぞ。
夏目さんの発想に唸っていると、彼女は慌てたように付け足してくる。
『いやあの、難しいっていうのは分かってます。有名な人がそう簡単に出てくれるはずないですし、準備が大変だってことも理解できてますから。……なのでまあ、コラボ動画に関してはじわじわ進めていくつもりです。しっかり計画を練って、来年とかから徐々にやっていく感じですね。雪丸さんは多分そこを目指さないと思うので、私はそういう方向に向かってみようかなって。』
「つまり、さくどんチャンネルにおける大方針を定めようとしているわけですか。……そうなると確かに本腰を入れて話し合うべきですね。電話で済ませられる内容ではありませんし、来週のどこかでゆっくり話しましょう。」
『はい、そうしたいです。良い機会なのでジャンルの割合とか、構成とか、編集方法とかの細かい部分も見直そうと思ってます。自分の中のイメージが纏まったら改めて知らせるので、そしたら一緒に考えてくれますか?』
「勿論です、私の方でも考えておきます。……雪丸さんとのコラボ、やって良かったですね。」
しみじみと言った俺に、夏目さんも同じような声色での同意を飛ばしてきた。少なくともさくどんチャンネルとしては、成長に繋がる良いコラボになったらしい。
『対決企画に勝って、ライフストリーマーとしては負けたって気分ですけど……そうですね、とっても勉強になりました。フォーラムでも色々と学べましたし、この夏は私にとってのターニングポイントなのかもしれません。』
「ターニングポイントですか。……私もマネージャーとして全力でサポートしますから、学んだことを積極的に活かしていきましょう。」
『一人だと難しそうですけど、駒場さんが一緒なら何とかやれそうです。新生さくどんチャンネルに向けて精一杯努力してみます。……じゃあ、また電話しますね。お仕事頑張ってください。』
「ありがとうございます、夏目さんも編集頑張ってください。では、失礼しますね。」
夏目さんに別れを告げて電話を切ると……おや、メールが来ているな。電話中に届いたらしい。スマートフォンを操作してメールボックスを確認している俺に、朝希さんが小首を傾げて話しかけてくる。
「大事な話だったんですか? 駒場さん、途中から真剣な顔になってました。」
「ええ、さくどんチャンネルの方向性についての話でした。すみません、お待たせしてしまって。メールを確認したらすぐ車を出しますね。」
朝希さんに応じながら新規メール……深雪さんからのメールを開いてみれば、相変わらず丁寧な文面が目に入ってきた。土曜日の映画に関しての予定を知らせてくれたらしい。一本目は九時半からの上映なので、九時に映画館で待ち合わせましょうと書いてあるな。
松葉杖での移動は大変でしょうし、家まで迎えに行きますよという内容の返信を打ち込んでいると、朝希さんがちょっぴり不安そうな顔で疑問を送ってくる。
「さくどんチャンネルの方向性? ……良い話だったんですよね? それとも、トラブルとかですか?」
「いえいえ、良い話でしたよ。雪丸さんとのコラボから色々と学び取ったので、それを活かしていこうという話でした。前向きな方向転換ですね。」
「雪丸さんですか。……ゲーム対決の時のこと、小夜ちもちょっとだけ気にしてました。お昼ご飯の動画であんまり上手く喋れなかったって。」
小夜さん、気にしていたのか。メールを送信し終えたスマートフォンをポケットに仕舞いつつ、悩ましそうな面持ちの朝希さんに返事を投げた。そういえばあの時の小夜さんは本調子ではなかったな。
「ああいった形式の動画は初めてでしたからね。ゲーム実況とは勝手が違うでしょうし、戸惑うのは当たり前のことですよ。」
「私もそう言ったんですけど、『あんたはきちんと喋れてたじゃない』って余計拗ねられちゃって。……でも実は、私も難しいなって思ってたんです。」
「そうだったんですか。」
うーむ、朝希さんは自然体でやれているように見えたんだけどな。気付けなかったぞ。マネージャーとしてそれじゃダメだなと反省していると、彼女はこっくり頷いて続きを話してくる。
「いつものゲーム実況だと考えなくても言葉が出てくるのに、あの時は喋ろうと思わないと黙っちゃうから……何だか難しかったです。小夜ちはこのままじゃダメだって言ってました。『さくどんさんと雪丸さんがトークを回してくれたから何とかなったけど、私たちの動画なんだから本来私たちがやるべきだったのよ』って。」
「……私としても、夏目さんとしてもそうですし、モノクロシスターズとしても雪丸さんとの撮影は勉強になったみたいですね。」
「ですです。だから駒場さんに相談する前に二人で問題点を探り出して、家で『司会役』の練習とかを……あ。私、喋っちゃってます。小夜ちから『駒場さんには内緒よ』って言われてたのに。」
「……内緒なんですか。」
それは少し寂しいぞ。そういうことこそ相談して欲しいんだけどな。車を発進させながら眉根を寄せている俺に、朝希さんは若干呆れている様子で応答してきた。
「小夜ちは見栄っ張りなんですよ。特に駒場さんには頼りないヤツって思われたくないみたいです。」
「ああ、なるほど。そういう気持ちは何となく分かります。……ただ、マネージャーとしては複雑な気分になりますね。お二人が頼ってくれないと役に立てない立場ですから。」
「じゃあじゃあ、小夜ちの代わりに私がどんどん頼ります。沢山助けてもらって、それと同じくらい駒場さんのことを助ければいいんです。……そしたら駒場さん、嬉しいですよね? 私のこと、もっと好きになってくれますか?」
「好きになるというか……はい、とても嬉しいしありがたいですよ。マネージャーとしても個人としても、躊躇わずに頼って欲しいと思っています。朝希さんが助けてくれるなら頼もしいですしね。」
彼女らしい純粋な答えだな。期待の籠った瞳で問いかけてきた朝希さんへと、笑顔で首肯してみれば……彼女はにぱっと笑って口を開く。その笑顔を見るとこっちまで元気になってくるぞ。
「なら、小夜ちには内緒でいっぱい甘えちゃいます! ……寄り道しましょう、駒場さん。私、ご飯の前にクレープ食べたいです。こっそり、二人だけで。」
「クレープですか? ……いいですね、みんなには内緒で食べてしまいましょう。運転中は手を離せないので、代わりに店を調べてください。」
「はい!」
満面の笑みでスマートフォンを取り出している朝希さんを横目にしつつ、ハンドルを握り直して軽くアクセルを踏む。クレープを買って食べるくらいであればすぐ済むし、まあ大丈夫だろう。彼女は長時間のゲームで疲れているようだから、少し息抜きしてもらわなければ。何とも可愛らしい『内緒のお願い』じゃないか。
しかし、深雪さんは本当に良い変化を齎してくれたな。夏目さんはこれからの進路を定められたようだし、小夜さんと朝希さんも問題点を見つけて解決しようとしている。そして俺には意地っ張りのちょっと変わった友人が出来た。全体的に実のあるコラボになったと言えるだろう。
でも、今はまだ切っ掛けでしかない。夏目さんも、モノクロシスターズの二人も、俺も。手に入れたものを放ったらかしにせず、きちんと育てていく必要があるはずだ。……となれば夏目さんの姿勢にも、モノクロシスターズの向上にも、新しく出来た友人にも慎重に真摯に向き合っていくべきだな。どれもそうするだけの価値がある物事なのだから。
そうなると先ずは……夏目さんが打ち出したさくどんチャンネルの方向性についてを、香月社長や由香利さんと入念に話し合わなければ。事務所としてどんな支援が可能なのかを明確にしておかないと、夏目さんに対して具体的な提案をすることが出来ない。だったらそこは早めにやっておいた方が良いだろう。
そしてモノクロシスターズに関しては、俺と小夜さんと朝希さんで相談して課題と解決策を導き出すべきだな。ゲーム対決の件を抜きにしたって新しいゲームの実況を始めて、新しい編集スタイルを試そうとしているのだから、新たな問題だって必ず出てくるはず。ちょうど良い機会だし、この際深い部分まで見直してみるか。
あとはまあ、明後日の深雪さんとの映画だが……ここはもう時間が無いし、覚悟を決めて臨むしかあるまい。ストーリーにもキャラクターにも詳しくない上、子供を連れて来た保護者たちから白い目で見られそうだけど、付き合うと約束したんだからしっかり付き合わなければ。ホワイトノーツのマネージャーに二言は無いぞ。何とか耐え抜いてみせるさ。
土曜日の戦いを思って気合を入れていると、朝希さんがスマートフォンの画面を示しながら声をかけてくる。気になるクレープ屋を発見したらしい。
「駒場さん、ここ。ここにしましょう。チョコと、バナナと、イチゴと、アイスと……こんなのもう、無敵です。無敵クレープ。これがいいです!」
「……これはまた、かなり大きそうですね。」
「一人だとちょっと多そうですけど、二人で分けっこすれば食べ切れますよ。……ダメですか? 私、食べたいです。もう見ちゃったから諦められません。脳みそがこのクレープ一色になっちゃいました。」
「いやまあ、大丈夫ですよ。通り道ですし、寄ってみましょうか。」
そんな顔をされたらノーとは言えないぞ。おねだりモードで見つめてくる朝希さんに、慌てて白旗を振ってやれば……彼女はパーフェクトな笑顔でびしりと進行方向を指差した。
「やたっ、駒場さん大好きっ! それならクレープ目指して前進です!」
「了解しました。」
何とも現金な大好きが飛び出してきたわけだが……まあ、とりあえずは朝希さんを楽しませることに集中しよう。こうまで素直に喜んでくれると、こっちとしても頑張り甲斐があるぞ。良い昼休みになりそうだな。
ご機嫌な担当クリエイターどのの指示に従ってクレープ屋へと車を走らせつつ、駒場瑞稀は小さな笑みを浮かべるのだった。
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