Ⅲ.雪丸 ④



「面白かったね、小夜ち。色々参考になったし、授業っぽかったのに全然眠くならなかったよ。」


そしてフォーラムが予定より少しだけ早めに終了した、午後四時半ちょっと前。俺と夏目さんとモノクロシスターズの二人は、会場となった施設の階段を四人で下りていた。香月社長は終わるや否やスカウトのために姿を消してしまったし、風見さんはそんな社長を家まで送る必要があるので、四人で先に帰ることになったのだ。


ぴょんと元気良く一階に降り立ちながら語る朝希さんに、小夜さんが眉根を寄せて応じる。全体的には朝希さんが言う通り、何とも為になるイベントだったな。パーカー氏の話からも、招かれたライフストリーマーたちからも、得られるものが沢山あったぞ。


「そうね、良かったわ。初めて知る情報も多かったし、間違いなく来た価値はあったけど……でも、ゲームとか音楽の権利関係の話題は一切出てこなかったわね。そこが少しだけ残念かも。」


「小夜ちはあると思ってたの?」


「あればいいなって期待してたの。……軽くすら出てこなかったってことは、運営側はまだ深く介入しないつもりなのかも。どっちにしろ暫くは自分たちで対処していくしかないみたい。」


「そんなに心配しなくても、難しいところは駒場さんがやってくれるよ。ね? 駒場さん。」


くるりと振り返って尋ねてきた朝希さんへと、苦笑しながら肯定を返す。そうやってぶん投げてくれるのが一番やり易いぞ。信頼の証だと受け取っておこう。


「ええ、任せてください。お二人が動画制作に集中できるように、そういう厄介な部分は私たちで解決していきます。……単に今日話さなかっただけという可能性もありますしね。フォーラムの目的に適していないので、時間の都合で省いたのかもしれませんよ。」


「……解決する気はあるってことですか?」


「キネマリード社としても権利関係の諸問題は目の上のたんこぶでしょうから、何かしらの解決策は打ち出してくると思います。広告収益を権利主と分け合ったり、ゲーム販売プラットフォームとの業務提携を行ったり。そういった具合に投稿者と権利主との仲介役をライフストリームが担う形で、簡単にやり取りできるシステムを構築してくれる……かもしれません。」


「『かも』ですか。」


困ったような笑みで相槌を打ってきた小夜さんに、こちらも同じ顔で応答した。現時点ではまだ明確な予想を立てられないぞ。判断材料が少なすぎるのだ。


「こういう予想は香月社長の方が得意ですから、私には確たる展開はさっぱりですよ。……ただ、このまま放置したりはしないはずです。対策を出してくることだけは間違いないと思います。」


「なら、期待し過ぎないで待っておくことにします。」


小夜さんが肩を竦めて話題を締めたところで、ずっと何事かを黙考していた夏目さんがポツリと呟く。悩ましそうな面持ちでだ。


「私はキネマリードの人の話よりも、ライフストリーマーさんたちの話がちょっと衝撃でした。特にスペシャルゲストのワトキンスさんの話が。……今までは『動画投稿を仕事にする』って目標がぼんやりした遠さにあったのに、急にはっきりした遠さになった気がします。」


「……はっきりした遠さ、ですか。」


「距離が分かっちゃったんです。もう叶えてる人が居るっていうのは励みになりますけど、同時に自分の甘さを痛感しました。……トップ投稿者の人たちって、あそこまで色々考えて動画を作ってたんですね。人種や性別による視聴者の反応の違いを意識するとか、アーカイブに残るんだから何年経っても楽しめる内容じゃないとダメだとか、流行るものを流行り出す前に自分流に取り入れたりとか。そんなの私、全然できてません。ダメダメです。」


ため息を吐く夏目さんが言っている『ワトキンスさん』というのは、スペシャルゲストとして登壇した二百二十万人のチャンネルを持つライフストリーマーのことだ。自身の動画をスクリーンで流しながら、動画制作におけるコツを細かく説明してくれたのだが……まあ、あれは凄かったな。プロフェッショナルとしての拘りを思い知ったぞ。


やや落ち込んでいる雰囲気の夏目さんへと、首筋を掻きながら声をかけた。


「凄いライフストリーマーでしたし、私も感心しましたが……しかし、たどり着けない遠さではありませんよ。ワトキンスさんだって最初からああだったわけではないはずです。失敗と改善を何度も繰り返したからこそ、あれだけしっかりしたスタイルを確立できたんじゃないでしょうか?」


「それは、はい。もちろんそうなんだと思います。」


「一朝一夕でワトキンスさんのようになるのは不可能ですが、私たちも頑張っていけば同じ場所に立てるはずです。どれだけ遠くても、目標がはっきりしたのは良いことですよ。見えているなら目指せますし、目指していけばたどり着けます。……二人で追いついて、いつかは追い越してみせましょう。私も多少は頼りになれるように努力してみますから。」


立ち止まって夏目さんのブラウンの瞳を見つめながら励ました俺に、彼女は優しく微笑んで小さく頷いてくる。実際の投稿歴はともかく、登録者数で見れば『大御所』と『駆け出し』だ。今は素直に憧れておいて、地道に背中を目指してみよう。もうすぐ日本にも波が来るのだから、それに上手く乗ることが出来ればきっと追いつけるはず。


「……はい、駒場さんが一緒に居てくれるなら頑張れそうです。」


「今日ワトキンスさんから教わったことを動画に活かしていきましょう。そして夏目さんが一流のライフストリーマーになったら、今度は貴女が誰かにコツを教えるんです。そう考えると何だかやる気が出てきませんか?」


「えへへ、出てきます。……そうですね、一気に高い所に行こうとするのは間違ってますもんね。きちんと一歩一歩進んでいって、いつか私も積み上げたことを誰かに教えたいです。それを一つの目標にしてみます。」


グッと拳を握った夏目さんが宣言したところで、朝希さんがやる気に満ち溢れた様子で会話に参加してきた。先輩の決意に感化されたようだ。


「私も! 私も頑張ります! ……ずーっと時間が経った後に、今日のことをさくどんさんと動画で話したいです。あのイベントが切っ掛けだったねって。」


「いいですね、それ。良い思い出として話したいですし、そう出来るようにチャンネルを大きくしていきましょう。」


「はい! ……ほら、小夜ちは? 小夜ちも何か良いこと言いなよ。未来の動画のネタになるんだから。」


「私はそういうタイプじゃないし、気が長すぎるでしょうが。何年後の『仕込み』をしてるのよ。」


若干恥ずかしそうな小夜さんが返事をすると、朝希さんはそんな彼女を目にして小首を傾げる。何か引っ掛かったらしい。


「……ひょっとして小夜ち、トイレ行きたくなってるでしょ。行ってきなよ。何で我慢してんの?」


「……あんた、どうしてそういうことにはすぐ気付くの? 鋭すぎて怖いんだけど。」


「双子だもん。何となく分かるよ。」


何となく分かるのか。俺には平常運転にしか見えなかったけど、小夜さんは実はトイレに行きたかったようだ。一体どこから読み取ったんだろうと疑問に思っている俺を他所に、小夜さんが目を逸らしながら渋い顔で言葉を口にする。


「外のトイレ、嫌なのよ。だって色んな人が使ってるわけでしょ? 全然知らない人たちが。……我慢するわ。まだ我慢できるから。」


「出た、それ。小夜ちってコンビニとかスーパーのトイレ、意地でも使わないよね。また病気になるよ。」


「その話を持ち出すのはやめなさいよ! ……じゃあ、朝希も一緒に来て。一人じゃ嫌。」


「えー、やだよ。一人で行ってくればいいじゃん。」


朝希さんが素っ気無く拒否したところで……んん? 俺たちの進行方向の柱の陰に、誰かが立っているのが視界に映った。テンガロンハットを目深に被っている、ワイシャツとベストとスラックス姿の細身の女性だ。歳は二十歳に届くか届かないかくらいかな? 柱に背を預けて腕を組んでいるぞ。奇妙な格好でカッコいいポーズをしているじゃないか。


「……来てくれたっていいじゃないの、冷酷朝希。姉が困ってるんだから助けなさいよ。」


「トイレくらい一人で行きなさい、甘えん坊小夜ち。姉はこっちだし、私はトイレにみんなで行ったりするの嫌いだもん。意味分かんないよ。」


「一人だと何か寂しいし、怖いでしょうが。変な人とかがいきなり入ってきたらどうするのよ。公共の場所なんだから、有り得ない話じゃないでしょ?」


「お姉ちゃんみたいなこと言うじゃん。心配しすぎだって。早く行ってきなよ。」


もしかしてあれは、『雪丸スタジオ』の雪丸さんじゃないか? 特徴的な髪色の、うなじの辺りで一つに結ばれているロングヘア……ストロベリーブロンドのローポニーテールを見て日本個人トップ投稿者の名前を思い浮かべていると、その彼女がスッと俺たちの前に出てきて声を──


「ごきげんよ──」


「いいから一緒に来てってば! ほら、行くわよ! ……駒場さん、さくどんさん、少しだけ待っててください。すぐ戻りますから。」


「分かったよ、もう。行くから引っ張らないで。」


「あの、小夜ちゃん? 急がなくても大丈夫ですよ? 待ってますからゆっくり行ってきてください。」


うーむ、小夜さんの発言に見事に被ってしまったな。夏目さんもそっちに気を取られているし、ストロベリーブロンドの女性の存在には俺しか気付いていないらしい。女性の方もタイミングを逃したことを理解しているようで、中途半端なポーズでぴたりと停止しているぞ。


気まずいな、これは。何とも微妙な気分で雪丸さんらしき女性に目を向けていると、彼女はそんな俺にフッと微笑みかけてから柱の陰に戻った後……えぇ、やり直すのか。モノクロシスターズの二人が反対方向にあるトイレへと歩いていき、彼女たちを見送った夏目さんが再び前を向いたところで、さもファーストテイクかのような雰囲気で改めてこちらに歩み寄ってきた。


「ごきげんよう、さくどんさん。」


「えっ? あっ……はい、どうも。」


「私が誰だか分かりますか?」


「あの、はい。知ってます。雪丸ゆきまるさんですよね? 雪丸スタジオの。」


急に話しかけられてびっくりしている夏目さんの返答を受けた女性は、脱いだテンガロンハットを胸に当てて一礼しながら話を続けてくるが……この人、動画外でもこうなのか? 何というかこう、うちの社長どのを思わせる大胆不敵な口調と態度。それが雪丸スタジオの魅力の一つなのだ。動画内そのままの喋り方だぞ。


「その通り、雪丸スタジオの雪丸です。初めまして、さくどんさん。こうして貴女とお会いできて光栄に感じています。……貴女とは直接話したいとずっと思っていたんですよ。そんなさくどんさんのことを会場で見かけたので、こうしてここで待ち構えていたわけです。」


「そ、そうなんですか。私は待ち構えられてたんですね。気付きませんでした。」


「それでですね、早速のお願いで恐縮なんですが……この会話を動画にしても構わないでしょうか? 実はもう回しているんです。施設の方にも撮影する許可をいただいてあります。」


「えっ? あ、どうぞ。大丈夫です。」


あー、あそこにビデオカメラが置いてあるのか。ロビー内の少し離れた位置にある長椅子を示して断ってきた雪丸さんは、夏目さんの了承を耳にして満足げに首肯してから……うーん、芝居がかっているな。びしりと彼女を指差して口を開く。何にせよ、撮っているなら俺は離れた方が良さそうだ。画角がいまいち分からないし、映り込まないようにある程度距離を取っておこう。


「どうもありがとうございます。では、本題に入りましょうか。……さくどんさん、私は貴女に対して非常にがっかりしている! それが何故だか分かりますか?」


「えっ、えっ? ……あの、分かりません。」


明らかに状況に追いつけていない夏目さんの答えを聞くと、雪丸さんは役者のような大仰な身振り手振りを交えつつ語り始めた。……まあ、絵になる人ではあるぞ。スレンダーな肢体によく合った格好だし、独特な口調や仕草がこちらの興味を誘ってくる。二十万人超えの登録者数は伊達ではないらしい。


「おや、分かりませんか? 至極簡単な理由なんですがね。私ががっかりしているのは、貴女が事務所に所属したからですよ。……私は常々さくどんさんのことを意識してきました。貴女は私とほぼ同時期に今のチャンネルを開設し、同じペースで登録者を増やし、そして今や国内個人でツートップのライフストリーマーになっています。そんな相手を意識しない方がおかしいでしょう? 私は貴女こそが自分のライバルであると思っているんです!」


「うぁ……えと、光栄です。私も雪丸さんの動画は全部見てますし、雪丸スタジオのことを意識してきました。」


「嬉しい発言じゃありませんか。そこは素直に喜んでおきましょう。……貴女は私と同様に、初期の頃から挑戦を繰り返していましたね。他のチャンネルとは動画に対する姿勢が明確に違っていましたよ。私はそんな貴女を尊敬し、勝手に仲間意識と対抗心を抱いていたんです。雪丸スタジオが日本のライフストリーム界を牽引する時、対抗馬になるのはさくどんチャンネルであると確信していました。……そう、貴女が事務所所属の発表動画を上げる前までは。」


大した自信家じゃないか。とはいえ事実として、現在の日本ライフストリーム界を牽引しているのは紛れもなくこの人だ。嘆かわしいと言わんばかりにやれやれと首を振った雪丸さんに、眉根を寄せた夏目さんが問いかけを送った。段々と驚きから立ち直り始めているな。未だ不完全ではあるものの、徐々に『さくどん』の雰囲気になってきているぞ。


「……事務所所属がダメってことですか?」


「正しくそうですよ。……さくどんさん、貴女はライフストリーマーにとって最も重要な『自由』を手放したんです!」


「じ、自由?」


まるで犯人を追い詰める名探偵のような言い方で指摘した雪丸さんは、夏目さんが聞き返したのに頷いてから両手を広げた。通行している人たちがちらちらとこっちを見ているな。立ち止まっている人も居るぞ。凄まじく大胆な撮影じゃないか。


「そうです、自由ですよ。自由に作れるからこそライフストリームは面白いんじゃありませんか。事務所に所属してしまった貴女は無用な枠組みに囚われて、動画に余計な要素を入れざるを得なくなり、訳の分からない押し付けに流されていくことでしょう。テレビを見れば一目瞭然です。お決まりの退屈なやり取り、お決まりの嘘だらけの褒め言葉、お決まりの過度な配慮。貴女もそれが嫌だからライフストリーマーを選んだんじゃないんですか?」


「私は……私は、見てくれる人たちに楽しんでもらいたいだけです。それが仕事になればいいなと思って、ライフストリーマーを選びました。」


なるほどな、雪丸さんの主張の中身が掴めてきたぞ。彼女は作為的な動画を嫌い、ある種の恣意的な動画をこそ是としているらしい。多方面に気を使うために内容を変えたり、取り繕ったような配慮を差し込むことに否定的なわけか。


切実に語る夏目さんの回答に、雪丸さんは何故か一瞬だけ怯んだように押し黙った後で……小さく鼻を鳴らして反応する。ほんの刹那の沈黙だったが、僅かにだけ調子を崩された感じに見えたぞ。どうしてなんだろう?


「その目標自体は素晴らしいと思います。実にさくどんさんらしい考え方です。……ですが、事務所所属はやはり良くありませんね。だって、それで向かう先はテレビの後追いでしかないでしょう? ライフストリームの魅力は『真実』じゃありませんか。テレビがバカバカしい配慮で隠している映像を、スポンサー賛美の裏側にある本音を、人々が真に求めている剥き出しの言葉を伝えられる。それこそがライフストリームの最大の魅力であるはずです。」


「……事務所に所属していても、それは出来ます。私はリスナーさんたちに嘘を吐く気はありません。」


「いいえ、出来ませんよ。貴女や事務所が大きくなればなるほどに、邪魔な柵が引っ付いてくるはずです。スポンサーのお菓子が不味かった時、貴女は美味しくないとはっきり言えますか? それが自分ではなく、事務所の後輩に付いたスポンサーだったら? 所属事務所の体裁を気にして、動画の内容や発言を変えたりしないと自信を持って言い切れますか? ……無理ですよ、さくどんさん。絶対に無理です。事務所への所属による制限は、貴女の動画を間違いなくつまらなくします。何も貴女が成功しないとまでは言いませんが、そうやって作られた面白さなんて所詮テレビの二番煎じでしょう? 私が尊敬する貴女が持っていた『新しい面白さ』ではありません。だから私はがっかりしているんですよ。」


「そんなことありません! ホワイトノーツは私の動画の作り方を尊重してくれますし、面白くするために必死に頑張ってくれてます。」


珍しくムッとした表情になっている夏目さんが言い返すのに、雪丸さんは薄い笑みで肩を竦めた。余裕がある動作だ。


「まだ理解できていないようですね。企業である事務所が目指す面白さではダメだと言っているんですよ。個人が目指す面白さにこそ価値があるんですから。……ライフストリームは無茶苦茶で、ルール無用で、混沌としているべきなんです。満員の観客の前で煌びやかに行われる試合ではなく、素人がめったやたらに殴り合うストリートファイトの面白さ。それを見られるのがライフストリームじゃありませんか。形式張ったお行儀の良い動画じゃ誰も満足しませんよ。」


「……雪丸さんは、それを目指しているんですか? 『ルール無用』の動画を?」


「勘違いされそうなので断っておきますが、別に誰かを傷付けるような動画にしろとは言っていませんよ? 私だって皆が笑顔で幸せになれる動画を目指しています。私はただ、私の動画を見てくれているリスナーたちに本当の面白さを届けたいんです。上っ面だけの面白さを与えるつもりは毛頭ありません。そして本当の面白さを求めるのであれば、ライフストリーマーは身軽でいる必要があるんですよ。……私たちにとって、事務所は枷でしかないわけですね。自由を失った貴女の動画は、じわりじわりと鈍化していくはずです。自分では気付けないほどにゆっくりと、しかし確実につまらない形式に支配されていくことでしょう。」


一概に正しいとは思えないし、ホワイトノーツのマネージャーとして納得できるような発言ではないが……まあ、一定の理は認めざるを得ないな。無所属の方が自由だという点は間違いないだろう。クリエイターのリスク軽減やプライバシー保護のために、俺たちがかけている動画制作におけるいくつかの制限。それが面白さに影響しないとは言い切れないのだから。


加えて、雪丸さんが言う『新しい面白さ』というのもぼんやりと理解できてしまうぞ。企業、スポンサー、視聴者への配慮。事務所に入ればそういった部分を意識する必要が出てくるし、そこを突き詰めていった結果が今の民放だ。……『テレビの後追い』か。ライフストリームの視聴者が民放には無いものを求めているのであれば、それは確かに避けるべき展開なのかもしれない。


思案している俺を尻目に、押され気味の夏目さんが何か反論しようとしたところで……おー、さすが。この人はタイミングを決して逃さないな。ロビーの奥の方からコツコツと歩いてきたスーツ姿の女性が、自信満々の笑みで議論に介入してきた。我らが香月社長がだ。スカウトを終えて二階から下りてきたらしい。


「やあ、諸君。面白い議論をしているようだね。私も交ぜてくれたまえ。……初めまして、雪丸君。私は香月玲。さくどん君の所属事務所である、ホワイトノーツの代表だ。」


「……ごきげんよう、香月社長。絶賛撮影中なんですが、動画に映っても問題ありませんか?」


「構わないよ、私は美人だからね。」


何だその返事は。えっへんと大きな胸を張った香月社長を見て、雪丸さんはちょびっとだけ困惑した様子で応じているが……なるほど、変な人には変な人を当てるべきなのか。社長なら雪丸さんに対応できそうだぞ。


「であれば、私は貴女の議論への参加を歓迎しますが……大きいですね。」


「そうだろう、そうだろう。Hカップだよ。これがホワイトノーツの実力さ。侮っていると痛い目を見るぞ。」


「それはまた、結構なものをお持ちのようで。ホワイトノーツ、侮り難し。……ホワイトノーツ、侮り難し!」


一体全体何をやっているんだ、この二人は。いきなり会話の知能指数がガクッと下がったな。小さな声で呟いた後に大きな声で言い直した雪丸さんへと、香月社長がふふんとドヤ顔を披露しつつ持論を口にする。ちなみに雪丸さんは非常にフラットな体付きをしているわけだが……まあうん、スレンダーでいいと思うぞ。背も170センチくらいだし、モデル体型ってやつだな。


「雪丸君、教えてあげよう。ホワイトノーツは『基準』になろうとしているんだよ。つまりだね、我々こそが日本ライフストリーム界の正統を形作る事務所なのさ。」


「正統? 大きく出ましたね。」


「世のライフストリーマーたちの規範と言い換えてもいいかもね。……私もライフストリームに関わっている人間の端くれだ。『ルール無用』の面白さは重々承知しているよ。それこそがライフストリーム特有の面白さだという点にも同意しようじゃないか。国境や人種や言語に囚われず、世界中に住む不特定多数の個々人が好き勝手に動画を上げられる。そういった部分が動画共有サイトの魅力だからね。」


「……察するに、『だが』と続くんでしょう?」


挑発的な笑みで先を促した雪丸さんに、香月社長もまたニヤリと笑って応答した。小柄でパンツスーツをきっちり着込んでいる社長と、長身でジャケット無しかつシャツの袖を捲っている雪丸さん。性格的には共通点があるものの、見た目だけだと中々対照的な二人だな。『似て非なる』といった感じだ。


「『だが』、それだけでは面白くならないんだよ。何事にも比較する対象が必要なんだ。君が愛する異端の動画は、正統な動画があればこそ成立するのさ。そもルールが無かったら、ルール無用を面白がる人間など現れるはずがないだろう? ……君の主張の問題点はだね、その『正統』を民放に据えていることだよ。テレビをライバル視するのは結構だが、それでは結局のところ民放に対する異端のメディアにしかなれないぞ。君はミスター・パーカーの話を聞いていなかったのかい?」


「……『テレビスターを殺す』という話ですか?」


「そうだよ、雪丸君。ならば正統はライフストリームの中にこそあるべきなんだ。私は日本におけるそれを背負う存在として、さくどん君を選んだのさ。……君もご存知の通り、ライフストリーマーが職業になる日は目前に迫っている。非常に多様な選択肢と方向性を持った職業にね。そうなった際に社会は無茶苦茶で、ルール無用で、混沌としている職業を受け入れてくれると思うかい?」


「だから迎合しろと? ライフストリームでしか出せない面白さを捨てて、社会に許容してもらうために媚びた動画を作れと? 冗談じゃありませんよ、香月社長。私はライフストリーマーとしての誇りを棄てるつもりはありません。」


堂々と語っている雪丸さんだが……むう、どこか香月社長の反論を楽しみに待っているようにも見えるな。一方的に説き伏せたいわけではなく、議論の白熱を歓迎している節があるぞ。もしかすると彼女は論戦の勝利よりも、場が盛り上がることそれ自体を狙っているのかもしれない。


つまり、あくまで今の雪丸さんは『動画を撮っているライフストリーマー』なのか? 自身が勝ちすぎることも、負けすぎることも望んでいないわけだ。彼女が言い放った主義主張に嘘は無いのだろうし、夏目さんにがっかりしているという点も本気なのかもしれないが……この場で起こっていることを動画の素材として見た場合、こうして対等に張り合われた方が面白いはず。


さすがに考えすぎのような気もするが、だけどもしそういう意図を持って行動しているのだとしたら……うーむ、ライフストリーマーとしては超一流だぞ。構成と演者を見事に両立させているな。自らの劣勢すらも、動画を面白くする一要素か。


俺がまさかの思考を脳内で回している間にも、香月社長が口の端を吊り上げて声を上げる。こちらもどことなく楽しんでいる雰囲気だ。


「それでいいよ、君はそうしたまえ。私は君の動画を心底面白いと思っているし、事務所所属のライフストリーマーには出せない魅力を持っていることも理解しているさ。……本当はさくどん君と雪丸君のツートップを纏めて抱えたかったんだけどね。君が今やっている『これ』を、ホワイトノーツの中でやりたかったんだ。だが今の私たちには少々荷が重すぎるようだから、とりあえずはライフストリームそのものをリングに据えておくよ。」


「……野心家ですね。事務所内で完結させようとしていたんですか。」


「諦めてはいないけどね。今はまだ背負い切れないというだけの話さ。いつか君のことも取り込んでみせるよ。……とにかくだ、君はそのスタイルを貫きたまえ。君の面白さに惹かれるライフストリーマーたちは、君が形作る異端の動画を目指していくだろう。大いに結構なことじゃないか。ライフストリームを利用する一人の視聴者として、私はその展開を歓迎するよ。何故ならそういう動画は面白いんだから。」


そこで区切った香月社長は、雪丸さんを一直線に見つめて続きを語った。榛色の瞳を獰猛に輝かせながらだ。


「しかし、正統は我々のものだ。ホワイトノーツは視聴者を気遣い、スポンサー企業に利益を齎し、ライフストリーマーという職業の地位や収入を高め、その上で正統の面白さを持つ動画を追求していくよ。ただ民放を模倣するのではなく、『ライフストリームの正統』を担う動画をね。……私もミスター・パーカーと同じように、人間が夢だけでは生きていけないことを知っているのさ。ライフストリーマーが職業になるためには、現実を背負う誰かが必要なんだ。」


「さくどんさんにそれを背負わせると?」


「違うよ、雪丸君。現実を背負うのはホワイトノーツだ。ライフストリーマーに代わってそれを受け止めるのが、私が志す事務所の役割なんだよ。ライフストリーマーであるさくどん君が魅力的な真実を担い、事務所であるホワイトノーツが妥協や現実を受け持つ。それこそが私の目指す形さ。……悪いが私は強欲なんでね。君のようにどちらかを選んだりはしないんだ。ライフストリームの面白さは保持したままで、社会に胸を張れる職業として成立させてみせるよ。堅固な正統を築き上げることによって、君たち異端を引き立ててあげようじゃないか。」


どちらかを選ぶのではなく、分け合うことで両方を取る。そう豪語した香月社長に、雪丸さんは……おお、嬉しそうだな。今日一番の笑顔で返答を返す。


「……なるほど、なるほど。どうやらホワイトノーツという事務所は、私が思っていたほど腑抜けた企業ではなかったようですね。正統なくして異端は存在し得ないということですか。」


「片方だけでは進歩できないのさ。さくどん君が進む道と、雪丸君が作る道。日本のライフストリーム界にはその両方が在るべきなんだ。我々は後続が歩き易い道を作っていくつもりだが、整った大通りが一本あるだけでは退屈だろう? 裏路地があればこその大通りで、大通りがあればこその裏路地なんだよ。……整然とした明るい賑やかな道と、怪しげな魅力に溢れたごちゃごちゃした道。私はそのどちらもが好きなのさ。視聴者が気分によって歩く道を変えられるようにしていかないとね。」


「……いいでしょう、貴女がたの理念は理解できました。認めるのは癪ですが、確かに日本のライフストリーム界が発展していくためには『大通り』を築く誰かが必要なようです。金儲けしか頭にない木っ端企業が食い込んでくる前に、確たる理念を持つホワイトノーツが先頭に立ったのは歓迎すべき事態なのかもしれません。何せ今のホワイトノーツの儲けは雀の涙程度でしょうからね。それでもこの段階で踏み込んできたという事実こそが、貴女がたの覚悟の強さを証明しています。」


何か、急に褒めてくれるな。大仰な身振りで『認めてあげます』という意思を示すと、雪丸さんは突然夏目さんを指差して大声を放った。


「だがしかし、このまま引き下がるのは何となく面白くありません! 勝負をしましょう、さくどんさん!」


「えっ?」


勝負? いきなり奇妙なことを言い始めた雪丸さんは、自分のビデオカメラが置いてある長椅子に近付いていったかと思えば……ああそれ、雪丸さんのリュックだったのか。女児向けアニメの可愛らしいプリントが入ったリュックの中から、段ボールで出来た箱のような物を取り出して持ってくる。日曜日の朝にやっているやつだ。好きなんだろうか?


「ルールは簡単! この抽選箱の中からお題を引いて、三本勝負で決着を付けるだけです! 雪丸スタジオで一本、さくどんチャンネルで一本、残る一本をどちらで上げるかは相談して決めます! ……さあ、さくどんさん。この五枚の紙に好きな対決のお題を書いてください。私の分は既に中に入っていますから。」


雪丸さんはカメラ目線でハキハキとルールの説明をした後、夏目さんに五枚のメモ用紙とボールペンを渡しているわけだが……この人まさか、さくどんチャンネルと雪丸スタジオの『コラボ企画』をやろうとしているのか? この流れで?


あまりの豪胆さに呆れるべきか感心すべきかを迷っていると、ぽかんとしている夏目さんが渡されたメモ用紙とペンを見て、雪丸さんを見て、そして何故か俺の方を見てきた。困惑の極みにあるようだ。完璧に置いていかれているらしい。


俺としても若干ついて行けていないけど……まあ、夏目さん的にオーケーなら別にいいんじゃないかな。日本個人チャンネルのツートップがコラボするのは悪くない話に思えるぞ。そういった考えから『事務所的には大丈夫です』というアイコンタクトと首肯を送ってやれば、夏目さんは未だ困っている顔付きで壁に紙を当ててお題を書き始める。


「あっ……分かりました、すぐ書きます。」


んー、また『さくどん』の雰囲気から遠ざかってしまっているな。そもそもキャラを作っているわけではないので、そこまで大きな違和感にはなっていないものの、完全に動画外の夏目さんの喋り方と態度だぞ。そんな彼女を横目にしつつ、香月社長が苦笑いで雪丸さんに問いを投げた。


「……雪丸君、君の目的はこれだったのかい?」


「イエスですよ、香月社長。私はさくどんさんが事務所に所属した時、確かに少しだけがっかりしましたが……しかし今なお彼女の動画が好きなんです。であれば共同で動画を作りたいと思うのは当然のことでしょう? 私と彼女が組んで面白くならないわけがありません。『ライバルとの戦い』が盛り上がるのは古来の定番ですよ。」


「大したライフストリーマーだね、君は。参考にしたいから、どこからどこまで読んでいたのかを聞かせてくれたまえ。」


「先ず、さくどんさんがこのフォーラムに来ることは確信していました。知らせが届いた時、私は絶対に参加しようと思いましたからね。都内に住んでいると昔の動画で話していましたし、物理的に来られるのであればさくどんさんほどのライフストリーマーが参加を見送るはずがありません。故に家で企画内容を考えて、段ボールで抽選箱を作って持ってきたんです。」


やっぱり手作りなのか、あの箱。彼女がせっせと作っている場面を想像してしまっている俺を他所に、雪丸さんは自慢げな表情で話を続ける。


「そして投稿理念の違いを論じるという鮮烈な出会いを遂げた後、こうして対決企画を持ち出すわけですよ。どうです? ドラマチックな構成でしょう?」


「……君はひょっとして、企画を持ち込むついでにホワイトノーツを援護してくれたのかい?」


「さて、何のことだかさっぱり分かりませんね。私は私の理念を正直に語っただけですよ。それ以上でもそれ以下でもありません。……どうやら書き終えたようですね、さくどんさん! 私に見えないように四つ折りにして、この中に入れてください!」


「は、はい。」


紙にお題を書いたらしい夏目さんが、香月社長との話を打ち切った雪丸さんに促されてそれを抽選箱に投入するが……『ホワイトノーツを援護』? どういう意味なんだろう? どちらかと言えば批判していたように思えるけどな。


俺が疑問を抱いている間にも、紙が入った抽選箱をよく振った雪丸さんが夏目さんに次なる指示を飛ばした。


「私の企画ですし、先手は貴女に譲りましょう。中から一枚引いてください。」


「あっ、じゃあ……引きます。」


こっくり頷いて抽選箱に手を突っ込んだ夏目さんが、一枚の折り畳まれたメモ用紙を抜き取る。そのまま彼女は紙を開くと、そこに書かれてある文字を読み上げた。ちゃんとカメラに駆け寄って視聴者にも見せながらだ。……混乱していてもそれだけはやるのか。もはや本能だな。


「あ、私が書いたやつですね。……えと、見えるでしょうか? 最初のお題は『ゲーム』です。」


「ゲーム? ゲーム対決ということですか。……少々意外なお題ですね。さくどんさんはゲームが得意なんですか? 実況動画はチャンネルに一本も上がっていないはずですが。」


「いや、あの……あんまりやったことないです。その、咄嗟に。咄嗟に書いちゃって。」


「……参りましたね、私もゲームは苦手なんですよ。どういった動画にすべきかが浮かんできません。」


雪丸さんは色々と考えた上でこういう流れを作り出したらしいけど、この『ゲーム』というお題は彼女にとっても予想外だったようだ。ひくりと顔を引きつらせた雪丸さんが、ちょっと申し訳なさそうな面持ちになっている夏目さんと見つめ合ったところで──


「そのゲーム勝負、私たちが預かります!」


「ちょっ、あんた……何してんのよ。やめなさい、邪魔になるでしょうが。」


やり取りを観察していた通行人たちの中から、小夜さんの手を引っ張りながらの朝希さんが飛び出してくる。また訳の分からない展開になったな。小夜さんは人垣の中に戻りたいようだが、朝希さんはこの状況に適応しているらしい。


そんなモノクロシスターズの二人を目にして、雪丸さんは少しだけ驚いた後……おー、凄い。この不測の事態も動画に組み込むつもりなのか。テンガロンハットを胸に当てて優雅に一礼した。わざわざモノクロシスターズの紹介を挟んでくれてからだ。


「これはこれは、ゲーム実況でお馴染みのモノクロシスターズさんじゃありませんか! 雪丸スタジオの雪丸です。どうぞよろしくお願いします。」


「モノクロシスターズの朝希と……ほら小夜ち、挨拶は? 『小夜です』って。もっかいやるよ? モノクロシスターズの朝希と──」


「……小夜です。よろしくお願いします。」


「よろしくお願いします! 二人はゲームが苦手みたいなので、ゲーム実況に詳しい私たちが対決の場を用意します!」


朝希さんの元気な声での提案を受けると、雪丸さんは短くだけ黙考してから返事を口にする。……朝希さん、やるな。雪丸スタジオへの露出を狙ったのか。あるいは天然から来る行動だったのかもしれないが、何にせよチャンネル名を出すことは叶ったぞ。


「しかし、お二人はさくどんさんの事務所の後輩でしょう? 任せてしまえば、彼女に有利なゲームを選ぶんじゃありませんか?」


「そんなことしません! 公平にさくどんさんも雪丸さんもやったことないゲームにします! ……大体さくどんさんはゲーム初心者なので、『有利なゲーム』なんて存在しないですよ。何でゲームをお題にしたのか謎なくらいです。」


「……だからあの、咄嗟だったんです。焦ってたんですよ。」


来る前にファミリーレストランでゲームの話をしたから、パッと思い出してしまったのかな? 恥ずかしそうな声色の夏目さんの弁解を背に、雪丸さんが首を縦に振って了承を返す。いいのか。ゲームとなると機材や権利関係が複雑だし、モノクロシスターズに投げてしまった方が良いと判断したのかもしれない。


「なら、一戦目の仕切りはモノクロシスターズさんにお任せします! 撮影日や場所は相談して決めましょう。これが私の連絡先です。……それでは、失礼!」


うーん、疾風のように去るな。夏目さんに連絡先が書いてあるらしい紙を渡した後、抽選箱をリュックに仕舞ってカメラを回収した雪丸さんは、建物の出入り口に向かって颯爽と歩き……うわぁ、歩き出そうとしたところで長椅子に脛をぶつけたぞ。かなり強めにだ。


「っ! ……さらば!」


痛そうな顔で目を瞑って暫く静止していたかと思えば、フッと笑って別れを言い直して今度こそ屋外へと去っていく雪丸さんだが……痣になる勢いのぶつけ方だったな。あんなの絶対に痛いはずだぞ。重そうな長椅子が少し動いていたし。


帽子も、口調も、リュックも、性格も、そして去り際も独特な人だったなと見送りつつ、夏目さんに歩み寄って声をかけた。外を歩く雪丸さんの姿をまだ窓越しに確認できるのだが、彼女はビデオカメラで『自撮り』をしながら喋っているようだ。動画を締めているのかもしれないな。


「あーっと……何だか、凄い人でしたね。お疲れ様です。」


「……私、びっくりしちゃって。それで上手く話せませんでした。もっときちんと反論したかったし、対決の提案にもライフストリーマーとして対応すべきだったのに。なのに私、全然喋れなかったんです。」


落ち込んでいるのか? 視界から消えていく雪丸さんを悔しそうに見ていた夏目さんは、小さくため息を吐いて壁に寄りかかりながらポツリと呟く。


「私、負けたんだと思います。ライフストリーマーとして雪丸さんに負けました。あそこで香月さんが来てくれなかったら、ひどい動画になってたはずですから。ホワイトノーツを悪く言われたのも、つまらなくなっていくって言われたのも悔しいですけど……でも、一番悔しいのは最後まで『さくどん』になり切れなかったことです。『動画にしても構わないでしょうか?』って聞かれたその瞬間から、私はさくどんとして話すべきだったんですよ。」


「……いきなりのことでしたし、仕方ないんじゃないでしょうか?」


「けど、雪丸さんは多分できます。私がいきなり動画を回し始めても、雪丸スタジオの雪丸さんとして話し出せるはずです。それは何となく伝わってきました。……誰がどう見たって完敗ですよ。」


とうとうしゃがみ込んで頭を抱えてしまった夏目さんへと、近付いてきた香月社長が話しかけた。……そこに落ち込んでいたのか。たとえ圧倒されるにせよ、『さくどん』として圧倒されるべきだったと。彼女は『夏目桜』のままで動画に映ってしまったことを悔いているらしい。


「上には上があるものさ。確かに君はライフストリーマーとして雪丸君に負けた。そこはまあ、私も同意しようじゃないか。彼女はどうも、動画で見る以上に大した人物だったようだね。……だが、挽回の機会は残っているよ。対決企画の中で取り返したまえ。恐らく雪丸君の方もそれを望んでいるはずだ。」


「……はい。」


俯いたままの夏目さんの返答を耳にしつつ、俺もこっそりため息を吐く。あれが現時点日本一のライフストリーマーか。自身を動画内の演者の一人に落とし込んだ上で、全体の流れをある程度コントロールしていたな。単純に登録者数イコール実力だとは思っていないが、少なくとも雪丸さんの場合は相応の力を持っているらしい。


フォーラムの最後の最後で貴重な敗北を得た夏目さんを見つめながら、困った気分で腰に手を当てるのだった。

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