Ⅲ.雪丸 ②



「駒場さん、おはようございます! ……私、助手席ね。」


うーむ、立ち直りが早いな。元気良く挨拶をしながら車に乗り込んできた朝希さんに、俺は笑顔で応答を返していた。昨日は小夜さんに怒られて口数が少なめだったのだが、一晩寝たらすっかり回復したようだ。何とも微笑ましい変化だぞ。


「おはようございます、朝希さん。……小夜さんもおはようございます。」


「おはようございます。……この格好で大丈夫ですよね? もっとフォーマルな方がいいですか? ダメそうならササッと着替えてきますけど。」


「いえいえ、ラフな格好で問題ありませんよ。他の参加者もそういった服装で来ると思いますから。私がスーツなのは、一応企業として招待されているからです。」


つまるところ、今日の十三時半から六本木の会場で開かれるディヴィジョンフォーラムに参加するために、モノクロシスターズの二人を迎えに来たのだ。現在の時刻は十一時前とかなり早めなのだが、昨日話し合った結果夏目さんを拾った後で昼食を食べつつ打ち合わせをすることになったので……まあ、それが終わる頃にはちょうど良い時間になっているはず。


脳内で予定を確認しながら答えた俺へと、薄いグレーのブラウスに白のロングスカートを合わせている小夜さんが頷いてくる。ちなみに朝希さんは半袖の黒いパーカーにハーフパンツとスニーカーという格好だ。被っているキャップが可愛らしいな。ロバのような耳がぴょこんと付いているぞ。俺が身に着けたら白い目で見られそうだし、ああいうのは若者にのみ許されるファッションなのだろう。


「大丈夫そうなら良かったです。念のためメモ帳も持ってきましたし……あ、ペン。すみません、ペンを忘れました。取ってきます。」


「ボールペンを三本持っているので貸せますよ。他に忘れ物はなさそうですか?」


「他には無いと思いますけど……駒場さん、三本も持ち歩いてるんですか。慎重ですね。」


「予備と、予備の予備です。失くした時に大変ですから、常に内ポケットに入っています。……では、出しますね。」


慎重というか、心配性なのだ。その所為で学生の頃から色々な物を持ち歩いていたな。『駒場の鞄、やけに重いよな』と学友に言われていたっけ。お陰で助かったことは多々あるが……しかし、トータルで見ると損をしているのかもしれない。もっと豪快に生きてみたいぞ。


豪快という熟語から香月社長を連想してしまっている俺に、朝希さんが足をパタパタさせつつ話しかけてきた。


「香月さんと風見さんは別行動なんですよね?」


「はい、会場で合流する予定です。風見さんが社長を回収して、直接向かうと言っていました。」


「そこはちょっと残念です。みんなでご飯を食べるのも面白そうなので。……けど、さくどんさんと会えるのはわくわくします!」


「夏目さんも同じ気持ちだと思いますよ。……昼食はどうしましょう? 何か食べたい物はありますか?」


車を来客用駐車スペースから出して大きな道路を目指しつつ問いかけてみれば、朝希さんはにぱっと笑って返事をしてくる。一ノ瀬家から夏目家に行くのは初めてだし、素直に分かり易い道を通ろう。急がば回れだ。


「ファミレスが良いです! 何でもあるので。」


「朝希、こういう時はさくどんさんに合わせるべきでしょうが。……私たちはどこでも平気です。姉が多めに昼食代をくれましたから。」


「いやまあ、私が出しますよ。場所は夏目さんと相談して、そこで好きな物を食べてください。」


幾ら何でも十三歳の中学生と『割り勘』をしたりはしないぞ。そんなの情けなさすぎるじゃないか。痩せ我慢の甲斐性を示した俺に、後部座席の小夜さんがぺちぺちと運転席のヘッドレストを叩きながら注意してきた。


「はい、甘やかし警報発令です。甘やかし法違反ですよ、駒場さん。これで今月十回目じゃないですか。」


「……しかしですね、社会人として未成年に食事を奢るのは普通のことですよ。甘やかしというか、常識の行動です。」


「じゃあ、ありがたくいただいてはおきますけど……でも十回目の罰則は消えませんよ。どこかのタイミングで私が駒場さんを甘やかし返しますから、そのつもりでいてください。無条件で受けてもらいますからね。」


「……分かりました。」


ちょびっとだけ悪戯げな笑顔で言ってきた『甘やかし警察』へと、首を傾げながら了承を飛ばす。権利を分立できていないとこういうことになってしまうわけか。立法権と執行権を分けて欲しいぞ。このままでは小夜さんの思うがままだな。


以前俺の『甘やかし』を管理すると宣言した小夜さんは、時折こうして甘やかし警報を発令してくるようになったのだ。どうも月に五回発令されると俺は一回肩揉みをされて、十回発令されると彼女から一回甘やかされてしまうらしいのだが……改めて奇妙なシステムだな。俺が二人を甘やかすほどに、小夜さんから甘やかされるわけか。


よく分からない気分になっている俺を見て、小夜さんがご機嫌な様子で話を続けてきた。……まあでも、楽しそうだし別にいいか。ちょっとしたスキンシップって感じなのかな。


「何をして欲しいですか? 希望は受け付けますよ。」


「あー……例えば、お茶を淹れてもらうとかですかね?」


「そんなの甘やかしじゃありません。レベルが低すぎます。……耳かきとか、してあげましょうか? 男の人ってああいうのが好きなんですよね? そのくらい過激じゃないと罰になりませんし、仕方ないから我慢してやってあげますよ。」


耳かきって、『過激』なのか? 若干赤い顔で謎の発言を寄越してきた小夜さんに、俺が反応しようとしたところで……ムッとした表情になっている朝希さんが割り込んでくる。


「小夜ちだけ駒場さんと仲良くしててズルいよ。私もやる。」


「あんたは引っ込んでなさい。これは私と駒場さんの問題なの。甘やかされ屋のあんたは、甘やかしを行使する権限を持ってないのよ。」


「意味分かんないよ、小夜ち。何言ってんの? ……『我慢』ってことは、小夜ちは駒場さんに耳かきしたくないんでしょ? 私はしたいもん。だから代わりにやってあげる。」


「しっ、したくないわけじゃないわよ。したいわけでもないけど、したくなくもないの。……この前一緒に肩揉みさせてあげたでしょ? だったら今回は諦めなさい。あんたに耳かきはまだ早いわ。お子様朝希じゃ肩揉みが精々よ。」


小馬鹿にするように小さく笑った小夜さんを目にして、朝希さんはぷんすか怒りながら反論を繰り出した。毎度お馴染みの『じゃれ合い』が始まったらしい。


「私、お子様じゃないもん! ぴったり同い年じゃん。私がお子様なら、小夜ちもお子様だよ。」


「生まれたのは同時でも、私はあんたより精神的に先行してるのよ。……駒場さん、朝希はお子様ランチが食べたいみたいです。私はもっと大人っぽい物を食べますけどね。ピカタとか、ガレットとかを。」


「大人振らないでよ。ピカタなんて食べたことないじゃん。っていうか、ピカタって何さ。……昨日魚を上手く食べられなくて、お姉ちゃんに呆れられてた癖に。私もお姉ちゃんも綺麗に食べられるのに、どうして小夜ちだけダメなんだろうって。」


「ちょっとあんた、駒場さんの前で余計なこと言わないでよ! ……綺麗に食べられないなら、骨ごと食べればいいだけの話でしょ。食べてやるわ。そしたら骨を残すあんたの方が下になるんだからね。」


いやいや、骨は食べないで欲しいぞ。喉に刺さったら大変じゃないか。……それより、ピカタって何だっけ? 聞き覚えはあるけど、俺もどんな料理なのかがパッと浮かんでこないな。後で夏目さんに聞いてみよう。料理に詳しい彼女なら知っているだろうし。


俺が内心の疑問を棚上げしている間にも、朝希さんが唐突に話題を切り替える。全く別の方向にだ。


「丸ごと食べてたらペンギンと一緒じゃん。小夜ち、ペンギンなの? ……私、ペンギン見たくなってきたかも。水族館行きたい。」


「あんたの頭の中、どうなってんの? 何をどうしたらそう繋がるのよ。また脳みそ通さないで反射で喋ってるでしょ。……水族館は私も行きたいけど、ペンギンは見たくないわ。目が怖いし、頭が悪そうだから嫌いなの。あんな連中はアザラシに食われておけばいいのよ。」


「うわ、ひど。超邪悪。そんな残酷なことよく言えるね。ペンギンが可哀想じゃん。……あっ、思い出した。小夜ち、ちっちゃい頃にペンギン見て泣いてたよね。お姉ちゃんと三人で水族館に行った時、怖がってポロポロ泣いてたはずだよ。何だっけ? アデリーペンギン? あれが嫌いなんでしょ? 泣き虫だったよね、小夜ちは。」


「そうよ、そいつ。アデリーペンギン。目がとにかく怖いの。人殺しの目なのよ。……ちなみにあんたも泣いてたからね。それまで楽しそうにしてたのに、私が泣いてるのを見た途端に泣き始めたんだから。そして次の瞬間にはでっかいペンギンを見つけてけろっとはしゃぎ出したわ。私は妹の感情の変化が急すぎて、幼心に『ヤバいな、こいつ』と思ったもんよ。」


うーん、面白い思い出話だな。きっと幼い頃の朝希さんは、小夜さんが泣いているのを目撃して急に悲しくなってしまったのだろう。突如として始まった双子の昔話をBGMにしつつ、夏目家目指して車を走らせていく。……もしかするとこういう二転三転する会話が、モノクロシスターズの魅力の一つなのかもしれない。意識してどうこう出来る部分ではなさそうだけど、動画内でも是非出していって欲しいトークスタイルだぞ。今後何かに活かせるかもしれないし、頭の片隅にでも置いておくか。


───


その後二人の幼少期の話が一段落したところで、ちょうど到着した夏目家の前に車を寄せてみると、そこで待っていた夏目さんが小走りで車に駆け寄ってきた。今日の彼女は薄めの黒いパーカーにジーンズという出で立ちだ。いつもの黒いリュックサックも持っているな。


「……おはようございます、駒場さん。小夜ちゃんと朝希ちゃんもおはようございます。」


一度助手席に乗り込もうとして朝希さんが乗っているのに気付いた後、後部座席のドアを開いて声をかけてきた夏目さんに、俺たち三人も挨拶を返す。こうなってくると軽自動車は少し狭いな。趣味的にも実用的にも新しい車が欲しいぞ。あと三ヶ月でリース期間が終わってしまうし、新車購入を視野に入れるべきかもしれない。


「おはようございます、夏目さん。」


「おはようございます、さくどんさん。……朝希、私の荷物そっちの足元に置いて。」


「うん、分かった。おはようございます、さくどんさん! パーカー、お揃いですね。」


「色まで被っちゃいましたね。被ったって言ってもまあ、朝希ちゃんのパーカーの方がずっとお洒落ですけど。」


小夜さんが荷物を退けた席に乗り込みながら、自分の無地のパーカーを見下ろして苦い笑みを浮かべている夏目さんへと、助手席に膝立ちになる形で後ろを向いた朝希さんが口を開く。尊敬する先輩と話したくて仕方がないようだ。


「無地も大人っぽくてカッコいいです! 私、前まではあんまりパーカー着なかったんですけど、さくどんさんがよく着てるから着るようになりました! ……お昼、何食べたいですか?」


「朝希、姿勢。ちゃんと前を向いてシートベルトを締めなさい。駒場さんが車を出せないでしょうが。」


「えと、お昼ご飯は朝希ちゃんと小夜ちゃんの希望でいいですよ。私は何でも大丈夫なので。」


「じゃあやっぱりファミレスですね。……駒場さん、決定しました! 行き先はファミレスです!」


うーむ、朝希さんのようなタイプが居ると助かるな。俺も夏目さんも、そして恐らく小夜さんも『何でもいい派閥』の人間だ。目的地をビシッと決めてくれるのはありがたいぞ。経験上こういう時に何でもいい派閥の人間しか居ないと、迷いやら遠慮やらで結構な時間を食ってしまうはずなのだから。


「はい、了解しました。出しますね。」


出発進行と言わんばかりに前方を指差した朝希さんに首肯してから、ウィンカーを出して車を走らせ始めた。この辺りには詳しくないが、ファミリーレストランなら大きな通りを走行していれば出会えるはずだ。最初に見つけた店に入るとしよう。


思案しながらハンドルを操作していると、後部座席の会話が耳に届く。小夜さんの声がだ。


「さくどんさん、荷物は真ん中に置いても大丈夫ですよ。私、こっちに寄れるので。」


「あっ、はい。ありがとうございます、小夜ちゃん。」


「……あと、敬語じゃなくても平気です。年下ですし、後輩なんですから。」


「んっと、これは癖みたいなものなんです。私、赤ちゃん相手にも敬語で話しちゃいますから。だからその、気にしないでください。」


赤ちゃんにもか。赤ん坊相手に敬語で喋りかけている夏目さんを想像して、確かにあまり違和感はないなと納得していると、今度は助手席の朝希さんが質問を放った。


「さくどんさんの家、赤ちゃんが居るんですか?」


「ああいや、親戚の赤ちゃんとかの話です。家族に対しては敬語じゃないですし、私の家には両親と妹しか居ません。妹は中二なので、朝希ちゃんたちと同い年ですよ。」


「本当ですか? 会いたいです!」


「あの、はい。機会があれば。……妹は朝希ちゃんたちが通ってる学校の高等部を受験するつもりらしいので、ひょっとすると同じ学校になるかもしれません。そしたらよろしくお願いします。」


おー、そうだったのか。あの高校に外部から入るのは、かなり難易度が高そうだな。真後ろの小夜さんもそう思ったようで、少し驚いた顔で相槌を打つ。


「うちの高等部を目指しているんですか。そうなるとさくどんさんの妹さん、凄く頭が良いんですね。私たちはエスカレーターだから楽ですけど、外から入ってくるとなるとそこそこ倍率が高いはずですから。中三の内申も重要になってきますし。」


「身内が言うのも何ですけど、成績はそれなりに良いんだと思います。夏休みも夏期講習で忙しいみたいですし、私とは大違いの出来た妹なんです。」


叶さんは頭が良かったのか。何となくそんな雰囲気はあったし、すんなり腑に落ちるぞ。にしたって夏期講習は大変そうだなと同情していると、朝希さんが興味津々の面持ちで新たな問いを投げた。夏目さんのことをもっと知りたいらしい。質問ラッシュだな。


「さくどんさんはどこの高校なんですか? この前会った時に十七歳って言ってましたし、高校生なんですよね?」


「あっ……私はあの、高校を辞めちゃったんです。なので今は学校に行ってません。」


「高校を? でも、どうして辞めちゃったんですか?」


「こら、朝希! 無遠慮に踏み込まないの!」


これはまた、ストレートに聞いたな。朝希さんなればこそ出来ることだぞ。小夜さんが鋭い口調で制止したのを受けて、朝希さんは目をパチパチさせながら小首を傾げる。


「けど私、ちょっと気になっただけだよ? どうしてなのかなって。」


「それは分かるけど、でもこういうことは……あれなの、軽々しく聞くべきじゃないの。すみません、さくどんさん。無視して大丈夫ですから。」


「……さくどんさん、ごめんなさい。私、おバカだから。時々余計なこと言っちゃうんです。嫌いにならないでください。」


小夜さんの声のトーンから何かを感じ取ったようで、分かり易くしょんぼりしながら謝る朝希さんへと、夏目さんが大慌てでフォローを送った。さっきまで満開のヒマワリみたいだった朝希さんが、一分咲きのタンポポくらいになってしまったな。心なしか帽子の耳がぺたんとしているように見えるぞ。


「いやいやいや、そんなに落ち込まないでください。嫌いになんてなりません。私が学校を辞めたのはその、何て言うか……全然大したことない理由ですから。それよりほら、コラボ。コラボ動画についてを話しましょう。」


むう、強引に話題を変えたな。……やはり詳細を話したくはないようだ。俺もどのタイミングで尋ねるべきかと迷っていたのだが、暫くは触れない方がいいらしい。無理に聞き出す必要は特にないわけだし、今後も『高校』に関する話題は避けておこう。


脳内にしっかりと注意事項を刻みつつ、見えてきたファミリーレストランの看板を指して車内に呼びかける。良いタイミングで見つかってくれたな。ややぎこちない空気になっているし、一度流れを切らせてもらおう。


「続きはあのファミリーレストランの中ででいいですか? 有名なチェーンですし、メニューも揃っていると思いますよ。」


「あっ、私はそこで大丈夫です。」


「私も問題ありません。……いいわよね? 朝希。」


「うん、いい。」


うわぁ、朝希さんが落ち込んじゃっているぞ。しゅんとした声色で言葉少なに答えたし、間違いなく『反省モード』に突入しているな。夏目さんもそれを察知したようで、非常に申し訳なさそうな顔付きになっている中……小夜さんが引きつった笑みで明るい声を上げた。無理にでも雰囲気を変えるべきだと判断したらしい。


「私……えっと、楽しみだわ。ファミレスは久し振りだから、何を食べようか迷うわね。朝希は何がいい?」


「……ハンバーグ。」


「ああ、ハンバーグ。ハンバーグはいいわね。私もハンバーグにするわ。ハンバーグは美味しいもの。それにほら、ハンバーグは……あの、アメリカンだから。駒場さんは何にしますか?」


ドイツ発祥だぞ、ハンバーグは。必死に話を盛り上げようとしている小夜さんに振られて、ファミリーレストランの駐車場に車を入れながら応答する。彼女の努力と勇気は認めたいが、こういう役回りはあまり得意ではないらしい。見事に空回っているな。ハンバーグのごり押しじゃないか。


「私はご飯ものにしたいですね。今の気分に合う一品があることを願います。……到着しましたし、行きましょうか。」


「ほらほら、着いたわよ朝希。降りましょう。楽しみね。あー、楽しみだわ。」


小夜さんがどこか乾いた響きで言うのと同時に、全員で車を降りて店へと歩き出す。地獄のような昼食のスタートになっちゃったな。朝希さんが自分の不用意な発言に落ち込み、年少の彼女を落ち込ませてしまった夏目さんが自己嫌悪状態に陥っているぞ。


ただ、一番キツいのは間で挽回しようとしている小夜さんだろう。彼女は駐車場を進みながら朝希さんを見て、夏目さんを見て、そして俺に『傍観していないで助けろ』の目線を向けてきているわけだが……何とまあ、崖っぷちの面持ちじゃないか。上司と部下に挟まれた哀れな中間管理職の表情だ。


俺も外側から眺めている場合じゃなさそうだなと覚悟を決めて、入店して席に案内された直後に声を放った。ちなみにテーブル席の片側に俺と夏目さんが座り、もう片方に小夜さんと朝希さんが居るという状況だ。妥当な席順だと思うぞ。


「まだ空いていて良かったですね。もう少し経ったら混んでくるでしょうし、待つ羽目になっていたかもしれません。……では、早速コラボ動画に関してを話し合いましょうか。モノクロシスターズ側の企画は決まっているんですよね?」


「はい、決まってます。朝希、二人で相談して決めたわよね? 何にするんだった? あんたが発表していいわよ。」


「……さくどんさんと、ゲーム。」


「そうなんです、三人でゲームをしたくて。それでジャンル毎にいくつか候補を決めたんですけど、さくどんさんは得意なゲームとかってありますか?」


朝希さんのローテンションっぷりにひくりと口の端を震わせた小夜さんの問いに、夏目さんが困ったような顔で応じる。


「ゲームは……えと、あんまり得意じゃないですね。ずーっと前に妹とレースのゲームをしたことがあるくらいです。」


「FPSとかは全然しない感じですか?」


「えふぴーえす? ……あっ、『銃のゲーム』ですか。そういうのは小夜ちゃんたちのチャンネルとかで見るだけです。やったことはありません。」


夏目さんの口振りから彼女が相当な『ニュービー』であることを読み取ったようで、小夜さんは平時より噛み砕いた表現で続きを語り始めた。夏目さんは今日日珍しいほどにゲームに馴染みがないらしい。『銃のゲーム』という言い方がそれを物語っているな。


「だったら、パーティー系のゲームはどうでしょう? コンシューマー機……家庭用のゲーム機なら三人でやるのも簡単ですし、撮影する頃には録画できるようになってるはずですから。パーティーゲームっていうのは要するに、人生ゲームとかモノポリーのテレビゲーム版ですね。」


「えっと、『桃太郎電鉄』とか『マリオパーティ』みたいなゲームですか? それなら両親と妹がやってるのを見たことがあります。」


「そうですそうです、そういうのんびりしたタイプのゲームです。パーティーゲームなら複雑な操作は必要ありませんし、ゆっくりプレイできるから慣れてなくても楽しめると思うんですけど……どうでしょう?」


「私はかなりのゲーム初心者なので、簡単なゲームなのは助かります。……でも、権利関係は大丈夫ですか?」


のんびりしているかな? 俺は小学生の頃に桃太郎電鉄をやって、友人と大喧嘩になったことがあるぞ。……まあ、この三人なら平気か。まさか子供の頃の俺みたいな展開にはならないはずだ。つくづく子供らしい子供だったな、俺は。


遠き日々を懐かしんでいる俺を尻目に、小夜さんが一つ頷いて返答する。


「大丈夫です。私たちが選んだゲームは非営利なら……つまり、広告さえ付けなければライフストリームでの動画化の許可が出てます。『カウントフューチャー』ってシリーズ、知ってますか? 結構有名だと思うんですけど。」


「……すみません、知らないです。」


「あっ、そうですか。……まああの、ほぼほぼ人生ゲームです。サイコロを振ってマスを進んでいって、イベントとかを起こしてお金を稼いで、ステータスを上げてキャラを成長させたり、ミニゲームでボーナスポイントを取り合ったりもして、最終的に一番金持ちだった人が勝ちって内容のゲームですね。そのシリーズの4をやろうと思ってます。」


「あー……はい、何となくイメージできます。そういうゲームだったら私にも出来るかもしれません。」


若干自信なさそうに首肯している夏目さんだが……カウントフューチャーは『子供でも楽しめます』って部類のゲームだし、心配しなくても大丈夫だと思うぞ。それにパーティーゲームなら自然と会話が生まれるだろうから、話題に困るという展開も避けられるはず。ベストな選択だと言えそうだ。


二人のチョイスに感心していると、小夜さんが夏目さんに追加の説明を投げた。


「発売が二年前なので、ちょっと古いゲームではあるんですけど……でも、まだまだ楽しめると思います。次回作が来年の春発売って発表されたばかりですから、タイミング的にも悪くないはずです。パーティーゲームだったら動画映えしますし、モノクロシスターズ側の動画では『カウントフューチャーを三人で喋りながらやる』って内容でいきたいんですけど、それで問題なさそうですか?」


「はい、問題ありません。面白い動画に出来そうな気がしますし、それでいきましょう。……朝希ちゃん、一緒に遊んでくれますか? 私は多分へたっぴですけど、頑張ってみますから。」


小夜さんに了承してから優しい笑顔で語りかけた夏目さんに、朝希さんが少しだけ元気を回復させてこくこく頷く。


「ぁ……やりたいです! 私、さくどんさんと一緒にゲームしたくて。それでずっとコラボできるのを楽しみにしてました。」


「私もすっごく楽しみにしてましたよ。スポンサー動画があったから延期になっちゃいましたけど、今度こそみんなで良い動画を撮りましょう。色々教えてくださいね。」


「私、私……教えます! 小夜ちは意地悪だから、きっと初心者のさくどんさんを狙うはずです! だから私が守ります!」


グッと拳を握りながら宣誓した朝希さんへと、小夜さんがホッとしたような苦笑いで突っ込みを入れた。俺も安心したぞ。夏目さんのお陰で朝希さんの明るさが戻ってきたようだ。


「何よその『きっと』は。そんなことするわけないでしょ。……ちなみにですけど、さくどんさんはどんな企画を考えてきてくれたんですか?」


「私はやっぱり料理ですね。さくどんチャンネルでは三人で料理対決をする動画を、撮って……みたいんですけど。」


双子の反応を見て段々と勢いを失っていった夏目さんの提案に、小夜さんが目を逸らしながら小さく呟く。もしかして、モノクロシスターズの二人は料理が苦手なのか? 朝希さんも途端に渋い顔になってしまったな。


「……料理ですか。」


「あの、小夜ちゃんたちはあんまり料理しませんか?」


「小学校の家庭科の授業でカレーを作りました。それが私たちの料理経験の全てです。厳密に言えばカレーも『作った』っていうか、同じ班の子の手伝いをしただけですけど……朝希はどうだったの?」


「私、じゃがいもとニンジンを切ったよ。……それだけ。あとは全部美咲ちゃんがやってくれたから。大きめに切ってねって言われてザクザク切って、完成したカレーを食べただけで終わっちゃった。」


小夜さんと朝希さんが料理の経験を殆ど持っていないことと、そして『美咲ちゃん』なる人物が料理上手だってことは伝わってきたぞ。判明した二人の料理スキルに俺が唸っている間にも、夏目さんが悩んでいる時の声色で相槌を打った。


「それなら……そう、料理教室。料理教室の動画にしましょう。二人に共通する好きな料理、何か思い付きますか?」


「共通してるのは……姉が作るお雑煮と、カレーと、おでんですね。あとお好み焼きも好きです。私は広島風派で、朝希は関西風派ですけど。姉がホットプレートで別々に作ってくれるんですよ。」


「それと、お姉ちゃんが作るグラタンとバナナケーキも好きです。あとあと、コロッケとハンバーグも。」


「つまり、二人は基本的にお姉さんの手料理が好きなんですね。」


微笑ましい好物だな。柔らかい笑顔で纏めた夏目さんは、少しだけ困ったように眉根を寄せて続きを話す。母の味ならぬ姉の味か。レパートリーも豊富なようだし、お姉さんは料理が得意らしい。


「お姉さんの味に勝つのは不可能でしょうし、悩むところですね。そういう料理は私が教えるよりも、お姉さんに教わるべきだと思うので……んー、難しいです。」


「では、二人のお姉さんの好物を作ってみるのはどうですか? 夏目さんに習ってこっそり練習して、家で改めて作って食べてもらうんです。」


「うあ、良いですね。それ、凄く良いです。そういうの、燃えます。」


そっと出してみた俺のアイディアに夏目さんが賛成してくれたのと同時に、モノクロシスターズの二人も賛同を寄越してくる。朝希さんはキラキラした笑顔で、小夜さんはちょびっとだけ恥ずかしそうな面持ちでだ。


「私も賛成です! いいよね? 小夜ち。お姉ちゃん、喜んでくれるかも!」


「まあ、そうね。いいんじゃないかしら。私たちじゃお姉ちゃんほど上手く作れないだろうから、喜んでくれるかは分からないけど。」


「お姉さんは絶対に喜んでくれますよ。全財産を賭けてもいいです。」


嬉しいはずだぞ。親代わりとして育ててきた中学生の妹二人が、自分に料理を作ってくれたら喜ばないわけがない。俺なら感極まって泣くかもしれないな。たとえ焼け焦げて炭みたいになっていたとしても、この世で一番美味しい料理に感じられるはずだ。


自信を持って強く断言してやれば、小夜さんは気圧されたように目を瞬かせて応答してきた。


「そ、そうですかね? ……けど、姉の好きな物ですか。ちょっと難しいです。私たちと違って好き嫌いが全然無くて、何でも美味しいって食べる人なので。」


「小夜ち、あれは? あら汁と海鮮丼。お姉ちゃん、いつも食べたいって言ってるじゃん。テレビとかで映る度に、『あーもう、北海道に行きたいわぁ』って。」


「北海道に行きたがってるのは現実逃避だと思うけど、一応好物と言えば好物なのかもね。……姉は和食全般が好きなのかもしれません。特に魚を使った料理が。外食の時はぶり大根とか、秋刀魚の塩焼きとか、鯛のお刺身とか、鯖の味噌煮とかをよく選んでますから。」


うーん、王道の好みだな。俺も魚系の和食は好きだぞ。もう名前の時点で全部美味しいじゃないか。小夜さんの推理を耳にして、夏目さんがやる気になっている表情で大きく首を縦に振る。


「分かりました、和食ですね。そういうことなら朝希ちゃんには海鮮丼とあら汁をやってもらって、小夜ちゃんにはバランスの良い魚系の定食を作ってもらいます。季節に合わせたメニューを考えてみるので、楽しみにしておいてください。」


「……私と朝希で一食分を作るんじゃないんですか?」


「それぞれ一食作ってみて、交換して食べた方が動画的に面白いですよ。頑張って教えますから、お家でお姉さんにも作ってあげてくださいね。」


「……はい。」


互いの顔を見て不安そうになっているモノクロシスターズを他所に、夏目さんは決意の面持ちで黙考し始めた。もうメニューについてを思案しているらしい。……彼女はこの前会った時にモノクロシスターズの事情を軽くだけ聞いているので、お姉さんには是非とも美味しい手料理を食べてもらいたいのだろう。モチベーションがぐんぐん上がっているようだ。


「朝希、変なの作らないでよ? せめて食べられる物にしてよね。」


「小夜ちこそ大丈夫? 美味しくなかったらお姉ちゃんには出さないからね。……そもそも小夜ちって、魚さばけるの? 焼き魚すら綺麗に分けられないのに。」


「ちょっと、蒸し返さないでよ。焼き魚と生魚は違うでしょ。箸でやるから難しいんであって、包丁だったら魚くらい簡単にさばける……はずだわ。あれでしょ? 三枚にするやつでしょ? あんなの楽勝よ。さくどんさんの動画でススッとやってたもの。それよりあんたこそ酢飯をきちんと作れるの? 海鮮丼って酢飯なのよ?」


「出来るもん。ご飯に酢を入れて、混ぜればいいだけでしょ? ……違うの?」


違うと思うぞ。俺も料理はさっぱりだから確たることは言えないが、まさかそんな単純な作り方ではないだろう。先ずすし酢を作る必要があるんじゃなかったか? どこかで手に入れた薄い記憶によれば、砂糖と塩を使う……はずだ。多分。


二人の会話から先行きの不安をひしひしと感じつつ、メニュー表を配ってテーブルに言葉を放つ。


「まあ、とりあえず今食べる物を注文しましょう。何事も腹拵えをしてからですよ。」


「はーい。……私、和風ハンバーグにします。ライスのセットで。あとドリンクバーも。」


「私は……ちょっと待ってくださいね、すぐ決めますから。」


即決した朝希さんを目にして焦った顔付きになった小夜さんがメニュー表を開き、彼女の声を聞いた夏目さんもハッとしたように注文する品を選び始めた。即座には決められないが、しかし他の人を待たせたくもないのだろう。分かるぞ、その気持ち。


何にせよ、これなら良い雰囲気で昼食を食べられそうだな。スタートで派手に躓いてしまったものの、どうにか巻き返すことが出来たようだ。……とはいえ、今日の本番はむしろディヴィジョンフォーラムだぞ。この四人での打ち合わせはどちらかと言えば『前哨戦』なのだから、しっかり食べて万全の状態で会場に向かわなければ。


濃い土曜日になりそうなことを予感しつつ、俺も豊富なメニューの中から料理を選び始めるのだった。

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