雪丸
Ⅲ.雪丸 ①
「駒場さん、駒場さん! いぇい!」
おっと、今日はいつにも増して元気だな。事務所に入ってきた途端にピースサインを突き出してきた朝希さんへと、
「あー……はい、おはようございます。」
「もう、そうじゃないです。香月さん、風見さん、いぇい!」
何が『そうじゃない』んだ? 謎のダメ出しをされてきょとんとしている俺を他所に、事務作業中の香月社長と風見さんが『正解の反応』を朝希さんに返した。
「いぇいだね、朝希君。解放の喜びが伝わってくるよ。」
「朝希ちゃん、いぇいです。夏休み突入おめでとうございます。」
「はい、これでやっとライフストリームに集中できます!」
「朝希、やめなさい。はしゃぎすぎよ。……おはようございます。」
ワンテンポ遅れて入室してきた小夜さんが、小さく飛び跳ねて歓喜を表現している朝希さんに注意を送りつつ、俺たちへと挨拶を放ってくるが……そうか、明日から夏休みか。どうやらその『いぇい!』だったらしい。であれば確かに俺の反応は不正解だな。
七月最後の金曜日である、二十九日の夕刻。現在の俺たちはエアコンが効いたホワイトノーツの事務所内で、日々の雑務をせっせと処理しているところだ。特殊な業種なので他と比べるとまだマシだろうが、それでも月末の金曜日は少しだけ忙しくなるぞ。
『さくどん』こと
今のところスポンサー案件は六月にあった豊田さんのキャンプ用品の動画と、今月の中頃にあった夏目さんの虫除けスプレーの動画だけだ。案件がもっと入ってくればマネージャーとして多忙になれそうだけど、現状からだと少し遠い未来に思えるぞ。
いやいや、そういう気持ちじゃダメだな。受け身で待つのではなく、攻めの姿勢で臨まなければ。クリエイターたちは毎日全力で動画を作っているし、風見さんは暑い中営業を頑張ってくれているし、香月社長は……あの、あれだ。英語の字幕作成とか掃除とかをやってくれている。だったら俺もマネージャーとして積極的に動いていくべきだろう。
ただ問題なのは、『マネージャー』がそもそも受動的な職業であることだな。いざスポンサー案件が入ってきた後であれば、次に繋がる動画を作れるようにクリエイターたちをサポートするという役割を持てるわけだが……基本的にはコツコツ下地を作るのが俺の仕事だぞ。一度に大きな成果を得られる社長や営業職と違って、派手には活躍できない立場のはず。
うーむ、我ながら地味な存在じゃないか。正しく裏方だな。だからこそ目立たない俺に合っているのかもしれないと考えつつ、歩み寄ってくる小夜さんに返事を投げた。
「おはようございます、小夜さん。昨日完成した動画の最終チェックは終わっているので、いつでもアップロードできますよ。」
「なら、着替えたらすぐに上げます。……ほら、朝希。いつまでぴょんぴょこ跳ねてるつもり? さっさと着替えるわよ。」
「えー、つまんない! 折角の夏休みなのに、何で小夜ちはお澄ましモードなの? ……駒場さん、一緒にLoDやりたいです。夏休み突入のお祝いに一戦だけ。ね?」
「こら、駒場さんの仕事の邪魔しないの。『ね?』じゃないでしょうが。」
小夜さんの説教を聞き流しながら、俺の手を取って上目遣いでおねだりしてくる朝希さんを見て、困り果てた気分で香月社長に目線で問いかける。こうなってしまうと俺には突っ撥ねられないのだ。何でもオーケーしてしまいそうになるぞ。
そんな俺の情けないアイコンタクトを受けた香月社長は、くつくつと喉を鳴らしながら許可を寄越してきた。
「いやまあ、別にいいよ。君が泣く子と朝希君に勝てないことは重々承知しているさ。マネージャーとして付き合ってあげたまえ。」
「やたっ! 駒場さん、こっちこっち!」
「朝希、我儘言わないの!」
「小夜ちこそ意地悪なこと言わないの! 夏休みは沢山ライフストリームを頑張るんだから、今日くらい遊ばせてよ。」
小夜さんに対してべーっと舌を出しつつ、ぐいぐい引っ張ってくる朝希さんに連れられて撮影部屋に入室したところで……香月社長の発言が背中に飛んでくる。ふと思い出したという声色だ。
「ああ、駒場君。ついでに明日のことも話しておきたまえ。」
「了解です。……朝希さん、小夜さん、明日は昼頃に迎えに行きますね。準備だけしておいてください。」
「はい、お姉ちゃんにはもう言ってあります。」
話が早くて助かるぞ。俺の連絡にこっくり頷いて答えてきた朝希さんと共に、モニターの前のゲーミングチェアに腰を下ろした。……三十日の土曜日である明日は、キネマリード社が主催する『ライフストリーム・ジャパンディヴィジョンフォーラム』が開催される日だ。それにモノクロシスターズの二人も参加したいそうなので、俺が家まで迎えに行くことになったのである。
ちなみに夏目さんも参加予定だが、豊田さんは自動車整備工場の仕事の都合で来られないらしい。重要そうな事柄があったら伝えて欲しいとのことだったから、代わりにきちんと話を聞いてこないとな。
思案しながらパソコンの起動を待っていると、撮影部屋にもう一脚ある椅子……事務所スペースの空きデスクとセットの、今は誰も使っていないオフィスチェアだ。に座った小夜さんが、朝希さんの頭をぺちぺち叩きつつ話しかけてきた。いつの間にかこのオフィスチェアを『観戦席』にするのがお決まりになっているな。役に立っているようで何よりだぞ。
「おバカな朝希がすみません、仕事中なのに。」
「いえいえ、構いませんよ。苦手な事務作業が続いていたので、ちょうど良い息抜きになりそうです。」
「私、おバカじゃないもん。……明日はさくどんさんも来るんですよね?」
「ええ、その予定です。行き帰りの車も一緒ですよ。先に朝希さんたちを迎えに行って、会場までの道中で夏目さんを拾うという形になりそうですね。」
今俺が『さくどんさん』ではなく『夏目さん』と本名で呼んだのは、三人が既に顔を合わせて自己紹介を済ませているからだ。コラボレーション動画の撮影はスケジュールの関係で叶っていないものの、七月中に事務所で二度ほど会って直接話をしているので、この二人の前であれば特に問題はないはず。
ただまあ、クリエイターの呼び方については改めて考えた方が良いかもしれないな。どこで誰が聞いているか分からないし、基本的にさくどんさんと呼ぶようにすべきだろうか? 今度夏目さんや豊田さんに相談してみよう。
クリエイターのプライバシー保護に関してを思考している俺へと、小夜さんが目を瞬かせながら応じてくる。
「さくどんさんもこっちの車で行くんですか? 風見さんの車で行くと思ってました。」
「夏目さんがそう希望したんです。もしかすると、二人と話したいのかもしれませんね。」
「そうですか。……ちょっと緊張しますね。」
「小夜ち、変だよ。さくどんさん、優しいじゃん。何で緊張するの?」
訳が分からないという顔付きの朝希さんの疑問に、小夜さんは渋い面持ちで回答した。
「『先輩』だからよ。別に嫌ってわけじゃないけど、ちゃんと気を使わなきゃでしょ? あんたも気を付けなさい。」
「でもでも、さくどんさんはそういう人じゃないよ? 偉ぶったりしないと思うけど。」
「そういう人じゃないからこそしっかり立てるの。嫌な人だったら適当でいいけど、さくどんさんとは良い付き合いをしていきたいでしょ? それなら礼儀は大切よ。仲良くするのと無遠慮なのは全然違うんだから。」
「んー……分かった、気を付ける。さくどんさんとは仲良くなりたいもん。」
うーん、小夜さんは大人だな。そして正しいと感じたら素直に聞き入れる朝希さんも素晴らしいぞ。自分が中学二年生だった頃と比較して微妙な気分になりつつ、小夜さんのパソコンで『リーグ・オブ・デスティニー』を起動して口を開く。
「良い機会ですし、コラボ動画のことを話し合ってみましょうか。夏目さんも乗り気でしたから、今度こそ実現できるはずです。」
七月の初め頃に企画を立てようとする段階まで進んだものの、そのタイミングで夏目さんにスポンサー動画の話が舞い込んできたため、そちらに集中する必要があってコラボ動画の件は一旦取り止めになってしまったのだ。しかし今はモノクロシスターズの二人が夏休みに入ったし、夏目さんも案件を抱えていない。ようやく実行に移せそうだな。
どんな動画にすべきかと考えている俺へと、椅子を寄せてきた小夜さんが反応してきた。
「いいですね、話したいです。……ちなみにさくどんさん、虫刺され大丈夫なんですか? 物凄いことになってましたけど。」
「まあはい、健康面は特に問題なさそうでした。今はもう治っていますよ。」
「……スポンサー動画って、あんなことしないといけないんですね。少し不安になります。」
「かなりの『体当たり企画』ではありましたね。依頼してくれた企業さん側は喜んでくれたんですが、同時に驚いてもいました。まさかああいう形の動画になるとは思っていなかったようです。」
小夜さんが言っているのは、先日さくどんチャンネルで上げた虫除けスプレーのスポンサー動画のことだ。先方からは使い方の説明と独自成分の紹介をして欲しいという注文があっただけなので、俺はてっきり商品紹介のスタイルで撮影すると予想していたのだが……何と夏目さんは神奈川県の山にハイキングに行って、実際にどれくらい刺されなくなるかの『検証動画』を撮りたいと主張してきたのである。
その後色々と話し合った結果として片手に虫除けスプレーを吹き、もう片方の手には何もしていない状態で、半袖のTシャツ姿で藪蚊だらけの場所を歩き回るという動画になったわけだが……夏目さんのプロ意識を改めて実感したぞ。あれはもはや『人体実験』だ。民放だとコンプライアンス的にやや際どい内容だし、企業側はさぞ驚いただろうさ。ライフストリームだからこそ出来る手法だったな。
とはいえ、苦労の甲斐あって虫除けスプレーの宣伝としては満点の映像になったぞ。蚊に刺されまくった右手と、ほぼほぼ刺されていない左手の比較はインパクトがあったはずだ。スポンサー抜きでも『ハイキング動画』として成立する一本に構成できたし、虫除けスプレーに着目しつつさくどんチャンネルの色も出せた。マネージャーの贔屓目を抜いても、非常に良いバランスに収められたと言えるだろう。
夏目さんのセンスに唸っていると、小夜さんも感心している様子で感想を語ってくる。そういえば豊田さんも電話での打ち合わせ中に言及していたな。『ああいうやり方を思い付いて、実行できるところは参考にしたいです』と褒めていたっけ。
「さくどんさんのあれ、『わざとらしさ』を最小限に抑えた動画だって感じました。スポンサーが付いてるのに、自然な……つまり、さくどんチャンネルっぽい面白さがきちんと前に出てましたから。私たちじゃあんな動画は作れないはずです。実力の差を思い知って、ちょっとだけ落ち込みますよ。初めてのスポンサー動画だったんですよね?」
「さくどんチャンネルとしては初ですね。夏目さんの発案を基礎に検討を重ねて、ああいった形になりました。」
「こういうの、経験の差ってやつなんでしょうか? よく考えたらさくどんさんは何年も前から動画投稿をやってるんですもんね。事務所の所属は二ヶ月差でも、ライフストリーマーとしての差は段違いみたいです。経験不足を実感します。」
「そこは私も同じですよ。日々夏目さんと接していると、マネージャーとして釣り合っていないことを痛感します。……一緒に頑張っていきましょう、小夜さん。私たちも経験を積み重ねていけば、いつかは夏目さんのようになれるはずです。」
共感しながら励ましてみれば、小夜さんは小さく笑って首肯してきた。
「そうなれる頃には、さくどんさんは更に先に行っちゃってるでしょうけどね。……まあ、駒場さんが付き合ってくれるなら頑張ってみます。」
「……ねえ、小夜ち? 私も居るんだからね? 駒場さんも小夜ちにばっかり構って、私のこと忘れちゃダメです! 私も一緒に頑張ります!」
「そうですね、朝希さんのことも頼りにさせてもらいます。」
頬を膨らませて割り込んできた朝希さんに苦笑いで返事をしたところで、小夜さんが俺に断りを入れてから身を乗り出してマウスを操作してくる。彼女のダークグレーの頭が近付いた拍子に、ふわりと良い香りが漂ってきたな。シャンプーの香りなのか整髪料の香りなのかは分からないが、柔らかい印象を受ける匂いだ。……無論、あえて口には出さないが。いきなり『小夜さんは良い匂いがしますね』なんて言ったらドン引かれるだろうし、内心でこっそり思うだけにしておこう。
「駒場さん、LoDの前にもう一ついいですか? ちょっとマウス借りますね。……夏休みの後半から、このゲームをやっていこうと思ってるんですけど。」
「『バトルグラウンド3』ですか。」
小夜さんが開いた、大手ゲームダウンロード販売プラットフォームの独自ブラウザ。そこに表示されているタイトルを目にして呟いた俺に、今度は朝希さんが声を寄越してきた。八月十六日に先行ダウンロード開始と書かれてあるな。そしてプレイ可能になるのは十八日らしい。何故ズレているんだろう? 後で調べておくか。
「それ、小夜ちが楽しみにしてるんです。そのシリーズ、好きみたいで。一個前のタイトルをコンシューマー機でずーっとやってました。狂ったみたいに。」
「狂ってないわよ。あんただって同じ時期にネトゲを一心不乱にやってたじゃないの。……配信や動画化がセーフなことはチェック済みです。LoDを楽しみにしてくれてるリスナーも居るでしょうし、急に違うゲームの動画だらけになるのは避けたいので、暫くは二対一か三対一くらいの比率で上げていこうと考えてます。」
「著作権的に問題ないのであれば、新しいゲームに手を出していくのは賛成ですよ。『最新作』は余所のチャンネルと被りがちですが、同時に期待する視聴者も多いですからね。」
これは、ジャンルで言うとFPSに当たるのかな? 要するに一人称のシューティングゲームだ。三十二対三十二という大規模なプレイヤー数で、陣地の取り合いをしたりキル数を競ったりするオンラインマルチプレイがメインのゲームらしい。ページにある紹介文を読みながら応じた俺へと、小夜さんが続きを話してくる。
「それでですね、これはFPSにしては一試合が長くなるゲームなので……カット編集を試してみたいんです。単純な試合時間的にはLoDと似たり寄ったりなんですけど、こっちはひたすら移動したり敵を待ったりする単調な場面がちょこちょこ出てきちゃいそうですし、カットで内容を濃くした動画も作れるようになっておくべきかと思ったので。どうでしょう?」
「良いと思いますよ。選べる手札を増やしておいて損はありませんからね。何分程度の動画にする予定ですか?」
「実際にやってみないと分からないんですけど、とりあえずは気軽に見られる十分前後を目指していくつもりです。テロップの量をLoDより増やして、エフェクトとかBGMも入れて、面白い場面を抽出する感じで作ってみます。最初はその、慣れてない所為で少し荒くなっちゃうかもなので……駒場さんに細かくアドバイスして欲しいなと思ってるんですけど。」
「了解しました、最初は意識して動画のチェックを行っていきます。そういった構成の実況動画は前に調べたことがあるので、近いうちに意見を纏めておきますね。そしたら改めて話し合いましょう。」
言いながら取り出した愛用の黒い手帳に、『ゲーム実況動画の再チェックと意見の纏め』とメモしていると……頭を寄せてきた朝希さんが俺の手元を覗き込みつつ言葉を漏らす。彼女のホワイトアッシュの髪からも小夜さんと同じ香りがするな。共通の何かを髪に使っているらしい。
「わぁ……駒場さん、びっしり書いてますね。」
「私はいちいちメモしてしまうタイプなんです。発見や、注意すべきことや、予定なんかを。なので手帳はすぐ埋まってしまいますね。後から見返して何かに気付いたりもするので、アナログですけど中々便利ですよ。」
「そういうの、何かカッコいいです。」
「朝希、人の手帳を覗かないの。……それと、やっとキャプチャーボードを買えそうです。だからコンシューマー機の実況動画も作れるようになるかもしれません。著作権的にも機材的にもPCのゲームより難しそうなので、そっちは単発で慎重に試していきますね。」
資金が貯まったのか。時間的な余裕が出来る夏休みに色々な動画を上げたいということで、二人はマイクを新調するのを延期してキャプチャーボード……小夜さんの説明によれば、家庭用ゲーム機の画面を録画するための機材らしい。の購入を目指していたわけだが、どうやら貯金が目標金額に到達したようだ。
夏目さんや豊田さんも言っていたけど、ライフストリーマーにとっての『機材』は本当に悩みの種だな。撮影機材の購入費はどうしたって付いて回る支出だし、上を見るとキリが無いのだ。カメラもマイクもパソコンも、高い物は信じられないほどに高い。その癖どんどん新製品が発売されるから、いたちごっこになって終わりが見えないぞ。
結局、妥協で済ませるしかないんだろうな。言い方は悪いものの、それが真実であるはずだ。高機能な新製品が発売する度に新調していたら、どれだけ金があっても足りないのだから。……つまり重要なのは、どこを妥協点にするかなわけか。良いカメラを使えば美しい映像を録画できるし、良いマイクを使えば綺麗な声を録音できる。それが動画の出来を左右するとまでは言わないが、画質や音質が良いに越したことはないはず。
機材に囚われすぎるのはダメだけど、動画投稿者としてそこに拘らないのは以ての外だろう。となれば俺はマネージャーとして、クリエイターたちに線引きを提示できるようにならなければ。収入と照らし合わせて無理はさせないようにしつつ、必要と感じたら購入をやんわりと提案していくってところかな。最終的な決断はもちろんクリエイター次第だが、サポート役としてその程度はこなせるようになっておくべきだ。
ビデオカメラや編集用ソフトなんかには多少詳しくなってきた自信があるものの、ゲーム実況の機材についてはまだまだ未知の部分が多い。二人のために勉強しておこうと心に決めながら、小夜さんへと応答を返す。
「家庭用のゲームはまだ動画化可能なタイトルが少ないですが、『一般受け』するのは恐らくそっちですからね。ホワイトノーツとしても手を出していきたい分野なので、お二人が挑戦してくれるのはありがたいです。」
「……頑張っていけば、そういう方面の仕事も来るようになりますかね?」
「日本のゲーム会社は紛うことなき『超大手パブリッシャー』なので、今すぐには厳しいかもしれませんが……ライフストリームが拡大していった暁には、間違いなく目を向けてくるはずです。その時自社のゲームを頻繁に実況している人気のチャンネルがあれば、先方は注目してくれるんじゃないでしょうか。今の頑張りはきっと未来に繋がりますよ。」
「何て言うか、気の遠くなる話ですね。」
苦笑しながら返答してきた小夜さんに、こちらも同じ表情で相槌を打つ。明るい相槌をだ。
「ですが、香月社長は現時点で既に視野に入れています。イベントの司会や新作ゲームのマーケティング、関連グッズの宣伝などにライフストリーマーを使いたがる日は確実に来ると断言していました。……だったらあとは選ばれるかどうかだけですよ。今はコツコツ地力を付けていきましょう。そして先方がライフストリームに目を付けた時、否が応でも視界に入るくらいに目立ってみせるんです。顔を向けさせる努力はホワイトノーツがしていきますから、お二人は期待して待っていてください。」
「……じゃあ、期待させてもらいますね。その時までには私たちも編集の技術を上げて、良い動画を作れるようになっておきますから。」
「あとあと、トークも鍛えなきゃだよ。そこが一番重要なんだから。」
「そうね、喋りを磨くのは大切よ。……私は集中してくると黙っちゃうのを改善するから、朝希は失言を減らす努力をしなさい。学校の友達の名前とか、近所のこととかを動画内で口走っちゃダメでしょうが。個人情報ってものをいい加減覚えなさいよね。」
笑顔で提言した朝希さんへと、説教モードになってしまった小夜さんが注意を送っているが……確かに『トーク力』は実況動画における最重要の要素だな。その辺はライブ配信をメインにしている人たちが一枚上手だし、参考にするのも悪くないかもしれない。
「私、ちゃんと覚えてるもん。ただちょっと口が滑っちゃうだけだよ。カットすればいいでしょ。」
「あんたね、細かいカットが沢山あると変になっちゃうでしょうが。私は一本通しのトークを成立させなさいって言ってるのよ。もっと考えてから喋りなさい、ぽんこつ朝希。口に出す前に一回頭を通すの。分かる?」
「バカにしないでよ、意地悪小夜ち! ……小夜ちだってこの前いいところでトイレに行ったじゃん。何で休憩中に行っておかないのさ。小夜ちって、映画観る時もそうだよね。『行きたくないから別に大丈夫よ』ってお澄まし顔で言う癖に、結局大事なシーンとかで我慢できなくなるじゃんか。おバカすぎるよ。」
「おバカ? おバカって言った? ……はい、怒った。もう許さないからね。暴言の罰として駒場さんとのLoDは没収。私が代わりにやるわ。」
改めて考えてみれば、ライブ配信で台本も無しに一時間や二時間喋り続けているあの人たちは化け物だぞ。それが週一回とかならまだ分かるが、多い人だと毎日のように配信をしているのだ。となればトーク力は見る見るうちに向上していくだろうし、鍛え上げたそれは様々な方向に応用が利くはず。
「そんなのズルいじゃん! 私が誘ったのに!」
「ダメよ、没収。先に私がやって、後にも私がやるわ。もし三回目があったらそれも私ね。あんたは横でぽけーっと見てなさい。……大体ね、トイレのことは関係ないでしょうが。議論に勝てないからって無関係な話を持ち出すのは見苦しいわよ。そんなもん白旗宣言と変わらないじゃない。つまり、あんたの負け。あんたは負け朝希なの。」
「なっ、私……負けてない! 負けてないもん!」
「あーら、負け朝希が何か言ってるわね。STRにしか振ってない癖に、INTカンストの私に口で勝とうってのが間違いなのよ。分かったらチワワみたいにぷるぷるしてないで、さっさと椅子を明け渡しなさい。私が駒場さんと遊ぶんだから。」
芸能マネージャーだった頃は、たった五分間の生放送コーナーでさえピリピリした気分で臨んでいたんだけどな。俺だけじゃなく、スタッフ全員がそうだったぞ。それなのに『耐久配信』と称して長時間の生配信をしている配信者もたまに見るし……ああいう人たちの頭の中って、一体全体どうなっているんだろう?
「……私、怒った! 怒ったよ! そういう意地悪してると、言っちゃうから! 小夜ちが変なことしてたの、知ってるんだからね!」
「な、何よ。急に何の話? 『変なこと』?」
「言われたくないなら謝って。何かあの、変な感じだったから黙っててあげようとしたけど……でも小夜ちがそういう態度なら言っちゃうから! ごめんなさいしなさい、小夜ち! 妹の癖に意地悪しちゃダメでしょ!」
「あ、謝らないわよ。私は別に悪くないし、妹はあんただもの。そっちが謝るべきでしょうが。」
いつかライフストリームでもライブ配信が可能になった時、動画ではなくそちらを主軸にするクリエイターが所属するかもしれないし、今のうちに他のプラットフォームの配信者たちを研究しておこう。人気の配信者ともなれば、それなり以上のトーク力を持っているはずだ。絶対に参考になる部分があるだろうから、よく見て技を盗ませてもらわなければ。
そんなことを黙考していると、小夜さんといつもの言い争いをしていた朝希さんが俺に声を飛ばしてくる。何故か少し赤い顔でだ。
「じゃあもう言っちゃうからね! 知らないから! ……駒場さん、駒場さん。この前小夜ちにジャケット預けたの覚えてますか?」
「はい、覚えていますよ。それがどうかしたんですか?」
一週間ほど前、小夜さんが俺のジャケットに飲み物を零してしまったのだ。ほんのちょっとのシミだったし、どうせ近くクリーニングに出す予定だから大丈夫ですよと言ったのだが、私の所為だから私に出させてくださいと頼み込まれて小夜さんに預けた結果……まあ、数日後に普通に綺麗になって戻ってきたぞ。大して特別な出来事ではないと思うんだけどな。
よく分からないままで問い返した俺に、朝希さんは頰の赤さを増しながら『告げ口』の内容を語ってきた。彼女がどうして赤くなっているのかも謎だし、横で聞いている小夜さんの顔が青くなってきたのも謎だ。謎だらけの状況じゃないか。
「そのジャケットで小夜ちが変なことを──」
「朝希! ……謝るわ、ごめんなさい。これで話は終わりよ。はい終了。早くLoDをやりなさい。二回ともあんたがやっていいから。私は見てるわ。邪魔しないようにぽけーっと見てる。」
「私、その日は早めに寝ちゃったんですけど……ギシギシって物音で目が覚めたんです。そしたら上のベッドで小夜ちが──」
「こら、謝ったでしょうが! やめなさいよ! やめっ……やめな、やめなさい! 黙ってゲームをやりなさいよね!」
朝希さんに飛び掛かって止めようとする小夜さんだったが、毎度の如く完全に力で負けて逆に押さえ込まれていく。俺のジャケットが何だと言うんだ。何の変哲もない安物のジャケットだし、返ってきた時にも特段異常は見受けられなかったぞ。
「けど、駒場さんにはちゃんと言わなきゃダメだよ。だって小夜ち、あのジャケットで何か変なことしてたんでしょ? 私にはよく分かんないけど、そういう感じだったもん!」
「ちょっと、言わないで! 言わないでよ! あげるから! 欲しい物何でもあげるから!」
「何でそんなに必死になるの? ……やっぱりダメなことなんだ。あのジャケットでダメなことしてたんでしょ! 寝たフリしてたけど、持ってベッドから降りてくるの見てたんだからね! 駒場さんに謝りなさい!」
「……してない。していません。」
おー、ちょっと怖いな。急に顔からすとんと感情を消した小夜さんが、朝希さんと俺に対して順番に無実を主張する。それに俺たち二人がビクッとする中、被疑者どのはやけに平坦な口調でこちらに弁明を寄越してきた。
「自分でシミ抜きが出来ないかなと思って、ジャケットの素材についてを調べていただけです。だけど結局無理そうだったので、次の日にクリーニングに出しました。それ以上でもそれ以下でもありません。」
「……なるほど。」
「分かってくれたみたいですね。きちんと真実が伝わったなら良かったです。……それじゃあ申し訳ないんですけど、少しだけ部屋から出ておいてもらえませんか? 朝希と大事な話があるので。」
「あー……ではその、私は向こうに居ますね。」
無表情の小夜さんに気圧されて素直に席を立った俺の背に、朝希さんの怖がっているような声が投げかけられる。
「でもでも、本当に変だったんです。嘘じゃないです。小声でぶつぶつ言いながら、布団の中でずっともぞもぞ──」
「調べてたのよ、朝希。シミ抜きの方法をスマホで調べてたの。……駒場さん、早く行ってください。すぐ済みますから。終わったら呼びに行きます。」
「……はい。」
「あっ、待って。駒場さん、行かないで。」
小夜さんの大迫力の笑顔を目にして、朝希さんが怯えた様子で助けを求めてくるが……今の小夜さんは俺にとっても怖いのだ。悪いが事務所スペースに退避させてもらおう。三十六計何とやらだぞ。
パタリと閉じたドアの向こうが静かなことに更なる恐怖を覚えつつ、自分のデスクに着いて一体何だったのかと首を捻っていると、対面の風見さんが疑問げな顔付きで問いかけてきた。訳が分からなかったぞ。単なる朝希さんの勘違いなのかな?
「もう終わったんですか? 随分早かったですね。」
「いえ、プレイする前に今後の打ち合わせを少しして……そして、今は二人で大事なことを話し合っているようです。まだゲームは出来ていません。」
「なるほど?」
小首を傾げてきょとんとしている風見さんの返事を受け取った後、何とも言えない気分で撮影部屋の方に目を向ける。……まあでも、恐らく小夜さんの言い分が真相なんだと思うぞ。彼女は無意味な嘘を吐くような子じゃないし、他人の物を勝手に使って『ダメなこと』をしたりもしないはず。他人を気遣える優しい子なのだから、邪推するのはやめておこう。
でも、それならどうしてあんなに焦っていたんだろう? 何かこう、内緒にしておきたいことが間接的に関わっていたとか? ちんぷんかんぷんになりながら悩んでいる俺に、大きく伸びをしている香月社長が話しかけてきた。作業が一段落したらしい。
「んんっ……あー、事務作業は肩が凝るね。それで君、どうしたんだい? 悩んでいる時の顔じゃないか。偉大な社長に相談してみたまえ。」
「いやまあ、年頃の女性というのは難解だなと思いまして。それだけです。」
「君ね、そんなもん悩むだけ無駄だよ。思春期の女性の内心ってのは、絶対に解き明かせないようになっているのさ。君が男なら尚更だね。解けないパズルに挑むのは愚かな行為だぞ、駒場君。諦めて流されたまえ。それが唯一の対処法なんだから。」
「……勉強になります。」
身も蓋も無い結論だけど、それこそが正答なのかもしれない。同世代の頃は心の底から意味不明だったし、大人になった今でも謎が深まるばかりだ。俺がモテない理由はそこにありそうだな。二十五年生きて女心を欠片も理解できていないのだから、この先も望み薄だろうさ。泣けてくるぞ。
諦観の苦笑いを浮かべて解けないパズルへの挑戦を放棄しつつ、モノクロシスターズの話し合いが終わるのをひた待つのだった。
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