Ⅱ.モノクロシスターズ ⑩



「あっ、私が開けます。……どうぞ、駒場さん。」


よく晴れた六月二十日の月曜日。俺は真昼の高速道路で車を走らせながら、缶コーヒーを開けてくれた助手席の夏目さんへとお礼を口にしていた。天気予報が的中してくれてホッとしたぞ。明日も快晴との予報だったし、豊田さんのキャンプ動画は予定通りに撮影できそうだな。


「ありがとうございます。……退屈じゃありませんか? もし眠いなら寝てしまっても問題ありませんよ?」


「いえいえ、平気です。何だか少しわくわくしてますから、全然眠くありません。……私のことより、駒場さんは大丈夫ですか? もう結構運転してますけど。」


「俺はまあ、運転が好きなんです。こういう長時間の運転を苦だと思ったことは一度もありません。芸能マネージャー時代は長距離の運転役に立候補していたくらいですから、気にしないでください。」


東京から名古屋程度であれば全く問題ないぞ。何ならちょっとしたリフレッシュになっているほどだ。もっと良い車だったら更に楽しかったのだろうが……まあ、乗り慣れた軽自動車も悪くはないさ。風も強くないし、絶好の運転日和だな。


つまり、俺たち二人は愛知県名古屋市を目指して東名高速道路を走行中なのだ。そろそろ浜名湖橋が見えてくる頃だから、静岡県も終わりが近付いてきているな。いよいよ愛知県か。ここまで三時間以上運転してきたわけだが、体感だとすぐだったぞ。久し振りの長距離運転ということで、自分が思っている以上に楽しんでいるのかもしれない。


そんな俺の表情を見て本音だと判断したようで、夏目さんはホッとした面持ちで会話を続けてくる。


「駒場さんが楽しんでるなら良かったです。……私も免許を取るべきでしょうか? もうすぐ十八歳ですし。」


「焦らなくても平気ですよ。他の移動手段が多いので、免許無しでも何とかなってしまうのが東京ですからね。俺の地元はそうもいきませんでした。」


「駒場さんは山形出身なんですよね? 車が無いと大変なんですか?」


「俺は山形市内だったのでまだマシでしたけど、田舎の方だと車は必須ですね。無いと普段の買い物すらままならないはずです。」


どこの田舎もそうだと思うが、基本的な移動手段が車なのだ。地下鉄なんてそもそも通っていなかったし、電車やバスの本数も東京と比べると雲泥の差だった。短大に通うために東京に出てきて、地方と都会の生活スタイルの違いを実感したっけ。


ただまあ、色々なものが安くはあったな。駐車場代、家賃、地価なんかは山形の方が遥かに『まとも』だったぞ。……とはいえその分平均的な賃金も低かったから、別に生活が豊かになるわけではなかったが。全部を引っくるめて考えていくと、結局トントンになるのかもしれない。社会というのは上手くできているじゃないか。


どこか虚しくなる結論に行き着いてしまった俺に、夏目さんが目を瞬かせながら応答してくる。二十三区内で生まれ育った彼女にはピンと来ないのだろう。反対に俺が知らない『都会の苦労』を彼女は知っていそうだな。


「何だか大変そうですね。……んー、駒場さんがそう言うなら急いでは取らないことにします。今はライフストリームに時間とお金をかけたいので、教習所に通うのは厳しいですし。」


「ゆっくりで大丈夫ですよ。必要な時は俺が車を出せますしね。」


「えへへ、暫くは頼んじゃうことになりそうです。これはちょっとズルい発言かもですけど……駒場さんが運転する車の助手席に乗るの、好きですから。だからあんまり免許を取りたくないっていうのもありますね。」


「どんどん呼び付けてください。運転は数少ない俺の特技の一つなので、頼ってもらえるのは嬉しいです。……っと、浜名湖橋に入りますよ。」


進行方向の光景を目にして報告してやれば、夏目さんは慌てた様子でビデオカメラの準備を始めた。先程から右手に湖自体は見えていたものの、対向車線越しだと少し味気ないということで、浜名湖橋でカメラを回そうと決めていたのだ。もっと南にある浜名湖大橋の方が良い景色なんだろうけど、こっちも低いガードレールがあるだけだからそう悪くはないはず。


「うあ、撮ります。すっかり忘れちゃってました。」


撮影のためにスピードを緩めたいところだが、そこそこ交通量があるからやめておいた方が良さそうだな。他の車に迷惑だし、危険だろう。そんなわけで一定の速度を保ったままで橋に車を進入させると、夏目さんが外を映しながら話し出す。


「あれ? ピントが……えーっと、浜名湖です! ちょっと見え難くてすみません。ここを抜けて少し走れば愛知県なので、段々と目的地に近付いてきました!」


うーむ、もっと早く教えるべきだったな。橋を通過し終える直前に言い切って渋い顔になった夏目さんは、カメラのモニターをパタンと閉じて俺に声をかけてきた。しょんぼりした表情でだ。


「……反射でピントが全然合わなくて、上手く撮れませんでした。冷静に窓を開けるべきでしたね。失敗です。」


「すぐそこに浜名湖サービスエリアがあるから大丈夫ですよ。湖に面している施設ですし、綺麗に映せるはずです。確か大きめのサービスエリアだったはずですから、名物なんかも売っているんじゃないでしょうか?」


「じゃあ、寄ってもらえますか? 景色もちゃんと撮りたいですけど、静岡の名物っていうのも気になります。何があるんでしょう?」


「浜松ですから、うなぎパイとかですかね。」


浜名湖のサービスエリアなんだから、さすがにうなぎパイは売っているだろう。ここで売らないでどこで売るんだという話だぞ。確信を持って言ってやれば……あれ、知らないのか。夏目さんはきょとんとした顔付きで返答してくる。かなり有名なお菓子だと思うんだけどな。


「『うなぎパイ』? うなぎのパイですか?」


「いえ、多分夏目さんが想像しているやつとは違います。ひょっとしたら原材料にうなぎを使っているのかもしれませんけど、うなぎの味はしないお菓子です。」


「……なぞなぞみたいですね。」


「このくらいのサイズの、パイ生地を焼いたお菓子ですね。恐らくですが、うなぎの蒲焼きに見た目が似ているからその名前になったんじゃないでしょうか?」


我ながら説明が下手だな。俺も最後に食べたのは結構前なので、記憶が曖昧になっちゃっているぞ。運転しつつの俺の言葉を耳にして、夏目さんはかっくり首を傾げて応じてきた。いまいち伝わらなかったらしい。


「うなぎの蒲焼きみたいなお菓子、ですか。」


「あくまで見た目の話ですよ? 味は完璧に『お菓子』ですね。甘くてサクサクしていて美味しいです。」


「……スマホで調べてみます。」


うーん、違うんだけどな。夏目さんはどうも『キワモノ系』と思ってしまっているようだが、あれはむしろ王道のお菓子だぞ。自分の表現の拙さを嘆きつつ、ウィンカーを出して浜名湖サービスエリアへと車を入れる。


折角寄るんだし、俺も会社へのお土産として買っていこうかなと思案しつつ、駐車場で空きスペースを探していると──


「あー、これ! うなぎパイってこれのことだったんですか。私、知ってました。食べたことあります!」


おおう、ハイテンションだな。スマートフォンでうなぎパイのことを調べたらしい夏目さんが、笑顔で子供の頃の思い出を語り始めた。


「小学校低学年の頃にお土産か何かでお父さんが貰ってきたのを、全部一人で食べちゃってお母さんから怒られたんです。……わー、懐かしい。これ、うなぎパイって名前のお菓子だったんですか。静岡の名物なんですね。」


「浜松発祥の銘菓だったはずですよ。……懐かしいお菓子に再会できそうで良かったですね。」


「はい、ラッキーです。何かこう、ずーっと記憶の隅にあった謎が解消された気分になります。……うわぁ、急に楽しみになってきました。凄く美味しいお菓子だったイメージが残ってるんですよね。全部食べたら後で怒られるって予想できてたのに、当時の私は我慢できなくて食べちゃったんです。味ははっきりと思い出せないんですけど、そのことだけは何故か覚えてます。」


これはまた、下がっていたハードルが一気に上がってしまったな。うなぎパイ側としては、『謎のうなぎのパイ』と思われていた方が気が楽だったかもしれないぞ。『思い出補正』のプレッシャーに晒された浜松銘菓に同情しつつ、端の方に駐車した車のエンジンを切る。


「動画にしますか?」


「うあー、迷ってます。『思い出の味』ってことで一本の動画にしたいんですけど、それだと帰るまで食べられないんですよね。でも旅行動画の一部にしちゃうのは何だか勿体無い気がしますし……んんー、どうしましょう。」


「車内か景色の良い場所で、独立した一本の動画として撮ってしまうのはどうですか? そのくらいならまあ、ご愛嬌だと思いますよ。」


夏目さんはきっと、『思い出の味と再会した瞬間』を動画にしたいのだろう。ロケハンとして撮影前に一度食べてしまうのは、彼女の流儀ではないわけか。こういう拘りがさくどんチャンネルの魅力なんだろうな。香月社長風に言えば、夏目さんは『ふにゃんふにゃんの骨無し人間』ではないらしい。


俺の提案を受けた夏目さんは、元気良く首肯しながら口を開いた。余程に楽しみなようだ。


「そうします。今のこの気持ちのままで動画にしたいので、すぐ撮っちゃった方が面白くなりそうです。……あの、駒場さん。申し訳ないんですけど、代わりに買ってきてもらえませんか? 売り場に実物が置いてあったりすると、そこが再会のタイミングになっちゃいますから。さっきスマホで画像を見た時は咄嗟に目を逸らしたから大丈夫です。」


「分かりました、買ってきますね。」


咄嗟に逸らせるのは凄いな。そして売り場にすら行きたがらないのも相当だぞ。自分の担当の拘りっぷりに唸りつつ、車から降りて建物へと歩き出す。……そういえば、四月に助言してくれた富山プロデューサーが言っていたっけ。ライフストリームでは面白さと同じくらいの『正直さ』が求められるのだと。


要するに、『嘘のない撮影』というわけか。実に不器用なやり方だな。そう考えると俺と夏目さんはお似合いのコンビなのかもしれないと苦笑しながら、見えてきたお土産物コーナーで目当ての一品を購入する。……とりあえず撮影に使う分だけを買おう。帰りにまた寄ることも不可能ではないし、ここでお土産分も買っていくかは夏目さんと相談してから決めればいいさ。


思考しながら支払いを済ませて外に出て、軽自動車の運転席に戻ってみれば……素早い準備だな。後部座席に移動した夏目さんが、ビデオカメラを弄っているのが視界に映った。髪を軽く整えたようだし、さっきまで脱いでいたパーカーも羽織っている。いつでも撮影できる状態だ。


「買ってきました。向こうに良い景色の公園がありましたけど、ここで撮るんですか?」


「もしかしたら旅行動画より先に出すことになるかもですし、景色をそっちに取っておくために車内で撮ります。それもそれで『サービスエリアに寄った』って感じが出ますしね。」


「……なるほど。」


まあうん、分からなくもないぞ。身近な臨場感ということか。納得しながらマスクを着けて、買ってきたうなぎパイをカメラと交換で渡す。前の座席から撮ればちょうど良いアングルになりそうだ。停車中は撮影が楽でいいな。


「待ってくださいね、画角と明るさを調整しますから。……オーケーです、回します。」


「それじゃあ、いきますね。……どうも、さくどんです! 動画のスタートとしてはかなり突然の状況になっちゃうんですが、今私は静岡県浜松市の浜名湖サービスエリアに居まして。撮影で名古屋に行く途中に寄ってみたんですけど、そっちは別の動画にして上げる予定なので──」


毎度のように唐突にスタートした撮影だが……これは、商品紹介のジャンルとして上げるつもりなのかな? 短い動画の時の話し方だし、そうする予定でいるようだ。そんなことを推察しつつカメラを構えていると、場所の説明や先程の思い出話をさらっとだけ語った夏目さんが、うなぎパイの箱を袋から出して紹介し始めた。


「じゃんっ、こちらがそのうなぎパイです! ついさっきマネージャーさんに買ってきてもらったので、中身は私もまだ見てません。……これはもう、正に銘菓の箱って雰囲気のデザインですね。『う』の一文字がインパクト抜群です。学校とかから帰ってきて、この箱が家の食卓に置いてあったらテンションが上がること間違いなしですよ。」


包装を綺麗に剥がした箱をカメラに示しながら言った夏目さんは、そのまま開封シーンへと入っていく。ここで物撮りを挟むこともあるのだが、今回は省くようだ。車内だからかな?


「ではでは、開けてみますね。……うああ、これ! そうです、これこれ! 私が小っちゃい頃に食べたの、確実にこのお菓子です!」


これはいいな。こっちまで笑顔になるような喜びっぷりだぞ。箱から取り出した小分けのうなぎパイを一度カメラに近付けた後、夏目さんは実に懐かしそうな面持ちで封を開ける。


「記憶よりも少しだけ小さく感じるのは、多分私が子供だったからなんでしょうね。形は本当に記憶のままです。ただ味に関してはかなーりぼんやりとしか覚えてないので、今とってもわくわくしてます。……おー、砂糖の粒々が美味しそうですね。見るからにサクサクしてそうです。それでは、実際に食べてみましょう。うなぎパイ、いただきます!」


中身もカメラに寄せてきちんと見せてから、うなぎパイを食べた夏目さんは……うんうん、良かったな。思い出の通りの美味しさだったらしい。あまりにも分かり易い『美味しそうな顔』で感想を述べた。


「すっごく美味しいですよ、これは。……一言で表現すると甘いサクサクのパイなんですけど、甘さの中に複雑な味が潜んでる気がします。見た目はちょっと硬そうなのに、食べてみると案外軽めの食感でした。バターの風味もありますね。全然しつこくなくて、次々に食べちゃえるタイプのお菓子です。ちなみにうなぎっぽい味は全くしません。」


解説しながら残りの半分を食べたところで、夏目さんは目をパチクリさせて空になった小袋をカメラの前に持ってくる。何かを発見したようだ。


「ここ、見えますか? 『夜のお菓子』って書いてあるんですけど、どうして夜なんでしょう? 私からするとアフタヌーンなお菓子に思えちゃいます。」


アフタヌーンなお菓子か。いやまあ、分かるっちゃ分かるぞ。昼下がりに紅茶と一緒に食べたいお菓子ではありそうだ。独特な表現をした夏目さんは、ポケットから出したスマートフォンで検索し始めた。長い無言になっているし、ここは恐らくカットだな。


であれば喋っても大丈夫だろうと判断して、夏目さんに対して助言を投げる。


「『夜のお菓子』というのは、昔うなぎパイのコマーシャルで使われていた文言だったはずです。詳しい意味までは分かりませんが、結構有名なキャッチフレーズだと思いますよ。」


「駒場さんの世代だと、みんな知ってるようなキャッチフレーズですか?」


「どうなんでしょうね? 私もどちらかと言えば知識として知っているだけで、実際にテレビで流れているところは見たことがない……かもしれません。」


そこは自信を持って言い切れないな。見たかもしれないし、見ていないかもしれないぞ。静岡名物のCMを北海道や沖縄で流しても仕方がないわけだから、地域によっての知名度の差もありそうだ。俺の曖昧な返答を聞いた夏目さんは、スマートフォンを片手にしたままで撮影の再開を告げてきた。


「その辺にも軽くだけ触れてみますね。いきます。……えっと、今調べてみました。いつもの『さくどん調べ』の情報なので自信満々には言えないんですけど、出張とか旅行のお土産で家に持って帰ってきたうなぎパイを食べながら、夜の一家団欒のひと時を過ごして欲しいって意味が込められてるみたいです。マネージャーさんによれば、CMでも使われてたキャッチフレーズらしいですね。」


右手のスマートフォンの画面をちらちらと確認しながら説明した後、夏目さんは驚いている表情で情報を一つ付け足す。


「あとあと、うなぎのエキスもしっかり入ってるんだそうです。味では分かりませんでしたけど、そういう意味でも『うなぎパイ』なんですね。生地から丁寧に作られてるみたいですし、細かい部分まで拘り抜いた商品だからこそ長年愛されてるのかもしれません。」


左手に持ったうなぎパイを見ながら感心したようにうんうん頷くと、夏目さんは最後にカメラに向けて纏めを語る。


「というわけで今回は浜松の銘菓、うなぎパイの紹介でした。元々は動画にする予定じゃなかったんですけど、こうして偶然再会できてラッキーに感じてます。有名なお菓子らしいので知ってたってリスナーさんも多いと思いますが、知らなかったって方は静岡に来た時に是非是非買ってみてくださいね。凄く美味しいお菓子でしたよ。……それでは皆さん、また次回の動画でお会いしましょう! この浜名湖サービスエリアの景色なんかも出てくるはずなので、名古屋の旅行動画も見ていただけたら嬉しいです。概要欄にリンクがあるはずですから、良ければチェックしてみてください。それじゃあ、ばいばーい。」


ふむ、今回は『柔らかいばいばいパターン』の終わり方か。動画のスタートは『どうも、さくどんです!』がお決まりになっているわけだが、最近の夏目さんは様々な締め方を試しているらしい。まだまだ試行錯誤中のようだし、正式に固定するのはもう少し先の話になりそうだな。俺は『鋭いばいばいパターン』がスパッと終われて好きだぞ。『それでは皆さん、ばいばいっ!』ってやつが。


笑顔でふりふりと手を振って動画を終わらせた夏目さんは、数秒間そうしていた後で俺にカットを知らせてきた。


「オッケーです、駒場さん。……どうでしたか?」


「俺からは問題ないように思えます。美味しそうな顔で食べていましたよ。」


「実際想像より美味しかったんです。駒場さんもどうぞ。開けちゃいましたし、二人で食べましょう。」


「では、いただきます。」


夏目さんが差し出してきた箱から一つ取って、袋を開けてうなぎパイを食べる。……まあ、当然のように美味いな。『迷ったらとりあえずこれを買っておけ』という定番の静岡土産だと思うぞ。わさび漬けとか安倍川もちも捨て難いが。


「私、自販機で飲み物買ってきますね。駒場さんは何か要りますか?」


「いえ、俺は大丈夫です。まだコーヒーがありますから。」


二つ目を手早く食べ終えた夏目さんの断りに応答してから、うなぎパイを食べつつコーヒーを飲んでいると……おっと、電話か。ジャケットの胸ポケットでスマートフォンが振動し始めた。誰からだろうと取り出して画面を確認してみれば、『香月玲』の文字が表示されているのが見えてくる。


「はい、駒場です。」


『やあ、駒場君。電話に出られたということは、もう着いたのかい?』


「まだ浜松です。今は浜名湖のサービスエリアで休憩しているところですね。」


『おや、まだ静岡なのか。やはり車だと時間がかかるようだね。私なら絶対に新幹線を選ぶよ。……時に駒場君、浜松の銘菓を知っているかい? 折角夏目君が同行しているんだから、動画にしてみるのもありじゃないかな。』


考えることは皆同じだな。こういうのはもう、ライフストリームに関わっている人間の習性なのかもしれない。動画のネタがあれば食い付いてしまうわけか。香月社長も順調に染まってきているなと苦笑しながら、電話越しに返事を返す。


「うなぎパイならもう動画にしましたよ。きっちり撮影済みです。」


『……君、やるようになったじゃないか。先回りされるのは予想外だったよ。』


「発案は夏目さんですけどね。……それで、何の電話ですか?」


『何とも冷たい台詞だね。用がなければ電話しちゃダメなのかい?』


別にダメではないが、社長は用もなく電話してくるタイプではないはずだぞ。悪戯げな声色で問いかけてきた香月社長へと、助手席に戻ってきた夏目さんを横目にしつつ応じる。小さなペットボトルのお茶を買ったようだ。


「そういうのはいいですから。」


『血も涙もない返答じゃないか。更に悲しくなったよ。部下に冷たくされて泣きそうだ。……罰として私にもうなぎパイを買ってきたまえ。沢山入っているやつをね。それで手打ちにしてあげよう。』


うーむ、そこに持っていこうとしていたのか。香月社長がお土産目当てで会話の誘導をしていたことを確信しつつ、ついでのように聞いてきた経理関係の書類の場所を教えて電話を切ったところで、お茶をくぴくぴと飲んでいた夏目さんが話しかけてきた。


「香月さんからですか?」


「はい、仕事の連絡のついでにうなぎパイを要求されました。帰りは遅い時間になっているかもしれませんし、お土産の分も今買ってしまいましょうか。」


「じゃあ、私は……家族の分を買うことにします。あと、自分の分ももう一箱だけ。」


「俺は会社に一箱と、モノクロシスターズの二人に一箱ですね。……名古屋でも色々買うでしょうし、そこそこの出費になってしまいそうです。」


申し訳ないが、友人の分は削らせてもらおう。そっちは買うにしても名古屋でだな。あくまで出張先は名古屋なのだから。そして豊田さんに関しては、東京でいくつかお菓子を買っておいたから問題ないはず。


脳内でお土産代の計算をしながら答えた俺に、うなぎパイを食べている夏目さんが言葉を送ってくる。今まで気にしたことがなかったけど、出張が多い職業の人はどうやってやり繰りしているんだろう? 他社へのお土産ならともかくとして、自社へのお土産が経費で落ちるわけがないし……大変そうだな。同情するぞ。


「モノクロシスターズさん、今は事務所で撮影してるんですよね?」


「ええ、平日の放課後はほぼ毎日来ていますよ。コラボ動画の件もありますし、近いうちに一度会ってみますか?」


コラボレーション案については、高速道路を移動している間に提案済みだ。朝希さんが夏目さんを尊敬しているということも伝えてあるし、すんなりオーケーが返ってくるかと思ったのだが……むう、微妙な表情だな。夏目さんは困っているような顔で口を開いた。


「私もまあ、会いたいか会いたくないかで言えば会いたいですし、コラボの件も魅力的に感じてるんですけど……がっかりされないかが不安なんです。『さくどん、喋ってみると案外普通じゃん』と思われちゃいそうで。だって私、地味じゃないですか。平均より普通なくらいですよ。」


言わんとしている意味は何となく理解できるものの、『平均より普通』という表現は哲学的だな。夏目さんのワードセンスに心中で唸りつつ、気後れしている彼女へとフォローを飛ばす。


「そこが良いんだと思いますよ。地味というか、接し易いのが『さくどん』の魅力なんじゃないでしょうか?」


「だといいんですけど……まあ、いつかは会うわけですもんね。なるべくイメージを壊さないように頑張ってみます。誰かから期待されることなんて今までなかったので、結構プレッシャーを感じちゃうんです。」


次々とうなぎパイを食べつつ諦めたように首肯した夏目さんは、窓の外の晴天に目をやって話を続けてくる。……しかしまあ、どんどん食べるな。無意識に口に運んでいるようなペースだ。子供の頃の夏目さんも、こういう感じで食べていたのかもしれない。


「けど、段々と人が増えてきましたね。ロータリーマンさんと、事務員さんと、モノクロシスターズさんたち。たった二ヶ月半で倍以上です。」


「これからも増えていきますよ。香月社長はディヴィジョンフォーラムでスカウトするつもりのようですしね。」


「……人が増えていっても、駒場さんはずっと私の担当ですよね?」


ちょっぴり不安げに尋ねてきた夏目さんに、大きく頷いて回答した。


「それはそうですよ。夏目さんが俺を選んでくれるならですけどね。……人が増えていけば俺よりも頼りになるマネージャーが入社してくるでしょうし、そういう人に付いてもらいたいと思ったら遠慮なく言ってください。選択権はクリエイター側にあるべきなんですから。」


「いいえ、駒場さんより頼りになる人なんて居ません。なので私から担当を代えてくださいとは言わないと思います。……つまり、駒場さんはずっと私の担当ってことです。」


それはちょっと買い被りすぎじゃないだろうか? そりゃあ必要な努力をしているという最低限の自負はあるが、俺より能力がある人なんて星の数ほど居るだろうし、経験の面でも平均より劣っているはずだぞ。


平時の彼女より少しだけ大人っぽい笑みでの発言を受けて、どう反応すべきかと迷っていると……夏目さんはハッとしたようにうなぎパイの箱を見て小さく呟く。空っぽになってしまった箱をだ。


「……私、めちゃくちゃ食べてますね。名古屋でも食べないといけないのに。」


「このくらいなら平気ですよ。まだ着くまでには少しかかりますしね。」


「もちろん食べられはするでしょうけど……ちょっとあの、最近食べ過ぎな気がします。体重的な意味で。」


「あー……なるほど、そっちの意味ですか。」


夏目さんはむしろ痩せている方だし、何なら軽く太った状態でちょうど良くなりそうだけどな。とはいえ当人はそう考えていないようで、若干焦っている顔付きになってビデオカメラを手に取った。


「景色、撮りましょうか。公園を歩きながら撮ります。その程度じゃ焼け石に水でしょうけど、少しでも運動しないと。」


「……分かりました、行きましょう。」


ここはまあ、素直に従っておくか。最近食べ過ぎという点は俺も同じなんだし、カメラマンとして一緒に歩いておこう。ライフストリーマーはインドアな仕事だから、こういう問題はこれからも出てきそうだな。


夏目さんに続いて車から降りて、ロックをしてから大きく伸びをする。いやはや、改めて良い天気じゃないか。気温も風も快適だし、となれば気分も明るくなってくるぞ。この調子なら名古屋での撮影も清々しい気持ちで行えるはずだ。……よし、頑張ろう。日々の動画が未来の礎になるのだから、小さな撮影にも気合を入れて臨まなければ。


澄み切った青空の下を歩く担当クリエイターの背を追って、駒場瑞稀は次なる撮影へと足を進めるのだった。

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