Ⅱ.モノクロシスターズ ⑥
「キャンプ用品、ですか。」
モノクロシスターズの二人が事務所を訪れてから四日が過ぎた、曇り空の火曜日の正午。俺は腕を組んで椅子に深く腰掛けながら、昼食を食べている風見さんへと相槌を打っていた。扱いに悩む案件だな。夏目さんも豊田さんも『キャンプ』というイメージは無いぞ。
つまるところ、遂に風見さんが飛び込み営業を成功させたわけだ。どこをどう辿ってそのメーカーに行き着いたのかは分からないが、アウトドア用品の会社からのスポンサー契約を持ち帰ってきてくれたのである。風見さんとしても、そしてホワイトノーツとしても初めての契約ということになるな。
自社のキャンプ用品を宣伝する動画を一本作って欲しいとのことで、肝心要の商品に関しては向こうが提供してくれるらしいのだが……クリエイターの指定は無しか。さくどんチャンネルか、ロータリーチャンネルか。どちらに振るべきか迷うところだぞ。
食後のお茶を飲みながら思案している俺へと、風見さんが困ったような表情で返事を送ってきた。
「『面白そうだし、やってみようかな』という雰囲気でオーケーしてくれたんです。……難しそうですか?」
「いえいえ、とても良い話だと思います。偉大な一歩目ですよ。……キャンプとなると、どちらかと言えば豊田さんの方が向いているかもしれませんね。一本だけそういう動画がありましたし。」
奥さんと子供を連れてキャンプに行く動画があったはずだ。あれはキャンプをすることに着目した一本ではなく、そのために借りた大型のレンタカーを紹介する動画だったわけだが……まあ、『キャンプに行った』という点は厳然たる事実だぞ。テントもきちんと張っていたようだし、最低限の知識は持っているはず。
豊田さんに振る方向へと気持ちを傾けている俺に、今日もせっせと字幕を作っている香月社長が声を寄越してくる。
「私も豊田さん向きの案件だと思うよ。夏目君もまあ、回せば上手くやってくれそうではあるが……向き不向きで言えばギリギリで豊田さんに軍配が上がるかな。夏目君はアウトドアを好む人間ではないしね。」
「ですよね。豊田さんはスポンサー動画に前向きですし、とりあえず彼と電話で相談してみます。」
「何れにせよ、第一件目のスポンサー契約だ。後々に活かせるノウハウを探り出すためにも、慎重に丁寧にやっていこうじゃないか。……お手柄だよ、風見君。結構大手のメーカーなのに、よく飛び込みで話を纏められたね。」
「ライフストリーム自体の社会的な認知度が徐々に上がってきているので、注目している会社はそれなりにあるみたいです。業種によって反応が分かれるんですけど、真面目に話を聞いてくれる会社は案外多いですよ。」
業種か。確かにそれはありそうだな。先ず、現時点でライフストリームに一番注目しているのは音楽業界だろう。日本では『ミュージックビデオが見られるプラットフォーム』という形で最初期に広まったので、未だそういう色が残っているのだ。再生数を見てもミュージックビデオの伸びは圧倒的だし、ライフストリームに対してそういった認識を持っている人はまだまだ多いはず。
その次に否応なく巻き込まれたゲーム業界と、エンターテインメント系の会社が続いている感じかな? 特にライフストリームのメインユーザーである十代、二十代をターゲットとするメーカーは興味を抱いているだろう。マーケティングの場として注視しているはずだぞ。
しかし、『キャンプ用品』というのはピンと来ないな。ある程度資金的な余裕があって、かつ先見性があるメーカーだから一種の『市場開拓』として依頼してくれたとか? その辺を疑問に思っていると、風見さんが答えを教えてくれた。
「今回依頼してくれたメーカーさんは、自社の商品と一緒にキャンプそのもののマーケティングをしたいらしいんです。キャンプをする人は『教えたがり』が多いから、ライフストリームは良い交流の場になってくれるはずだと言っていました。そういう動画が増えていけば、自社の売り上げも伸びるだろうと。」
「キャンプに興味を持たせることで、市場それ自体を拡大させようとしているんですか。壮大なマーケティングですね。」
「だが、的を射ている考え方だと思うよ。インターネット黎明期の『個人ホームページ』も、本質的には誰かに自分の知識や趣味を知って欲しくて作られたものだからね。『自分の成果を伝えたい』というのは人間の欲求の一つなのさ。……テントの効率的な張り方や、野外で作れる美味しい料理、大雨の対処法だったりキャンプにおけるマナー。自分が頑張って得た知識を誰かに教えたいけど、周りに話が合う人が居ない。そういった人間が動画を投稿するのは良いことだろう? 自分も満足できるし、他人の利益にもなるからね。」
「動画だったら文章よりもダイレクトに解説できますもんね。」
香月社長の主張に賛同してやれば、彼女はこっくり頷いて会話を継続してくる。そういう感情は理解できるぞ。単車に熱中していた高校生の頃にライフストリームがあれば大助かりだっただろうし、ひょっとすると整備関係の動画の一本くらいは投稿していたかもしれない。『知りたい』と『教えたい』を繋げてくれる場なわけか。
「『共有』という現象がライフストリームの魅力の一つなんだ。知識の共有、経験の共有、感動の共有、失敗の共有。そういうものに対する欲求が世界的に増加してきているんじゃないかな。……要するに、『誰かと関わり合いたい』って類の社会性から来る欲望だよ。現代の人間はそれに飢えているのさ。故にライフストリームと似て非なるプラットフォームはどんどん増えていくはずだ。そもライフストリームが始まりってわけでもないしね。」
「香月さんは相変わらず面白いことを言いますね。……個人のホームページ、ネット上の『掲示板』、オンラインゲーム、音声チャット、そして動画共有サイト。全部を纏めて一つの流れだと認識しているわけですか。そうなると、次に来るのは何だと思います?」
「それが分かっていたら今頃私は大金持ちさ。投資家として一生のんびり暮らしていたよ。時に後戻りしたり、あるいは全く違った方向にズレるから予想なんて出来そうにないかな。私は自分の限界を知ったから、『依存症』になる前に金を転がすのをやめたんだ。」
「賢い選択ですね。……ちなみに私は手を出すことすら出来ませんでした。一定の成功を掴んだ段階で身を引けた香月さんは、間違いなく『成功者』なんだと思いますよ。」
悪戯げに微笑みながら褒める風見さんを目にして、香月社長は苦笑いで肩を竦めた。『金を転がす』か。俺には縁のない世界だな。
「特に『通貨のシミュレーションゲーム』にハマってしまうと地獄だからね。あれは潤沢な元手があって初めて勝負になるゲームなのさ。ビギナーズラックで小金を稼ぎ、そこでカジノを出るのが私の身の丈に合っていた行動ってことかな。……私はホワイトノーツで分相応な幸せを目指すよ。こっちの方がやっていて楽しいし、私は卓上の駒の方が向いているみたいだ。」
「主戦場に上場しないと『駒』にすらなれませんよ?」
コンビニ弁当を食べ切りながら突っ込んだ風見さんへと、香月社長は小さく鼻を鳴らして返答する。
「見えない場所で戦っている人間も居るってことだよ、風見君。立身出世を目指すなら、駒になる過程の前哨戦にも真剣に臨むべきさ。ここで勝てなきゃ意味がないんだから。」
「なら、私は一兵卒として引き続き営業をしてきますね。……駒場先輩、細かい話し合いは夕方でもいいですか? 先方が紹介してくれた会社を回っておきたいので。」
「もちろん大丈夫です、風見さんに合わせます。私も後で夏目さんの撮影の手伝いに行く予定ですしね。……豊田さんへの連絡は先にしてしまって平気ですか?」
「はい、そこは問題ありません。お願いします。……それじゃあ、行ってきますね。」
ブリーフケースを片手にスタスタと事務所を出ていく風見さんに、残った二人で挨拶を投げてからモニターに向き直った。さて、だったら俺は……メーカーからの資料をもう一度確認しておこう。きちんと頭に入れてからじゃないと、豊田さんに上手く説明できないだろうし。
風見さんが残していった資料を手に取ったところで、字幕作成を再開しながらの香月社長が問いを飛ばしてくる。
「そういえば、朝希君と小夜君の方はどうなんだい? 先ず彼女たちの姉からの許可が下りないと、事務所に撮影機材を運び込むことすら出来ないわけだろう?」
「説得が難航しているようです。小夜さんは『じわじわと勝ちに近付いています』と言っていましたが、朝希さんは『一進一退です』と表現していましたね。」
「良い勝負になっていることは伝わってくるよ。……収益化に関しては?」
「これまで得た情報を基に改めて相談してみたんですが……残念ながら、一部動画を削除することになりそうですね。単発のゲーム実況を数本削除して、六月分の申請をしてみる予定です。」
ライフストリームのシステム上、チャンネルの収益化を申請できるのは一ヶ月に一回なのだ。そして結果が不満であれば、一度だけ再審査の要望を出せるようになっている。だからまあ、事実上は月に二回運営側からチェックしてもらえるということになるな。
なので今回は『これが原因かもしれない』という最低限の動画だけを消して挑戦してみて、それで通らなかったら更に数本を削除して再審査を依頼する予定だ。……あー、胃が痛いな。夏目さんからも意見を貰ったし、モノクロシスターズの二人とも何度も話し合った。これで通らなかったらかなり落ち込むぞ。
必要のない動画まで消してしまうのは単なる自傷行為なので、削除する数本は物凄く慎重に選んだわけだが、それでもチャンネルにとって打撃であることには変わりない。……何かこう、釈然としないな。規約的にはどの動画もセーフのはずなんだから、現状でも通って然るべきなのに。
とはいえ、そんなことを言っていても始まらないのだ。出来ることをやるしかないとため息を吐いている俺に、香月社長もまた深々と息を吐いて言葉を返してくる。
「ホワイトノーツがキネマリード側から認知されていれば良かったんだけどね。そうすれば違った結果になっていたかもしれないよ。」
「……いつかはそうなりますかね?」
「無理にでも目を向けさせてみせるさ。有力なライフストリーマーを多数抱えれば、少なくとも日本支社とはある程度の連携を取れるようになる……はずだ。キネマリード社が何らかのイベントを開く時、舞台に立つのはどう考えてもライフストリーマーだろう? であればホワイトノーツという事務所の存在もそこそこ重要になるはずだよ。『仲の良い友人』になれるかはともかくとして、『付き合いがある知人』くらいにはなっておきたいところだね。」
「ライフストリーマーのイベントですか。現状だとまだちょっと遠い話ですね。」
さすがに企業のチャンネルには負けるが、日本国内の個人だと夏目さんは二位の登録者数だから……うーむ、イベントがあったら呼ばれたりするんだろうか? アメリカだと何度か開かれているものの、日本でのイベントは未だ開催される気配が無いな。
資料を読みながら考えていると、香月社長がニヤリと笑って口を開いた。
「いつか絶対に開かれるから、意識だけはしておきたまえ。……北アメリカがぶっちぎりの利用者数ってだけで、世界的に見れば日本のユーザーは多い方なんだよ。このままぐんぐん増えていけば、キネマリード社はこの島国にも目を向けるようになるさ。アジアのシェアは無視できないはずだ。」
「アジアの市場となると、中国が真っ先に思い浮かびますが。」
「私たちにとってもキネマリードにとっても中国は魅力的な市場であるものの、あそこは建前として一部の地域でしかライフストリームを利用できないからね。実際はまあ、案外普通に使われているらしいが……大々的にイベントを開くとなると話が変わってくるさ。ちなみに今現在のライフストリームは三十ヵ国で展開中で、ユーザー数はUSAが一位、UKが二位、ロシアが三位、日本が四位だよ。伸び率を見ると日本が二位に躍り出る日も遠くはないんじゃないかな。あとはインドも一気に伸びそうだね。通信インフラの整備さえ進めば、人口が多いあの国は『怪物市場』になるはずだ。」
「……日本が四位というのは実感が湧かないです。正直、かなり意外に思えます。むしろヨーロッパで流行っていると勝手に思っていました。」
きょとんとしながら応答してやれば、香月社長は愉快そうな雰囲気で返事をしてくる。
「ヨーロッパ全体で見れば多いだろうが、国家別なら良い勝負が出来るんだよ。日本は比較的通信環境が整っているし、それなりの人口を持っている経済大国なんだぞ、駒場君。……私はロシアが三位ってのが面白い現象に思えるかな。東西冷戦時代の連中が聞いたら笑うかもね。グローバル化の波ってやつを思い知るよ。」
「イギリスの利用者数が多いのは、英語の動画が多いからなんでしょうか?」
「だと思うよ。今のところ、英語の動画が過半数を余裕で占めているしね。言語の話者数はやっぱり重要みたいだ。……兎にも角にも、目下私たちにとって大切なのは『日本の利用者数がめちゃくちゃ伸びている』って点さ。そりゃあいつかは落ち着くだろうが、ユーザーは往々にして『大きな集団』に流れ易い。ここで頑張ってクリエイターたちのチャンネルを大きくしておけば、未来の大差に繋がるはずだよ。」
現在の小さな差が、後々大きな差になってくるということか。……そういえば夏目さんも登録者数の伸び方が変化していると言っていたな。五万人の頃の増え方と、十五万人の今の増え方だと全然違うらしい。多分香月社長が言いたいのはそういうことなのだろう。チャンネルの成長に従って、『歩幅』が大きくなっていくわけだ。
そうなると、今どれだけ結果を出せたかが将来の立ち位置を決定することになるぞ。もちろん『本当に面白い動画』を多数投稿できるライフストリーマーなら、後発だろうと関係なしに上がっていけるのだろうが……才能を頼りにしていても仕方があるまい。それ無しでも導けてこその事務所である以上、未来の展開も意識しておいた方が良さそうだな。
───
その後豊田さんへの連絡を済ませて、いくつかの動画チェックと事務作業を終えた午後二時。俺は訪問した夏目家のキッチンで、完成した料理を食べている夏目さんへとビデオカメラを構えていた。要するに、毎度お馴染みの料理動画の撮影補助をしているわけだ。
「うん、美味しく出来たと思います。これの目玉焼きを載せたバージョンがクロックマダムですね。個人的にはベシャメルソースを塗った方が食べ易いと思いますけど、もっとダイレクトにチーズの味が欲しいって場合はモルネーソースもありかもしれません。今回はオーブンを使って作りましたが、フライパンだけで手軽に作れる方法も概要欄に載せておきますから、オーブンが家に無いって方は参考にしてみてください。……ではでは、今回はクロックムッシュの作り方でした。また次の動画もよろしくお願いします。」
動画を締めながらぺこりと頭を下げた『さくどん』は、そのまま数秒間動きを止めた後で……カットか。パッと顔を上げて『夏目さん』として話しかけてくる。ラストで長く話す時もあるのだが、今回はシンプルな締め方だったな。あまり時間がかからない料理だったから、バランスを取るためにこっちも短くしたのかもしれない。
「はい、オッケーです。温かいうちに上に持っていって食べましょうか。」
「分かりました、運びましょう。」
カメラを下ろして二個の……二枚の? とにかく二つのクロックムッシュが載った皿を片手に持ち、グラスとお茶のペットボトルを手にした夏目さんと共に階段を上って彼女の私室に向かう。料理動画を撮った後は、二人で食べながら打ち合わせをするのがお決まりの流れになっているのだ。そして食べたらキッチンに戻ってきて、一緒に片付けをするパターンが多いな。
こうして美味しい料理を食べられるのは、一種の役得と言えるのかもしれない。そんなことを考えながら夏目さんの部屋に入り、商品紹介に使っている白い座卓に二人で着いた後、クロックムッシュを食べつつ声を投げた。
「いただきます。……あー、なるほど。これは確かにベシャメルソースの方が食べ易そうですね。味が整ってしつこくなくなるというか、よりマイルドになる気がします。」
「ここは人によるんでしょうけど、私はチーズが強すぎるのがちょっと苦手なんです。なので全体的にあっさりさせてみました。……美味しいですか?」
「もちろん美味しいですよ。夏目さんの料理はどれも美味しいですからね。」
無論、デスソース炒飯を除いてだが。あれも別に不味くはなかったものの、幾ら何でも辛すぎたな。……とはいえまあ、夏目さんが料理上手なのは事実だぞ。定食屋の手伝いで慣れているというのもあるんだろうけど、どうも彼女は人より舌が繊細らしい。俺では気付けないレベルの微細な味の違いを認識しているようなのだ。
あるいは単に俺が『バカ舌』なのかもしれないと不安になっていると、夏目さんは自分の分のクロックムッシュを食べながら嬉しそうに身体を揺らし始める。
「えへ、それなら良かったです。」
「コメントの反応も良いですし、料理動画はこれからもチャンネルの主力になってくれそうですね。」
「マンネリになるのだけが怖いので、色々工夫していこうと思ってます。……『ロバの餌事件』みたいなケースもありますし、見た目にも拘っていくつもりです。」
「……あれはジョークだったんだと思いますよ?」
ロバの餌事件。それは先日上げた野菜ラーメンの動画に『さくどんはロバの餌だって作れる』といった意味の英語のコメントがあって、そのコメントの評価が非常に高かったという事件のことだ。……俺としてはこう、ちょっとした悪気のない冗談だと捉えているんだけどな。
しかし夏目さんは結構気にしているようで、『見返すと見た目が悪かったかもしれません』と落ち込んでしまっているのだ。ちなみに問題となった料理は、塩ベースのラーメンに野菜が沢山載っているという一品なのだが……普通に美味しそうだったし、実際美味しかったぞ。ひょっとすると料理に対する文化的な感性の違いが出たのかもしれない。
恐る恐るフォローしてみた俺に、夏目さんはしょんぼりしながら小さく頷いてきた。
「多分そうだとは思うんですけど、でも『ロバの餌』って表現がしっくり来ないとあれだけの評価にはならないはずですし……つまり、『ロバの餌に見えた』って部分は事実ってことです。」
「食文化の違いですよ。余所の国の料理が『変』に見えるのはよくあることです。例えば、あーっと……納豆とか、ハギスとか、エスカルゴとか。そういう料理に首を傾げるのと同じような意味じゃないでしょうか?」
「……でもやっぱり見た目は気にしていきます。料理動画は特に外国のリスナーさんが多いみたいですし、そういう部分も重要だと思うので。」
「現時点でも充分美味しそうな見た目だと思いますよ? あのラーメンの場合は、一部の視聴者にとって身近な料理じゃなかったというだけのことです。人間は見慣れない物だと否定から入りがちですからね。実際に食べれば美味しいと感じるはずですよ。」
俺から見れば些細な問題でも、担当クリエイターが気にしているなら真剣に向き合うべきだ。『気にしない方がいいですよ』の一言で済ませてしまうのは論外だろう。そんな思いから懸命に語ってみた俺へと、夏目さんは上目遣いでポツリと言葉を漏らしてくる。
「……そうでしょうか?」
「見た目に拘るという点は悪くありませんが、そこに縛られすぎると夏目さんの動画の面白さが損なわれてしまいます。美意識はその人次第なんですから、あくまで一つの要素として捉えておくべきです。あの野菜ラーメンは余裕でセーフの範疇ですよ。少なくとも俺はヘルシーで美味しそうに見えましたし、大多数のコメントもそういう反応だったんですから。」
「駒場さんがそう言うなら……はい、あまり気にしないようにします。」
完全に解消されたわけではないものの、一定の納得はしてくれたらしい。会話を閉じてはむはむとクロックムッシュを食べている夏目さんに、こちらから新たな話題を切り出した。空気を変えるためにも、明るい話題を出すべきだな。
「それより夏目さん、登録者数十六万人おめでとうございます。」
「あっ、ありがとうございます。……十五万人のお祝い動画を作る前に、十六万人になっちゃいましたね。」
「良いことですよ。この調子で行けば、秋頃には二十万人を突破できるかもしれませんね。」
「何だか少しプレッシャーです。登録者数が増えるのは嬉しいんですけど、今のままで大丈夫なのかなって不安があって。……香月さんの『チャレンジするなら今だ』って言葉の意味を今更実感してます。試行錯誤できる余裕があるうちに、色んな方向に手を出していきたいです。」
ふむ、試行錯誤か。大きなチャンネルになってからでもやれないことはないが、いざコケた時のダメージはやはり変わってきそうだな。似た内容であれば一度目よりも二度目、二度目よりも三度目の方が良い動画になるのは間違いないはず。経験や慣れによって改善していけるのだから、余程に特殊なケースでなければそうなるだろう。
つまり、動き易いうちに様々な『一度目』を経験しておくのが大切なわけか。多少拙くても何とかなる今だからこそ、新たな一度目に挑んでいくべきというのは俺も同意見だぞ。将来の選択肢を増やすためにも、この段階で色々な方面に土台を伸ばしてみるのは有意義な行動であるはずだ。
夏目さんへと大きく首肯しつつ、思い付いた提案を口にする。
「今度名古屋に二泊三日の出張に行くんですが、夏目さんもどうですか? 車で移動するので時間はかかってしまいますけど、代わりに移動費が浮きますよ。」
「へ? ……あっ、え? 私も一緒にってことですか?」
どうしてそんなに動揺するんだ。ぽとりと皿にクロックムッシュを落としてしまった夏目さんへと、冷たい緑茶を一口飲んでから回答した。
「二日目は丸一日かけてロータリーさんの撮影を手伝う予定なんですが、到着日と帰る日は俺がカメラを持つことも出来ますから、この機に名古屋観光の動画を撮ってみるのはどうでしょう? 『旅行もの』というのは定番ですし、試しに手を出してみるのも良いと思いますよ。」
事務所として初めてのスポンサー動画なので、現地に行って直接豊田さんのサポートをすることになったのだ。香月社長は珍しく『慎重にやろう』との意見を出してきたし、俺もそうすべきだと思っている。今回の『案件動画』は後々のモデルケースになるかもしれないのだから、石橋を叩いて渡るくらいでちょうど良いはず。
そして何故短時間で行き来できる新幹線や飛行機でも、安い値段で済む高速バスでもなく、面倒な上に時間がかかる車での移動を選んだのかといえば……まあ、俺がそれを希望したからだ。香月社長は新幹線でも構わないよと言ってくれたのだが、俺としては自分が運転する車で行くのが一番気楽だぞ。
となれば助手席に夏目さんを乗せていけばいいだけの話だし、名古屋でさくどんチャンネルの動画も撮ってしまうというのは悪くない案じゃないか? 脳内で思考を回しつつ語った俺へと……どういう反応なんだ? それは。夏目さんは見る見るうちに顔を赤くしながら、あらぬ方向に目を逸らして返答してきた。
「えぁ……あの、はい。私は嫌じゃないです。に、二泊ですか。駒場さんと名古屋で二泊するんですね。」
「まだ日にちがはっきりしていないんですが、今月の中頃になると思います。宿泊はビジネスホテルでも大丈夫ですか?」
「うぁ、はい。大丈夫です。……さすがにベッドは二つですよね? まさか、一つですか?」
「……ツインルームの方がいいですかね?」
俺はシングルで事足りるんだけどな。動画的な見栄えを心配しているんだろうか? 首を捻りながら尋ねてみれば、夏目さんはこれ以上ないってほどに真っ赤になって返事をしてくる。
「ひっ……一つでも、いいです。」
「では、日付が決まったら改めて連絡しますね。それでスケジュール的に問題なさそうであれば、俺と夏目さんの二部屋をこちらで取っておきます。」
「二部屋? ……あっ、そういう。そういうことですか。あー、はい。なるほど、そうですよね。そんなわけないですもんね。」
ホッとしたように呟きながら忙しなく頷いていた夏目さんは、続いて少しだけ残念そうな面持ちに変わって口を開く。急に滑らかな口調になったな。よく分からない会話だったぞ。
「はい、ビジネスホテルのシングルで大丈夫です。名古屋での撮影、いいと思います。お父さんとお母さんにも一応許可をもらっておきますね。けど……ビジネスホテルって、一泊どのくらいするんでしょう?」
「大した金額ではありませんから、それはこちらで出しますよ。提案したのは俺の方ですしね。評判の良いホテルを探しておきます。」
「えと、ありがとうございます。実はその、商品紹介の方で沢山使っちゃって金欠気味なので……助かります。」
だろうな。今の夏目さんは『自転車操業』で動画を作っているので、あまり余裕がないことは何となく分かっていたぞ。極論、何かを買わなければ商品紹介の動画は作れないのだ。今月から家にもお金を入れ始めたらしいし、扱う物によっては未だ赤字になることもあるだろう。
心中で然もありなんと思っていると、クロックムッシュを食べ切った夏目さんが笑顔で話を続けてきた。
「名古屋となると、んー……あの商店街に行ってみたいです。赤い門があるところ、分かりますか?」
「大須商店街ですか?」
「それです、それ。大須商店街。そこで食べ歩きの動画を撮りたいです。……食べ歩きばっかりっていうのはダメですかね?」
「シリーズ化すれば比較できて楽しめますし、大須商店街で食べ歩きをして退屈な動画になるわけがありません。ダメどころか大賛成ですよ。あとはまあ、定番の観光スポットだと名古屋城ですかね。それに名古屋市役所も動画映えするんじゃないでしょうか。」
俺の発言を受けて、夏目さんは小首を傾げながら聞き返してくる。ピンと来なかったらしい。
「市役所、ですか?」
「名古屋市役所の本庁舎がですね、歴史のある立派な建物なんですよ。芸能マネージャー時代に撮影に同行する形で行ったことがあるんですが、重みのある荘厳な玄関ホールでした。映画やドラマの撮影に何度も使われているような場所なので、動画にする価値はあるはずです。」
「全然知りませんでした。……でも、撮影して大丈夫なんでしょうか?」
「俺の方で問い合わせてみます。他にも撮影したい場所があれば、メールか電話で知らせてください。行く前に連絡して許可をいただいておきましょう。」
水族館もあったはずだが、そっちは許可が出るか微妙なところだな。折角食べ歩き動画を作るなら、名物料理の店……味噌カツとか? の有名店の撮影許可も取るべきかもしれない。頭の中で計画を組み立てている俺に、眉間に皺を寄せている夏目さんが応答してきた。彼女も動画の構成を考えているようだ。
「名古屋のことを調べてピックアップしておきます。三日間で二本くらいに収めるのがベストですね。近い内容の動画があんまり続き過ぎちゃうとくどいですし、小出しにするよりは長い動画に纏めちゃった方が良いはずです。」
「ということは、投稿頻度的には一日分損をすることになるわけですか。」
「質的には得ですよ。そこを妥協しても仕方ないですから、ストック分で対処することにします。」
うーん、大変だな。やはり『毎日投稿』はメリットでもあり足枷でもあるらしい。……だが、『質的には得』という点は間違いないはずだ。毎日動画を上げていく中で、そういった山場となる一本を定期的に挟み込むのは重要だろう。
投稿のバランスに関してを思案している俺へと、立ち上がった夏目さんが声をかけてくる。
「じゃあ、片付けますね。キッチンをそのままにしちゃってますし、続きは片付けが終わってから話しましょう。」
「っと、手伝います。ごちそうさまでした。」
「はい、お粗末さまでした。」
空になった皿を持って、グラスを回収した夏目さんと一緒に一階のキッチンに向かう。……次の電話での打ち合わせの時、豊田さんにも聞いてみようかな。彼は三十年以上名古屋に住んでいるわけだし、地元の美味しい店とかを知っているはずだ。
何事も下準備が肝心なのだから、名古屋での夏目さんの撮影も、豊田さんのスポンサー動画も万全の準備をしてから臨まなければ。マネージャーとして決意しつつ、先ずは洗い物を手伝おうと到着したキッチンの流し台に歩み寄るのだった。
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