Ⅱ.モノクロシスターズ ④



「あー、モノクロシスターズさんですか。はい、見たことありますよ。ゲーム実況をやってる双子の女の子ですよね?」


知っているのか。モノクロシスターズの二人とカフェで話し合った三日後、俺は夏目家のキッチンで夏目さんと会話をしながら料理の材料を並べていた。今日はボルシチを作る動画を撮るということで、撮影の手伝いに来ているのだ。商品紹介は夏目さん一人で撮り、料理動画やチャレンジものは俺がカメラを持つというスタイルに落ち着きつつあるな。


じゃがいも、ニンジン、キャベツ等々の野菜を見栄えが良くなるように気を付けて並べながら、ビーツの缶詰を中央に置いている夏目さんへと返事を返す。普段料理をしないからかもしれないが、ビーツの缶詰なんて初めて見たぞ。スーパーの缶詰コーナーとかに普通に売っているんだろうか?


「その二人がホワイトノーツに所属してくれるかもしれないんです。……それでですね、夏目さんにアドバイスをいただけないかなと思いまして。」


「私はゲーム実況をやりませんし……ひょっとして、収益化の申請に関することですか?」


「その通りです。……さくどんチャンネルの場合はすんなり通ったんですよね? 何かコツとかがあるんでしょうか?」


残り半分になっているオリーブオイルの瓶を配置しつつ尋ねてみれば、作業の手を止めた夏目さんは悩んでいる様子で答えてきた。


「基本的には、著作権違反が弾かれる一番の原因だと思います。特に音楽関係で申請が通らないことが多いらしいですね。個々人のやり取りで許可を取って動画内で流してる音楽でも、運営さん側がダメだって判断するケースもあるみたいで。」


「チャンネルの全ての動画をチェックしたんですが、音楽は大丈夫そうです。歌やダンス以外の動画では流していませんでしたし、そこで使っている楽曲は公的に二次使用が許可されているものばかりでしたから。」


「そうなると、やっぱりゲームの著作権じゃないでしょうか? ……何というかその、運営さんは結構流れ作業で確認してるみたいなんです。申請が多いから仕方ない部分なんでしょうけど、『ゲーム実況』ってジャンルがそもそも通り難いっていうのはあるかもしれません。」


うーん、そこはあるんだろうな。キネマリード社内でどういった形式の確認作業をしているのかは推察するしかないわけだが、日々膨大な量の申請を処理しているのは確実だろう。チャンネルの動画一覧を見た際の先入観は間違いなく影響してくるはずだ。


豊田さんにも打ち合わせのついでに電話で聞いてみたのだが、彼の場合は何もしなくても一発で申請が通ったらしい。扱っている物が車や家電のシンプルな動画だからかもしれないな。一応基準は明確に提示されているものの、審査の過程が分からないから判断が難しいぞ。


考え込んでいる俺へと、夏目さんが一つの案を示してくる。


「『疑わしきは消す』って手段もありますよ。絶対大丈夫な動画だけを残して、ちょっとでも危ないと感じた動画は全部削除するって方法が。……どの動画も苦労して作ってるわけですし、投稿者としては辛い決断なんですけどね。どうにもならなくなった時の最終手段ってやつです。」


「かなりの強硬策ですね。それでも通る時は通るんですか?」


「今のライフストリームの規約だと、一定以上のチャンネル登録者数であること、投稿された動画に権利関係の問題がないこと、動画内で暴力的な行為や差別とかに繋がる発言をしていないことの三つが収益化の大きな条件ですからね。動画を削除しても登録者数は変わらないので、よっぽどあからさまじゃなければ申請を通すことは出来ます。チャンネルの動画数が減っちゃいますから、もしかしたら『視聴者離れ』は起こるかもですけど。」


「正に『最終手段』というわけですか。」


なるべく選びたくはないが、頭には置いておくべきかな。小夜さんと朝希さんの目標を叶えるためには、広告収益を得ることが絶対条件なのだ。広告を入れるための申請が通らないとスタートラインにすら立てないのだから、覚悟はしておくべきかもしれないぞ。


にしたって、投稿した動画を削除するというのは気が重くなる選択肢だな。夏目さんや豊田さんが懸命に動画を作っていることを、マネージャーたる俺はよく知っているのだ。モノクロシスターズの二人も当然そうなんだろうし、努力の結晶を消させるのは心が痛むぞ。


可能な限りそれ以外の方法を模索してみようと思案している俺に、夏目さんが心配そうな表情で声をかけてきた。


「……あの、私もチェックしてみましょうか? 自信はあんまりありませんけど、ひょっとすると問題点を見つけられるかもですし。」


「いえいえ、そこまでさせるわけにはいきません。大丈夫です、こちらで何とかしてみます。アドバイスをしてくれただけで充分ですよ。」


「だけど駒場さん、困ってるみたいですし……それに、事務所の『後輩』になるかもしれない子たちですから。空いた時間に軽くだけ確認してみます。どうせライフストリームの動画チェックは毎日やってるので、特に負担にはなりませんよ。他のチャンネルの動画をじっくり見れば、得られるものもあるでしょうし。」


「……ありがとうございます、夏目さん。」


ここは固辞するよりも、きちんとお礼を言うべき場面だろう。夏目さんを真っ直ぐ見つめて感謝を伝えてみれば……彼女はふにゃっと笑った後、照れている面持ちで撮影の準備を進めながら返答してくる。


「えへへ、駒場さんの役に立てるなら嬉しいです。……私のこともちょっとは頼ってくださいね。パートナーなんですから。」


「では、いつか恩返しをしてみせます。」


「もう沢山返してもらってますよ。今日だって手伝ってくれてるじゃないですか。……じゃあ、始めましょう。いつも通り材料の説明から一連でいきますね。」


「了解しました、回します。」


応じてからビデオカメラの録画ボタンを押して、画角にボルシチの材料と夏目さんの姿を収めた。それを見た『さくどん』が、一つ深呼吸をしてから材料の説明をスタートさせる。……カメラ役には随分と慣れてきたものの、そういう時こそ油断からのミスを恐れるべきだろう。初心忘るべからず。最初の頃の慎重さは保ったままで、かつ経験を活かしていかねば。


「はい、こちらが材料になります。ボルシチに不可欠なビーツなんですけど、今回は缶詰を使う予定です。ビーツ自体は売ってないスーパーでも、缶詰なら売ってるってパターンが多いので……まあその、入手し易さを重視してみました。ちなみにお肉を牛肉にしたのは私の好みであって、豚肉とか鶏肉でも問題なく──」


丁寧に材料の解説を行う夏目さんを撮りつつ、必要最低限にだけアップを使う。このシーンはほぼ固定した画角で映すべきなのだ。何度か料理動画の撮影を重ねた末にそれが一番だと判断したし、編集をしている夏目さんも同意見だった。


要するに、カメラの動かし方も状況やジャンルに合わせて変えるべきだということだ。商品紹介や料理動画は固定した画角をメインに使うが、チャレンジものや外での撮影では動かすことが多いってイメージかな。撮っている段階ではそこまで気にならないものの、動画にしてみると雰囲気が結構違ってくるし、この辺もマニュアルに組み込むべき部分だろう。


「──ですから、豆を入れたりするのもありかもしれません。ボルシチはロシアの家庭料理なので、これといった『正解』は無いみたいです。日本のお雑煮とかカレーとかと同じように、家庭ごとに違ったやり方があるらしいですね。なので今回は、あくまでもさくどん流のボルシチってことになります。苦手な物が材料にあったらどんどんアレンジしちゃってください。……それじゃあ、早速作っていきましょう。先ずはじゃがいも、ニンジン、玉ねぎ、キャベツを切っていきますね。」


『撮影のコツ』を上手く言語化するのは難しそうだなと考えながら、材料説明のパートを終えた夏目さんのことを今度は横から撮影する。どれも大きめに切っているな。キャベツだけはちょっと違うけど、この段階だとカレー作りに似ているかもしれない。……あるいはまあ、俺の知っている料理が少なすぎる所為で、何でも『カレーっぽい』になってしまっているという可能性もあるが。さくどんチャンネルを通して勉強しているつもりなのだが、実生活には未だ役立てられていないぞ。


「ニンニクは潰すだけでそのまま使います。……はい、野菜はこれでオッケーです。次はお肉ですね。鍋にバターとオリーブオイルとニンニクを入れて、そこにお肉を投入していきましょう。中火で色が変わるまで焼いていきます。」


その後もスムーズに調理を進めていき、野菜や水を入れた鍋を一度煮立たせてから火を弱めた夏目さんは、カメラに向けて断りを入れた数秒後に右手を回した。編集点の合図だ。


「ここでローリエを一枚入れたら、蓋をして弱火で二十分くらい煮ます。それが終わった後で味を整えて完成ですね。では、美味しくなるまで暫く待機しましょう。……駒場さん、録画は止めちゃって大丈夫です。あとは待つだけですから。」


「分かりました、止めますね。……サワークリームは食べる直前に入れるんですか?」


「私はそうしてるんですけど……もしかして、駒場さんの家だと違いますか?」


「いえ、興味本位で聞いてみただけです。俺はそもそもボルシチを食べたことがありませんからね。今日が初めてになります。」


こういう匂いがする料理だったのか。想像していたのと全然違うなと思っていると、夏目さんは何故か嬉しそうな笑顔で応答してくる。


「じゃあ、私のボルシチが初めての味になるんですね。……えへ、ちょっと嬉しいです。」


「そういうことはこれからもあるかもしれませんね。夏目さんは珍しい料理を作ることが多いですし、俺は無難な物ばかりを食べて生きてきましたから。」


改めて考えてみれば、ボルシチを食べたことのない二十五歳というのはどうなんだろう? 多数派なのか少数派なのかすら分からないな。自分の人生を顧みて疑問を抱いている俺に、夏目さんは……どうしてどんどん機嫌が良くなっていくんだ? かなりご機嫌な顔付きでうんうん頷いてきた。


「えへへ、それなら珍しい料理を沢山作ります。頑張って美味しくしないといけませんね。私の料理が駒場さんの『基準』になるんですから。」


「まあ、そうですね。そうなりそうです。」


楽しそうに身体をゆらゆら揺らしている夏目さんに返事をした後、ビデオカメラを置いて話題を変える。料理が好きだと、やっぱり誰かに食べてもらいたくなるんだろうか?


「そういえば、十五万人記念の動画の内容は決まりましたか?」


「えっとですね、まだぼんやりしてます。昨日の夕方に駒場さんと電話で話した後で、何か豪華な料理を作ってそれを食べながらトークする……っていうのを思い付いたんですけど、どうでしょう?」


「ああ、面白そうですね。さくどんチャンネルらしくて良いと思いますよ。」


先日さくどんチャンネルが登録者数十五万人を突破したので、お祝いと感謝を伝える動画を上げたいそうなのだ。十万人の時は予算的に厳しい時期だったから、これといった記念動画を出せなかったらしい。故に今回リベンジも兼ねて、『十五万人記念動画』を作りたいのだとか。


まあうん、良いことだ。夏目さんは十五万人を達成できて大いに喜んでいたし、俺も香月社長も嬉しかった。登録してくれた視聴者たちに感謝を伝えるというのは、素晴らしい案に思えるぞ。


皿を出すのを手伝いながら賛成した俺に、夏目さんはほうと息を吐いて呟きを寄越してくる。


「次は二十万人ですね。……これ、生意気な発言でしょうか?」


「俺は二十万人どころか、五十万人の時に何をやるべきかと考えていますよ。社長なんて『百万人企画をより豪華に見せるために、十五万人では抑え目にしておきたまえ』と言っていました。……貪欲に行きましょう、夏目さん。それがモチベーションに繋がるんですから。」


「……はい、気合を入れてコツコツ頑張っていきます。いっぱい喜んで、そしたら次を目指しての繰り返しですもんね。」


グッと両手を握った夏目さんに首肯しつつ、ボルシチの香りに包まれたキッチンに皿を並べていく。分かり易い達成感と、これまた分かり易い次の目標。そういった部分もライフストリームの魅力なのかもしれないな。


何にせよ夏目さんは一つのハードルを越えて、次に進もうとしている。ならばマネージャーとしては、彼女が新たな目標を達成できるように支えていかなければ。先はまだまだ長いのかもしれないが、地道に積み上げた努力は裏切らないはず。我が担当クリエイターどのが言うように、これからもコツコツ頑張っていこう。


───


そして初めてのボルシチを味わってから二日が経った、雨が降る六月最初の金曜日の夕刻。俺は事務所から車で二十分ほど離れたコンビニの駐車場の車内で、微糖の缶コーヒーを飲みながら待ち人たち……モノクロシスターズの二人の到着を待っていた。


五日前に彼女たちと会った後、電話で二度ほど短い話し合いを行ったのだが……どうにも収益化が通らない理由が判然としないので、ホワイトノーツの事務所で作戦会議を行うことにしたわけだ。あとはまあ、そのついでに撮影環境に関しての相談もする予定でいる。


そんなわけで、車で彼女たちが通う中学校の近くまで迎えに来たものの……まさか有名な名門私立に通っているとは思わなかったぞ。それを知って怖気付いたから、学校からちょっとだけ離れたコンビニを待ち合わせ場所に指定したのだ。名門で、私立で、おまけに女子校。そこに軽自動車で堂々と乗り込んでいく勇気など小市民たる俺には無い。分相応な選択だと言えるだろう。


しかしまあ、彼女たちの姉は相当無理をしたようだ。私立となると学費だって相応に高いだろうし、その上二人同時の入学だもんな。……ひょっとすると、それで小夜さんと朝希さんは不安に感じたのかもしれない。小学六年生で受験した段階では気付けないのも無理はないが、中学生活を通して学費の大きさに思い至ったというのは有り得る話だぞ。そして色々と計算してみた結果、現実に直面してしまったというところかな?


うーむ、年間どれくらいかかるんだろう? 小中高共に公立だった俺にはいまいち分からないが、間違いなく『高い』と言える金額ではあるはずだ。仮に年間百二十万前後だとして、二人で約二百五十万。そうなると三年間で七百五十万? 目眩がしてくる金額だぞ。様々な制度の補助を得たとしても、俺の給料だと厳しそうな額じゃないか。


もしかして、二人の姉は高給取りなのかな? 教育ローンを組むにしたって審査が必要だろうし、それを突破したならそれなりの年収であるはず。……何れにせよ、俺よりは遥かに稼いでいそうだ。二十歳で大学を辞めて、八年間で妹たちの面倒を見ながら出世していったわけか。


尊敬するぞ、本当に。互いの人生を比較すると、自分がやけにちっぽけな存在に思えてしまうな。どれだけの意志と努力を要したのか想像できないほどだ。お姉さんにとっての小夜さんと朝希さんは、それだけ大切な存在だということか。


となれば、ライフストリーマーになることには恐らく反対するだろう。今日事務所に行く許可は得られたと小夜さんがメールで送ってきたので、それを受け取った午前中の段階では光明を見出した気分だったのだが、今の推理で一気に望み薄になってしまったぞ。所属できるか、出来ないか。出来たとして収益化はどうなるのか。問題だらけだな。


缶コーヒーに口を付けながらため息を吐いたところで、運転席の窓がコンコンと軽くノックされた。応じて視線を向けてみれば、黒い傘を差している制服姿の小夜さんが目に入ってくる。後ろには白い傘を持った朝希さんも居るな。


「お二人とも、学校お疲れ様です。どうぞ、乗ってください。」


窓を開けて声をかけてやると、二人は喋りながら後部座席に乗り込んできた。ちなみに制服はお洒落なシングルの黒いブレザー、プリーツスカート、ローファーというよく見る三点セットだ。リボンではなくネクタイで、朝希さんの方はジャケット無しで白いカーディガンを着ているな。やはり自由度が高い校風らしい。


「お疲れ様です、駒場さん!」


「朝希、傘をパタパタしてから乗りなさい。中が濡れちゃうでしょ? ……どうも、駒場さん。迎えに来てくれてありがとうございます。」


「送迎はマネージャーの役目なので気にしないでください。それよりすみません、雨の中歩かせてしまって。学校に横付けするのは……何というか、危険かと思ったんです。」


「危険?」


きょとんとした顔で聞いてきた朝希さんに、小夜さんが苦笑いで説明してくれる。彼女は何が問題かを理解しているようだ。


「保護者じゃない人の車に乗るのは変だってことよ。……でも、平気だと思いますよ。うちの学校、芸能活動をしてる子とかも居ますから。『マネージャーさんが迎えに来る』って話は何度か聞いたことがあります。」


「こうして迎えに来ることは今後もありそうですし、正式に契約したら学校側から許可をいただくべきかもしれませんね。」


マネージャーが迎えに来るのはセーフでも、許可無しで敷地に入るのは当然アウトだろう。警備員とかに止められるはずだ。かといって毎回毎回学校の前に駐車して待つのは迷惑だろうから、敷地内に短時間だけ駐車する許可をもらうべきだな。芸能活動に寛容な学校であれば、そういうシステムも整っているはず。


車を発進させながら言った俺へと、朝希さんがキラキラした瞳で反応してきた。ついこの間も耳にしたような台詞でだ。


「何か、芸能人みたいですね。」


「ライフストリーマーはそれに近いものですからね。……ちなみに、所属の許可は得られましたか? 今日こうして事務所に行く件を話したということは、ライフストリーマーについてもお姉さんに相談してみたんですよね?」


コンビニの駐車場から道路に車を出しつつ尋ねてみれば……おっと、急にテンションが下がったな。傍目にも元気を失った朝希さんは、小夜さんの方をちらちら見ながら返事をしてくる。そしてバックミラーに映る小夜さんはムスッとした表情だ。第一回目の話し合いは良くない結果に終わったらしい。


「えっと……あの、ダメでした。小夜ちとお姉ちゃんで大喧嘩になっちゃって。お姉ちゃんは怒るし、小夜ちは泣くしで会話にならなかったです。今日事務所に行く許可をもらう時も、『もう約束しちゃったから』って小夜ちが一方的に知らせただけですし。」


「朝希は終始おどおどしてるだけで、何も援護してくれなかったしね。」


「だって、二人とも怒鳴り合ってて怖かったんだもん。……ごめんってば、小夜ち。次は頑張るから。」


泣いたのか、小夜さん。言われてみれば目の周りが若干赤いな。しゅんとしながら謝る朝希さんに、小夜さんがバツの悪そうな顔付きで応答した。結構な規模の姉妹喧嘩に発展したようだ。


「いいけどね、別に。あんたまで敵に回っちゃうとお姉ちゃんがキツいだろうから、口論は私がやるわよ。そういう役割でしょ。」


「うん……でも、今日は私からも頼んでみるよ。授業中に考えておいたから。」


「……説得は難しそうですか?」


右折待ち中に恐る恐る問いかけてみると、小夜さんが首を横に振って答えてくる。ワイパーやウィンカーの無機質な音が、何だか気まずさを助長しているような気がするな。


「簡単じゃなさそうですけど、姉のことは必ず説得します。今回は諦めません。」


「一応、私からお姉さんに話すことも可能ですよ。その場合説得というか、説明になりますが。」


精神的には物凄くキツいだろうが、芸能マネージャー時代にそういう『修羅場』は経験済みだぞ。俺は結局のところ部外者なので、ライフストリーマーになるかならないかに関しては強く言えないものの、なった場合の説明をすることだけは出来る。それがプラスに働くかマイナスに働くかは何とも言えないけど、状況を進める一手にはなり得るはず。


右折信号の点灯を目にしてアクセルを踏みながら提案してみれば、小夜さんは困っているような声色で返答してきた。


「姉の説得については私たちだけで何とかしてみせます。……ただ、説得できた後で詳しい話を聞きたがるかもしれません。その時はお願いしたいです。」


「分かりました。何れにせよ、準備だけはしておきます。必要な時は気軽に言い付けてくださいね。」


「はい。」


兎にも角にも、解決まではまだかかりそうなわけか。どっちの気持ちも分かるから、心情的にも複雑だな。……俺の方は『所属した場合』の準備を進めておこう。最終的に二人が所属しないのであれば無駄になるが、それならそれで仕方がないさ。二人の事情のことを考えると、ただただ待っているわけにはいかないぞ。


思案しながらハンドルを動かしている俺に、今度は朝希さんが話題を振ってくる。どことなく不安そうな口調でだ。


「駒場さん、駒場さん。収益化のことはどうですか? やっぱり私の『歌ってみた』とか『踊ってみた』の所為でした?」


「いえ、使用された楽曲に権利的な問題が無いのはチェック済みです。どれも規約的にはセーフでしたし、同じ楽曲を使っている他チャンネルが収益化していることも確認できました。」


「じゃあ、どうしてダメなんでしょう?」


「傾向として、『ゲーム実況』というジャンルそのものが通り難いというのはあるようです。既に収益化されている国内外のゲーム実況チャンネルを片っ端から調べてみたんですが、特定のゲームだけをやっているケースが多かったですね。中にはお二人と同じく『リーグ・オブ・デスティニー』をメインに扱っているチャンネルもあったので、どちらかと言えばそれ以外の単発のゲーム実況が原因なのではないかと予想しています。」


ワイパーを動かす速度を上げながら一度区切って、揃って眉根を寄せている後部座席の二人へと続きを語った。こうして見るとそっくりだな。双子だけあって全く同じ表情だ。


「つまりですね、私たちは『収益化が通り易いゲーム』とそうでないゲームがあるのだと予想しているんです。買い切りにせよ、基本無料にせよ、対人のオンラインゲームが通り易いのではないかと考えています。」


「何となく分かります。そういうゲームは配信を見て始めることが多そうですし、公的に配信許可を出してるタイトルが多いですから。……単発の実況動画だけ消すべきでしょうか? 全部著作権的にはセーフのはずなんですけど。」


消したくないんだろうな。沈んだ声で質問してきた小夜さんへと、車を一時停止させながら回答する。


「現在ホワイトノーツからキネマリード・ジャパンに問い合わせをしてみていますから、それで解決するというのが一番良い展開ですね。……しかしそれがダメだった場合は、一部の動画を削除することになってしまうかもしれません。」


「……そこまでやってくれてるんですか?」


「ホワイトノーツはまだまだ『ライフストリームとの関係を築けている』とは言えないので、個人での問い合わせと大差ありませんが……動画の削除という選択肢を選ぶ前に、やれることは全てやるつもりです。」


キネマリード社への問い合わせは、香月社長が直々に担当してくれているのだ。あの人は口が上手いし、もしかしたらどうにかしてくれるかもと期待しているものの……報告を聞く限りでは厳しそうかな。同じような問い合わせが多いからか、ざっくりとした定型文での答えしか得られていないらしい。


苛々した様子で『電話攻勢』を仕掛けていた香月社長の姿を思い返しつつ、小夜さんと朝希さんへと言葉を繋いだ。


「仮に投稿済みの動画を削除することになった際も、必要最低限の削除に抑えたいと考えています。私たちでチャンネルの動画を四段階に……噛み砕いて言えば間違いなく大丈夫な動画、多分大丈夫な動画、やや危険かもしれない動画、原因だと思われるダメそうな動画の四つに分類していますから、それを参考にお二人で決めてもらうことになりそうです。ここに関してはさくどんさんからも意見をいただきました。」


そういった『嗅覚』はやはり実際に投稿している人たちの方が上だろう。夏目さんは国内だとかなりのベテランライフストリーマーだし、様々な動画を熱心に研究している努力家だ。彼女が分類に協力してくれたのは大きいと思うぞ。


思考しながら夏目さんについてを付け加えてやれば、朝希さんがバッと身を乗り出して話しかけてくる。


「さくどんが? さくどんが手伝って──」


「こら、朝希。さくどん『さん』でしょ? 年上で、ライフストリームの古参で、事務所の先輩なんだから。」


「あっ、そうだった。……さくどんさんも手伝ってくれてるんですか?」


「お二人のことを軽くだけ話したら、彼女の方から手伝おうかと言ってきてくれたんです。いくつか『危なそうな動画』を挙げてくれました。ちなみにお二人のチャンネルの存在は以前から知っていたようですよ。」


まあ、呼び捨てにしてしまう気持ちは分かるぞ。動画のコメントを見ても、『さくどんさん』と丁寧に呼んでいる人は少数派なのだから。夏目さん自身もそこはプラスに受け取っていたな。『近い存在に思ってもらえてる証拠です』と口にしていたっけ。


苦笑しながら朝希さんに解説してみると、彼女はパアッと顔を明るくしてパタパタと足を動かし始めた。


「嬉しいです! 私、さくどんの動画をいつも見て──」


「朝希?」


「あぅ。ごめん、小夜ち。……私、さくどんさんの動画をいつも見てます。可愛くて、優しくて、それなのに変なことにもチャレンジしてて。だからファンなんです!」


うーん、『変なこと』か。分かってしまうあたりが恐ろしいぞ。デスソースを筆頭とするチャレンジ系の動画のことを言っているんだろうな。動作で喜びを表現しながら語った朝希さんに、笑顔で肩を竦めて応答する。


「では、さくどんさんに伝えておきます。彼女も喜んでくれると思いますよ。」


「サインとか、貰えたりしますか?」


「恥ずかしいことはやめなさい、朝希。そういうのはダメよ。駒場さんにもさくどんさんにも失礼でしょ?」


「……小夜ちだってコメットのサイン貰いたいって言ってたじゃん。駒場さんが元担当だって知った日の夜、ベッドで嬉しそうにバタバタしちゃってさ。ちょっと気持ち悪かったよ。」


ストレートに辛辣な評価を飛ばした朝希さんへと、小夜さんがひくりと口の端を震わせながら声を送った。コメットのサインは難しいと思うけどな。彼女たちのマネージャーではなく『一般男性』になった以上、軽々に会うべきではないだろう。電話やメールもしないようにと言ってあるし。


「……朝希? 私、言わないでって注意したわよね?」


「してないよ、聞いてないもん。……さくどんさんからサイン貰ったら、部屋に飾るからね。机の上に。」


「そこにはコメットのポスターがあるでしょ。三周年記念ライブのやつが。だからダメよ。」


「ライフストリーマーになるんだから、さくどんさんのサインを飾るべきじゃん。小夜ちばっかりスペース使っててズルいよ。……大体、全部同じようなポスターでしょ? 何であんなに沢山飾るの?」


心底疑問だという面持ちで問いかけた朝希さんに、小夜さんが攻撃的な怒りの笑みで反論する。カチンと来たらしい。


「あんた、言っちゃいけないことを言ったわね? あれはね、全部違うの! コメットの歴史を表してるポスターなの! だから正しい順番で飾らないといけないの!」


「でも、二人の部屋でしょ? それなのに小夜ちのプラモデルとか、ポスターとか、ぬいぐるみばっかりじゃん。」


「……代わりにクローゼットの中はあんたが八割支配してるじゃない。訳の分かんない古着、捨てなさいよ。そしたら部屋の『支配権』を何割か譲ってあげるから。」


「訳分かんなくないよ! ちゃんと全部着てるじゃん! ……そういうこと言う人には、もう服選んであげないからね。私が安くて可愛い古着を選んであげてるから、ああいう変な物が買えるのに。もう知らない。自分で買って。」


言い放ちながらぷいとそっぽを向いた朝希さんを見て、小夜さんは少し焦っている顔付きで口を開いた。これまでは何となく小夜さんが主導している雰囲気があったのだが……ふむ、必ずしも片方が上という力関係ではないらしい。バランスの良い双子だな。


「ちょっ……待ちなさいよ、それはまた別の話でしょ? 朝希? ねえ、朝希ったら。」


「知らない。意地悪な小夜ちなんて嫌い。触らないで。」


「ああもう、謝るってば。悪かったわよ。クローゼットは使っていいから。」


「……机の上は?」


ジト目で聞く朝希さんへと、小夜さんが目を逸らしながら返事を返す。


「……本棚の上ならいいわよ。1/100スケールのグノーザが置いてあるとこ。あれ、作り直すから。もう買ってあるの。」


「小夜ち? また同じプラモデル買ったの? ……何で同じのを何回も何回も買うのさ! 意味不明だよ。お金の無駄じゃん。新しいマイク買うために二人で貯金しようって約束したばっかりなのに。」


「や、安かったの。本当に安かったのよ。グノーザは良い機体なのに、それなのにワゴンにあったから……だから、可哀想でつい買っちゃっただけ。塗装が気に入らなかったからやり直そうと思って。動画にするからいいでしょ?」


「よくない! 私には我慢しなさいって言う癖に、いつもいつも自分だけこっそり買い物して……ダメでしょ、小夜ち! 財布、また私が持つからね。『財布権』剥奪だよ!」


何だその権利は。もしかして、財布を共有しているのか? 特殊なやり方をしているなと唸っている俺を他所に、劣勢の小夜さんが朝希さんからじりじりと離れつつ抗弁を放った。財布の共有なんて基本的に一緒に行動していないと成立しないだろうし、この二人はぴったりくっ付いて生活しているようだ。


「……あんたに持たせると買い食いするじゃない。トータルで見れば私の方が節約家よ。それで私が財布権を持つことになったんでしょ?」


「私は二人で分けっこするけど、小夜ちは独り占めじゃん。ダメだよ、もうダメ。無駄な抵抗はやめて財布を渡しなさい!」


「ちょっと、やめ……引っ張らないでよ! 買わないから! もう何も買わないから財布は持たせて!」


「ねえ、何でそんなに抵抗するの? ……ひょっとして、また何か買おうとしてるんでしょ? 隠そうとしたって分かるんだからね。『発売日』が迫ってきた時の反応じゃん、それ。大人しく財布を出しなさい、ダメダメ小夜ち!」


騒がしい後部座席をバックミラーで確認しつつ、苦笑いで車線を変える。まあうん、可愛らしいやり取りだと思うぞ。こういうかけ合いがモノクロシスターズの魅力の一つなのだろう。二人の趣味嗜好が大きく異なっているという点も面白いな。


そういった部分も活かしたマネジメントをしようと思案しながら、賑やかな二人を背に車を走らせるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る