モノクロシスターズ

Ⅱ.モノクロシスターズ ①



「はい、了解しました。では、修正の詳細はメールで送りますね。失礼します。」


よしよし、これで豊田さんへの連絡は完了だ。通話を終えたスマートフォンをデスクに置きつつ、駒場瑞稀こまば みずきは眼前のモニターへと向き直っていた。そうなると、次はメールの作成だな。それが終わったら弁護士事務所から届いた書類を参考にして、『プライバシーへの配慮』に関する資料を纏めなければ。


梅雨が近付いてきた五月の下旬、現在の俺はホワイトノーツの事務所で仕事に励んでいるところだ。先々週に名古屋で会った『ロータリーマン』こと豊田円とよだ まどかさんの所属が正式に決定したので、今のホワイトノーツは二人のクリエイターを抱えているわけだが……まあ、まだまだ会社の赤字は膨らみそうだな。何たって新たに事務員を雇ってしまったのだから。


「駒場先輩、どうぞ。お茶です。」


「ありがとうございます、風見さん。」


今まさに俺のデスクにお茶を持ってきてくれたのが、先日入社したばかりの風見由香里かざみ ゆかりさんだ。おっとりした顔立ちの美人さんで、長い黒髪を右肩の下で結んで前に垂らしており、左の目尻には特徴的な小さなほくろ……所謂泣きぼくろが見えている。まだ接した時間が短いので細かい部分は掴み切れていないものの、柔らかい性格の女性という印象に固まりつつあるぞ。


ちなみに年齢は俺の三つ下の二十二歳で、二ヶ月前に大学を卒業して社会人になったらしいのだが……そもそも、彼女はどうしてホワイトノーツを選んだんだろう? 名門大学の新卒かつ簿記や英会話の資格まで持っているんだから、望めばもっと良い企業に就職できたはずなのに。


その辺を怪訝に思いつつ風見さんのことを見ていると、対面のデスクに着いた彼女が小首を傾げて問いかけてきた。優しげな微笑を浮かべながらだ。


「どうかしましたか?」


「ああいや、すみません。どうして風見さんがホワイトノーツを選んだのかが気になってしまいまして。」


この数日間を通してあまり気負わずに雑談できるようになってきたし、そろそろこういう質問をしても大丈夫な頃合いだろう。胸の内の疑問を正直に口にした俺へと、隣でキーボードを操作していた香月社長が答えてくる。いつものように堂々とした態度で、これまたいつものように大きな胸を張りながらだ。我らが社長は今日も絶好調だな。


「君、知らなかったのかい? 風見君は私の存在に惹かれてホワイトノーツに入社したんだよ。」


「面接は社長が一人でやったんですから、私が志望動機を知るはずがないでしょう? ……どういう意味ですか?」


「そのままの意味さ。投資家香月玲かづき れいが立ち上げた会社だから、風見君はホワイトノーツを選んだわけだね。」


「……香月社長はこんなことを言っていますが、実際のところはどうなんですか?」


何となくだが、大袈裟に言っていそうな気がするぞ。ふふんと威張っている香月社長を指差して尋ねてみれば、風見さんは困ったような笑みで『真実』を語ってきた。


「香月さんは大学の先輩なんです。私が一年生の頃に三年生の先輩として出会ったんですけど、学内でも有名な人だったんですよ? 同じサークルに所属していたので色々とお世話になって、その時の経験から香月さんの『凄さ』はよく知っていましたから、事務員の求人を見つけてすぐに応募しちゃいました。」


「……香月社長って、私の一個下だったんですか。」


「君、真っ先にそこに食い付くのかい? ……そういう台詞が出てくるということは、君は私を年上だと思っていたわけだ。年頃の女性としては抗議したくなる発言だね。非常に悲しい気持ちになったよ。」


「いや、あー……違います、そうじゃありません。『社長』というイメージが先行していただけですよ。パッと見では自分よりもずっと若く見えるけど、やけに貫禄があるからひょっとしたら年上なのかもと考えていただけです。」


実際は『自分よりずっと若く』ではなく、『二十代前半』としか思っていなかったが……まあうん、社長に倣ってほんの少しだけ大袈裟に表現しただけだ。完全な嘘ではないぞ。真実とも言えないけど。


ムスッとしている上司を目にして慎重に言い訳を放った俺へと……うーむ、分かり易いな。途端に機嫌を良くした香月社長が、うんうん頷きながら返事を寄越してくる。


「なるほどね、なるほどなるほど。溢れ出る貫禄の所為で誤認したわけだ。それなら仕方がないかな。……いやぁ、自分よりずっと若く見えてしまったか。それは参ったね。高校生くらいという意味かい?」


「……はい。」


高校生くらいに見えたらそれはそれで別の問題がありそうだけど、ここで『いいえ、二十二歳くらいです』とわざわざ訂正するのは危険だと判断して肯定した俺に、香月社長はご満悦の顔付きで椅子に背を預けながら口を開いた。


「となると、夏目君と同世代か。若く見えすぎるというのも困りものだね。」


「……風見さん、香月社長はどういった意味で『有名な人』だったんですか?」


「学生なのに物凄い大金を稼いでいて、いつもスーツ姿で、美人かつ小柄で可愛らしくて、おまけに話し方と性格が『独特』だということで有名でしたよ。」


独特か。上手いこと無難な表現に落とし込んだな。風見さんの機転に感心しつつ、彼女に対しての発言を重ねる。この際仲良くなるために色々と聞いてみよう。たった三人だけの社員なのだから、ある程度打ち解けておきたいぞ。


「独特ですか。何となく想像が付きます。……しかし、それだけで就職先を決めてしまうのは中々大胆な選択ですね。」


「卒業してからの一年間は、元々自由に使おうと考えていたんです。海外旅行に行ってみたり、大学では出来なかった勉強をしたりして、人生の経験を積む期間にする予定だったんですけど……香月さんの側に居た方が面白いかなと思いまして。」


「運命だよ、風見君。もし卒業直後に普通に就職していたら、今頃別の会社に所属していたわけだろう? しかし君が『猶予期間』を自らに与えたお陰で、こうして私たちは再会できたわけさ。……いやはや、相変わらず私は運が良いようだね。まさか君ほど優秀な人材が引っ掛かるとは思わなかったよ。海老すら使わずに鯛を釣った気分だ。」


何だその喩えは。……香月社長の運も確かに凄いが、大学卒業後の一年間を『人生の勉強期間』に定めてしまえる風見さんも相当だな。小市民たる俺は短大に入ったその瞬間から就職の心配をしていたし、『新卒』の肩書きを無駄にすまいと必死だったぞ。自分の能力に自信を持っているが故の選択なのかもしれない。


己の平凡な人生を省みて落ち込んでいる俺を他所に、風見さんが落ち着いた笑顔で香月社長に相槌を打った。


「はい、私も香月さんの会社で働けて嬉しいです。」


「これで『掘り出し物』が二人も手に入ったし、私としても大満足さ。……次は営業担当を探さないとね。良い人材が見つかるといいんだが。」


「求人、まだ出していないんですよね?」


「今は知り合いを当たってみている段階なんだよ。とはいえどこからも推薦がないから、そろそろ公募に方針を切り替えるべきかな。」


社長の謎の人脈も今回は空振りに終わったわけか。俺と香月社長が相談しているのを見て、風見さんがするりと会話に割り込んでくる。


「それなら、私がやりましょうか?」


「……出来るのかい?」


「もちろん経験はありませんけど、興味はあります。営業もやってみたいです。」


「そういえば君は物怖じしない子だったね。私と同じ『挑戦屋』だったことを思い出したよ。……んー、どうしようか。正直追加を雇わなくて済むのは助かるし、風見君なら卒なくこなしそうだという予感もあるが、事務と営業を両方任せてしまうとオーバーワークになりかねない。社長としては難しいところだ。」


腕を組んで悩む香月社長へと、思い付いた提案を送った。俺としても予想外の展開だが、当人にやる気があるなら任せてみるのも悪くないはず。何より人件費をカットできるのはデカいぞ。


「事務を三人で分担するのはどうですか? 私がマネジメントを、風見さんが営業を、香月社長が……『社長業』をする合間に、協力して事務作業を処理するんです。ホワイトノーツはまだ小さな会社ですし、そういうやり方もおかしくはないと思いますよ。」


「ん、それは良いかもね。……ちなみにだが、駒場君。私は弁護士との窓口になったり、英語の字幕を作ったり、動画のチェックを手伝ったり、スカウトをしたりと日々忙しく働いているぞ。今度からは言い淀まないように。」


「単に言い方が分からなかっただけですよ。他意はありません。……風見さんもそれで大丈夫そうですか?」


「はい、大丈夫です。私は経理関係が得意なので、そっち方面を優先的に回してください。」


ぬう、営業と経理か。風見さんがいきなり事務所の最重要人物になってしまったな。……何というかこう、頼もしい反面ちょっと焦るぞ。俺も先輩として頑張らなければと気を引き締めていると、こっちもこっちで焦っているらしい香月社長が引きつった笑みで話を纏めてくる。


「なら、暫くはそういう体制でやってみようか。……私はまあ、社長だからね。事務所の掃除とかをするよ。掃除は社長の役目さ。」


「……そうですかね?」


「余所がどうしているのかは知らないが、私は会社の責任者こそが掃除をすべきだと思っているよ。」


いまいちピンと来ない主張だが、これもまた経営理念の一部なのかもしれない。香月社長の奇妙な拘りを受け流してから、マウスを動かして検索ブラウザを開きつつ声を上げた。


「営業車はどうします? 軽乗用か、軽商用か、普通車か、買うのかリースにするのか。選択肢は沢山ありますけど。」


「……値段的にはどうなんだい?」


「待ってくださいね、えーっと……軽乗用車や軽商用車なら八十から百万、普通車なら百五十万前後ってところですね。当然もっと高い車や安い車もありますけど、その辺りが営業車としての『売れ筋価格帯』みたいです。」


「まあ、そんなものだろうね。大体予想通りだよ。……風見君、希望はあるかい? 主に君が使うことになる車だから、何か要望があるなら善処するが。」


そりゃあ大金ではあるものの、自動車の値段としては安いくらいじゃないかな。この価格帯の車が社用車として人気だということは、どこの企業も『会社の車』には余計な金をかけたくないらしい。車好きとして少し微妙な気分になっていると、風見さんが申し訳なさそうな表情で返答を返す。


「メーカーや車種には特に拘りがありませんけど、私の免許はオートマチック車限定なんです。マニュアル車は運転できません。」


「……駒場君、助けてくれ。免許を持っていない私にはよく分からないよ。」


「今はもうマニュアル車なんて滅多にありませんから、気にせず選んで大丈夫ですよ。余程に古い車種だったり、あるいは趣味の色が濃い車でなければ全部オートマです。……仮に軽ならこの辺じゃないでしょうか? 更に安くも出来ますけど、それなりに車内の居心地が良くないと風見さんが大変ですし。」


自動車メーカーのサイトが映っているモニターを示して意見した俺に、香月社長が首を捻りながら返事をしてくる。自動車は彼女の苦手分野に属しているようだ。得意分野との差が凄いな。


「うん、何が違うのかさっぱり分からんね。……豊田さんに相談してみるのはどうかな? 知り合いの中では彼が一番自動車に詳しいと思うんだが。」


「ああ、良い考えですね。ちょうどメールを送るところなので、雑談程度にだけ入れてみます。」


「そういえば、さっきの電話で動画の修正が云々と話していたね。何か問題があったのかい?」


「テロップに抜けや間違いがあっただけです。動画自体は素晴らしい出来でしたよ。……豊田さんはまだテロップや効果音を使い始めたばかりなので、編集作業に慣れていないのかもしれません。そこは私がチェックを厳にする形でフォローしていこうと思っています。」


ら抜き言葉等々の口語調テロップに関しては投稿者の個性と判断しているが、明確な誤字や抜けなどは報告するようにしているのだ。でなければダブルチェックをする意味がないし、そういう点を拾えないと俺の存在意義も薄れてしまう。結構必死に目を光らせているぞ。


そういった動画の修正箇所を伝えるためのメールの文末に、社用車についての相談を追加しながら応じた俺へと、香月社長が自分の肩を揉みつつ質問を飛ばしてきた。


「結局豊田さんは家電紹介の動画を増やすことにしたんだろう?」


「ええ、チャンネル内のジャンルの割合としては商品紹介が増えそうですね。車の動画は『仕事』として焦ってやるのではなく、楽しみながら投稿できるペースに抑えるという結論に落ち着きました。代わりに家電以外にもガジェット系の小物を扱ったり、子供用品の紹介や『買い物動画』などを増やしていく予定です。」


「買い物動画?」


「うちに所属する前に上げた大型スーパーでの買い物動画の再生数が良かったので、そういう動画はどうですかとアドバイスしてみたんです。……まあその、豊田さんとしてはそんなに期待していなかった一本らしいんですけどね。許可が得られなくて店内の映像を撮れなかったから、アップロードするかどうかも迷ったと言っていました。」


投稿ペースを保つための『場繋ぎ』として上げてみたところ、意外にも再生数が伸びてびっくりしたんだそうだ。大型の倉庫型スーパーで買ってきた商品を値段と共に一つ一つ紹介しつつ、繰り返し購入している冷凍食品のどこが良いのかを説明したり、初めて買ってみた大容量の外国のお菓子のレビューなどを行っている動画なのだが……あまりスーパーで買い物をしない俺でも楽しめるような一本だったぞ。


声だけで出演している奥さんの『主婦目線』の意見も分かり易かったし、食品に対しての子供の反応なんかも解説していたし、会員制のスーパーが故のコストパフォーマンスについての話もあったので、『家庭向けの参考になる動画』という感じだったな。さすがに頻繁に出せるタイプの動画ではないが、一、二ヶ月に一本ペースの『定番動画』として成立させられる気がしたのだ。


そんな考えから提案してみたところ、豊田さんが……というか豊田さんの奥さんが乗り気になってくれたので、現在打ち合わせを進めているわけである。この調子でシリーズものを増やしていけば、定期的な投稿の安定化にも繋がってくれるはず。新たなジャンルに挑戦してみるのも大切だけど、チャンネルの骨子はきちんと整えておいた方が良いだろう。『買い物動画』が支柱の一本になってくれることを祈るばかりだな。


思考しながらパソコンを操作している俺に、香月社長が苦笑いで応答してきた。


「なるほど、あの動画か。確かにあれは伸びていたね。……つくづく何が『大当たり』になるかが分からないプラットフォームだよ。期待せずに放った動画がど真ん中を射貫くこともあれば、絶対伸びると確信した動画が大外れになったりもする。我々としては困りものさ。」


「百発百中は不可能でしょうが、真剣に向き合えば『ヒット』の割合を向上させられるはずです。それが私たちの仕事なんですから、どうにか頑張って打率を上げていきましょう。……それと、『プライバシーへの配慮』に関しての資料を纏めて夏目さんと豊田さんに送りますね。今後所属するクリエイターにも渡せるように、なるべく丁寧に作ってみます。」


動画制作における肖像権への配慮。その資料を香月社長が友人の弁護士さんから貰ってきてくれたので、所属クリエイター向けに纏めようと考えているのだ。顔やナンバープレートの映り込みは限りなく白に近いグレーだが、許可なくフォーカスするのは危険。そういった注意事項を伝えるための物になりそうだな。


先月の末に行ったハーモニーランドでの撮影で気になったので、香月社長に頼んで資料を入手してもらったわけだが……うーん、やはり難しい点だ。何もかもにぼかしを入れると動画が面白くなくなるものの、気遣わなければトラブルの原因になってしまうはず。弁護士の先生からしても線引きがあやふやな部分らしいから、最終的な判断は各クリエイターに任せるべきかもしれないな。


とにかく『絶対ダメ』と『間違いなくセーフ』なラインを明記しておいて、グレーゾーンに関してはクリエイターたちと都度話し合って決めていこう。危険予測はマネージャーの役目なのだから、プライバシー保護のことはしっかりと頭に入れておかなければ。


頭を悩ませながら豊田さんへのメールを送信したところで、風見さんが穏やかな声をかけてきた。


「駒場先輩、私も手伝います。資料の作成のことを勉強させてください。」


「助かります。……ちなみに社長、法務関係はこの資料を作ってくれた弁護士さんに委託するんですか?」


「そうなりそうかな。信頼できる人物だし、能力もある。ホワイトノーツの法律問題はそっちに投げることにするよ。近々正式な委託契約を結びに行くつもりだ。」


「段々と会社らしくなってきましたね。」


社員が増えて、事務所の物も増えて、所属クリエイターも増えて、仕事の量も増えてきたな。ようやく動き出したという実感が湧いてくるぞ。……とはいえ収益面はまだまだ未熟だから、ここから慎重に肉付けしていく必要がありそうだ。


───


そして風見さんと二人で書類作成に勤しんだ後、短い昼休憩を挟んだ午後一時半。俺は『さくどん』こと夏目桜なつめ さくらさんの送迎をするために、彼女の家である『定食屋・ナツメ』を訪れていた。今日は外で撮影を行う予定なので、車で迎えに来たわけだ。


都内に住んでいる夏目さんにはこうやって直接的な手助けが出来るが、愛知県在住の豊田さんに対しては間接的な支援が主になる。マネージャーとして距離を言い訳にするわけにはいかないし、その辺のことも熟慮すべきだなと思案しつつ、店舗側ではなく『夏目家』の玄関のインターホンのボタンを押して待っていると──


「はい。……どうも、駒場さん。入ってください。」


「こんにちは、叶さん。お邪魔します。」


むう、妹さんが出てくるのは予想外だぞ。動揺を顔に出さないように気を付けて挨拶した後、開けてくれたドアを抜けて革靴を脱ぐ。……長袖の黒いTシャツに白いショートパンツ姿の彼女は、俺の担当クリエイターである夏目さんの妹のかなえさんだ。前に夏目さんが『妹は今年の春で中学二年生です』と言っていたので、十三か十四歳ということになるな。


一応何度か顔を合わせているし、話したことだってあるのだが……うーむ、緊張するぞ。何なら夏目さんの両親を相手にする時よりやり難いかもしれない。叶さんにとっての俺は『姉のマネージャー』なので、要するによく知らない大人の男性が頻繁に自宅に来ているという状況であるはず。嫌だろうさ、そんなのは。それが想像できてしまうから、彼女と話す時は何だか申し訳ない気持ちが湧き上がってくるのだ。


「ありがとうございます。学校、お休みだったんですか?」


無言で出してくれたスリッパのお礼を口にしながら世間話を振ってみれば、叶さんは小さく首肯して反応してくる。さすがは姉妹だけあって容姿そのものは夏目さんに似ているが、目元の雰囲気だけが異なっているな。夏目さんを少し幼くして、髪をミディアムにして、やや鋭い目付きにしたのが叶さんなのだ。


「はい、創立記念日で休みです。……姉のことを呼んできますね。店の方に居るので。」


「すみません、よろしくお願いします。」


言うとスタスタと歩いて行ってしまった叶さんを見送りつつ、廊下に立ったままで頭を掻く。基本的に無口で無表情な子らしいので、嫌われているのかどうかすら掴めないな。……まあでも、素っ気無い態度からして好かれてはいなさそうだ。普通に落ち込むぞ。


芸能マネージャーだった頃はそれなりに好印象から入れていたのだが、ライフストリーマーのマネージャーなんて世間では未だ『訳の分からん怪しい職業』だもんな。然もありなんとため息を吐いていると、店舗スペースに繋がっているドアが勢いよく開いて夏目さんが登場した。


「駒場さん、すみません! 仕事に夢中で時計を見てませんでした!」


「大丈夫ですよ、来たばかりなので問題ありません。」


白いTシャツとジーンズの上から紺色のエプロンを着けている夏目さんは、纏めていた黒いセミロングヘアを解きながら大慌てで俺に近付いてくる。……最近分かってきたのだが、この子は集中力が物凄いのだ。別に時間にルーズなわけではなく、集中すると周りが見えなくなるので『約束の時間』に気付けないことが多いらしい。


そんなわけで慣れている俺に対して、夏目さんはかなり申し訳なさそうな面持ちで断りを入れてきた。


「あの、ちょっとだけ待っててください。すぐに着替えてきますから。本当にすみません。」


「ゆっくりで平気ですよ。時間的にはまだ余裕がありますから。」


階段を駆け上がっていく夏目さんに呼びかけた俺へと、彼女の後から住居スペースに戻ってきた叶さんが話しかけてくる。姉が脱ぎ捨てた靴を揃えているな。しっかりしている子だ。


「……これから撮影に行くんですか?」


「ええ、そうですね。撮影許可をいただけたので、渋谷にある人気のカフェに動画を撮りに行く予定です。」


「撮影許可? ……まるで芸能人みたいですね。」


「芸能人ですか。どうなんでしょう? ライフストリーマーという職業は、所謂芸能人と一般人の中間くらいに位置しているのかもしれませんね。」


そも『芸能人』の定義がはっきりしていないから何とも言えないな。人によって捉え方に差がある言葉だと思うぞ。無難な相槌を打った俺に、叶さんは若干だけ眉根を寄せて話を続けてきた。


「……姉は、上手くやっていけそうですか?」


「未来の予想をするのは難しいですが、少なくとも今現在は順調に進んでいます。今月の頭に投稿したハーモニーランドの動画が良い具合に伸びましたし、チャンネルへの登録者数も想定より増えていますから。」


「そうですか。……じゃあ、失礼します。」


うーん、そこで話を切ってしまうのか。唐突な終わり方だな。ぺこりと頭を下げてから階段を上っていった叶さんと入れ替わる形で、荷物を手にしてパーカーを羽織った状態の夏目さんが一階に下りてくるが……姉を心配しているとか? いまいち真意を掴めなかったけど、そういう風にも取れる会話だったぞ。


「お待たせしました、出られます。」


「では、行きましょうか。」


まあうん、そういうことだと思っておこう。叶さんに関する疑問を強引に纏めた後、リュックサックを背負わずに持っている夏目さんと共に外に出て、すぐそこに駐車してある黒い軽自動車へと乗り込んだ。そのままゆっくりと車を出しつつ、助手席の担当クリエイターに声をかける。


「二時半に約束しているので、真っ直ぐ向かうと少し早く着いてしまいそうですね。どうします?」


「んー……折角ですし、渋谷の街歩き動画も撮りたいです。お店の近くで軽く撮影してからカフェに行って、そこでの撮影後に本腰を入れて撮るのはどうでしょう?」


「了解です。私もカメラを──」


「駒場さん? 今は二人っきりですよ?」


おっと、そうだった。ジト目の夏目さんの注意を受けて、苦笑しながら言い直す。


「俺も事務所のカメラを持ってきたので、基本的にはそっちで撮りましょうか。」


呼び方を変えた俺を目にして至極満足そうな笑顔になった夏目さんは、こっくり頷いてから応答してきた。俺としてはまだ慣れないが、以前二人だけの時は『私』ではなく『俺』にするという約束をしてしまったのだ。だったら守るべきだろう。


「はい、分かりました。……楽しみですね、パンケーキ。売り切れてないといいんですけど。」


「撮影の約束をしているわけですし、売り切れることは無いと思いますよ。特に金銭のやり取りは行われていないので、スポンサーではなく『撮影協力』という形ですが……まあ、ウィンウィンなやり方ではあるはずです。こちらは面白い動画を撮れて、向こうは宣伝が出来るわけですから。」


「撮影させてもらうんだから、なるべく美味しそうに食べないといけませんね。そのために色々と勉強してきました。」


どういう勉強をしてきたんだろう? ……何にせよ、良い姿勢だと思うぞ。流行っているカフェなのだから美味しくないはずはないし、ベタ褒めしても違和感は出てこないだろう。こっちからアクションをかける場合はその辺が楽でいいな。そもそも『安全牌』を選んでいるので、正直さと面白さの間で迷わなくて済むわけか。


だが、向こうからスポンサー契約を持ち掛けられた時はそうもいかない。受けるか、断るか。そして受けた時に正直さを前面に出すか、それとも仕事として大袈裟に褒めるか。そういった部分は丁寧に扱っていく必要がありそうだ。事務所として一つのやり方に拘るのではなく、クリエイターそれぞれのスタイルに合わせて調節していかなければ。


夏目さんはそういう問題に当たった際、どんな選択を下すんだろうかと考えていると……助手席でスマートフォンを操作している彼女が、明るい顔で新たな話題を送ってくる。渋谷のことを調べているのかな?


「そういえばロータリーマンさんの動画、見ましたよ。何だか不思議な気分です。会ったこともないずっと年上の人が、同じ事務所の同じマネージャーさんに付いてもらってるクリエイター仲間っていうのは……何とも言えない気持ちになります。」


「嫌ですか?」


「いえいえ、違います。全然嫌ではないです。男の人ですし。」


んん? 男の人? 何故そこに着目したのかを怪訝に思っている俺へと、夏目さんは眉間に皺を寄せながら続けてきた。


「上手く言葉にするのは難しいんですけど、同じ事務所のクリエイターとして頑張って欲しいって応援する気持ちと、同じ事務所だからこそ負けたくないって対抗心が混ざり合ってる感じ……ですね。割合としては応援が八で、対抗心が二くらいです。」


「ああ、なるほど。そういう意味ですか。……素晴らしい心構えだと思いますよ。気にし過ぎるのは問題ですが、切磋琢磨する相手が居るのは良いことです。そのうち一緒に動画を撮ってみるのも面白いかもしれませんね。お互いの視聴者が興味を持ってくれるかもしれませんし。」


「あー、それは良いですね。……でも私、自動車には詳しくないです。どういう形に持っていくべきでしょうか?」


「やり方はいくらでもありますよ。『さくどんとロータリーマンがコラボレーションする』という点が重要なんだと思います。」


単なる思い付きで言ってみたわけだが、ライフストリーマー同士の『コラボレーション動画』というのは結構良いアイディアじゃないか? 他の投稿者との交流は大いにありだと思うぞ。このまま所属クリエイターが増えていけば、そういう形式の動画も頻繁に作っていけるかもしれない。


いやまあ、自社所属に拘る必要すらないか。まだまだライフストリームに垣根は存在していないわけだし、個人でやっているライフストリーマーとコラボするのも全然可能だな。互いの視聴者に対して互いのチャンネルを紹介する良い機会になるはずだから、受けてくれるライフストリーマーは多いだろう。


今度香月社長に提案してみようと思案している俺に、夏目さんが返事をしながら再び話題を変えてくる。


「いきなり知らない人を相手にするのは緊張しますけど、どっちも駒場さんの担当なら大丈夫かもしれません。……ちなみに、新しい事務員さんはどうですか?」


「風見さんですか? 優しい女性なので接し易いと思いますよ。営業もやってくれるんだそうです。」


「そうなんですか。」


喜んでくれると思っていたんだが……何か、いつもより平坦な声だな。夏目さんは人見知りするタイプらしいから、気後れしているのかもしれない。車を運転しつつそういう結論を脳内で弾き出して、風見さんの『良いところ』を助手席に投げた。


「風見さんは柔らかい雰囲気がありますし、俺よりも遥かに気遣いが上手い人ですよ。香月社長によれば、慣れさえすれば営業も卒なく行えるだろうとのことでした。」


「……美人さんですか?」


「まあ、はい。俺からすれば美人と呼べる容姿に思えますね。」


「香月さんと比べるとどうでしょう?」


おおっと、危険な質問が飛んできたな。どう答えても泥沼じゃないか。夏目さんがスマートフォンに目を落としながら寄越してきた問いに、必死に思考を回して返答する。


「それは、難しい問いですね。個々人で答えが異なるでしょうが……俺の場合はまあ、甲乙付け難いという感じです。」


「要するに、香月さんと『甲乙付け難い』ような美人さんなんですか。」


どうしてどんどん沈んだ声色になっていくんだ? 美人だと嫌なんだろうか? 訳が分からなくて困惑していると、夏目さんは窓にコツンと頭を預けてポツリと呟いた。どことなくアンニュイな表情でだ。


「……じゃあ、もっと頑張らないとダメですね。」


「あーっと、どういう意味でしょう?」


恐る恐る聞いてみた俺を見て、何だか不満げな顔付きになった夏目さんは……姿勢よく席に座り直しながら唐突に話を締めてしまう。


「何でもないです。気にしないでください。……駒場さんは渋谷で行きたいところ、ありませんか? 毎回お店の撮影許可をいただくのは大変でしょうし、外で食べられる物をメインにしようと思います。インパクトがある食べ物とか、名物とか。そういうのを食べ歩きする動画にしましょう。」


「渋谷は俺の『活動スポット』ではないので、パッとは思い浮かびませんが……カフェで食べた後に食べ歩きをするんですか?」


「他の買い物となると店内も撮らないと面白くなりませんし、何より予算が限られてますから。低予算で一本作るんだったら、食べ歩きって形が一番ですよ。……大丈夫です、昨日の夕ご飯はかなり早めに食べました。お昼も抜いてきたので、まあまあ食べられるはずです。」


「……なら、俺も手伝います。こっちも昼食を抜くべきでしたね。失敗しました。」


ハーモニーランドでの悪夢が蘇ってくるぞ。パーク内のフードやレストランの料理、そしてホテルのルームサービスや朝食。それらの膨大な種類の食べ物を、俺と夏目さんと香月社長の三人で『ほぼ制覇』したのだ。お土産系やパッケージ違いは網羅できなかったが、食事に関してはハーモニーランドを余す所なく映せたと言えるはず。


いやはや、あれは本当にキツかったな。パーク内のレストランが混んでいるのも大変だったし、二日間という時間制限も厳しかったし、特定エリアにしか売っていないフードを探すのも一苦労だった。半分を制覇した段階で引っ込みが付かなくなって、動画のためにと三人で食べ切ったわけだが……まあ、お陰で良い動画になったんだから喜ぶべきか。ハーモニーランド・ジャパンの食べ物にあそこまでフォーカスしているのは、ライフストリーム内であの動画だけだろう。『他と違う』が武器になることを証明した一本になったぞ。


さくどんチャンネルでは料理動画も上げているわけだし、『食』を主要なジャンルに定めるのは悪くない選択かもしれない。そういう意味では食べ歩き動画を歓迎したいところだが……『若者の街』で食べ歩きとなるとスイーツ系がメインだろうから、また胃薬を飲む羽目になってしまいそうだな。甘ったるい物をガツガツ食べられる人間じゃないぞ、俺は。


とはいえ、マネージャーとクリエイターは一蓮托生。夏目さんが決めたなら付き合うだけだ。今年の健康診断の結果を心配しつつ、担当の『外部胃袋』として甘いスイーツたちと戦う覚悟を決めるのだった。

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