Ⅰ.さくどん ⑥



「じゃあ、ハーモニーランドで撮影できるんですか? ……嬉しいですけど、ちょっと意外です。権利関係とかが厳しそうなイメージがあったので。」


自作パソコンの動画撮影から五日後。雨が降る水曜日の午後に、俺と夏目さんはファミリーレストランで打ち合わせをしていた。この五日間は直接顔を合わせなかったが、電話やメールで何度もやり取りを重ねた結果、関東最大の遊園地で撮影しようと当たりを付けたのだ。


ハーモニーランド・ジャパン。それは北アメリカのエンターテインメント企業であるハーモニー・スタジオが運営している、東京と千葉の境に存在する巨大テーマパークの名前だ。ハーモニー社が手掛けた数々のアニメーション作品の世界観を、そのまま一つの町規模で再現した日本有数の『手堅い』観光スポットであり、開園から三十年が経とうとしている今なお進化し続けている大人気の遊園地。それがハーモニーランドなのである。


「電話で確認したところ、撮影した動画をライフストリームに投稿するのは問題ないようです。私としてもすんなりオーケーされて少し驚きましたね。……ただし撮影禁止の場所は勿論ダメですし、他のお客さんに気を使って撮って欲しいとのことでした。」


昨日ハーモニーランドに電話して得た回答を伝えてみると、ジーンズにパーカー姿の夏目さんはむむむと悩みながら応じてきた。こういう動作も躊躇わず見せてくれるようになってきたな。


「カメラを上手く振って、通行人が映らないように撮るのは……さすがに不可能ですよね? どの時間に行っても混んでるでしょうし。」


「無理でしょうね。肖像権的には『不特定多数の通行人が映り込む』のは一応セーフらしいんですが、万全を期するのであればぼかしを入れるべきかもしれません。その辺はかなり難しい部分なので、社長が友人の弁護士さんに相談に行ってくれています。……もしやるとしたらぼかしの編集、可能ですか? 個人的にはそこまでしなくてもと思いますけど、万が一やることになった際に可能か不可能かだけは把握しておきたいんです。」


「時間はかかりますけど、ぼかしを入れるのは多分可能です。もし入れることになっても、なるべく映らないように意識して撮れば何とかなるかもしれません。……ちなみに、アトラクションの撮影は当然ダメですよね?」


「基本的にはダメみたいですね。パーク内での様子を撮ったり、お店の映像がメインになると思います。アトラクションは乗る前と乗った後の感想を、建物をバックに語れる程度のはずです。……電話の対応をしてくださった方が言っていたんですが、併設されているホテルでも撮影は可能らしいですよ? ロビーや部屋の中は問題ないんだとか。パーク内にあるホテルならバルコニーから風景も撮れるし、そこを狙ってみるのもありだと教えてくれました。」


アドバイスまでしてくれる丁寧な対応だったことを思い出しつつ言ってみれば、夏目さんはぱっちり目を開いてこくこく頷いてくる。


「それ、良いと思います。凄く良いです。ハーモニーランドはホテルも人気ですし、関心を持ってくれる人は沢山居るはずですから。……でも、一泊の値段ってどのくらいなんでしょう?」


「バルコニーから良い風景を撮れる部屋だと、一泊六万円代後半から十万円程度になるそうですね。」


「じゅっ、十万円? 一泊でですか? ……六万円後半の部屋でも無理ですね。パソコンを組んだばっかりでお金がありません。多少赤字でも動画が面白くなるならいいんですけど、そこまで行くと貯金残高的に不可能ですし。」


これでも安い時期ではあるらしいぞ。夏休みシーズンからクリスマスにかけてが繁忙期で、年明け直後と今の時期が閑散期なんだそうだ。ハーモニーランドは年中繁盛しているから、所詮焼け石に水みたいだが。


調べて手に入れた情報を頭から引き出しつつ、がっかりしている夏目さんに明るい報告を飛ばす。


「もし行くのであれば、香月社長がホテルの代金を出してくれるそうです。自分も行きたいから構わないと言っていました。どうせツインルームになるのでちょうど良いと。」


「……それ、凄く申し訳ない気分になります。」


「私が見たところ、少なくとも『ハーモニーランドに行きたい』という部分は本音みたいでしたよ。以前から興味があったらしいです。ツインルーム云々も事実ですし、ここは甘えてもいいんじゃないでしょうか?」


「でも、あの……駒場さんはどうなるんですか? 私と香月さんがホテルに泊まるって意味ですよね?」


おずおずと問いかけてきた夏目さんへと、至極当然の答えを返した。


「私は夜に一度帰宅して、次の日の朝に戻ってきます。それが難しそうならビジネスホテルやネットカフェという選択肢もありますし、どうにでもなりますよ。」


「そうなると、申し訳ない気分が更に増すんですけど。」


「まさか同じ部屋に泊まるわけにはいきませんから、これ以外に選択肢がありませんよ。ここに関しては夏目さんが自費で行くにせよ同じことなので、気にしなくて大丈夫です。」


夏目さんは未成年の女性なのだから、俺と同室など到底有り得ない話だ。警察の厄介になるのは御免だし、クリエイターのイメージを守るべきマネージャーがそんなことをするなど言語道断だろう。職責的にも道徳的にも、そこらの道端で寝た方がまだマシだぞ。


責任ある社会人として当たり前のことを口にした俺に、夏目さんはちらちらと視線を送りつつ返事をしてくる。


「いやでも、駒場さんだけそんなことになっちゃうのは……どうにかならないんでしょうか?」


「二部屋取れば安くても十万円を超えます。それに比べれば運転して帰った方が遥かに良いですよ。特段苦とも思わないので、本当に気にしないでください。」


「うーん、でも……そもそも香月さんにホテル代を出してもらうって点からして変な感じがします。」


「制作費の援助と考えればおかしな話ではありませんよ。『社員旅行』とも取れますしね。……どうしても引っ掛かるなら、あくまで仕事だと捉えてみてください。泊まらなければ撮れませんし、レビューも出来ません。だから泊まるんです。」


目的と手段がごっちゃになっているから変になるのだ。……いやまあ、それがライフストリームか。夏目さんが楽しむこと自体も動画の重要な要素になっているから、線引きがあやふやになってしまうわけだな。


うーむ、考えていると訳が分からなくなってくるぞ。夏目さんとしてはハーモニーランドに行きたいし、パーク内のホテルに泊まってみたいし、動画も撮りたいわけなんだから、願ったり叶ったりの展開であるはずだ。それなのに俺が彼女を説得している構図は奇妙じゃないか?


段々よく分からなくなってきた俺に対して、夏目さんは小首を傾げながら応答してきた。彼女も同じような心境らしい。要するに遠慮しているんだろうな。


「それは……えっと、あれ? 何だか分からなくなってきました。」


「つまりですね、香月社長はハーモニーランドに行きたいんです。それでどうせならパーク内のホテルにも泊まりたいけど、基本的にツインルームだから一人で使うのは勿体無いので、夏目さんも一緒にどうかというだけのことですよ。そして私は『ロケ』に行く夏目さんに付いているマネージャーだから、一度普通に帰宅するわけですね。」


「……私だけが得してませんか?」


「仕事なんですから得も何もないでしょう。……ホテルの紹介で一本、二日間ハーモニーランドで撮影してもう一本か二本。どれも質の高い動画になるでしょうし、これを逃す手はありません。私は行くべきだと思います。」


かなり強引に纏めてやれば、夏目さんは……むう、少し心配になる素直さだな。気圧されたように首肯してくる。


「あっ、はい。駒場さんがそう言うならそうなのかもしれません。……じゃああの、ホテルは香月さんにお願いしてもいいでしょうか?」


「何も問題ありません。あの人は『投資』が好きですから、喜んでくれるはずです。」


実際のところ、ハーモニーランドの動画は興味を持つ人が多いはずだ。普段夏目さんの動画を見ていない人も視聴してくれるかもしれないし、『新規視聴者開拓』のための投資だと考えれば安いくらいだぞ。


分の良い賭けであることを予感しながら、続けて別の話題を夏目さんに投げかけた。


「では、ハーモニーランドに関してはスケジュールの調整をして近いうちに行くとして……他の動画の編集は順調ですか?」


「電話で伝えた通り、『お知らせ動画』はほぼ完成してます。今日の夜に最後の見直しをするので、そしたら完成版を駒場さんに送りますね。けど、デスソースと自作パソコンはもうちょっとかかっちゃいそうです。テロップを入れるのが案外難しくて。」


「やはり難しいですか。」


「入れるの自体は順調なんですけど、『テロップを入れたい場面』が多すぎて収拾がつかないんです。それで何度も何度も見直してたら、いよいよ分からなくなってきちゃいました。……一回駒場さんに見てもらってもいいでしょうか? 私はもう客観性、完全に失っちゃってると思いますし。」


予想外の問題だな。むしろテロップが多すぎて邪魔にならないかを心配しているわけか。小さくため息を吐く夏目さんへと、アイスコーヒーを一口飲んでから返答する。


「分かりました、後で送ってください。確認してみます。……夏目さん、きちんと休んでいますよね?」


「まあ、あの……私の場合は動画編集が趣味みたいな感じですから、他にやることが無い時は編集をしてます。」


「楽しんでいるのであれば止めはしませんが、適度な休憩だけは心掛けてください。心配になります。」


夏目さんはこの五日間も休まず投稿し続けているのだ。商品紹介をする五分程度の動画を四本と、十数分の料理動画を一本。止まったら死ぬマグロみたいなやり方だな。並行して他の動画の編集もしているわけだし、いつかぱたりと倒れてしまいそうで怖くなってくるぞ。


これがまあ、『楽しんで夢中になっている』だったら良いことなのだが……『投稿頻度を保つために、辛くてもやらなければならない』になってしまうと宜しくない。動画の質を上げようとすれば編集時間も増えるので、どこかで投稿頻度が落ちるのは必然なのだ。そこで無理をしてペースを保とうとするのであれば、ストップをかけるのは俺の役目だな。


無論、やり方を変えればペースを保つことも不可能ではないはず。編集を手伝ってくれる人間を別に雇うとか、質より量を重視して編集を多少甘くするとか。それも一つの選択肢ではあると思うのだが……まあ、夏目さんがそういう手段を選ばないことはもう分かっているさ。これまで接してきた彼女は量のために質を落とせるタイプではないし、どんなに忙しくても自分で編集することに拘るだろう。ならば俺がストッパーになる日は必ず来るはずだ。


目の前の夏目さんの様子からするにまだ先の話だろうが、異変を見過ごさないように今のうちから気遣っておくべきだな。そんなことを思案していると、顔を俯かせた夏目さんが上目遣いで反応してきた。変な表情だ。笑うのを我慢するかのように、口をむにむにさせているぞ。どういう感情なんだろう?


「駒場さんは私のこと……心配、してくれるんですね。」


「それはそうです。当たり前じゃないですか。」


「えへ、そうですか。当たり前ですか。……じゃあその、もっと電話してもいいですか? あんまり頻繁にするのは迷惑かなと思ったんですけど、メールじゃ伝わらないこともあるので。ダメですかね?」


「大丈夫ですよ、回数や時間は気にせずかけてきてください。可能な限りに取りますから。」


どうして会話が『電話を増やす』に着地したのかは分からないが、江戸川芸能での経験で担当からの電話には慣れているぞ。昔担当していたタレントの一人が一日二十回近くかけてきていたのだから。……同僚に話した時は『えぇ、多すぎますよ』とドン引きされたものの、あれは要するに『不安を解消するためのおまじない』のようなものだろう。俺が相手であることが重要なのではなくて、誰かに不安や愚痴をこぼせるという点が大切なのだ。


現時点で夏目さんは一日五回くらいかけてくるし、彼女もそういうタイプなのかなと特に迷わず了承してやれば、担当クリエイターどのは分かり易く喜びながら口を開く。


「良かったです! 私、駒場さんしか相談できる相手が居ないので、本当はもっともっと話したかったんですけど……その、『一般的』な電話の回数が分からなくて。ひょっとしたらかけすぎかなって心配してました。」


「人による部分ですからね。他の方はまた違うんでしょうが、私の場合は問題ありませんよ。」


「えへへ、じゃあ沢山かけます。」


一日五回の時点で、一般的な感覚からすると既に『かけすぎ』かもしれないが……まあいいか。それで夏目さんのモチベーションが上がるなら万々歳だぞ。双方が納得しているのであれば問題はないはず。ないよな? ないはずだ。多分。


ちょびっとだけの不安を心中から追い出したところで、店員が注文した料理を運んできた。俺が頼んだカツカレーと、夏目さんが頼んだ稲庭うどんをだ。……稲庭うどんか? これ。単に麺が細いだけで若干異なっているように思えるぞ。


「わ、美味しそうですね。細いうどんって初めて食べます。」


とはいえ夏目さんは満足しているようだし、別にいいかと無難な相槌を打つ。富山さんが言っていたように、食事はケチを付けずに食べるのが正解なのだ。問題提起をするのは料理評論家たちに任せて、素人の疑問は胸の内に留めておこう。


「讃岐うどんが多数派ですもんね。……しかし、ファミリーレストランを打ち合わせ場所に指定されたのは意外でした。店の中では声を大きくして言えませんが、正直『定食屋・ナツメ』の料理の方が美味しそうですし。」


「お父さんの料理は美味しいですけど、たまには違った物が食べたくなるんです。うちは定食しかやってませんから。……それに、ファミレスに来るのは物凄く久し振りなんですよね。小学校低学年とかに来たのが最後だったかもしれません。お母さんが嫌いなんですよ、外食。駒場さんはよく来るんですか?」


「ファミリーレストランはそこまで頻繁に利用しませんが、チェーンの牛丼屋や定食屋にはよく行きますよ。私は料理が苦手なので、夜は大抵コンビニの弁当ですしね。むしろ手料理に憧れます。」


俺は母子家庭だったので、昔から買ってきた弁当が多かったな。とはいえそこを不満に思ったことは一度もないし、社会に出た今では仕事の後で料理をするのがどれだけ大変かを理解できている。きちんと毎日違った弁当を買ってきてくれていたことに感謝すべきだろう。俺はもう面倒になって、毎回同じコンビニで済ませてしまっているのだから。


我ながら健康的とは言い難いなとカツカレーを食べつつ苦笑していると、夏目さんがぴたりとうどんを食べる手を止めた後……小さな声で質問を寄越してきた。


「あー……えと、作ってくれる人は居ないんですか? 彼女さん、とか。」


「残念ながら、縁がありませんね。今は……というか昔から仕事をこなすのに手一杯で、そういうことを考えている余裕がなかったんです。」


「そっ、そうなんですか。そうですか、そうですか。そっかそっか。」


ホッとしたように同じ意味の言葉を連発した夏目さんは、再び元気にうどんを食べ始める。……まあ、マネージャーに彼女が居るのは何となく嫌だろうな。この年頃だと異性だろうが同性だろうがちょっとだけやり難いはずだ。


これが同世代同士だったら『えー? どんな人?』になるのだろうし、いい歳の大人同士だったら『おー、良いじゃん』になるかもしれないが、年齢に差があるこの関係だと微妙な雰囲気になってしまうらしい。アイドルの場合は自分が恋愛できないので、その辺が顕著だったぞ。そう考えると彼女が居ないのは仕事に好影響なのかもしれないな。


何だか言い訳がましい結論になったなと少し落ち込んでいると、夏目さんがご機嫌な顔付きで提案を口にした。


「じゃあ、私の料理をいっぱい食べてください。料理動画をやる時、食べてくれる人が居た方がやる気が出ますし。」


「……楽しみにしておきます。」


これまでに俺が食べた夏目さんの料理は、『デスソース炒飯』ただ一品だ。あの味を思い出して返事がワンテンポ遅れた俺に、夏目さんは大慌てで両手を振りながら話を続けてくる。彼女も炒飯の一件に考えが及んだらしい。


「いやいや、違いますよ? デスソースの時は特殊だったんです。いつもは美味しく作ってますから。だってほら、動画にもなってるじゃないですか。……なら、これ。次はこのうどんにチャレンジしてみます。稲庭うどん。天ぷらとかを載せてみましょう。」


「それはまあ、確かに美味しそうですが……どの段階から作るんですか?」


「もちろん粉からですよ。その方が面白いでしょうし。」


「稲庭うどんは難しいと思いますよ。普通のうどんが簡単とまでは言いませんが、比較すればこっちの方が難易度が高いはずです。」


詳しくはないが、どう考えても細い方が難しいだろう。粉だって普通とは違うはずだし、となれば当然製法も違うはず。最初は大人しく普通のうどんをやるべきじゃないか? 夏目さんの料理動画にうどんは未登場だし。


蕎麦はやっていたなと記憶を手繰りながら意見してみれば、夏目さんは眼前の『稲庭うどんもどき』を見つめて応答してきた。


「でも、普通とは違った方が興味を惹けますよ。……それなら、『食べ比べ』はどうですか? 既製の麺とかつゆも買って、自家製うどんがどれだけ近付けたのかを食べ比べて確かめてみましょう。デスソースの時は料理寄りのチャレンジ企画だったので、今回はチャレンジ寄りの料理企画ってことで。」


「……よく思い付きますね、そういうの。食べ比べですか。それは面白いかもしれません。」


「ですよね? ……今日の分の動画は朝に撮ったので、帰ったら編集の合間にうどんのことを調べてみます。材料とか、作り方とか、必要な道具とかを。店の厨房から器具を借りれば、そこまで沢山買わなくても大丈夫でしょうし。」


アイディアは日常の中にあるわけか。やっぱりライフストリームの撮影は生活と直結しているな。まさかファミリーレストランで稲庭うどんを食べた結果、料理動画の企画が決定するとは思わなかったぞ。


何にせよ、良い感じではあるな。ハーモニーランドと稲庭うどん。改めて並べると謎すぎる組み合わせだが、丁寧に作っていけばどちらも面白い動画になるだろう。……助言できるように俺も調べておかなければ。撮るジャンルが多様すぎて毎日が発見の連続だぞ。『広く浅く』の夏目さんだからこその状態なのかもしれない。


そして、今後は『狭く深く』を動画にするクリエイターも出てくるだろう。ライフストリーム内に『人気の専門チャンネル』は複数存在しているし、ならばホワイトノーツに所属してくれる人も現れるはず。


うーん、マネジメントも一筋縄ではいかないな。担当クリエイターの動画を理解できないだなんて話にならないのだから、もし付くことになったらしっかり勉強しなければなるまい。……まあでも、わくわくしていないと言えば嘘になるか。変化に富んでいるのは正直やり甲斐があるぞ。俺には案外合っている仕事のようだ。


───


「……よし、終わったぞ駒場君。褒めてくれたまえ。私は凄く頑張ったんだから。」


そしてファミリーレストランでの打ち合わせから更に五日が過ぎた、新たな週が始まったばかりの月曜日の午前中。事務所で毎度お馴染みの雑務を行っていた俺は、隣のデスクの香月社長から声をかけられていた。どうやら自作パソコン動画の英訳が完了したようだ。


「お疲れ様です、社長。デスソースに比べて随分時間がかかりましたね。」


「専門用語が多かったから、確認しながらやったんだよ。三度の見直しも済んだし、これにて前編後編共に英語字幕は完成だ。……褒めないのかい? いじけるぞ。」


「偉いですね、凄いです。……では、夏目さんに送りましょう。」


平坦な声で適当に褒めてみれば……いいのか、それで。香月社長はえっへんと大きな胸を張って口を開く。


「そうだろう、そうだろう。夏目君はきっと喜ぶぞ。……明日事務所所属の報告を上げて、明後日とその次でデスソースと自作パソコンか。反応が楽しみだね。」


「ギリギリで会社のホームページも間に合いましたし、タイミングとしては上々だと思います。……よくこんな納期で引き受けてくれましたね。結構お洒落で手の込んだデザインなのに。」


「私は友人が多いのさ。伝手を頼って間に合わせたんだ。」


「事務員の応募は未だありませんけどね。」


これでもかと言うほどに得意げになっている香月社長へと、冷静な突っ込みを入れつつスマートフォンをポケットから取り出した。夏目さんに翻訳完了のメールを送らねば。


「……それは仕方がないじゃないか。事務員を『スカウト』するのはおかしいだろう? 向こうからのアクションを待つしかないんだよ。」


「まあ、のんびり待ちましょうか。所属クリエイターが増えるまでは二人でも……っと、夏目さんからです。」


話している途中で着信が入ったので、香月社長に断りながらスマートフォンを操作して出てみれば、夏目さんの声が受話口から聞こえてくる。即座に反応が返ってきたな。偶々スマートフォンを弄っているタイミングでメールが届いたのかもしれない。


『あっ、夏目です。メール、見ました。』


「はい、お疲れ様です。いつものように字幕データを抽出して送るので、確認よろしくお願いします。」


『確認って言っても、英語は読めないんですけどね。……あとあの、ハーモニーランドの件は大丈夫です。来週の月曜日で問題ありません。』


「分かりました、それならすぐに予約してしまいますね。……すみません、急になってしまって。目当ての部屋が空いている日がそこだけだったので、逃すと延び延びになってしまうと考えたんです。」


よしよし、ハーモニーランドでの撮影は来週の月火に決定だな。早速目の前のパソコンで予約を確定させながら返答すると、夏目さんは慌てたような声色で応じてきた。


『いえっ、いえいえ。全然大丈夫です。別に予定なんてありませんし。……パレードの件はどうでしたか?』


「問い合わせてみたところ、全部でなければ撮影してアップロードするのは可能だそうです。つまりパレードを通しで上げるのはアウトですが、一部を背景に使うのはセーフとのことでした。昼と夜の両方で撮ってみますか?」


『そうですね、そうしたいです。とりあえずどっちのパレードも撮ってみて、両方使うか片方使うかを決めたいと思います。』


「では、詳しい時間などを調べておきますね。ちなみに天気予報は月曜日も火曜日も晴れでした。恐らく規定の時間通りに開催されるはずです。」


ラッキーな報告をしてみれば、夏目さんは嬉しそうな声で会話を続けてくる。曇り程度ならまだいいが、雨だと撮影は難しくなるだろう。晴れそうで何よりだぞ。


『良かったです、ホッとしました。それであの、当日の服装なんですけど……ロングスカートかパンツルックにするかで迷ってるので、意見をくれませんか? 写真で送ります。』


「ファッションには特に詳しくないので、私の意見はあまり参考にならないと思いますが……。」


『でも、他に聞ける人が居ないんです。妹はどっちでも良いって適当なことしか言ってくれないし、お母さんは女の子なんだからスカートにしなさいとしか言わないし……ダメでしょうか?』


「いやまあ、私なりに考えた上で答えることは出来ます。送ってみてください。……ただし、結局は私個人の好みになりますよ?」


女性の服に対して意見なんて出来ないぞ。何故なら俺は量販店で無地の服を買うタイプの人間なのだから。こういう時にスタイリストが居ないのは困るなと眉根を寄せつつ相槌を打つと、夏目さんは短く間を空けた後で声を返してきた。


『ぁ……はい、駒場さんの好みでいいです。どっちも良いけど、どっちかにしないとって状態なので。』


「なら、一日目と二日目でそれぞれ着るのはどうでしょう?」


『二日目のは決まってるんです。一日目で迷ってまして。』


「なるほど。……了解しました、真剣に選んでみます。」


『衣装』と考えると重要なわけだし、俺なりに真面目に選んでみよう。これっぽっちも自信はないが、背を押すことは出来るはずだ。自分のファッションセンスの低さを悲しく思いつつ、そのまま細かい話をいくつかした後、電話を切って香月社長に向き直ってみれば……彼女はかっくり首を傾げて疑問を放ってくる。


「君、最近よく夏目君と電話しているね。頻繁にかかってくるのかい?」


「はい、一日十回程度はかかってきますね。」


「……それは、多すぎじゃないかな?」


「多いとは思いますけど、こういう部分のケアもマネージャーの仕事ですよ。」


夏目さんの場合、かかってくる時間が決まっているのでまだ楽だぞ。彼女はきっちり十時から十九時までの間にしかかけてこないのだ。昔担当していた子は深夜だろうと明け方だろうとかけてきていたので、この程度であれば別段問題はないさ。


肩を竦めて言ってみると、香月社長はよく分からないという顔で曖昧に頷く。


「そういうものなのか。……私には出来そうにない仕事だね。電話は嫌いだよ。こちらからかけるのはいいんだが、いきなり取るのが苦手なんだ。」


「何ですか、それは。」


「心の準備が整っていないのが嫌なのさ。……まあ、君がストレスに感じていないなら構わないよ。十回というのは中々だと思うけどね。」


「ストレスではありませんし、単純に話を聞いてくれる相手が必要なんだと思いますよ。……香月社長、ファッションには詳しいですか?」


夏目さんから送られてきた二枚の写真。鏡の前で事前に撮っておいたらしいその写真を見比べて、どちらも普通に似合っているぞと思いながら質問してみれば、香月社長はきょとんとした面持ちで回答してきた。


「何だい? 藪から棒に。スーツには詳しいが、それ以外には自信がないね。私は常にスーツなんだよ。」


「……プライベートでもスーツなんですか?」


「整っている感じがして好きだからね。一年中スーツさ。『本物』のスーツは着ていても疲れないんだ。……ちなみに君のは『偽物』だよ。今度店を紹介してあげよう。」


「私は『偽物』で充分ですよ。どうせ物凄い値段のスーツのことを言っているんでしょう? オーダーメイドとかの。」


そんなもん買う金が無いぞ。……いやでも、一着くらいは欲しいかもしれない。『いざという時』に使うスーツはずっと買おうか迷っていたのだ。江戸川芸能で一人前になったら買ってみようかなと考えていたのだが、機会を逃してしまったな。


欲しいっちゃ欲しいものの、宝の持ち腐れになるのが怖い。そんな思考を展開させつつ返事をすると、香月社長がジト目で訂正を寄越してくる。


「『テーラーメイド』だよ、駒場君。『オーダーメイド』は無粋な和製英語だ。めったやたらに和製英語を批判する気はないが、その言葉だけは気に食わん。美しくないぞ。せめて『オーダースーツ』と言いたまえ。」


「変な拘りですね。」


「拘りが人間を形作るんだよ。それを持たないヤツはふにゃんふにゃんの骨無し人間さ。君も何かに拘りたまえ。じゃないと骨子が欠けて肉だけが膨れ上がった、醜い骨無し男になってしまうぞ。」


「覚えておきます。」


比喩は独特だが、言わんとすることはまあ分かるぞ。自分なりの主義主張を持てということだろう。『社長の名言』を脳裏の隅っこにさらっとだけ記載しながら、開いた検索ページに『春 女性 コーデ』と打ち込む。香月社長は参考にならなさそうだし、となれば文明の力を頼るまでだ。


「そもそも君、どういう意図の質問だったんだい?」


「夏目さんから服を選んで欲しいと言われたんですよ。二択で選択しないといけないんです。」


「なるほどね。それで『資料』を探し始めるあたり、君は本当に真面目な男だよ。……自社で『衣装さん』を雇うつもりはないから、そこは基本的にクリエイター任せになりそうかな。絶対に必要な時だけ派遣してもらえばいいさ。」


「差し当たり社長と、マネージャーと、事務員と……後は営業担当ってわけですか。正しく最低限ですね。現状だとプロデュースやマネジメントというか、エージェント契約に近いですよ。」


ここは個々人や企業、業界によって定義が分かれる部分だが……ホワイトノーツにおけるプロデューサーは動画の内容なども主導する総合的な役割。マネージャーは動画内容には強く触れないものの、スケジュール管理や私的な部分も支える役割。そしてエージェントは契約面の補佐のみを行う役割だと俺は捉えている。香月社長のこれまでの発言からするに、彼女はそういったシステムを思い描いているはず。


つまり物凄く噛み砕いて言えば、何もかもを丸投げしたいならプロデューサーを、日常面と業務面の両方の補助が必要ならマネージャーを、法務や契約面の支援のみを欲するならエージェントを求めればいいのだ。仕事の獲得……要するに『営業』がどこに当たるかは非常に曖昧な部分だが、俺はマネジメントの範疇として認識しているぞ。


思案しつつ飛ばした俺の台詞に、香月社長は眉間に皺を寄せて反応してきた。


「将来的には三種それぞれで契約できるようにしたいと考えているよ。ライフストリームではエージェント契約も人気がありそうだからね。好きに動画を撮って投稿したいが、面倒な法律面だけは個人ではどうにもならない。そういったクリエイター向けに『お手頃価格』でのエージェント契約を持ち掛けるわけさ。」


「悪くないと思います。契約書等々の法務関係は弁護士とかに頼まないと無理ですから、需要は出てくるでしょう。いちいち縛られたくないけど、そういう方面の支援は欲しいというライフストリーマーは現れるはずです。」


「だろう? そこだけを代行するならこっちの負担も大きくはないし、他の契約より緩いシステムに出来るはずだ。単発での取り引きにしたり、何なら手軽なサブスクリプション形式もありさ。あの形式は今後流行ってくると思うから、先行して取り入れてみるのも面白いかもしれないね。……まあ、何れにせよまだ遠い話かな。もっとライフストリームが大きくなって、『企業からのスポンサー契約』が一般的になってきたら開始するよ。」


「今のところはマネジメント一本ですか?」


マウスを操作しながら尋ねてみれば、香月社長は軽く首肯して答えてくる。服装に関しては調べてもさっぱり分からんな。ここは第一印象を信じてみるか。素直に自分が良いと思った方を推してみよう。


「駒場君のマネジメントに、営業という要素を足すのが第一段階かな。ここはすぐにやる予定だ。そしてマネジメントが安定してきたらプロデュースもやってみて、それを一定ラインまで持っていくのが第二段階。人員が整わないとどうしようもないから、エージェント契約を確立させるのはその更に後だよ。……先ずは土台たるマネジメントと営業を磐石にしなければ話にならないからね。土台が脆いと後々崩れてしまうだろうさ。プロデュースやエージェント契約を行えるレベルの土台を作る。最初の目標はそんなところかな。」


「何人くらいをイメージしていますか? マネージャーの数。」


「んー、そこはまだあやふやかな。どの程度のスピードで成長していけるかが判然としていないから、この段階では何とも言えないよ。……兎にも角にも君がモデルケースなんだ。一人で何人のクリエイターを抱えられるか、具体的な仕事の内容はどんなものか、どういったスキルが必要なのか。君はそれを探るためのモルモットさ。頑張って答えを出してくれたまえ。」


「私はホワイトノーツのためのモルモットですか。嬉しい言葉ですね。後発のためにも、精々試行錯誤してみます。」


半眼で皮肉を込めて返答すると、香月社長はくつくつと喉を鳴らして大仰に両手を広げてきた。


「怒らないでくれ、駒場君。私だって業界そのもののモルモットさ。同じ実験動物同士仲良くしようじゃないか。」


「何にせよ、営業担当は早めに欲しいですね。マネージャーが私だけの現状では、どう考えても人件費とリターンが見合わないでしょうが……早め早めにノウハウや関係を築いておくのは重要なはずです。」


「おや、君も分かってきたようだね。その通り、先に声をかけるのが重要なんだ。ライフストリーマーと契約してみたいなら、最初にホワイトノーツを当たってみる。その『常識』にはとんでもない価値があるのさ。それを得るためなら先行投資など惜しくはないよ。何百倍にもなって返ってくるはずなんだから。」


「返ってくる頃にホワイトノーツがまだ存在していれば、の話ですけどね。」


収益の回復が遅ければ、奈落の底に真っ逆さまだぞ。夏目さんへの返信をしながら提言した俺に、香月社長は大きく鼻を鳴らして口を開く。


「小さなリスクで得られるのは小さな成功だけさ。大きな成功を目指すのであれば、大きなリスクを背負う必要がある。その辺は案外上手く出来ているんだよ。この資本主義の世界において、大成功と大失敗は常に背中合わせなんだ。」


「今は金庫に大穴が空いているような状態なので、早めに成功を掴めるように努力していきましょう。」


「では、夏目君の動画が小さな一歩目になることを祈っておこうか。出来ることはやったんだから、後は祈るだけだ。ライフストリームの神にね。」


「居ませんよ、そんなの。」


香月社長の適当な発言に適当な相槌を打つと、彼女は何故か嬉しそうに応答してきた。


「ライフストリームはどの神の『担当』になるんだろうね? 芸術? 芸能? 放送? 私たちはそれすら決まっていない段階で道を進んでいるのさ。拝むべき神社も知らないままで先頭を突き進む。ゾクゾクしてこないかい?」


「ただただ不安ですよ、私は。」


「おいおい、駒場君。つまらないことを言わないでくれたまえよ。君は私の船に乗っているただ一人の水夫だ。未知の大海に挑もうって時に怖がってちゃいけないね。」


「せめて『副船長』ならもう少しやる気が出るんですけどね。『水夫』じゃどうにも頑張れません。」


たまには無駄話に付き合ってみるかと応じてみれば、香月社長は楽しげに微笑みながら返事をしてくる。


「分かった分かった、副船長に任命してあげよう。励みたまえ。」


「それでも『一番の下っ端』って部分は同じですけどね。……それじゃ、下っ端らしく昼食を買ってきます。何がいいですか?」


「ん、何でもいいよ。君のセンスに期待しておこう。」


「面倒なことを言ってくるじゃないですか。文句は無しですからね。」


事務所のドアの前で振り返って注意しつつ、部屋を出てエレベーターのボタンを押す。……いつか今の事務所での情景を思い出して、『最初は二人だけで奇妙な無駄話をしていたな』と懐かしめる日が来るんだろうか?


いやはや、そうなって欲しいな。沢山の人が仕事をしている大きなオフィスの中で、香月社長とそんな話をしてみたいぞ。何年後か、何十年後か、あるいはそんな日は永久に訪れないか。現時点では全く予想できないが、『思い出話』が出来るような未来を掴めるように精一杯頑張ってみよう。


到着したエレベーターに乗り込みつつ、いつかの会話を思って小さく苦笑するのだった。

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