Ⅰ.さくどん ⑤



「で、君は『デスソース炒飯』を食べて味覚がおかしくなったわけだ。何とも珍妙な話じゃないか。」


夏目家での初めての撮影の翌日、俺は事務所で香月社長と一緒に昼食を食べていた。舌が火傷したみたいな感覚がまだ続いているぞ。『追いデスソース』がマズかったな。最初に完成した段階では美味しいピリ辛炒飯だったのに。


「笑い事じゃありませんよ。味は一応分かりますけど、舌がずっとピリピリしているんです。」


「私は『笑い事』だと思うけどね。聞いた限りでは面白い動画になりそうじゃないか。事実として私は見たくなっているぞ。」


「編集が終わった後の動画に英語の字幕を付けてもらうので、嫌でも見ることになりますよ。」


「なら、楽しみにしておこう。……デスソースね。そんな調味料が存在していたとは思わなかったよ。どこに売っているんだい? そういうの。」


隣のデスクで海苔弁当を食べている香月社長に、サンドイッチを頬張りながら返事を返す。いつまで続くんだろうか? この舌のピリピリ。


「ネットで注文したそうです。海外で生産されている物なんだとか。」


「まあ、そういう物は日本じゃ売れないだろうね。『ぶっ飛んだ食べ物』を探すならUSAかフランスだよ。いつだってその二国が奇妙な料理や調味料を生み出すのさ。」


「夏目さんに伝えておきます。デスソースのインパクトを超えられる調味料は中々見つからないと思いますけどね。」


「今から二人で買い物に行くんだろう? 仲良くなれたようじゃないか。」


香月社長が言っている通り、これを食べたら夏目さんを迎えに行ってパソコンパーツの専門店に向かう予定だ。もしそこでパーツを揃えられるようなら、早速自作パソコンの動画も撮りたいと言っていたな。


ハムサンドを手に取りながら脳内で予定を確認して、卵焼きを箸で掴んでいる香月社長に返答を放つ。


「もしかすると、帰ってきた後であっちの部屋を使うことになるかもしれません。夏目さんが試験的に使ってみたいんだそうです。」


「おや、いいね。有効活用してくれるなら万々歳さ。……ただ、現状では何もない殺風景な部屋だよ? 寂しすぎないかい?」


「寂しすぎますね。今日使うようならカーテンと敷物を買ってきていいですか? それに加えて応接用のソファとテーブルを運び込めば、多少は華やぐと思うので。」


「ん、構わないよ。……結局あのソファの最初の役目は客の応対ではなくなるわけか。」


午前中に届いたばかりの黒いソファと木のセンターテーブル。社長と二人で迷いに迷った挙句、二人掛けを二台買ったのだが……まあ、あのソファも役に立てるなら本望だろうさ。今のところ訪問するのは宅配業者の配達員くらいなのだから。


後でテーブルに張りっぱなしになっているビニールを剥がそうと考えていると、弁当を食べ終えた香月社長が話題を変えてきた。ちなみに弁当やサンドイッチはコンビニで俺が買ってきた物だ。オフィスビルが多い区画なので選択肢は多々あるのだろうが、まだ把握し切れていないので昼食は大抵コンビニになっている。近いうちに近所の昼食事情も調べておかないとな。


「ああ、そうそう。昨日効果音に関してを調べている時に気付いたんだが、背景の音楽とかは必要ないのかい? 所謂バックグラウンドミュージックだよ。」


「その辺は著作権の問題が厳しいですからね。使いたくても使えないんじゃないでしょうか?」


「そういうのも制作を頼めるみたいだよ。……高いからあまり気乗りしないんだが、君の知り合いのプロデューサーが紹介してくれた業者は纏めて頼むと安くなるらしくてね。『頻繁に使う』なら一緒に注文するのもありだと考えているんだ。無論、『たまに使う』程度であればやめておくが。」


「どうなんでしょう? 夏目さんに相談してみます。思い返してみれば、アメリカのトップ投稿者は使っていましたね。」


記憶が朧げだが、確か流れていたはずだ。目の前のマウスを操作してライフストリームを開き、参考にするために登録したアメリカの投稿者のチャンネルに移動して、適当な動画をクリックしてみれば──


「……やっぱり使っています。ぼんやり見ていると意識しない部分ですけど、無音だと物足りないかもしれませんね。」


「主張しすぎない音楽ってわけだ。それもボイスフォローならぬ『感情フォロー』の一つなのかもね。本質的な意味としては、テロップや効果音と同じなんじゃないかな。」


「掘れば掘るほど要素が出てきますね。……資金、大丈夫なんですか?」


「大丈夫ではないが、もう引き返せる段階はとうに過ぎた。こうなれば成功を信じて注ぎ続けるしかないのさ。……コーポレートサイトも作るよ。夏目君が社名を動画に出してくれるなら、それを見て『所属してみようかな』と考えるライフストリーマーは出てくるはずだ。その時に検索してみて、Webサイトが出てこないのはいただけない。そんなもん情けなさすぎるし、『うわ、サイトすら無い会社なんだ』と思われるのは避けたいからね。」


それも業者に依頼するということか。どんどん出ていく金のことを思って眉根を寄せつつ、香月社長にポツリと呟きを送った。


「私の給料、下げても大丈夫ですよ。よく考えたら貰いすぎな気がしてきました。軌道に乗るまでは人件費も節約すべきじゃないでしょうか?」


「それをやれば企業は終わりさ。社員の給与だけは下げるわけにはいかないよ。そうするくらいなら、正当な報酬を払い続けて会社を潰すね。……ただまあ、そっちの方が結果的に職を失って困るという人間も居るだろうし、ここは経営理念の範疇かな。悪いが私の我儘に付き合ってくれ。」


「社長の決断には従いますが……どちらかと言えば私ではなく、クリエイターたちのことを考えてくださいね。」


「うちが潰れる頃には他の事務所も出てきているはずだから、最悪移籍できるんじゃないかな。兎にも角にも私たちが早すぎるんだよ。……何にせよ、まだ大丈夫だ。始まったばかりなのに『終わり』の話をするのはやめておこう。何れ株式会社に組織変更して、上場を果たすさ。その時一緒に鐘を鳴らそうじゃないか。」


うーむ、現時点からだと壮大な野望に思えるな。社長、社員、そしてたった一人の所属クリエイター。今はまだ三人だけのホワイトノーツが、上場の鐘を鳴らせる日は果たして来るのだろうか? ……来ると信じて努力してみよう。どんな結末になるにせよ、せめて後悔だけはしないように頑張らなければ。


「その日を楽しみにしておきます。」


「うんうん、目標は大切さ。ベンチャーってのは諦めたヤツから潰れていくんだ。私は投資家時代の経験でそれをよく知っているよ。」


「諦めなければ成功すると?」


「諦めない場合は成功するか、死ぬかだね。死んだヤツは『過程』で途切れるからノーカウントとして、諦めなければ百パーセント成功するのさ。しかし諦めた場合は生きたままで失敗を得る。どっちがマシかという話だよ。」


暴論にも程があるな。『ノーカウント』にしていいんだろうか? それ。苛烈な思想だなと唸っていると、香月社長はくつくつと喉を鳴らして話を続けてくる。


「なぁに、最悪死ぬだけだと思えば楽なもんだよ。どうせいつかは死ぬんだから、失敗を抱えて生きていくくらいなら成功を目指して死んだ方がマシなのさ。賭けるべき時に相応のものを賭ける。私はそうやって投資を成功させたし、会社の経営もそうしていくつもりだ。……こういうのは持たざる者の強みなのかもね。だから若い人間がベンチャーに手を出しがちなんじゃないかな。伴侶や子を得ると、死ぬに死ねなくなったりするとか? どっちが幸せなのかが分からなくなってくる話だよ。諦めてでも生きねばという理由を持つか、死んでもいいという渇望を持つか。君はどっちの人生が幸せだと思う?」


「私の場合は前者ですね。」


「意見が割れたね。私は後者だ。」


「まあ、何れにせよ成功するのが一番です。生きる死ぬを考える前に、目の前の資金繰りのことを考えましょう。」


香月社長はこういう議論が好きなようで、時折仕掛けてくるのだが……俺は自分の思想を披露するのは苦手だぞ。言うのも聞くのも何となくムズムズしてしまうのだ。そんなわけでいつものように話題を逸らした俺に、社長は小さく鼻を鳴らして応じてきた。


「現実的な返しだね。それでは諧謔を磨けないぞ、駒場君。」


「磨きたいと思っていませんので。……食べ終わりましたし、夏目さんを迎えに行ってきますね。」


「もう出るのかい? もっと構ってくれてもいいじゃないか。君は夏目君と買い物に行けるが、私はここで一人寂しく『お留守番』なんだぞ。非常に退屈だ。」


「仕事をしてくださいよ、仕事を。」


香月社長の文句に応答しながら事務所を出て、エレベーターで一階に降りて駐車場へと向かう。欲を言えば社用車も買いたいが、今はこの軽自動車で我慢する他ないな。江戸川芸能はワンボックスカーやミニバンを何台も所有していたっけ。当時は芸能事務所なんだから当然と思っていたけど、今となっては憧れるぞ。


乗り込んだ車でシートベルトを締めてエンジンをかけた後、サイドブレーキを解除してセレクターをドライブに入れる。そのまま車を発進させて、定食屋・ナツメへの運転を開始した。この前は道を確かめつつで三十分だったから、今回は二十分から二十五分ってところかな? そうなると若干早く着いてしまうし、一度コンビニにでも寄って飲み物を買うか。


───


その後コンビニに寄ってコーヒーを買って、到着した定食屋・ナツメの駐車場に車を入れようとすると……おっと、外で待っていたのか? 駐車場の前の歩道に夏目さんが立っているのが視界に映る。今日の彼女はTシャツとサロペット姿だ。


「おはようございます、夏目さん。」


「こんに……おはようございます、駒場さん。」


染み付いた『社会人謎ルール』の所為で、開けた窓越しにおはようございますと言ってしまった俺に合わせてくれた夏目さんは、歩道に寄せた車に近付きながら会話を続けてきた。停めてから連絡するつもりだったんだけどな。まだ約束の時間の十分前だぞ。


「あの、今日もよろしくお願いします。」


「どうぞ、乗ってください。……お待たせしてしまいましたか?」


「ああいや、今来たところです。」


常套句で答えてきた夏目さんだが……むう、そっちに乗るのか。彼女は迷うことなく助手席に乗り込んでくる。てっきり後部座席に乗ると思っていたぞ。いやまあ、特に問題はないけど。


「では、出しますね。」


「はい、お願いします。……何だかドキドキしますね。」


何がドキドキするんだろう? シートベルトを締めた夏目さんの発言に脳内で疑問符を浮かべつつ、目的の店へと車を走らせながら口を開く。


「お昼、食べましたか?」


「食べました。……けどあの、駒場さんが食べてないならどこかに寄るのでも大丈夫です。」


「いえ、私も事務所で食べたので問題ありません。……味、しました?」


「あんまりしませんでした。舌が変になっちゃってて、火傷した時みたいなのがずっと続いてるんです。」


やはり夏目さんもそうだったのか。というかまあ、直に舐めてしまった彼女の方が『重症』なのだろう。然もありなんと納得している俺に、夏目さんは嬉しそうな顔で言葉を繋ぐ。


「でも、面白い動画になりそうです。最初の編集をした時、手応えがありましたから。」


「変な映像になっていませんでしたか? カメラを持つのは初めてだったので、私としてはそこが不安です。」


「とっても良かったですよ。今までずっと固定して撮ってたので、やっぱり動きがあると全然違って見えるんです。使えそうな部分も多いですし、ちょっとだけ長めの動画に出来るかもしれません。」


「長い方がいいんですか?」


交差点を左折しながら問いかけてみると、夏目さんは短く黙考してから回答してきた。


「長ければいいってわけではないと思うんですけど、多少長い方が好評なんです。十五分から二十分くらいがベストなのかもしれません。だけど無理に長くしようとすると内容が薄くなるので、中々上手くいかなくて。」


「商品紹介は五分前後が多いですね。」


「単純に喋ることがなくなっちゃうんです。だから沢山喋れる面白かったり珍しかったりする商品を厳選するようになって。でもそれだと投稿頻度が目に見えて落ちちゃうので、十分以上にし易い料理とチャレンジものの動画を増やしました。」


となると、俺の推察は半分正解で半分外れていたらしい。割合の変化には内容の濃さだけではなく、『動画の長さ』という理由もあったのか。ハンドルを動かしながら思案している俺に、夏目さんが次の動画についてを語ってくる。


「自作パソコンの動画も長くなるはずなので、デスソースの次にそれが来るのは良い流れだと思います。時間をかけて下調べしましたし、編集にも気合を入れるつもりです。」


「『何も知らずにチャレンジ』という感じにはしないんですね。」


「場合によるんですけど、今回は目一杯調べてきました。ライフストリームで自作パソコンの動画を見たり、初心者向けのサイトをいくつか参考にしてみたり。……何て言うかその、『初チャレンジ』ってことでただただめちゃくちゃにするのは良くないんです。詳しい人からすると面白くない動画に思えちゃうみたいで。」


「『自作パソコンに詳しい人』という意味ですか?」


俺の質問に対して、夏目さんはこっくり頷いて肯定してきた。


「はい、そうです。あくまで初心者なわけですし、付け焼き刃の知識だと失敗することもあるんでしょうけど……最低限『何でそんなことをするんだ』みたいな展開は避けようと思ってます。『もどかしい』が続きすぎると、『苛々』に変わっちゃいますから。」


うーん、考えているな。玄人目線から見た時、『初心者だからまあ仕方がない』の範囲に収めようというわけか。確かに『それくらいは調べておけよ』という苛々は身に覚えがあるぞ。『初めての自作パソコン作り』を売りにはすれど、詳しい人間がイライラしない程度にはスムーズに進めると。


想像以上に視聴者の反応を意識していることに感心する俺へと、夏目さんは苦笑いで続きを口にする。


「あとは資金面で失敗できないっていうのもありますし……何より動画を見てくれた誰かが参考にした時、間違った知識を伝えるわけにはいきませんから。その辺の注意もさり気なく入れるつもりです。『初心者の動画なので、鵜呑みにはしないでくださいね』って感じに。」


「ちなみにですが、幾らくらいかかりそうなんですか?」


「何度も何度も計算してみたんですけど、最低でも十五、六万円にはなっちゃいそうですね。貯金が吹っ飛んじゃいました。……だけど編集ソフトがまともに動かないとどうにもならないので、必要経費だと思うことにします。」


「……案外高いんですね。自分で作れば安くなるのだと想像していました。」


現状の彼女にとっては大金なのだろう。予想より高い金額を耳にして率直な感想を返してみれば、夏目さんは困ったような笑顔で応答してきた。


「編集ソフトって、そこそこ重いんです。この値段でも限界まで安くしてるんですよ? 本当はもっともっと良いスペックのパソコンが欲しいんですけど……まあ、それは未来の目標にしておきます。中古のパーツとかはさすがに尻込みしますし、今はこれが最大限抑えた金額ですね。」


「いつかまた作ってみるのも良いかもしれませんね。第二弾、的な動画を。」


「あー、いいですね。面白いと思います。そのためにも、デスソースと自作パソコンの動画には思いっきり拘る予定です。テロップも入れてみたいですし、間に合いそうなら効果音も使いたいんですけど……まだ無理ですよね?」


上目遣いで尋ねてきた夏目さんに、今度はこちらが困った表情で返答する。間に合わせるのは難しいと思うぞ。


「『さくどんチャンネル』にとって大きな変化のタイミングになるのであれば、どうにかして間に合わせたいんですが……ちょっと厳しそうですね。他と同じく、『音源制作』というのも納期を短く設定すればするほど高額になってしまうようなんです。仮に今日撮ったとして、編集が終わるのはいつ頃になりそうですか?」


「えと、んーっと……『完成版』になるのは普通なら一週間半後くらいですね。何本かをこう、同時進行で入れ替えながら編集していくので。人によるんだとは思うんですけど、私は期間を置かないと視点を変えて見られないんです。ああでも、『発売直後の商品をレビューしてみた』とかだと急いで上げたりもします。」


「まだ制作を依頼してすらいないので、オリジナルの効果音が使えるのは大分先になってしまうかもしれません。フォントは契約すれば即日で使えるようなんですが……音源の方は待てませんよね? さすがに。」


諸々の手続きのことを考えると、最短でもひと月はかかるだろうなと予想しながら問いかけてみれば、夏目さんは残念そうな面持ちで首肯してきた。


「余計なお金がかかっちゃうのはダメですし、今回はフリーの効果音をお借りして何とかしてみます。テロップを入れれば随分良くなるはずですから、フォントを使わせてもらえるだけで凄くありがたいです。効果音は次の機会ですね。」


「ただですね、カメラはもう一台使えるかもしれませんよ。これから使うこともあるはずだということで、香月社長が会社の備品としてとりあえず一台買ってくれるんだそうです。近日中に購入します。」


動くのが遅れてしまったことを申し訳なく感じながら、今日の午前中に香月社長と話し合って決めた件を伝えてみると……おお、嬉しそうだな。夏目さんはパアッと顔を明るくして応じてくる。


「本当ですか? どのカメラを買うとかは決めてます?」


「まだです。実際の使用感なんかも重要なので、夏目さんにも意見を聞いてみようと思いまして。もしお勧めのカメラがあるなら教えてくれませんか?」


「あっ、あります! お勧め、あります! カメラは時間がある時にいつも調べてるんです。買えないけど、でも余裕が出てきたら買おうと思ってたので……今出しますね。価格帯別で三つ候補があって、レビューとか使ってる動画を参考に機能の違いを──」


いきなり早口になったな。猛烈な勢いでスマートフォンを操作し始めた夏目さんを横目にしつつ、ビデオカメラ選びは簡単に終わりそうだなと苦笑した。この子なら妥協せずに選んでいるはずだから、言われた通りに買えば大丈夫だろう。BGMに関する話もあるし、車内での話題には困らなさそうだ。


───


そのままパーツショップでの買い物を済ませて、ついでに香月社長に購入の許可をもらったビデオカメラを電気屋で買い、更に家具屋で適当なカーテンと敷物を買って夏目さんを家に送り届けた翌日。俺は再び定食屋・ナツメで担当クリエイターを回収した後、ホワイトノーツの事務所に戻ってきていた。


「駒場さん、大丈夫ですか?」


「大丈夫ですが……まあ、小さな台車は持っておいた方が良さそうですね。今度購入しておきます。」


台車は盲点だったが、事務所に一台くらいは置いておくべきだろう。『反省点』を頭に書き込みつつ、大量の段ボール箱を抱えた状態で三階に到着したエレベーターから降りる。……要するに、今日は自作パソコンの動画を事務所の空き部屋で撮影する予定なのだ。


昨日は買い物が終わったのが夕刻だったので、今日の午前中に持ち越したわけだが……パーツが安く手に入って良かったな。どうもパーツショップの店長さんが夏目さんの動画の視聴者だったらしく、店の宣伝になるからと安めにしてくれたのだ。正式な契約ではないけど、これも一種のスポンサーと言えるのかもしれない。


お陰で想定していた物よりワンランク上のパーツを買えたし、優しい視聴者に会えたし、新しいビデオカメラも使えるということで、現在の夏目さんは非常に機嫌が良さそうだ。明るい雰囲気で撮れば動画も良いものになるだろうから、そこは俺としても嬉しい点だぞ。


だからまあ、後は事務所を見てがっかりされないかだなと思いつつ、たどり着いたドアを指して夏目さんに言葉を送った。ドアを開けて招き入れたいのは山々だが、両手が塞がっている所為で開けられないのだ。


「ここです。」


「あっ、開けますね。……えと、失礼します。」


「おや、夏目君。ようこそホワイトノーツへ。……後ろに居る段ボール箱のお化けは駒場君かい? 何をしているんだ、君は。」


「荷物を運んでいるんですよ。そっちこそ何をしているんですか?」


応接用ソファにタックルをかましているような体勢の香月社長に聞いてみれば、彼女はふふんと胸を張って返事をしてくる。


「ソファを向こうの部屋に動かそうとしていたんだよ。残念なことに全然動かなくて、もう諦めかけているがね。私は非力なのさ。」


「威張って言わないでくださいよ。……夏目さん、一先ずここに置きますね。残りを持ってきます。」


「ぁ、それなら私も行きます。」


「あと数箱だけですし、一人で持てると思うのでここで待っていてください。」


言いながら事務所を出て、駐車場に移動して残りの箱をトランクから出す。昨日買ったパーツと元々買ってあったパーツで必要な物が全部揃ったそうなので、纏めて車に積んで持ってきたのだ。ちなみにモニターは予算の都合で削ったらしい。今の物を引き続き使うんだとか。


一番大きな箱……ケースだったかな? が入っている段ボール箱を持って、他に何も残っていないことを確認してから三階に戻る。そして事務所に再入室してみれば、ソファを持ち上げようとしている香月社長と夏目さんの姿が目に入ってきた。見ていて危なっかしい持ち方だな。このコンビはこういう作業に向いていないらしい。


「……私がやりましょうか?」


「大丈夫だ、駒場君。私と夏目君の二人でなら……んっ、ちょっと一回下ろすよ?」


「は、はい。気を付けて……あっ、気を付けてください。放しますね? そっと放します。」


「お願いだから私にやらせてください。二人とも手を挟みそうになっているじゃないですか。見ていてヒヤッとしますよ。」


恐らくソファを撮影に使う部屋に運ぼうとしているのだろう。別のパーツがある場所にケースの箱を置いた後、二人に代わってソファの片方を持つ。二人掛けのソファを持ち上げるのはさすがに厳しいし、引き摺るか。


「待て待て、駒場君。その運び方だと床に傷が付くぞ。私たちが二人でこっちを持つよ。」


「……絶対に手を挟まないでくださいよ?」


「あまり侮らないでくれ。これでも学生時代に水泳をやっていたんだ。一年でやめたけどね。」


それが何だと言うんだ。謎の発言と共に夏目さんと二人でソファの片方を持った香月社長は、腕をぷるぷるさせながらこっちにしたり顔を向けてきた。相変わらず意味が分からん人だな。持ち上がったソファの状態からして、夏目さんが荷重の殆どを担っていると思うぞ。


心中で呆れながら隣の部屋にソファを運び込み、慎重に下ろしてから三人で事務所スペースへと戻ると、夏目さんがポツリと尤もすぎる感想を呟く。


「でも、あの……まだがらんとしてるんですね、事務所。」


「これでも多少マシになったんだけどね。今や椅子もあるし、棚もあるし、電話も通じている。段々と置くべき物が思い浮かばなくなってきたよ。君は何があるべきだと思う?」


「えと、時計とかでしょうか?」


ああ、時計。そういえば壁に掛けるべきだな。正直腕時計やスマートフォンで時間は確認できるのだが、時計すら無い事務所ってのは問題だろう。これまた尤もな答えを返した夏目さんへと、香月社長が昨日届いたオフィスチェアに座りながら深々と頷いた。俺としてはもう、椅子に座れるって時点で満足してしまっていたぞ。段ボール箱に腰掛けていると腰が痛くなるのだ。


「良い意見だよ、夏目君。時計は必要だね。買っておこう。……それじゃあ駒場君、テーブルの移動は君に一任する。私はとても疲れたから、少し休ませてくれたまえ。」


「今ので疲れたんですか。……社長が今までどうやって生きてきたのかが気になってきますね。」


「私は頭脳で生きるタイプなんでね。体力を犠牲にして思考力を手にしたのさ。……夏目君、ちょっと来てくれ。英語の字幕に関して聞きたいことがあるから。」


「あっ、はい。」


悪魔とでも取り引きしたのかってレベルで体力がないな。呆れを通り越して心配になってくるぞ。夏目さんと話す香月社長を背に眉根を寄せて、テーブルを持って隣室へと運ぶ。カーテンは昨日事務所に帰ってきた後で取り付けたし、白いふわふわの敷物も敷いた。そりゃあ完璧とは言えないが、そこまで悪くない内装になった……はずだ。


夏目さんが家から持ってきた三脚でカメラを正面に固定して、加えて俺が一台持てば画角も複数使えるから、急拵えの撮影環境としてはまあまあってところかな。物の配置を整えてから事務所スペースへのドアを抜けると、夏目さんが新しい方のビデオカメラを操作しているのが視界に映った。字幕の話し合いは終わったらしい。


「夏目さん、部屋の準備はオーケーです。」


「ありがとうございます。……こっちをメインカメラにするので、駒場さんが持ってもらえますか?」


「はい、使い方は覚えておきました。」


「あとですね、駒場さんも反射とかで映り込んじゃう可能性があるので……マスクをした方がいいかもです。なるべく編集でどうにかするつもりですけど、それにも限界がありますから。」


ちょびっとだけ申し訳なさそうに提案してくる夏目さんへと、自分のデスクに置いてあるマスクを指して返答を飛ばす。しっかりと準備してあるぞ。身元を隠すためというか、スーツ姿でマスクをしている方が『ただのマネージャーっぽさ』が出るのだ。夏目さんは別に恋愛禁止のアイドルではないが、その辺の機微はアイドルグループに付いていた頃に学習している。視聴者に余計な疑念を抱かせないように、俺は『没個性的な動く三脚』であるべきだろう。


「用意してあります。……ここが事務所であることは説明するんですよね?」


目立たない裏方は良い裏方。昔撮影現場で学んだ教えを思い出しつつ尋ねてみれば、夏目さんは間を置かずに肯定してきた。


「いきなり場所が変わってるのは意味不明ですし、動画の冒頭で『事務所で撮らせてもらってます』とは言う予定です。」


「では、私が映り込んでも問題ないと思います。『撮影を手伝っているスタッフ』と判断されるでしょう。個人的にもマスク有りならそこまで抵抗はないので、神経質にならなくても大丈夫ですよ。」


撮影を手伝っているだけなのは紛れもない事実だが、変な誤解が大きな傷に繋がるのはよくあることだ。誰にとっても不幸にならないように気を付けるべきだろう。思案しながら応答すると、香月社長が会話に参加してくる。


「私は何かやるべきかい?」


「そうですね、社長はこっちで静かにしておいてください。」


「……駒場君? 君、段々と遠慮がなくなってきたね。社長だぞ、私は。」


「親しくなってきたということですよ。私なりの親愛表現です。……それでは夏目さん、早速準備に移りましょう。パーツの箱を並べた状態からスタートですか?」


ここに来る途中の車内での打ち合わせを思い起こしながら聞いてみれば、夏目さんはパーツの箱の山に歩み寄って回答してきた。


「パーツはパッケージもカッコいいので、通販で買った方は段ボール箱から出すのも撮ろうか迷ったんですけど……箱から箱を出していくのは幾ら何でも冗長でしょうし、テーブルにパーツそのものの箱を並べた状態から始めます。サムネイルは箱の後ろに私が居る画像にしましょう。」


「了解です、サムネイルからですね。並べていきましょうか。」


完成したパソコンをサムネイルにするのもありだと思うのだが、『材料』を並べた方が興味を惹けると判断したのかな? 何にせよどっちもどっちだから、そこは夏目さんの選択次第だろう。届いたばかりの棚からカッターを出して、夏目さんと二人で段ボール箱を開封していく。


「改めて見ると結構多いですね。……何だか不安になってきました。これ、作れるんでしょうか?」


「……私には何とも言えませんね。夏目さん以上に詳しくないので。」


「たまに撮影を中断して、参考動画を確認することになるかもしれません。……サイトには『既製パーツを組むだけなら、プラモデルと一緒だ』って書いてあったんですけどね。私、プラモデルを作ったことがないのでいまいち伝わってきませんでした。」


「頑張りたまえ、二人とも。案ずるより産むが易しだよ。試行錯誤もまた動画の一部さ。」


香月社長の応援を受けつつ撮影スペースへと全てのパーツを運び込んで、ドアを閉めて固定カメラの画角を調整する。……ぬう、難しいな。引きすぎると細かい部分が見えないが、結局のところ寄りの画は俺が持つカメラで撮ることになるはず。匙加減が分からないぞ。


「こっちのカメラはソファ全体が入るくらいにすべきですか?」


「あー……最初はパーツの紹介をするので、私の上半身とテーブルの真ん中が映る感じにしてください。実際に作る段階に入ったら変えましょう。」


「分かりました。とりあえずサムネイルを撮りますね。」


パーツが映えるように机の上に並べた夏目さんへと、新しい方のカメラを向けてみれば……彼女は細かくポーズを変えながらカメラにアピールし始めた。夏目さんは静止画で撮るのではなく、動画を切り抜く形でサムネイルにするらしい。故に後で選択できるように色々なパターンを試しているのだろう。雑誌の写真撮影とほんの少しだけ似ているな。『はい、ポーズ変えてくださーい』を一人でやっている感じだぞ。


「……CPUをこう、顔の横に持つのがいいかもですね。これで端のパーツが画面ギリギリになるまで寄ってみてください。」


「ゆっくり寄ってゆっくり引いてみますね。」


サムネイルを撮るに当たっての俺の役目は、兎にも角にも選択肢を増やすことだ。上下左右に角度を変えて、寄って、引く。パーツの配置を変更したりポーズを変えたりしている夏目さんのことを、暫くそうして様々なやり方で撮っていると……ようやく彼女からのオーケーが出る。結構長く撮ったな。それだけこの動画には期待しているということか。


「……はい、もう大丈夫です。一度録画を切っちゃってください。」


「了解です。……オープニングだけは新しい方のカメラを三脚に付けて、古いカメラを私が持つようにしましょうか? どちらかと言えば固定されている方が『メインカメラ』になりそうですし。」


「あっ、そっちの方がいいですね。それでお願いします。……あとあの、ソファをもうちょっとだけ前にしたいです。テーブルに近付ける感じで。」


「分かりました、動かします。」


即座にソファの位置を少し前に動かして、それに合わせてカメラの画角も再調整していく。そのまま夏目さんからの最終確認を受けた後、固定カメラと手に持ったビデオカメラの録画ボタンを押し、ソファに腰を下ろした彼女にアイコンタクトを送ってやれば……『さくどん』は小さく深呼吸してから動画をスタートさせた。


「どうも、さくどんです! 今日はですね、いつもと全然違う場所で撮影してるんですけど……何とここ、ホワイトノーツの事務所の空き部屋でして。今回の動画は色んな角度から撮りたいってことで、使わせてもらうことになりました。」


そこで一度パンと手を叩いた夏目さんは、笑顔で両手を広げてパーツの箱を示しながら続きを語る。


「それで、何をするかと言えば……これ! タイトルにもある通り、自作パソコンを組んでみたいと思ってるんです! 前々から動画編集ソフトが重くて大変だったので、一大決心をして組んでみることにしました。初めての自作なので間違っちゃうこともあるかもですけど、そういう時はコメントで注意していただけると助かります。……ちなみに、予算の都合上あんまりハイスペックではありません。ミドルスペック? ミドルロー? に当たる感じになっちゃいそうです。」


話しながら残念そうに苦笑すると、夏目さんはパーツの紹介に移っていく。カメラを前にすると表情が多彩になるな。ここまでは良い導入だと思うぞ。


「それでは、パーツを一つ一つ紹介しながらその辺のことも話したいと思います。先ずは……これですね、マザーボード。私が買ったのはドリームスター社さんの鉄板マザーボードである、オニキスシリーズのゲーミングモデルです。私はゲームをしないんですけど、端子の数や載せるCPUとメモリのことを考えた結果、これが一番コスパと相性が良いってことに──」


うーむ、さっぱり分からん。昨日の夜にサラッとだけ勉強してみたのだが、いまいちついて行けていないぞ。……ただまあ、『何だか面白そう』という漠然としたわくわくはあるな。細かく理解できなくても、こういう複雑そうな機械には何となく興味を惹かれてしまうものだ。ホームセンターで使えもしない専門工具を見たくなるあの気持ち。あれに近いものがあるかもしれない。


「実はタイフーン社さんのシルバースタイル・プロとも迷ったんですけど、そっちは高くて買えませんでした。比べると一万二千円増しになっちゃうんですよね。……でもでも、何とこれを買ったパーツショップの店長さんが動画の視聴者さんで、ご厚意で値引きしてくれまして。お陰で予算が浮いたから、グラボを当初の予定より良いやつに出来たんです! 店長さん、本当にありがとうございました! ……概要欄の方にお店の情報を載せておきますので、自作パソコンにチャレンジしてみたいって方は是非行ってみてくださいね。色々教えてくれましたし、とっても親切なお店でしたよ。」


うん、良いんじゃないかな。別にあの店長さんは『安くする代わりに動画で宣伝してくれ』とまでは言っていなかったし、あくまで応援という形で値引いてくれたのだろうが……こういう善意にはきちんと善意で応えるべきだ。


夏目さんがそこまで意識しているかはともかくとして、ひょっとするとこれを見てくれた企業が『うちも頼もうかな』と声をかけてくれるかもしれないし、一番最初の『スポンサー』としては悪くないケースになったと思うぞ。そんなことを思考しながらカメラ越しに夏目さんを見ていると、どんどんパーツの紹介を進めていった彼女は最後にCPUを手に取った。曰く、あのパーツこそがパソコンの『頭脳』であるらしい。


「そしてそして、これが今回使うCPUです。マザーボードからして当然なんですけど、無難にナノロジック社さんのCPUにしちゃいました。かなーり迷ったんですが、初心者ということで安定性を重視した感じですね。私が使ってる編集用ソフトとの相性も良いみたいですし、プラスゼロ社さんのCPUはまた今度もっと慣れてからチャレンジしたいと思います。」


その後型番の説明や上位、下位グレード製品の話をちょこっとだけ挟んだ夏目さんは、最後に纏めを語ってから『パーツ紹介』のパートを締める。


「まあ、パーツの紹介はこの辺にしておきましょう。まだまだ詳しくないので、実体験とかじゃなくて調べた知識が殆どなんです。一応マザボとメモリの相性とかもチェック済みなんですけど、詳しい方から見ると変なところがあるかもしれません。だからまあ、私の言ってることは参考程度にって感じに受け取ってください。……では、このまま実際に組んでいきますね。」


言い切ってから二、三秒の間を空けると、夏目さんはくるくると右手を回した。カットか。オープニングの時点で結構撮っているし、彼女の動画の平均的な尺からするとやはり長めになりそうだ。


「……どうでしたか? 説明、抜けてないですよね? こんなに沢山の物を一気に紹介するのは初めてなので、途中からよく分かんなくなってきちゃいました。」


「あーっと、そっちの……ケースファン? だけには触っていませんでしたね。他は全て触れたと思います。」


「あっ、ケースファン。……まあ、こっちは組んでる最中に説明します。追加で付けるのは一個だけですし。」


「パーツの説明自体は特に問題ありませんでしたよ。『どういった役割のパーツなのか』の解説も入っていたので、詳しくなくても何となく伝わってくるような話し方でした。」


ケースファンの箱を困ったように持ち上げた夏目さんに、二台のカメラの録画を止めて感想を投げてみれば……彼女は嬉しそうにふにゃっと笑って応じてくる。この笑みを撮影中に見せて欲しいんだけどな。夏目さんの表情の中で一番魅力的な笑みだぞ。


「えへへ、それなら良かったです。じゃあ、えっと……一旦机の上を片付けないとですね。最初にメモリを嵌めて、次にCPUとCPUクーラーを付けてって順番でやっていきます。参考にしたサイトだと最初にCPUってパターンが多かったんですけど、このクーラーだと付けた後にメモリが挿し難くなっちゃうみたいなので。」


「工程はさっぱりなのでお任せします。……使わないパーツの箱は画面の外に置きますか?」


「あー……後ろの見えるところに置きましょう。その方がちょっとだけ華やかになるでしょうし。」


「了解です。私からだと大丈夫に見えましたが、念のためざっと動画のチェックをお願いします。箱から出してしまうと撮り直せませんしね。」


箱がどこに置かれていようが視聴者は大して気にしないかもしれないが、こういう小さな小さな要素を積み重ねるのが肝要なのだろう。パーツを移動させながら頼んでみると、夏目さんは三脚に固定されているカメラを弄って動画の確認をし始めた。


「んー……はい、良いと思います。イメージ通りの映り方です。」


「こちらのカメラで部分部分の寄りの画を撮っておいたので、もし使うなら編集で組み込んでください。」


「助かります。それじゃあ、続きをやりましょうか。ドライバーと、静電気防止手袋と、結束バンドと、グリス……ああ、グリス。グリスの説明もしてませんでしたね。ここを気にする人も多いみたいなので、CPUクーラーを取り付ける時にやらないと。」


「重要な物なんですか?」


『グリス』と聞くと単車の整備を思い出すが、多分それとは違う物なんだろうな。好奇心から問いかけてみれば、夏目さんは一つ首肯して応答してくる。


「凄く重要みたいですよ。……これを塗る工程が怖いんですよね。塗り方にルールがあるらしいんですけど、調べれば調べるほどに違った意見が出てきちゃって、初心者からすると何がなんだか分かんなかったです。難しそうなので失敗するかもって恐怖もありますし、塗り方がおかしくてリスナーさんから突っ込まれるかもって恐怖もあります。」


「そういえば、昨日店長さんに聞いていましたね。」


「店長さんは『グリスの塗り方は宗教だから、そんなに気にしなくても大丈夫』って言ってくれたんですけどね。……『正解が分からなかった』ってところは正直に話しつつ、慎重にチャレンジしてみます。ドキドキしてきました。」


『宗教』か。上手い言い回しかもしれないな。『どっちもどっち』な時は意見が割れるし、そういう場合は往々にして確たる正解が得られない。どんな分野にも同じような部分はあるはずだ。マネジメントにも、バイクの整備にもそれはあったのだから。


「録画、始めますね。」


『どっちもどっちの泥沼』に同情しながら夏目さんに合図を飛ばしてみると、彼女は軽く頷いてから次なるパートを開始した。


「はい、それじゃあ最初にマザーボードを箱から出してみます。ちなみにこの手袋は静電気を防止するための物です。滅多にないらしいんですけど、静電気でパーツが壊れちゃうこともあるみたいで。初めての自作なのでまあ、念には念を入れて使ってるって感じですね。ではでは、取り出していきましょう。……おー、カッコいいです。CPUクーラーの取り付けとかで圧力がかかるので、箱とか包装のスポンジとかを下に敷くと良いそうですよ。参考にした動画で知りました。」


喋りながらマザーボードを出す夏目さんの手元を、近付いてビデオカメラで映す。打ち合わせの際の彼女曰く、箱から出す瞬間はなるべく近くで映して欲しいんだそうだ。その瞬間が一番わくわくするから、きっちりカメラに収めたいらしい。


まあ、分からなくもないぞ。言われてみれば、箱から『現物』が出てくる瞬間というのはわくわくするものだ。着眼点に感心しつつ、固定カメラの画角も意識してカメラを動かしていると……パッケージからメモリを取り出した夏目さんが、マザーボードの説明書を横目にしながらそれを嵌め込む。


「えーっと、説明書が英語なのではっきりとは言えませんけど、向きは合ってるはずです。切り欠きがここなので、多分合ってます。でも、これ……結構グッてやってるのに、全然入らないですね。んっ、んっ! ……向き、合ってますよね? ひょっとして、間違ってます? 壊れそうで怖いんですけど。パチッてなるはずなんですよ、パチッて。」


苦戦しているな。恐らく本気で焦っているのであろう夏目さんは、無言で説明書をじっくり確認した後……長い無言だし、ここはカットするんだろう。確認した後で再度メモリをマザーボードの溝に押し込み始めた。


「説明書の図からするに合ってるはずです。だから単純に力が足りてない……あっ、パチッてなりました。こんなに思いっきりやらないとダメなんですね。何か壊しちゃったのかと思って一瞬ヒヤッとしましたよ。じゃあその、残る三枚も同じように挿していきます!」


俺も若干怖かったぞ。マザーボードがバキッといきそうな力の込め方だったな。そこそこの時間を使って四枚のメモリを挿し終えると、夏目さんは続いてCPUの箱を手に取る。


「はい、これでオッケーです! 何とかメモリを挿せたので、次はCPUを嵌めていきたいと思います。……すみません、ちょっとカットで。スマホでもう一回動画を確認してもいいですか? ここからCPUクーラーの取り付けまでは一連になると思うので、改めて手順をチェックしておきたいです。」


「分かりました、録画を止めますね。」


俺と同じく、夏目さんも予想外の苦戦で不安になってきたらしい。……これは、時間がかかりそうだな。このペースだと昼休憩を挟んだ後、更に数時間かかるかもしれないぞ。尺的には大丈夫なんだろうか?


「夏目さん、この調子だと動画が結構な長さになってしまうと思うんですが。」


取り出したスマートフォンで参考動画を視聴している夏目さんに呼びかけてみれば、彼女は眉根を寄せながら同意してきた。


「私もそう思いますし、前編後編で二本に分けるかもです。……というか、分けます。どこかに前編の短い締めと、後編のスタートを挟みますね。」


「その方が良さそうですね。」


あまりにも長すぎるのは問題だし、撮影の段階で構成を変えられるなら変えるべきだろう。そうすれば編集する際の労力が減るはずだ。……いやはや、何もかもに臨機応変が求められるな。動画撮影の難しさを実感するぞ。


───


「えーと、これで……はい、大丈夫なはずです! あとはOSをインストールするだけですね。それではやってみたいと思います!」


そして、午後三時。昼休憩の一時間を抜いたとしても約三時間。それだけの時間が経過した段階で、ようやく撮影の終了が見えてきた。……まあ、失敗らしい失敗はなかったな。CPUクーラーが邪魔でケースファンのピンを中々挿せなかったのと、配線を纏めるのに手間取ったくらいだ。香月社長に英語の説明書の翻訳を頼んだり、何度も録画外で入念に参考動画やサイトをチェックした甲斐はあったらしい。


元気に言い放った後で力なく右手を回した夏目さんに従って、カメラの録画停止ボタンを押していると……疲れた表情のクリエイターどのが話しかけてくる。


「これで電源が入らなかったら泣きます。そうなった場合、どこが間違ってるのかすら分かりませんし。」


「最初のテストでは上手く起動したんですから、きっと正常に動きますよ。モニター、持ってきますね。」


『最小構成』なる状態で動いたんだから、この完成した状態でも無事に動作してくれるはずだ。それを祈りつつ事務所スペースに移動して、テストでも使った俺のモニターを手に取ったところで、隣のデスクで作業をしている香月社長が声をかけてきた。


「遂に完成したのかい?」


「したはずです。これから起動させて、OSをインストールしてみます。」


「言っている意味はよく分からんが……つまり、この期に及んで動かない可能性も残ってはいるわけだ。」


「不吉なことを言わないでくださいよ。」


茶々を入れてきた香月社長に注意してから、モニターを撮影スペースに運び込んでみれば、三脚の位置を変えている夏目さんの姿が目に入ってくる。ソファの横に置いているな。斜め後ろから撮ろうとしているらしい。


「駒場さん、モニターはここにお願いします。固定カメラで画面を映しますから。」


「了解しました。」


センターテーブルの指定された位置にモニターを設置して、夏目さんが配線を繋ぐのを見守った後、彼女に向けてビデオカメラを構えた。固定カメラが背後から映すなら、俺は正面と側面を撮るべきだろう。


「じゃあ、始めますね。……それでは、皆さん。モニターをグラボに繋いだので、いよいよ『初起動』いってみましょう! 電源、オン!」


こちらのカメラに対して宣言した夏目さんは、完成したパソコンの電源ボタンを人差し指で軽く押す。すると……よしよし、安心したぞ。『フィーン』という小さな音と共にケースのファンが動き出し、数秒空けてからモニターにメーカーのロゴが映った。成功したらしい。


「うあー、良かったです。動きました! それじゃあさっきみたいにBIOS画面にして……はい、ハードディスクもちゃんと認識されてますね。あとはOSのディスクを入れて、それを読み込んで画面の指示通りに進めていくだけらしいので、ちゃちゃっとやっていきたいと思います!」


そのままキーボードを操作しながら解説していき、一段落したところで夏目さんは再び右手を回す。残るはエンディング部分だけか。


「ここでパーティション分割も出来るみたいなんですけど、今回はやめておきます。難しくて掴み切れませんでしたし、どうせハードディスクは動画ですぐ埋まっちゃうと思うので。メインの方のディスクにOSとかを入れて、もう一個をとりあえずの動画保存に使っていく予定です。では、ここからは暫く待ち時間ですね。……成功しましたよ、駒場さん。ホッとしました。」


「私もホッとしました。インストールは長くかかるんですか?」


「結構かかっちゃうみたいです。だから終わるまで休憩……じゃなくて、片付けをしようと思います。」


台詞の途中で背後の空き箱に目をやった夏目さんへと、録画を止めたカメラをテーブルに置きつつ応答した。


「取っておく必要がない物は置いていって大丈夫ですよ。事務所のゴミとして捨てますから。」


「んっと、パーツの箱は基本的に取っておいた方がいいみたいです。売る時の値段に関係してきますし、無いと保険とか返品が利かなくなっちゃいますから。……けど、全部は家に置いておけませんね。CPUとグラボ、マザーボードの箱だけ取っておくことにします。」


まあ、今の夏目さんの私室は既に一杯一杯だもんな。この空き箱全てを保管するのは難しいだろう。然もありなんと首肯しつつ、事務所スペースの方を指して返事を返す。


「何にせよ、少し休憩しましょう。動画の締めはどんな感じになりそうですか?」


「パソコン本体とデスクトップ画面が映ってるモニターを左右に置いて、纏めをちょっとだけ話す予定です。三分は使わないと思います。……二十分前後を二本に収めようと考えてるんですけど、いけますかね?」


「前編後編で計四十分ですか。可能だとは思いますが、それなりにカットすることになりそうですね。」


内容自体は濃かったので、頑張れば三十分を二本でもいけそうだが……妥当なところではあるかな。『参考になる部分』とか、『面白い部分』を抽出していくと四十分程度になるはずだ。内容が必要以上に薄まるのは避けたいし、そこがちょうど良いラインなのかもしれない。現状のライフストリームだと、二十分でも『かなり長めの動画』に位置するわけだし。


自分のデスクに着きながら思案している俺に、夏目さんが近くの椅子に腰を下ろして口を開く。彼女が座っているのは今はまだ居ない事務員用の椅子だ。デスクが四台あるので、椅子も四脚買ったのである。一脚は梱包されたままだが。


「編集に凄い時間がかかっちゃいそうです。……『お知らせ動画』からはテロップを入れようと思ってるので、今までより編集時間が長くなるでしょうし。」


「お知らせ動画、デスソース、自作パソコンの順番で上げるんですよね?」


「そうなりますね。デスソースと自作パソコンは伸びて欲しい動画なので、妥協しないで編集してみます。……そういえば、動画を上げる前に駒場さんにも確認してもらった方がいいんでしょうか?」


「可能ならお願いします。構成そのものには口出ししないつもりですが、誤字脱字といった細かい点には気付けるはずですから。」


現在の俺はあくまでマネージャーなので、『ここをこうした方が良い』とは口煩く意見すべきじゃないだろう。そもそも夏目さんの方がライフストリームを『分かっている』わけだし、こっちが学ばせてもらう立場なのだ。……それにまあ、いちいち口出しすると鬱陶しく思われかねない。もう少し信頼関係を築けた後ならともかくとして、担当するや否や細かく注文を入れるのは愚策に過ぎるぞ。


俺がマネジメントすべきは動画そのものではなく、それを作っている夏目さんの方だ。物ではなく人を扱う仕事なのだから、こういう部分に対しては慎重になるべきだろう。思考しながら答えてみれば、夏目さんは悩んでいる顔付きで声を寄越してきた。


「どの段階の動画を送るべきでしょうか? つまりその、完成版にノーを出されるとやり直しが難しいんです。だから問題があれば早い段階で指摘して欲しいんですけど、編集する毎に送ってたら駒場さんの迷惑になっちゃうでしょうし。」


「余程のこと……例えばライフストリームの規約に明らかに反していたり、個人情報に触れる物が映り込んでいたり、法律や道徳的にアップロードするのが危険な動画でない限り、こちらから『ノーを出す』ということはありません。ただし不安であれば何度送ってもらっても大丈夫ですし、どこが気になっているかを教えていただければしっかりとチェックしますよ。……当面は最初に大きくカットした動画と、編集後の完成版を送ってもらえるとありがたいです。私と香月社長で確認しますから。」


「なら、最初の段階で私が英訳しようか。それなら最終版に合わせて少し調整するだけで、アップロードと同時に字幕を付けられるからね。動画を開いてみて『あれ、字幕はまだか』だとがっかりするだろうし、最初から付けておくに越したことはないはずだ。」


ああ、良いアイディアだな。俺が日本語のテロップの誤字や映り込みなんかのチェックをして、香月社長にオンオフが可能な英語の字幕を付けてもらい、それを夏目さんに送り返せばいいわけだ。俺と社長の返答を耳にした夏目さんは、頷きながらしみじみと応じてくる。


「あの、助かります。……伸びて欲しいですね、動画。」


「再生数は必ず伸びるさ。ライフストリームの視聴者数という根本の数字が大きくなっているんだから、そも伸びないはずがないんだ。君の場合は土台も持っているしね。……問題なのは『伸び率』の方だよ。この段階で頭一つ抜けることが叶えば、それは後々巨大な差になってくる。これからの一年が勝負所だぞ、夏目君。もちろん私たちも出し惜しみせずに支援していくつもりだ。君の成功は即ちホワイトノーツの成功で、失敗もまた然りなんだから。」


「香月社長、プレッシャーを与えないでくださいよ。」


「別に責任を負わせる気はないさ。それを負うのは夏目君でも駒場君でもなく、社長たる私の役目だ。私は私の責任を誰かにくれてやったりはしないんでね。……私が言いたいのは、『一蓮托生』ってことだよ。成功と失敗を分かち合う人間が居ることを覚えておいて欲しいんだ。だってほら、どちらかだけを分けるのはフェアじゃないだろう? 君の成功が私たちの成功に繋がっている以上、私たちは君の失敗の三分の一ずつを背負う義務がある。権利と義務が背中合わせでなければ、何事も成立しないのさ。そこは心に留めておきたまえ、夏目君。成功だけを預けてしまえば大損だぞ。きちんと失敗も預けるように。」


うーん、やはり口では敵わないな。胸を張って『失敗』も共に背負うことを主張した香月社長へと、夏目さんは感じ入っているような表情で応答した。こういうことを堂々と言える人物だからこそ、この人は『社長』なのかもしれない。平の社員をやっているところなんて全然想像できないぞ。


「わ、分かりました。失敗だけじゃなくて、成功も共有できるように頑張ってみます。」


「うんうん、その意気だ。……なぁに、僅か数年後には君こそが日本のライフストリーマーを代表する人物になっているよ。私がそうしてみせるさ。色々なものを対価に『スタートダッシュ』をしたんだから、そうでなければ報われない。後ろに歩き易い道は作ってやるが、代わりに先頭を進むのは常に私たちだ。この位置だけは意地でも譲らん。」


「……随分と挑戦的な発言じゃないですか。」


「当たり前じゃないか、駒場君。人にはそれぞれ適した役割というものがあるんだよ。他者が切り拓いた道を整備する者も居れば、横道に逸れていく者も居るだろうね。そこに貴賎などない。どれも大切な役割で、絶対に必要なものなんだ。……しかしながら、私は骨の髄まで『切り拓く者』なのさ。後塵を拝するのなど我慢ならん。これはもう生まれ持った性分で、同時に私の矜持なんだよ。ならば痩せ我慢をしてでも押し通す他ないだろう?」


肩を竦めて豪語した香月社長は、くつくつと喉を鳴らして会話を締める。生まれながらの開拓者か。『成功か、死か』という話は比喩ではなかったらしい。ぶっ飛んでいる人だな。


「ま、後々思い返した時にでも理解してくれればいいよ。後ろに誰も居ない現状だと、前を進んでいる自覚は得られないだろうからね。そのうち分かるさ。私が何をやりたいのかが。……夏目君、君はとにかく攻めまくりたまえ。駒場君をカメラマンにして、運転手にして、荷物持ちにして財布にして、尻込みせずに動画の幅を広げるんだ。大きな船になると方向転換が難しくなるから、試してみるなら今のうちだよ。何かやりたいことはないのかい?」


「やりたいこと、ですか。……えと、前にも言ったように外での撮影はやってみたいです。人気のカフェとか、遊園地とか、レストランに行ってみる動画を撮りたいなと思ってて。」


「いいじゃないか。撮影許可が下りないならそれまでだが、先ず掛け合ってみなければ始まらない。駒場君と話して場所の候補を決めてくれ。片っ端から交渉してみよう。」


「私も面白い動画になると思いますし、近々話し合ってみましょう。何とか許可を得られるように、マネージャーとして努力してみます。」


『人気の飲食店』は他のお客さんが多いので店側の反応が分かれそうだが、遊園地はいけそうじゃないか? ライフストリームは権利関係の柵が緩いし、撮影自体も少人数で行える分、外での撮影はむしろ民放よりやり易そうだぞ。上手く進めていけば、さくどんチャンネル特有の映像として成立させられるかもしれない。


何れにせよ、詰めていく価値はありそうな分野だ。……むう、考えれば考えるほどに多様な可能性が浮かび上がってくるな。無数のジャンルが成立してしまいそうだぞ。夏目さんとは全く方向性が違うクリエイターが所属することだって大いに有り得るわけだし、今後は広い視点で行動していかなければ。


進歩と、そして新たな問題の登場。それの繰り返しだなと苦笑しながら、自分の肩を軽く揉み解すのだった。

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