Ⅰ.さくどん ③



「やあ、駒場君。元気そうだね。」


相変わらず雰囲気がある人だな。夏目さんとカフェで対面してから二日が経った日曜日、俺はお世話になっている民放キー局のプロデューサーさんの家を訪れていた。ここに来た理由は二つだ。一つは私的な謝罪のためで、もう一つは休日返上の『仕事』のためである。


「お久し振りです、富山とみやまさん。急にすみません。」


「いいよいいよ、入りな。君のことは心配してたんだ。連絡してくれてホッとしたさ。」


「お邪魔します。……そちらにも『悪評』は届いていますか?」


玄関の中に招き入れてくれた富山さん……確か今年で五十五になる、ベテランの男性プロデューサーさんだ。へと問いかけてみれば、彼は苦笑しながら首肯してきた。ちなみにこの家に入ったのは初めてではないのだが、何度見ても大きな一軒家だな。さすがにキー局のエグゼクティブ・プロデューサーともなると収入も多いらしい。都内ではそこそこな立地の上、表の駐車場にはツーシーターの高級車も駐めてあったぞ。


「届いてる届いてる。うちの制作局じゃ『好評』になってるけどね。」


「あー……好評、ですか?」


「みんな嫌いなんだよ、遠藤のこと。民放業界じゃ誰もが早く死んで欲しいと願ってるんじゃないかな? そんなクソ野郎の顔に泥を塗ってくれた君は、うちの制作局じゃスター同然だ。神棚に写真でも飾ろうかと思ってるよ。」


「それは勘弁してください。神様にも失礼でしょうし。」


辛辣な台詞が飛び出してきたな。……『遠藤』というのはまあ、俺が江戸川芸能をクビになる切っ掛けとなった人物だ。要するに『枕』を要求してきた大物というのが遠藤プロデューサーなのである。そして今俺をリビングに案内してくれている富山さんは、遠藤プロデューサーと同世代かつ別局のプロデューサーということで、何十年も前から仲が悪いらしい。曰く大昔の民放黄金期に盛大に揉めたことがあって、その時は殴り合いの喧嘩にまで発展したのだとか。


にしたって『早く死んで欲しい』というのは相当だなと思っていると、富山さんは俺に席を勧めながら会話を続けてきた。半円形の黒いデザイナーズソファ、ガラス製のお洒落なセンターテーブル、巨大なテレビ、重厚なダイニングテーブルと四脚の椅子、その奥に見えている近代的なシステムキッチン。いつ来ても夢があるリビングダイニングだな。俺のアパートの部屋とは大違いじゃないか。


「ま、座ってよ。家内が出かけてるからインスタントのコーヒーしかないけどね。主婦友達とゴルフに行ってるんだよ、ゴルフ。僕が教えたのに、最近じゃ妻の方が夢中になってるんだ。……しっかし、派手にやったじゃないか。僕に一言相談してくれれば穏便にやれたかもよ?」


「頭には浮かびましたが……ご迷惑になると考えたので、連絡はしませんでした。」


「そういうヤツだよね、君は。江戸川芸能じゃ唯一期待してたんだけど、これであの事務所には本当にまともなのが居なくなっちゃったよ。」


「あの、富山さん。……番組の件、本当に申し訳ございませんでした。今日はそれを謝りに来たんです。」


ソファの前に立ったままで深々と頭を下げた俺へと、富山さんはキッチンスペースに移動しながらひらひらと手を振って応答してくる。俺が強引に移籍させたアイドルグループのレギュラー番組。その責任者が富山さんなのだ。水面下で唐突に移籍させてしまったから、間違いなく契約面でトラブルが発生しただろう。そこは心から申し訳ないと思っているぞ。


「いいっていいって。こっそりやる他なかったんだろうし、番組の出演は今まで通りってことになったからね。江戸川を相手にするよりやり易くなったくらいだよ。金のこと煩いからさ、あの事務所。」


「……あの子たちを使い続けることで、各所との関係が悪化しませんでしたか?」


「あのね、駒場君。僕って一応それなりに発言力持ってるんだよ? その程度だったらどうにでもなるさ。遠藤が歯噛みしてると思えばお釣りが来るよ。」


「……ありがとうございます。富山さんが引き続き使ってくれることで、他番組もあの子たちを起用し易くなったと思います。」


富山さんクラスのプロデューサーが切らなかったことで、ある種の『免罪符』が手に入ったのだ。他のプロデューサーがあの子たちを起用するハードルは大きく下がっただろう。頭を下げ続けながらお礼を言った俺に、富山さんは困ったような声を返してきた。


「いいんだって。……律儀すぎるよね、駒場君は。初めて会った時から芸能界に向いてないと思ってたよ。嘘吐いてナンボの世界なのに、君はちょっと正直で真面目すぎた。だからこういう結末はあんまり意外ではないかな。」


「それなのに世話を焼いてくれたんですか?」


「芸能界に向いてないってことは、つまり人間としては『良いヤツ』ってことじゃんか。飲みに連れて行くのはそういうヤツじゃないとストレスで死んじゃうよ。成功するのは僕含め、自分勝手な連中ばっかりだからね。我を突き通して、盲目的に自分のセンスを信じて、容赦なく他人を押し退けられないとやっていけないんだ。今更言っても意味ないけど、君に足りなかったのはそこかな。」


「……思い当たる節はあります。」


人間としては美点でも、仕事においては弱さになるわけか。その通りだなと苦い気分でソファに腰掛けた俺へと、富山さんはキッチン脇のコーヒーメーカーを弄りながら続きを語る。大型の本格的なやつだ。そこまで行くともう『インスタント』とは言えないと思うぞ。コーヒーの良い香りが漂ってきているな。


「でもさ、残念なのは本音だよ。君はスタッフ受けも良かったし、付き合い易い相手だったからね。うちの番組のスタッフ、かなーり気にしてるみたいだよ? そういう事って結構少ないのさ。大抵は気にしないか、『居なくなって清々した』って反応になるから。……君が担当してた子たちも相当落ち込んでたしね。落ち込んでたって言うか、今なお落ち込んでるって言うべきかな? 周防ちゃんなんか僕に相談してきたくらいだよ。『瑞稀マネージャーのこと、どうにかなりませんか?』って。」


「……そうですか。」


「実際、どうにか出来るよ。ほとぼりが冷めた頃に仕事紹介しようか? 遠藤はバカだからすぐ忘れると思うしね。……うちで飼ってるハムスターより記憶力がないんだよ、あいつ。どんぐりを埋めっぱなしにするリスと同レベルの知能しかないのさ。今日日枕営業なんて要求する時点でバカ丸出しだって。多分脳みそがおかしくなってて、価値観が過去に遡ってるんじゃないかな? タイムスリッパー遠藤だ。今にスタジオの隅っこで打製石器とかを作り始めるよ。そうすりゃ火を怖がるようになるだろうから、ライターで追い払えて楽なんだけどね。」


うーん、遠藤プロデューサーへの罵倒となると急に舌の回りが良くなるな。どう相槌を打つべきかが分からなくて聞き流した後、淹れてくれたコーヒーを受け取って『仕事の紹介』に対する返事を飛ばす。新しい名刺を差し出しながらだ。


「お気遣いありがとうございます。ただその……実はですね、もう再就職できたんです。今はこの会社に勤めておりまして。」


「おっ、そうなの? 『ホワイトノーツ』? 僕は聞いたことないな。何の会社?」


「ライフストリームの投稿者に対する、プロデュースやマネジメントを行う会社です。……ライフストリームはご存知ですか?」


「あー、ライフストリーム。もちろん知ってるし、だとすれば君は良い再就職先を見つけたみたいだね。……あのサイトはデカくなるよ。断言したっていいさ。」


おっと、予想以上の反応だな。即座に断言してきた富山さんは、俺の斜向かいに腰を下ろして唸ってくる。持ってきた手土産を遠慮なく開きながらだ。


「僕の好きなどら焼きでしょ? これ。開けちゃうよ? ……君の新しい上司は先見性が『ありすぎる』らしいね。この段階で手を付けるのは勇気が必要だったはずだよ。けど、大いに正解だ。そうか、駒場君の次の土俵はライフストリームか。いいね、そこの知り合いを得られるのは願ってもないことさ。」


「随分と高く評価しているんですね。」


「ネットは『速い』し、『広い』し、『多い』からね。そこだけは逆立ちしたって民放じゃ勝てないよ。……そりゃまあ、力押しなら負ける気はしないさ。そもそも注ぎ込める予算が違うんだから、僕が作る番組なら百回やって九十五回は勝てる自信がある。あと十年間くらいはそれが続くんじゃないかな。とはいえ、民放も適応していかないと何れ追い越されると思うよ。僕の後輩たちは苦労するだろうね。僕はその前に引退するから知ったこっちゃないけど。」


独特な表現だな。速くて、広くて、多いか。つまり質では負けないが、特定の面では既に上を行かれていると判断しているわけだ。あっけらかんと言い放った富山さんへと、コーヒーを一口飲んでから疑問を送った。


「富山さんはマネジメント業が成立すると考えますか?」


「そこはちょっと分かんないかな。利益を上げるためのプロセスをよく知らないからね。僕に分かるのは、ライフストリームという媒体がどんどん拡大していくって点だけさ。……一つアドバイスしてあげるよ、駒場君。ライフストリームを使うなら、早い段階から国外に目を向けた方がいいね。あのプラットフォームには国境がない。そこはめちゃくちゃ重要だと思うよ。」


「国外ですか。」


「だってさ、民放は何をどうしたって国内の視聴者しか手に入れられないわけでしょ? 僕たちはそれを承知した上で番組を作ってるんだけど、ライフストリームはそうじゃない。アメリカだろうがイギリスだろうがフランスだろうがロシアだろうが、見ようと思えば簡単に見られるんだよ。それって物凄いチャンスじゃないかな。別に英語だのロシア語だのを喋れなくても、字幕さえ入れればどデカい市場に手を出せるわけ。確かそういうシステムあったよね?」


あるぞ。ライフストリームそのものの機能に字幕は存在している。尋ねてきた富山さんに頷いてみれば、彼は腕を組んで話を続けてきた。もうこの時点で来た甲斐はあったな。さすがに目の付け所が違うらしい。


「じゃあ、やるべきだよ。日本語だけでやってたら一億……もちろん潜在的にの話ね? 一億程度の市場だけど、英語の字幕を入れるだけでそれが十億に膨れ上がる。僕ならやるね。絶対やる。メインの市場をあくまで日本国内に据えるにしたって、字幕一つ付けるくらいのことはするはずだ。百人に一人、千人に一人、一万人に一人見るようになるだけで全然違うんだから。」


「参考になります。……富山さん、私が担当することになった子の動画を見ていただけませんか?」


「なるほどね、今日は意見を聞きに来たわけだ。……いいよ、見てあげる。見せる相手として僕を選んだって部分は普通に嬉しいからね。一つ貸しを作っておくのも悪くなさそうだし、今のところはまだ競合相手でもない。無責任に意見させてもらうよ。」


「ありがとうございます、助かります。」


お礼をしつつポケットからスマートフォンを出して、用意しておいた『さくどんチャンネル』の動画を開く。それを再生状態にしてセンターテーブルの上に置くと、スピーカーから夏目さんの声が流れ始めた。百戦錬磨のプロデューサーたる富山さんから意見を貰う。それこそがここに来た二つ目の目的なのだ。


『どうも、さくどんです! 今日はですね、前々から紹介したかった物がようやく手に入ったので──』


初っ端から人に頼るのは中々情けない行動だが、夏目さんは一大決心をして事務所に所属したのだから、目に見える利益が得られなければがっかりするはず。だったら出し惜しみをしている余裕などないぞ。今の俺に残っている僅かな強みである、『芸能界との細い繋がり』。それを余す所なく有効活用していかなければ。


ちなみに最初に選んだのは商品のレビュー動画だ。最近投稿された中では、比較的再生数と評価が良かったやつ。現時点のさくどんチャンネルではこれが主軸になっているので、是非とも富山さんに意見を聞いておきたいぞ。俺が思考している間にも、画面の中の夏目さんが白い座卓の上に紹介する商品を出した。


『じゃーん、これです! コスメグッズでお馴染みのパステルさんと、これまた化粧品関係で有名な健忠堂さんがコラボした期間限定のハンドクリーム。それをゲットしてきました! 近所の薬局ではもう売り切れちゃってて、少し遠出をして買ってきたんですけど……どうもですね、女性だけじゃなくて男性もターゲットにした商品らしいんですよ。ちなみにこれは一番小さいサイズで、大きいやつはこの二倍くらいの容量の──』


動画を見る度に思うが、本当にキャラが違うな。快活でハキハキしていて、喜怒哀楽を躊躇わず表現できる女の子。それが動画内での夏目さんなのだ。あの引っ込み思案な夏目さんとの差が凄いぞ。黙考しながら動画に目をやっていると、商品の簡潔な説明を終えた『さくどん』が容器の蓋に手をかけたのが視界に映る。


『それじゃあ、開けてみましょうか。これ、回す蓋じゃないんですね。パカッて開けられるみたいです。この形のハンドクリームにしては珍し……うわ、良い匂い。開けた瞬間に良い香りがしてきました。えっと、見えますか? 見ての通り真っ白なクリームで、ローズ系の結構強めの香りですね。香水は嫌いだけど、香りはつけたいって人にはちょうど良いかもしれません。』


富山さんがどら焼きを食べながら視聴しているのを、更に外側から観察している俺に……彼がポツリと呟きを寄越してきた。まだ動画が半分も終わっていない段階でだ。


「んー、大きな改善点が二つあるかな。」


「どんな改善点でしょうか?」


「まあまあ、とりあえず全部見るよ。……この子はバランス感覚があるね。ここが良い、ここが悪いってのをきちんと両方言ってる。民放だと前者に寄せるけど、ライフストリームならこの塩梅が正解なんじゃないかな。」


「『バランス感覚』ですか。」


言わんとしていることはまあ、何となく伝わってくるぞ。商品をレビューする際に持ち上げすぎず、叩きすぎないということだろう。脳内で考えを整理している俺へと、富山さんは動画に目を向けつつ詳細を語ってくる。


「民放が必要以上に食べ物とか商品を『ヨイショ』するのってさ、もちろんスポンサーとか撮影させてくれる店への気遣いもあるけど……最大の理由はそうしないと『つまらない』からなんだよね。マズいマズい言いながら何か食べてる映像なんて不快なだけだし、ダメ出ししすぎるヤツを見てたって面白くない。だから基本的に肯定の意見を前面に押し出すわけ。」


「……この動画ではいくつかの『悪いところ』を指摘していますね。」


「そこだよ、そこが民放とライフストリームの違いなんだ。多分だけどさ、こっちでは面白さと同じくらいの『正直さ』が求められるんじゃないかな。スポンサーとか企業関係の柵以前に、視聴者が求めている性質が違うんだと思うよ。……とはいえだ、だからといって叩きまくるのは良くないだろうね。それが実際に悪い商品だとしても、不平不満だけってのは単純に不愉快だ。その点この子はちょうど良いバランスに収めてる。正直な『消費者目線』の意見を前面に出しつつも、フォローはきっちり入れてるでしょ? 肯定六、疑問二、意見一、否定一って感じかな? 扱う物にもよるんだろうけど、この動画に関しては絶妙な割合に感じられるよ。」


「……そこはある程度計算でやっているんだと思います。思い返してみると、初期の動画では割と酷評している時もありましたから。」


恐らくコメントを参考に修正を入れたのだろう。肯定と否定のバランスか。そういう面には気付けなかったなと反省している俺に、一つ目の動画の視聴を終えた富山さんが『感想』を送ってきた。


「……うん、悪くないね。とびっきり面白いとは言えないけど、持続力があるタイプに思えるよ。良い子に目を付けたじゃないか。」


「目を付けたのは私ではなく、うちの社長ですけどね。……『二つの改善点』についてを聞かせていただけませんか?」


「ああ、そうだね。改善点。一つはボイスフォロー……っていうか、テロップだよ。」


「テロップですか。」


そういえば、夏目さんの動画には入っていないな。というかライフストリーム内で入っている動画はあまり見ない。内心で首を傾げている俺に対して、富山さんは二個目のどら焼きに手を伸ばしつつ解説してくる。


「これを見るとさ、白完……つまり、尺だけを合わせた段階の映像に似てるなって思うんだ。僕たちの業界じゃそれはまだ編集の途上にある映像なんだよ。民放とこっちじゃ質が違うってのは重々承知してるけど、でもテロップは絶対に入れた方がいいね。一気に華が出るはずだから。」


「……私は全く気付きませんでした。確かにちょっとした物足りなさはありますね。」


「テロップは音声だけじゃなく、感情を表現する手助けにもなるからね。当然フォントにも拘るべきだと思うよ。驚いた時はインパクトのある赤いテロップを、平時は穏やかで柔らかい暖色のテロップを、悲しい時は青いどんよりしたテロップを。そうすると映像ってのは途端に華やぐんだ。特にこの子は画角を動かさない……というか動かせないみたいだから、カメラを振れなくてのっぺりした映像になってる。テロップで凹凸だのメリハリだのを付ければ、かなり違ってくるんじゃないかな。視聴する側がこの子の感情を追い易くなって、共感したり臨場感を増す手助けにもなるし、文字に起こせば単純に発言内容が分かり易くもなるからね。編集は相応に面倒くさくなるだろうけど、少なくとも視聴者側には大きなデメリットを与えないはずだよ。」


うーむ、金言だな。テロップか。納得できてしまうアドバイスに首肯していると、富山さんは続けてもう一つの改善点を示してきた。ただし、編集がキツくなるというのは俺では判断できない点なので、そこは夏目さんと慎重に話し合うべきだろう。要所にだけ入れるというのも良さそうだ。


「もう一つの改善点も根本的な意味としては一緒なんだけど、これはこれで使い方が微妙に違うから分けたんだ。……効果音だよ、効果音。この映像の作り方だと、テロップよりもそっちが重要かな。」


「……一応、効果音は入っているみたいですが。」


「努力は認めるけどさ、これだとショボいし合ってないよ。フリーのやつを使ってるんだろうね。……事務所で効果音を用意するのもありじゃないかな。他の動画と差別化できるし、所属するメリットにもなるでしょ? 何なら作れる人を紹介してあげるよ?」


「……お願いすることになるかもしれません。社長と相談してみます。」


効果音は俺も少しだけ気になっていた部分だ。連続で何本も見たからかもしれないが、同じ効果音を使っているのが目立っていたぞ。眉間に皺を寄せながら応答した俺に、富山さんは苦笑いで肩を竦めてくる。


「フォントとか効果音って『こんなにすんの?』って値段なんだけどさ、種類を揃えておいた方が良いのは間違いないよ。金をかけるべき点ではあるわけだから。……他のも見せてよ、駒場君。君のことだし、何本か選んできたんでしょ?」


「はい、三本選んできました。……今度の動画は所謂『チャレンジもの』になります。」


「うわー、こういうのもやるんだ。頑張るなぁ。僕の番組でも使ったことあるよ、これ。味は悪くなかったけど、本当に臭いんだよね。」


次の動画は……まあその、物凄く臭いことで有名な缶詰を食べるという動画だ。夏目さんは実家に住んでいるはずなのだが、これは大丈夫だったんだろうか? 普通にキッチンで撮影しているぞ。


『──してますね。見えますか? これ、ここ。何か汁が漏れて……あっ、くっさ。ちょっと待、くっさい! いや、想像以上に臭いです!』


だろうな。動画の中盤で涙を滲ませながら懸命に臭いを表現しようとしている夏目さんへと、富山さんが半笑いで突っ込みを入れた。


「いやぁ、民家でやるってのは無謀にも程があるね。暫くは臭いが取れなかったと思うよ。せめて外でやればいいのに。……ただ、方針としては正しいんじゃないかな。『やりたくないこと』とか、『やれないこと』を視聴者と共有するのが大切なわけ。」


「追体験させるということですか?」


「そうそう、それだよ。自分じゃ絶対やりたくないけど、見てはみたい。それを代わりにやるってのが重要なんじゃない? ……やってる人間が『プロ』じゃないって点もデカいのかもね。あくまで僕の予想だけどさ、本質に掠ってはいるはずだ。」


そう口にしながら二本目の動画を最後まで見た富山さんは、足を組んで難しい顔で話しかけてくる。


「やっぱり土俵が違うね。民放のプロデューサーとしては色々と考えさせられるよ。……この動画で気になったのは、カメラの画角かな。兎にも角にも見せることを気にしてるのは伝わってきたけど、一人じゃどうにもならなさそうだ。引きの画が使えてないのは何か理由があるの? 固定するにしたってもう少し遠くに置けそうなもんだけど。」


「あーっとですね、ご両親から映していいスペースを制限されているらしいんです。だからキッチンで撮る場合は、キッチンしか映せないのだと言っていました。画角に制限があるのはその所為ですね。」


「これ、実家なんだ。そうなると臭いでめちゃくちゃ怒られただろうね。根性あるなぁ。……まあ、それなら引っ越さない限りはどうにもならないか。だけど勿体無いとは思うかな。寄りの画だけだとどうしたって息苦しくなっちゃうから。」


「……場所を提供すべきでしょうか?」


悩みながら問いかけてみると、富山さんは間を置かずに頷いてきた。いちいちスタジオを借りればとんでもない費用になるだろうし、慎重に考えなければならない部分だな。たとえそれが小規模なスタジオだとしても、毎回使うと大赤字になるはずだ。この前のカフェでの話からするに、一本の動画から得られる収益はまだまだ小さなものなのだから。


「もし可能なら用意してあげた方が良いね。さっきの動画は今のよりマシだったけど、それでも若干の窮屈さがあった。そんなに広くなくてもいいから、『自由にカメラを振れる』ってスペースがあれば大分やり易くなると思うよ。」


「参考にさせていただきます。……最後の動画を再生しますね。」


言いながらスマートフォンを操作して、三本目を再生する。最後の一本は料理動画だ。作る物自体はビーフ……何だっけ? ビーフ・ウェリントン? なる一品で、完成した料理は普通に美味そうだったぞ。


『──をすればスムーズに焼けます。今回はフランベをしますけど、やらなくても大丈夫です。動画にするから張り切ってやってるだけで、いつもは私もやってませんしね。……はい、これで全部の面を焼き終えました。後でパイに包んでオーブンでも焼きますから、フライパンでは軽く色を付ける程度で問題ありません。そしてそして、次はこれです。お肉が温かいうちに料理用のブラシでマスタードを塗っていきます。』


夏目さんが投稿する動画の中では、最も丁寧かつ万人受けしそうなジャンル。それが『料理』なのだ。材料や手順の説明も細かいし、トークもそれなりに入れているし、適度にカットしているのでテンポも良い。俺としては一番期待しているジャンルの動画を目にして、富山さんは……悪くない反応だな。感心したように首を縦に振って口を開く。


「これはいいね。変な受け取り方のされようがないし、料理ってのはそもそもが無難で安全なジャンルだ。鼻に付くような説明の仕方じゃないのも好印象かな。……たまにうるっさいのが居るでしょ? 『これをやらないヤツはバカだ』とか、『こういう調理をしている人が多いですけど、それは素人です』みたいなのが。こっちとしては起用し難いんだよね、あれ。」


「辛口ってやつですか?」


「平たく言えばそうだけど、正確に言うと『単に文句を喚けば辛口になれると思ってるヤツ』かな。売れてる辛口タレントってのはさ、きちんとフォローも入れてるんだよね。一回ならいいよ? 穏やかで優しい言葉より、強めの文句の方が人を惹きつけるから。……だけど視聴者だってバカじゃない。何回もテレビに映ってると気付くんだよ。『よく考えたらこいつ、文句ばっかりで鬱陶しいな』って。そうなったらもう終わり。僕は使わないし、他のプロデューサーも使わないだろうね。」


「……シビアですね。」


そういうケースは耳に覚えがあるな。江戸川芸能には居なかったが、それで仕事が激減したタレントの噂は聞いたことがあるぞ。当人としては『辛口キャラ』を演じていたつもりだったのに、いつの間にか視聴者の支持を失っていたという逸話を。


俺が何とも言えない気分で放った相槌に、富山さんはポリポリと頭を掻きながら応じてくる。


「そこは事務所がストップをかけてあげるべきだよね。『イジる』と『貶す』の違いを理解してない子とかもたまに見るけどさ、マネージャーがダメなんだろうなって毎回思うよ。現場で唯一の『外側から見られる身内』なんだから、ちゃんと注意してあげないと。……まあいいや、そこは駒場君なら平気でしょ。実際できてたわけだし、それをこの子にも教えてあげれば大丈夫じゃない?」


「可能な限りにフォローしていくつもりです。」


「あとはまあ……そうだね、単純に見栄えが悪いかな。何かこう、使ってる道具が安っぽいよ。個人でやってるから買えないんだろうけどさ、ここまで『家庭感』があるのはちょっとね。そこを売りにも出来るんだろうけど、変に編集が良いから逆に目立っちゃってる。料理の動画に関しては、日常に寄せるか非日常に寄せるかをきっちり決めた方がいいかもよ?」


日常か非日常? 意味を上手く掴めなくて困惑している俺に、富山さんは細かい説明をしてくれた。


「つまりさ、非日常に寄せるならもっと『綺麗』な動画にするわけ。使う道具を汚れ一つない最新式のやつにして、憧れるようなシステムキッチンで撮って、華麗な調理方法とかも披露したりして、『うわぁ、そんなのを作れるなんて凄い』って方向に持っていくんだよ。……反対に日常に寄せるならカットを減らして、材料とかも包装そのままにすべきかな。『これだったら自分にも作れそうだから、明日の夕飯の参考にしよう』って方向だね。料理自体の難しさは関係ないよ? どう見せるかの違いだから。」


「彼女は材料を事前に皿に出していましたね。」


「そっちの方が見栄えはいいし、努力してる点なんだろうけどね。スーパーから買ってきたやつをそのまま出せば、親近感が湧くし『作れそう感』が増すでしょ? 民放だとメーカー名を隠したりとかであんまり出来ない部分だから、その方向に寄せていくのもありだと思うよ。……ただまあ、僕は『綺麗な料理動画』を推すかな。そうすると料理をしない人も結構見てくれるから。」


そこで区切った富山さんは、再生が終わった動画から目を離して続けてくる。ニュアンスは掴めたぞ。料理を前面に押し出すか、それとも映像としての質を高めるかの違いか。


「昔料理番組をやってた時にさ、先輩から言われたんだよね。『ゴリゴリに普段料理をする層を狙うんじゃなくて、別の層も何となく見るような番組にしろ』って。その時は『料理番組なんだから、料理をする人がターゲットじゃないのか?』と思ったけど、意識してみると本当に視聴率が変わってくるんだよ。綺麗で感心するような映像だと、料理なんてしなくても何となく見ちゃうみたいでさ。その『何となく』がデカいんだ。……実際参考に出来るって方向性か、エンターテインメントとしての面白さを求めるか。料理ってジャンルにはそういう差があるらしいんだよね。」


「……奥深いですね。」


「あとね、『食べる』って部分をどう扱うかも重要だよ。動画では完成した料理を食べて感想を話してたけど、作った料理を物撮りして終わるのもありっちゃありかな。そこはまあ、どっちが良いとは言えないけどさ。料理をメインに据えるか、それとも誰が作ってるのかを重視するかの違い……じゃない? 料理そのものを目的にして動画を再生した人は、誰が食べていようがどうでも良いわけでしょ? 余計なお喋りなんて必要としてないわけ。だけど『さくどん』のファンが見るんだったら、最後に彼女が食べて喋ってる部分が無いと物足りないだろうね。二者択一だよ。仮に他の動画への誘導をしたいなら入れるべきかな。料理を目当てにして動画を開いた人が、彼女自体を好きになってくれるかもだし。」


「富山さん、昔居酒屋で言っていましたね。『最初に見てくれるかどうかが一番のポイントだ』って。」


飲みに連れて行ってもらった時の会話を思い出している俺に、富山さんは大きく首肯して返事をしてきた。


「それそれ、そこなんだよ。先ず見てもらわないと好きにも嫌いにもなってもらえないからね。『入り口』は多ければ多い方がいいんだ。そう考えると……このさ、最初の画面。何て言うのかは知らないけど、動画の『表紙』にももっと拘るべきかな。『おっ、見てみよう』と思わせるのは大事だよ。映画ならトレーラー、番組ならコマーシャル、人間なら服装。中身がどんなに良くたって、そこに気を使わないと行き着く先は『隠れた名作』だもん。隠れてちゃお話にならないでしょ? そんなの作ってる側からしたら泣きたくなる評価だって。制作側としては無関心が一番怖いんだよね。」


「サムネイル、と呼ぶらしいです。本人曰く、そこそこ時間をかけている部分だそうなんですが。」


「へぇ、ライフストリームではこれをサムネイルって呼ぶんだ。……んー、素材が足りてないのかな? あるいは良い編集ソフトを使ってないとか? となると話が戻るね。フォント、効果音、ソフト、その他諸々の素材。そこを事務所側が提供できれば、所属タレントはかなり喜ぶと思うよ。」


むう、真剣に考えるべきだな。環境の提供か。そこはホワイトノーツの売りの一つに出来るかもしれない。……とはいえ、資金には当然限りがあるぞ。月曜日に香月社長と話し合ってみようと思案していると、富山さんがコーヒーを飲みつつ話を締めてくる。


「まあ、パッと思い付くのはそのくらいかな。参考になった?」


「とんでもなく参考になりました。富山さんに見ていただいて良かったです。ありがとうございます。」


「なら僕も満足だよ。……もうちょっと広まってきたらさ、多分民放でも『ライフストリーム特集』みたいなのが出てくると思うんだ。その時はよろしくね。君の名刺をスッと出して、『前からライフストリームには目を付けてたんだよ』って若い子たちに威張り散らしたいから。パイプ役になれれば局内での地位ももっと上がるかもだし。」


「現状で既に富山さんより上はあまり居ないと思いますが……はい、そうなれるように努力してみます。」


世辞が大半ではあるのだろうが、ちょびっとだけ本気の顔だな。夏目さんが有名になれるかどうかはともかくとして、少なくともライフストリームが巨大なプラットフォームになることは確信しているわけか。香月社長の慧眼に今更感心している俺に、富山さんが一つの注意を寄越してきた。


「ここまで言っといてなんだけどさ、民放とライフストリームじゃ全然違うから、僕の言葉を鵜呑みにはしない方がいいよ。全く同じやり方をしても失敗するだろうね。民放業界の誰の言葉も当てにし過ぎちゃダメってことさ。」


「……どうしてでしょう? 似通ってはいると思うんですが。」


「何故ならライフストリームの視聴者は、民放には無いものを求めているからだよ。民放を参考にしてそれが得られるわけないでしょ? だってそこには『無い』んだから。……さくどん君、結構人気なの? だとすれば僕より彼女とじっくり話すべきだね。ライフストリームで一定の人気を確保できてるってことはさ、今僕が気付けなかった『何か』に彼女は気付いてるんじゃないかな。ライフストリームと民放はきゅうりとスイカくらい違うんだよ。似て非なるものなわけ。きゅうり農家にスイカの育て方を聞くのは変だって。ざっくりとしたアドバイスはしてあげられるけど、根本的な部分の助言は僕らには出来ないさ。」


きゅうりとスイカか。またしても独特な表現で差を語ってきた富山さんは、ソファの背凭れに身を預けながら追加の台詞を口にする。


「ついでに言うと、立場も違うしね。プロデューサーはカメラの前に立たないし、演者は台本を書かないし、作家は広告を打たないし、広報は制作指揮をしない。だけど彼女は全部をやるわけでしょ? 僕が触らない部分もやる必要があるんだから、きっと僕には見えない箇所が見えてるはずだよ。」


「……『見えない箇所』ですか。」


「どんどんライフストリームが拡大していった場合、そこが民放からライフストリームに行く際の壁になるだろうね。民放では超売れっ子のタレントが居たとして、その子がライフストリームでも成功するとは限らないわけ。売れっ子になれるってことは演者としての才能はあるんだろうけど、ライフストリームでは構成とか編集の才能も要求されるんだよ。どんなに上手く演じても、台本や演出がつまんなかったら台無しだもん。……つまりね、民放で要求される才能がスペシャリストのそれなのに対して、ライフストリームで必要なのはジェネラリストとしての才能なんじゃない? 数名で制作するならその限りじゃないけどさ、一人でやるんだったらそうなんだと思うよ。」


そういえば香月社長も言っていたな。『たった一人で動画を作っている』と。……確かに富山さんの言う通りなのかもしれない。彼は編集や構成に関するアドバイスをしてくれたが、演者からすればまた別の意見があるのだろうし、カメラマンに聞けばこれまた違った角度の助言が出てくるはずだ。


複雑だぞ、これは。会社の経営者たる香月社長としても、制作者たる夏目さんとしても、マネージャーたる俺としても『未知の領域』なのか。何たってまだ誰もスイカの栽培を商売にしたことが無いのだ。きゅうり農家の助言だって役に立つかもしれないが、結局のところ自分たちで試行錯誤していくしかないと。


己が踏み込んだ道の険しさを再確認している俺に、富山さんが唐突な促しを送ってきた。


「ま、いい時間だしメシでも食いに行こうか。どら焼きを食べてたらお腹空いちゃったよ。続きは食べながらにしよう。」


「はい、ご一緒させていただきます。」


「それと、駒場君。誰も面と向かって言ってくれなかっただろうから、僕がこっそり言っておくよ。……遠藤云々とは関係なしに、君は正しいことをした。そこは間違いないさ。間違ってるのは僕らの業界の方なんだ。」


「……今の社長も同じことを言ってくれました。」


真剣な表情で言葉をかけてくれた富山さんへと、頭を下げながら応答してみれば……彼は愉快そうに笑って立ち上がる。


「なら、君は新しい上司のことを大事にすべきだね。」


「……はい、そのつもりです。」


「じゃ、行こうか。この前海鮮丼が美味い店を見つけたんだよ。混むと嫌だから、局には内緒にしてるんだ。言うとすぐ番組で取り上げようとするからね。」


富山さんに続いてソファを離れつつ、小さく息を吐いて歩き出す。江戸川芸能からは手酷く追い出されてしまったが、失わなかったものもあるようだ。香月社長と同じように、富山さんも俺にとっては大事な人であるらしい。俺の五年間は完全に無駄にはならなかったわけか。


小さな段ボール箱に詰まった私物以外にも、残ったものが確かにある。そのことを頼もしく思いながら、大先輩の背を追って広い廊下を玄関へと進むのだった。

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