アルゴナウティカ

天池

アルゴナウティカ

月の満ち欠けにもかかわらず、たぶんそれが連続するために、というのもそこに彼らは永遠の運動原理を見たからだが、彼らは月を永遠の事物に数え入れた。月は消える、ふたたび明るむために。月は死ぬ、再生するために。とこしえにこうであろう、物質を支配している法則に従って。マオリの原理によれば、物質は永遠なのである。

                    —―ポール・ゴーギャン『ノア ノア』



 ワクチンを打ってからぼんやりと川沿いを歩き、繁華街を過ぎておもねりというものを知らない長く曲がりくねった道が、ところどころの分節点で互いの袂を結び付け合っている薄明るい一帯に入る。竹垣の横をぐるりと回って、ちょっとした門とインターホンのある裏口から庭に入った蒔霞(まか)は、白膠木の影の小路を歩いて、白い壁の明かりが天灯のような静けさを放っている母屋のドアを開けた。沢山の四角形の縁取りが重なり合っているような図柄の絨毯をずいずいと進んで、急な階段を上りながらイヤホンとマスクを外し、二階の洗面所にあるゴミ箱にマスクを捨て、強めのハンドソープで手を洗い、引き戸を開けて部屋に入った。さほど広くはない。電気を点けると母屋の真ん中辺りに位置するこの部屋の縁が明確に意識された。引き戸を閉め、そのまま奥の机に向かって腰掛けようと思ったが、あんまり暑かったので、エアコンを入れるなりイヤホンを無造作にポケットに突っ込んだままベッドに横たわり、そのまま眠ってしまった。引き戸と殆ど同じ色調である茶色い机は、カーテンの開け放しになっていた窓から入り込む光に強く熱せられていて、見ていられなかった。

 目を覚ましたとき、窓の向こうはもう真っ暗で、正方形の部屋だけが蛍光灯の趨勢を飾っていた。身体を起こそうとすると、顔の表面のところに何か草が風に飛ばされていくような違和感を覚え、腕に力が入らず、床に足をつけると血液が一気に逆流し、すぐにまた沈み込んでいくような感じがした。少し軋む床板を踏みつけて引き戸をガラガラと開け、長い廊下の左右を意味もなく見渡す。腰にしがみつかれるようなおぼつかなさがあるが、一応廊下の端はどちらも視認出来た。右手の方には印象派の絵画が幾つか並び、階段を挟んで左手はより雑多な様相である。奥まで行ってキッチンの横を折れれば今度は写実主義的なエリアになるのだが、その手前のところでは、時代を下っていく訳でもなく、何かモチーフ的な越境の展開がみられる訳でもなく、行き場のない作品がただ趣味的な情熱によって一か所に集め置かれたような印象を受けるのである。絵画のことはあまり分からない。だがこの一帯を除く秩序あるエリアではその「主義」や「グループ」の説明をなんとなく受けた記憶があるのに対し、ここに飾られた絵画に対しては、一つ一つの額縁の前で、作者や題名やその特徴を教えてもらったり教えてもらわなかったりした。その中にゴーギャンの作品があった。それはタヒチの絵で、『ファタタ・テ・ミティ』というのだった。

 水際で、茶褐色の木の幹はごく薄い紫色に満ちた砂浜との境に横たわり、その上から二人の女性が深い青緑色をした海に入り込む場面。水面は穏やかに波立ち、前面の左側では黄色い花びらが何も知らないかのように風に舞っている。その波の部分と花びらの散らばりと、そして海面を一瞥する背中とが奇妙にうねった線を描き、幹の太い線と交差して、何だか海の方から、得体のしれない風が吹いて来るような気が蒔霞にはたまにする。その絵は階段の真横に飾られており、少し足元がふらつくようなので手すりを掴んで身体を屈めた蒔霞は、そのお腹から背中にかけて、一階の廊下から二階に向け、生ぬるく不安定な力の宿った不気味な風が吹くような感じがした。

「薬、ある? ワクチンの副作用……」

 洋間のソファに座っていた敬二じいちゃんに声を掛けると、ああそうか、と言って、戸棚から頭痛薬を取り出して手渡してくれた。

「お水持って来るからね、待ってなさい」

「いや良いよ、自分で持って来るから。座ってて」

 薬の在り処は知っていたが、ソファの目の前の戸棚から無言でそれを取り出して立ち去るにはあまりに空気が重かった。

「熱はどう?」

「まだ計ってない。けどありそう」

 そうかい、と小さく言って敬二じいちゃんはまた立ち上がり、奥の部屋から体温計を持って戻って来た。

「これ持って行きなさい。あと冷蔵庫にゼリーやら何やらあるから、好きなときに食べなさい。夜ご飯もラップに包んで中にある」

「ありがとう」

 廊下で計ったら熱は三八度を超えており、一階のキッチンでもう一度計ってみると更に上昇していた。薄暗い空間でコップに浄水器の水を取り、手の中で揺れている状態のまま、二粒の錠剤と共に少量の生ぬるい液体を飲み干した。冷蔵庫を開けると蒔霞の為に準備された食品や飲み物が目立つところにまとめられていた。それはよく目立って、つつがなく設置されており、逆に寂しいような心地もした。薬の箱と体温計をポケットに捻じ込み、ペットボトルを二本とゼリー系の食品を幾つか手に取って明るい小部屋のドアを閉め、廊下を通って洋間の入口を横切り、急な階段をなんとか上って二階の静まり返った廊下の絨毯に辿り着いた。ペットボトル一本を残して持って上がった物品を二階の冷蔵庫にまた仕舞い、薬の影響もあってか身軽になった両手で冷たいボトルを抱えながら部屋に戻った。食欲はなかった。階段を下りるまでは少しあったのだが、キッチンで薬を飲んだ頃にはもうすっかり失われていた。

 けれど具合は幾らか良くなったので、椅子に座って窓を開け、ぼんやりと夜風に当たった。というよりも、暗い風景を見ていた。竹垣の手前に木々の青葉が並び、住宅街の屋根が幾つか目に入る。どうして今日、あのゴーギャンの絵に特別不気味な感じを覚えたのかは分からない。それは気分や体調や今この家を取り巻く状況がそうさせたというより、少なくとも体感の上では、唐突に生じ、感じられたものだと言った方が正確だった。蒔霞は目の前の中空に、殆ど真横に伸びた太い木の幹を想像する。その手前が、どこかさらさらとした、引き込まれるような、薄紫色の世界。そして向こうに青緑の冷たい海……薄暗く、薄明るく……髪の隙間から汗が流れる。遠く広がる波立つ海を眺め見晴るかすようにしながら少しずつ顎と視界を上に向けていくと、大きな満月が街明かりの上にくっきりと浮かんでいた。

 段々と目蓋や額の辺りが暗闇に鈍く痛み始め、両肩に鎖でおもりを付けられたような重苦しさも感じていることに気が付いた。蒔霞はカーテンを閉め、即座に遮断された風景の残像に額で思いを馳せるようにしながら両手をだらりと下げ、何度か瞬きをしてからキャスター付きの椅子を引いてゆっくり立ち上がった。喉もさほど乾いている訳ではなかったが、折角冷たい飲み物を持って来たのでキャップを開けて、ベッドに腰掛け、少々無理な姿勢で頭から壁にもたれかかって少しそれを飲んだ。ボトルを掴んだ手を下ろすと、顔は殆ど動かさないまま、視線が左手の枕元から窓のカーテンを通過して隅を折れ、正面の壁をつう、と進んで消えた。何の音もしなかった。

 水滴の付着したペットボトルを机に置くと、背中や腕を撫で上げられるようなぞっとする感覚と身体の表面まで出て来ないような震えが一瞬あった、それで蒔霞は布団を肩まで被って再び眠ることにした。まだこの部屋の中で一番冷たく、水滴に覆われたペットボトルが次第に途轍もなく気味の悪いものに思えて、壁の方へ向いたが、それでもなお、頭の後ろにその気配は残り続けた。一方で、背骨の横を細長い体躯をした虫がもそもそと這っているような言いようのない不快感を、時間が経つにつれ益々感じるようになった。乾いた汗が顔面じゅうを流れた。

 鼻先に薄い鎧のような壁の平板さを感じ取りながら、顎を埋めるように布団を引き上げ、肩や膝等の部位から侵入し伝播するような熱さと内奥で弾けては広がっていくような肌寒さと、明かりのある夜空を宿したままの額とが夏用の羽毛布団の下側で同居し繋がり合い、少しまた上を向いては壁の方へ縮こまって、真暗な部屋の中、髪の下に階段を転げ落ちる物体のような手出しの出来ないごく小規模な混沌を体感した。蒔霞の進んで来た人生は、まさに手出しの出来ないごく小規模な混沌のようなものだった。

 玲子おばあちゃんは誰よりも早く眠りに就く。寝室に向かう玲子おばあちゃんの姿は誰にも見られない。敬二じいちゃんはまだ洋間のソファに座ったままでいる。だが一階の様子はまるで別世界の出来事だ。敬二じいちゃんは窓の向こうの黒さに半分だけ顔を浸しているだろう。洋間は蒔霞の部屋よりほんの少し涼しいだろう。だが廊下は蒸し暑さを遂に消し去らないだろう。絨毯が全ての音を吸い取り続けるだろう。


 あの家には人が必要だから。そう言ったのは玲子おばあちゃんだった。おじぃの家から霊柩車が出発し、それを追って淡い灰色の道路を走るバス。僕は一番前の通路側の席に座って、見慣れた街並みや銀色の床、黒いシフトレバーをまるでどこか遠い地の原風景のように視界に入れながら、まれにバスの振動で身体を揺らし、黒い服のズボンの上で手を緩く組んでいた。玲子おばあちゃんが隣にいてくれた。その感覚だけが強い。あのとき玲子おばあちゃんはもう覚悟を決めて、静かにこれから進むべき道を踏みしめ始めていたのだと、僕は後になって思ったのだった。

 蒔霞はバスで海辺の火葬場へ向かっていた。それまで父と暮らしていた家と車で三十分くらいの距離のところにある父の実家から、箱に納められた父の身体を追って。車の修理点検や販売を行っている実家を継ぐ為石垣島に戻った父は、南部の住宅街に部屋を借りてそこから山間の店に通勤し、蒔霞が小学校に上がる頃、近くのもう少し広い家に引っ越した。仕事は多くないし、祖父も現役で働いていたから、住宅街と店とを父は日中よく往復していた。蒔霞はその車に乗せてもらうのが大好きだったし、気分次第でそれに乗り込んで店について行っては、祖父母の家にしょっちゅう居座っていた。蒔霞がいるときは祖母がずっとそばについていてくれ、父や祖父も仕事場からこちらに上がって来ることが多かった。休みの日には、バイクで島の端の方を走るのが父の趣味だった。母の運転でその横を走行した記憶も僅かだがある。とはいえそれは殆ど写真的な記憶で、元気だった頃の母の声や話し方さえ、蒔霞の中で少しずつ消えかけており、生き生きとした日常としては、それはもう容易に思い出され得なかった。母の病気が見つかったのは蒔霞が小学三年生のときで、それは既に回復の見込みのないところまで進行したがんだった。すぐに入院が決定し、島の真ん中の病院で、長い治療生活が始まった。

 家に帰るとダイニングテーブルの廊下側の椅子に座った父が青ざめた表情で振り向いた。父は静かに蒔霞を横に座らせて、大事な話があるんだ、と言った。蒔霞が鮮明に覚えているのは、その後で父が母に電話をかけたこと、机の上で手に持った携帯が通話中になると、何も言わずにそれを蒔霞の耳元に当てたこと。母の声はいつも通りだった。まだ検査を幾つか受けて入院が決定した段階で、これからどうなっていくのかだとか、どのような希望があるのかだとか、分からないことは沢山あったが、母が伝えなくてはならない事実の中心となるのはとてもはっきりとした事柄で、話を聞いている内、すぐに蒔霞は泣き出してしまった。その後一人でお風呂に入り、熱い湯の張られた湯船の中で日が落ちるまでまた泣いた。その間に父は病院に顔を出し、医師を交えて話し合いをしていた。浴室の窓から山の方が見えた。おじぃの家もお母さんのいる病院もあの中に隠されていた。冷めた湯から半身を出し、窓枠に両腕を乗せて顔を乾かした。空気の色は混じり気がなかった。背後に海だけがあった。

 夏がいよいよ最大限の広がりを見せ、島の上空から遥か先の海面までを隙間なく覆い尽くし、木々の葉の裏だとか人々の足の甲だとかにぴったりと貼り付きながら流れていく、晴れた土曜日の午後だった。病院から母の容体に悪化の兆候があるという連絡を受けた父は、蒔霞にはそのことを伝えずにバイクで家を出た。酷い日差しと山の方に進むにつれて強まっていく暑さとにヘルメットの顎紐を湿らせながら空いた道を急いでいた父は、山の脇道に差し掛かったとき、カーブした先の路上に落ちて破片が散乱していた輸送トラックの積み荷を避けようとし、手前側に転倒したところを後続の自動車に撥ねられて、そこで亡くなってしまった。

 母の声で語られる事実は、見えるもの全部が真っ暗になるような混乱が一瞬で暑い部屋を遮断する中で、蒔霞にはすぐに理解された。掠れて消えてしまいそうな震える声の一言一句を、見えない視界に密着した携帯の受話口から取りこぼしなく聞いた。がたがたと全身が震えた。すぐにおじぃとおばぁがそっちに向かうから、蒔霞は何もしなくて良い、という上擦った声が頭の中で気球のように浮かんでいった。

 途端に頭は重くなった。テーブルに打ち付けるごん、という音に恐ろしさを感じた。巻き込まれた髪の毛が千切れそうに痛かった。アクリルマットに汗が擦り付けられた。とめどなく涙が溢れて、経験したことのない肌寒さがこの部屋の中にだけ漂い、首の先の身体で心臓がばくばくと脈を打っていた。何も分からなかった。テーブルの分厚い天板以外に身を預けられるものは何もないのに、その感触がただ気持ち悪かった。生まれてからずっと、こうして一人でいた気がした。

 後部座席にうずくまるようにして寝転びながら、おじぃの家に向かった。行き来することに慣れ切った道はカーブや車体の振動でどの辺りを通過しているのかはっきりと分かったが、自分が今道路を走行する車に乗って運ばれている、そのシートの上に寝ているということから蒔霞は必死に目を背けようとした。薄黒いゴムマットの上に置かれた消臭剤の白い立方体をちらちら見え隠れする水中の幻覚のように遠く見分けながら、頭痛と吐き気と恐れとを堪えた。よく手入れされたゴムの匂いは打ち消されてはいなかった。

 霊柩車でお父さんが運び込まれたのは翌日の午前中で、夕方には敬二じいちゃんや玲子おばあちゃん達も東京から到着した。お坊さんを呼び、平服のままでお通夜をやって、敬二じいちゃん達はホテルに宿泊し、僕はおじぃに電気を消された部屋で気付かない内に眠ってしまっていて、翌朝、火葬場へ向かう為に霊柩車と小ぶりのバスとが迎えに来た。ぐったりしていたり眠ったりしている内に慌ただしくことが進んだらしかった。


 兄の昌志おじさん達が夜の内に病室へ行き、タブレット端末を渡してくれたので、葬儀にはお母さんも参加することが出来た。バスの後ろの席に昌志おじさんは画面の消えたタブレットを支えるように持ちながら座り、同じ振動に揺られていた。

 一昨日の昼に見たばかりの、二日間決して見ることのなかった顔が位牌や遺骨の後ろにささやかに置かれ、それがタブレットの中の母の顔と向かい合っていた。焼香をする為にはその間に入っていかなくてはならなかった。花々が小さな空間の端の方まで溢れんばかりに設置され、赤いカーペットが一番底で全てを支えていた。蒔霞に残っているのはその感覚だ。動かない父の顔でも、ベッドの上で喪服に身を包んだ母の姿でもなく、その間に自分が少しずつ入り込んでいって、あまり多くのものを目に映さずに儀式の一つを遂行し、また席に戻っていく、自分の小さな動きと時間の流れとが奇妙に乖離した感覚。香の匂いの立ち込める、足の行き着く果てのような場所。

 お父さんの骨を墓に埋めてから、僕はおじぃの家でゆるやかなときを過ごした。店の閉まっているのを見て走り去っていく車が数台あったが、家の周りは住宅街の方よりずっと静かだった。母の病室に三度行った。一度目は納骨の後、一旦おじぃの家に戻ってから、玲子おばあちゃんの運転するレンタカーに乗って二人で。二度目はその翌々日、おじぃの車でおばぁと三人。三度目は更に数日経ってから、おじぃの運転で、敬二じいちゃんと玲子おばあちゃんを連れて。段々一緒に行く人数が増えていくのは変な感覚だったのを覚えている。幸いお母さんの容体は安定していた。

 二度目の面会の翌日、玲子おばあちゃんから東京の家で暮らすことを提案された。それは割合強い口調のようにも感じられ、蒔霞はすぐには呑み込めず、食卓に重い空気が流れた。あの家には人が必要だから、と玲子おばあちゃんは言った。その意味は全然分からなかった。答えを決める必要はなかった。何かを考えたり決めたりする必要のないように誰もが取り計らってくれていた。しかし夏休みが終わり、おじぃの車で学校と山間の家とを往復する日々が始まると、様々なところで自分のこれからの生活について考えざるを得なくなった。今までと変わらない石垣島の学校生活なのに、おじぃやおばぁのところにいるときと学校にいるときとで、あらゆるものへの感じ方や関わり方が変化するようだった。島の生活やおじぃの家は好きだった、でも毎日車に乗り込む行き帰りの三十分はあまり好きではなかった。そんなことばかりを、日々もやもやと考えた。ドライブを楽しむとか涼しい車内に体じゅうが愛着を覚えるとかいうことはなくなり、おじぃの丁寧で鮮やかな運転にもどこか遠々しさを感じていたが、狭い空間に閉じ込められるということにだけは一番単純なところで快感に近いものを得ていた。蒔霞はいつもおじぃの真後ろに座った。学校の門の近くで車を停めると歩道がそちら側になるので丁度良く、車を降りて登校集団に混ざりながら門に入る光景は、次第に日常の中へと回収されていった。

 卒業式の一週間後、蒔霞は敬二じいちゃんの運転する車で空港へ向かい、ロビーでおじぃやおばぁとお別れを済ませ、小さなトランクを引きながらゲートを潜った。既にお母さんは、前日昌志おじさんに付き添われて向こうの病院に搬送されていた。搭乗口の窓から見える山はもぬけの殻のようだった。結局僕はどこに行くのだろう、と重なり合う緑の輪郭を見詰めながら思った。その前の滑走路に小さな機体が幾つかあった。こんなところから山を眺めるのは初めてのような気がした――実際には、東京には何度か行ったことがあったのだが。分厚いガラスの表面に静電気と日光の混じったような嗅ぎ慣れた匂いがした。それを穏やかな呼吸の繰り返しの中でほんの少し吸い込んでいる内に、目頭の奥から波のように意図しない涙が溢れて来て、もう蒔霞はそこから逃げ出してしまいたくなった。喉の奥や腕の内側も熱くなり、どこから涙を汲み上げているのか分からなかった。眼球に映った風景がそのまま流れ落ちていくようで、後ろのソファに敬二じいちゃんと玲子おばあちゃんが座っていることを一瞬の間忘れていたが、すぐに思い出し、急いで両の頬を拭った。手の甲は熱かった。窓ガラスの匂いが残った。聳える山に晒されていた。

 滑走路を飛び立つとき、右手の窓は東側に向いていた。海とコンクリートとが一斉に反射させる光の粒子に頭がくらくらした。だが海の上へ出ると、正確な方位はすっかり分からなくなった。

 海の東の果てにあるニライカナイ―ーそこは天国のような、何かの底のような場所で、もういなくなってしまったものが蘇る眩しい地であるという、そんな幾度となく聞いた伝承を、座席に頭を預けながら窓を眺めていた蒔霞は急に信じたくなった。だが信じると言っても、それはやはり伝承として信じるというのに過ぎず、そのことが蒔霞にとって生きる支えになったり、感情の行先となったりすることはなかった。しかしそれは確かに蒔霞の中に生まれたのだ。蒔霞がその場所を信じると決めたことはとても小さな出来事で、窓の向こうに見える殆ど真っ白な景色に少しの変化も与えなかった。それは明るい機内に一瞬現れて消える、幻のようなものだったのだ。


                 ***


 東京の586町にあるその家には敬二じいちゃんと玲子おばあちゃん、昌志おじさんとその家庭が一緒に暮らしていたが、五人で住むには確かに広過ぎる家だった。遊びに行ったり数日泊まったりするだけでは気が付かないが、実際に部屋を与えられて生活を始めてみるとその家がどのように作られているのかよく分かった。

 蒔霞の母親がまだ幼かった頃、その家で三人の子供が育てられた。祖母とその先夫との子で養子に迎えられた綱幸、五つ下の昌志、そしてその妹の梢。綱幸は元は茶道の家元の子だった。亡くした先夫の家を祖母は引き払わずに残しておき、弟子だった人達に自由に使わせたほか、その内何人かには交代で綱幸の稽古をさせた。高校に入ると同時に綱幸はその家で一人暮らしを始め、祖母は二つの家を行き来しながら三人の子を育てた。綱幸や祖父母のその選択は巧みな策であったと言え、昌志に兄がいるということはごく近しい人間にしか知られない事実となった。

 昌志は蒔霞の祖父やその父と同じ政治の道を選んだ。決意は早かった――兄が家から消えて数年の内に、昌志は自分自身で、確固たる将来のイメージを持つようになったのだった。その分だけ梢は末っ子である自分の立場に安座することが出来た。曾祖父母が相次いでこの世を去ると、中学生であった兄妹の世話を手伝う為、祖父の弟である敬二の夫妻が家に越して来た。

 梢が幼い蒔霞を連れて結婚相手と石垣島に渡った数年後、祖母が短い入院の途中に力尽きてこの世を去り、梢の病気が見つかる前年、祖父もまた持病の発作で亡くなっていた。昌志はテレビカメラの前で父の意志や理念をきっと継いでいく、と涙を流しながら語った。豪雨の午後だった。現役時も引退後も家の中で政治を行っている節のあった祖父の部屋ががらんどうになってからは、来訪者も減り、昌志を船頭としながら五人で暮らす日々がある種の落ち着きの中で送られた。

 それは落ち着いた、けれどもやたら規模の大きな航海だった。巨大な船は頑丈で力強かったが、それ故の際立つ暗さがあった。分厚い船首に打ちかかる波をその暗さに取り込むように、少しずつ船は海を進んでいった。蒔霞が来たとき、昌志の息子である千夜は中学校の二年に上がるところで、蒔霞の入学する中学とは別の学校だったが、一緒に暮らし始めると二人の距離はすぐに縮んでいった。

 梢は大病院に移され、一家のサポートの下で懸命な治療がなされたが、病が快方に向かうことはなかった。三年後、彼女が殆ど目を覚まさなくなると、その頃国政に進出していた昌志は職場や病院の近くにマンションの部屋を借り、可能な限り夜中でも梢のベッドに付き添った。そのとき不思議と、昌志には自分が兄と同じように今やっと自らの道を歩き始めたような気がしたのだったが、眠り込む妹の目蓋の横で、その感覚が口に出されることはなかった。だが昌志がこの頃から更に勢いづいたのは明白なことだった。それに比例して仕事も増え、静まり返った病室が彼の心身に蕩けるような安らぎを与えるようになった。

 お母さんが亡くなっても、昌志おじさん達は帰って来なかった。それは当然のことであるような気がした。昌志おじさんは党で重要なポストに就き、その発言が一つ一つ注目を浴びるようになっていたし、千夜くんは大学生になったのだから。家に暮らす人が三人しかいなくなってしまったことについて、玲子おばあちゃんや敬二じいちゃんは何も言わなかった。大きなテーブルで変わらず食事を共にし、三つの部屋で寝に就いた。昌志おじさんが求めたのは蕩けるような安らぎだった。

 大学の入学式は新型ウイルスのパンデミックの影響で中止になったから、敬二じいちゃん達に気を遣う必要はなかった。家族三人で暮らしたあの家から去り、真白な病室でお母さんが生き抜いた九年半という年月を思うと、自分の前に用意された四年間の日々がひたすら空虚なものに感じられて来る気持ちがどこかにあった。

 乱雑に連なる記憶を見通すことは困難で、その隙間に光るような実感を蒔霞は大切にした。ずっと遠くの光、そして手元の、何かが目の前にあって欲しいという気持ち。大きな船の艫に手を置いて、帯状に散らばる光を眺めるようなとき、その光は蒔霞自身と重なり合って、それ故に散らばり、船は過ぎ、苦しさが広がりながら溶け合った。散らばっている感覚は蒔霞にとって殆ど生きることを意味していた。光が繋がっていることによって、今の怖さや苦しみを消散させることが出来ると分かっていたのだ。だから窓が一つあるその部屋は嫌いではなかった。うんと静かになった家の敷地内にこもってばかりの生活も、気が楽なところがあった。テレビでパンデミック対策を真剣に語る昌志おじさんの姿を見詰めながら、自分が今この家に閉じ込められているのだというような感覚は希薄だった。

 昌志おじさんの過去の汚職が発覚したのはこんな日々の中でのことだったから、世間への影響や衝撃は凄まじかった。おじさんがそのような行為に手を染めていたのは、この家を出て、家族三人でマンションに移る直前の時期らしかった。


 額の中が黒々と渦巻き、誰の目にも映らない海にその頭から沈み込んでいくようだった。その輪郭は自分の姿のようであるが、本当は目や口の先に伸びる確かな光の方が自分なのだと、そう思っていた。肩から力が抜けていき、ずきずきと痛む、閉じた目の向こうの世界に、薄紫色の風が吹く。引き戸が外れて海の上を流されていくが、もう部屋自体どこにも存在していない。もう身体自体……


 覚悟していたよりずっと酷い副作用が生じさせる全身の異常をどこか俯瞰しながら苦々しく受け止めつつも、蒔霞はその内側の闇で身体が空洞になっていくような感覚に理解の出来ない心地良さを感じた。


 とうに船は去った、そして


     とうに船は去った


「「「とうに船は去った」


 そして


 片手をベッドの下に投げ出して、肺の隙間を曝け出した蒔霞は、目を開ける必要はない、とひとり確信してから、様々な姿勢で海面の感触を確かめた。カーテンの向こうで開け放しになった窓、茶褐色の太い幹、随分と伸びた自分の背のこと、月、月、月、この海まで生きて来られた全ての理由。

 再び前方から薫りの豊かな風が吹き、蒔霞はボートを漕ぎ出した。自分が何を考えていなくてはいけないのか、何を覚えておき何を断ち切るべきなのか、何を知ってどう呼吸すれば良いのか、それ等の問いが艫の後ろに散らばる、それは綺麗なものではなかった、そして蒔霞は巨大な月の下を……


 海の水は青緑。そう思った途端、蒔霞は作業服のおじぃや運転席のお母さんや空港のガラス越しの山に揺れ動く葉の幻覚を見た。周りの世界は全て真っ暗であるのに同時にそれは深甚なる青緑色を湛えていて、そこはどちらかと言えばカンバスの中の風景なのだと気付くのにそう時間はかからなかった。右の首筋から吹いて来た黄色と紫色の風は胸を通り抜けて左肩の下までを舐めるようにして去った、画布の上はどこまでも平板で気持ちが良かった、その上空に僕にだけ見えている月があった、それはそこの花よりずっと巨大で、こんなにも美しい青緑色の世界よりずっと身近だった。


                      すぐに海は見えなくなる、そして


                            東の果てに明るんで


                          「すぐに月は消える」」」


                                  そして


      蒔霞は一人で船を漕ぐ、波だけがそれを包み込む。


          蒔霞は一人で船を漕ぐ、波だけがそれを包み込む。



(エピグラフの引用は岩切正一郎訳『ノア ノア』(ちくま学芸文庫、一九九九)一〇六―一〇八頁によるが、途中に省略した箇所がある)

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アルゴナウティカ 天池 @say_ware_michael

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