⑧ダメンズメーカー・フラミー
レオニスとエウレアが手合わせをしていた頃、フラミーはベノムワイバーンが巣として居座っていた場所を細かく調べていた。足を踏み入れると、それだけで毒特有の臭いとピリピリと肌を刺す感覚が身体の表面に感じられる。数歩足を踏み入れて中の様子に目が慣れてくると、異様な様子がうかがい知れる。周囲の岩肌は全て流れ出た溶岩のように黒く溶け落ち固まっていたが、ベノムワイバーンが倒された今でも地面からぶくぶくと浮かび上がっては割れ、臭気を吐き出していた。
フラミーは最新の注意を払いながら周囲を探った。
「…何もない。人が訪れた痕跡も、その匂いも」
足場になる岩肌へ注意深く踏み込み、動く空気やかすかに聞こえる風の動き、水音にさえ神経を研ぎ澄まし気を配る。生き物の気配…生きている冒険者達が、エサとして囚われそうな場所はないかと探していく。考えたくもないが最悪の場合を想定して、装備の一部や洋服の切れ端…腐敗した肉片等をも意識して動く。しかしそれらはどれも見つからなかった。争った跡の矢じりや武器の破片、踏み荒らされた足跡や、魔力の残滓さえも。
「(じゃあ…ラルドは一体どこへ?)」
フラミーが求めていた者…番として生きることを約束した、恋人であるラルドの痕跡。フラミーがラルドの気配を間違うはずがない。ここへ来ていないとすれば、一体どこへいったのだろう。ラルドどころか、ここには人が訪れた形跡がない。今までこのクエストを受注したパーティーは、ここまでたどり着けていないのだろう。あれだけ強かったベノムワイバーンと鉢合わさなかったことは幸運と言えるだろう。だからこそこのクエスト未達成、難易度の高さだった。
しばらく歩き回ったが手がかりは見つからず、息苦しさを感じて仲間達の元へと戻ると遠くを見つめて座り込んでいたリリウムの隣へと腰を降ろした。なにか聞かれるかと思いそっと横顔を伺うと彼女も心ここにあらずという様相で寂しさを浮かべたまま遠くを見つめている。しばらく無言で膝を抱え考え込んでいたフラミーは、悔しさと不安から思ったことが口に出ていた。
「どこにいるのよ、ラルド」
そこへ手合わせから戻り荷物から水筒を取り出そうとしていたレオニスが、不思議そうに声をかけてきた。
「ん?フラミー…お前の探している者の名は『ラルド』というのか?」
レオニスの口から思いもよらぬタイミングでラルドの名前が飛び出してくる。
「えっ、なんで?」
フラミーは跳ね上がって、レオニスの言葉を待った。
レオニスによるとラルドは20人程度が集まる冒険者パーティーの副リーダーをやっているらしい。彼らは一度レーベンデルク山に入りクエストを進めているが、悪天候が続き調査どころではなくなり、一度拠点である街に戻っているとのことだった。
「拠点としている街は山の麓からそう遠くないが、一度集会所に戻って体制を整えてから訪ねたほうがいい」
レオニスの言葉に、曖昧に頷く。レオニスの後方で武器の鉈を握りしめ、絶叫しているエウレアの姿さえ…視界に入ってこない。フラミーの頭の中は、ラルドのことでいっぱいになっていた。
◇◆◇
クエストであるベノムワイバーンを倒し、その他にもいろいろと問題はあったが一行は日がある内に下山する事を決めた。
登りでは魔物を倒しつつ進む事になったので結果的に複雑な行程を進んだが、下りでは麓まで着ける最短ルートを選ぶ。さあと立ち上がり荷物を担ごうとする段階で、異変が起こった。
「大丈夫か、フラミー?」
エウレアの声に一同が振り返ると、フラミーの呼吸が浅く短くなっているのがわかる。リリウムが近づき手を添えると、その身体は高熱を帯びていた。焦点が定まらないままフラミーはリリウムへと顔を向けると、ぶるぶると身体を震わせ新雪の上へと倒れこんでいった。
「…毒が、回ってる」
場所を移動し厚手の布の上にフラミーを横たわらせると、リリウムはフラミーの全身を調べ始めた。ベノムワイバーンとの戦闘で出来た裂傷や擦過傷、更に巣を探索していた時の臭気の影響でフラミーの全身へと毒素が回り始めていた。リリウムは持っていたバッグから小瓶を三本取り出し、自身で一本と残りをエウレアとレオニスへと渡す。
「とりあえず、これ飲んでおいて!」
手持ちの毒消しは三本しかない、同じ状況下にいた一同にも症状が出ないとも限らない。とりあえずは症状が出ていないエウレアとレオニス、それにリリウムに毒消しを使う。そして症状が重いフラミーには魔法での回復をかけることにした。リリウムは持っている小瓶を一気に飲み干す。青臭く舌を刺すその味は、苦みに身体が震える程だ。飲んだ後に効能が働いているのか、動悸がしてくる。
頭を振り気持ちを奮い立たせてそしてリリウムは持っていた杖を真横へ構えた。フラミーの状況はとても良くない、毒が侵食した傷と体内を巡る毒両方に対応しなければならないからだ。頭の中に必要な法陣を思い描き、呪文を唱える。
「…二重詠唱(ダブルスペル)か」
永い年月を生きるレオニスが、知識の底に眠っていた言葉を呟く。よほどの事態でなければ、このような呪文を使うことはないだろう…知識として知る者でさえ少ないはずなのに、このエルフはいったい何者なのかとリリウムを見つめる。
、リリウムは詠唱が終わると、杖をフラミーへと翳す。ほんのりと若葉にも似た緑の光が輝き出すとゆっくりとその光をフラミーの体内へと落としていった。状況が良くないのか、リリウムが杖をかざしてから十数分が過ぎる。頬に玉のような汗が滴らせながら、杖を掲げる腕を降ろそうとはしなかった。
「集中を切らないで」
そう聞こえたかと思うと、リリウムの腕をエウレアが支える。少しだけリリウムの身体が跳ねたが、魔力を注ぎ続けた。短くも長い時間が一同を襲う、この先がどうなるか心中は穏やかではなかった。フラミーの呻き声が上がったと思ったら、リリウムの杖から光が消えそのまま横へと倒れそうになるのをエウレアが支える。魔力切れなのだろう。
「とりあえず、毒は解毒した。裂傷の方は完治できなかったけど」
リリウムはへへっと笑うと、全身から力が抜けていった。フラミーの目が開く、霞んだ視界に自分を救ったために倒れ込むリリウムが見えた。声をかけようとして頭にラルドの顔が浮かぶ…フラミーはそのまま口を噤んでしまった。
満身創痍の為…日のあるうちに下山した一同は、出会った村の集会所まで戻ることになった。フラミーは疲労は残るもののなんとか歩くまでに回復し、リリウムは動くことができずにレオニスに担いでもらっての移動だった。
急に小走りでみんなの前に走り出たフラミーは、振り返り正面から頭を下げた。
「これ、リリウムに飲ませて。」
フラミーがエウレアに渡した物は、錠剤とマジックポーションだった。
「一族に伝わる少しだけ体力が回復する錠剤、効果は保証する。ごめん助けてもらったのに、ラルドがどんな状態でいるかわからなくて…渡すのをためらってしまった。」
フラミーは数歩下がり、俯く。
「助けてもらった恩があるのに…こんな。あと勝手して、本当にごめん」
そう言い放つとフラミーは踵を返して走り出した。少し前にフラミーは体力回復の錠剤を使用している。あれだけ重症だったことが嘘のように、姿だけが見えなくなっていった。
内心では渦を巻くように思考は乱れ、身体は鉛を抱えているかのようだった。瞳は熱に浮かされ、奥歯を噛み締め、低い声で獣人特有の唸りをあげていた。
◇◆◇
「フラミーの親父に認めてもらえるように、俺がんばるよ」
小さなラルドは、フラミーへ笑いかけていた。もうその頃のラルドが思い出せなくなってきていた。大切な思い出…二人の大切な約束。
・
・
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フラミーはラルドが所属するパーティーが拠点とする街までやってくると、酒場を探す大きな通りの目立つ場所にそれはあった。思い切って大きく扉を開け、中の様子を伺う。思ったよりも広い店内は、酒場というイメージよりは明るく清潔感があるように思えた。どちらかというと酒を飲みながら食事をする食堂といった雰囲気だ。
等間隔に置かれた木製のテーブルの間を歩きながら奥へ進む、はやる気持ちを抑えながらラルドらしき格好をした人物を探していた。入り口の近くには、一人か少人数のグループしかおらず、ラルドらしき人物はいない。左右を確認しながら更に奥へと進んでいるとわっと大きな歓声が聞こえてきた。
一際大声で騒ぎ立てる集団の端で絡まるように女の腰を抱いて座る男がいる。軽い眩暈を感じ、頭を振るが現実が消えてくれるわけではなかった。気持ちを奮い立たせ、足を進める。ラルドを認識できる距離に来ても、彼はこちらを見ることはなかった。
「なに?このお嬢ちゃん、知り合いなの?」
先にフラミーに気が付いたのは、ラルドに絡まっている女性だった。露出の高い服からこれでもかというほど女性らしいライン強調し、ラルドへと押し付けていた。職業は魔法使いらしく、装備に魔力強化のアクセサリーがじゃらじゃらとつけられいてとても重そうだ。
だるそうに首だけで振り返ったラルドは、フラミーを認識すると明らかに不快そうな表情を浮かべた。
「フラミーじゃねぇか。なんだよ、こんなところまで」
「なんだよって…」
フラミーはラルドの言葉に唇を噛みしめた。多分最後に会ってから二年は経っている、久しぶりに見る番への言葉がそれなのかとフラミーは涙を堪えていた。つまらなそうに顔を逸らすラルドに魔法使いの女は優越感を出しながらフラミーへにんまりと笑いかけた。
「追いかけてきてんじゃねーよ。まだクエストの途中なんだ、邪魔だから田舎でおとなしくしてろよ」
呆れた溜息をこぼすラルドに、魔法使いの女は不満そうに頬を膨らます。欲望を隠すことのない視線を向けると、上唇を舐めながら女の頭を撫でてやると女はうっとりとラルドを見つめ返した。二人のやり取りに自分の方が邪魔をしている気持ちになったフラミーは、大きな声を上げた。
「クエストって、もう失敗間近じゃない!それにそのクエストは私達が先にクリアしてきたしっ」
フラミーの言葉を馬鹿にしたような様子で、振り返ったラルドが見た先には酒場の入り口にフラミーを追いかけてきたレオニス達だった。ラルドは少し考えるそぶりを見せると、にやりと笑ってフラミーへと下から掬い上げるように掌を向けた。
「そういうことか…でかしたなフラミー。その手柄、よこしな」
ラルドは魔法使いの女の腰を抱いたまま、平然とフラミーへクエスト完了の証になる物を差し出すように要求した。フラミーひとりならばラルドの気を惹くための嘘だと判断したが、入り口に見える数人の冒険者はなかなかの強者揃いだ。特に一人だけいる背の高い男からは、ただならぬ気配がする…ちょうどフラミーの親父を前にした感じに似ているなと思った。
「そんなこと、できるわけないじゃない!」
フラミーはわなわなと全身が怒りで震えていた。今までラルドの為になることは、なんでもやってきた。ラルドに代わってクエストをクリアすることなんて当たり前で、無償でパーティーの雑用や物品の調達なんかも、気が付けばフラミーの仕事になっていた。でもそれは…ラルドがフラミーの番となるからだ。自分だけがラルドの為に動くのはいい、でも今回の討伐はダメだ。フラミーは目の前のラルドを睨みつけた。
「なんだよ、その顔。できる、できないじゃないだろ?俺が手柄をあげるのは、お前のためでもあるんだからな」
ラルドはフラミーに見せつけるように、魔法使いの女を抱き寄せ頭にちゅっと音を立ててキスをした。
「弱い癖に、口答えしてるんじゃねよ」
「はあ?こいつ、そこまで弱くねーよ!」
そこにエウレアが我慢できずに突っ込んできた。ラルドの胸倉を掴もうとする手をフラミーが止める。周囲で騒いでいた冒険者も集まり、フラミー達を囲み野次を飛ばし始める。
「…もういい」
フラミーはラルドが腰かけている席のテーブルへと近づくと、自らの首元へと手を当てチョーカーに付いていたプレートを力を込めて割り砕いた。
「何してんだテメー!それは俺との番の証だろうがっ」
焦ったラルドは身を乗り出して、テーブルの上の砕けたプレートをかき集める。初めてラルドの手が魔法使いの女から離れた。
「ま、まあいい。田舎に帰れば俺の分はきちんと家にしまってあるんだ。お前が拒否したところで…」
「あるわけないよね?」
ラルドがしゃべるのを最後まで待たずにフラミーは否定した。目を見開いたラルドは、口を半開きにフラミーの顔を伺う。
「ラルドがプレートをしていないことは随分前から知らせが来ていて、それを聞いた兄さんがその日のうちに、ラルドの家に乗り込んで叩き割ってたよ?」
表情を変えずに淡々と話すフラミーに、事の重大さが理解できていないのかとラルドが騒ぎ立てる。
「お前、それがどういうことかわかってるのか?俺達番じゃなくなるんだぞ!」
慌ててフラミーに詰め寄るラルドを、酒の入った周囲の冒険者達が勘違いのまま囃し立てる。
「お姉ちゃん、大人しく言う事を聞いてろよ。ラルドさんの『獣王炎舞撃』を喰らいたくないだろ~?」
絡んでくる冒険者の声に、フラミーのオレンジ色の耳がぴくりと動く。
「へえ~?父さんしか使えない炎舞撃…ラルドが使えるようになったんだ?兄さんでもまだ、連撃から炎舞に繋がらないって修行中なのに。ラルドがねぇ?」
ラルドは更に慌ててフラミーへと言い訳を始めた。
「待てよ、いずれお前と番になれば俺だって継承者だ。獣王の一人であるお前の親父さんだって、俺を認めるはず…」
嘘、嘘、嘘、もうたくさんだ。
フラミーはラルドに向けて構える。尻尾をゆっくり左右へと振り続けると、獲物の様子を伺う。地面に着いた爪先がぎりぎりと低い音を立てた。姿勢を低く腰を落とすとフラミーは左右へと残像しながら移動をする。何人ものフラミーがラルドを襲い掛かったように見えた。一人高く飛んだフラミーが大きく振りかぶった手を降ろす。それを避けようとしたラルドはもう一人のフラミーに腰を掴まれていた…しかしそれもフラミーの見せた残像。焦って正面に視線を戻すと、フラミーは目の前にいた。
「なっ!」
驚き後退ったラルドを背後から抱きしめるように腕が伸びてくると、一瞬でラルドの首を締め上げる。気が付いた時にはラルドの目はぐるりと回り、力が抜けたまま床へと横たわった。一瞬の出来事で周囲の冒険者達も手が出せなかったが、我に返ると自分たちの武器に手を伸ばしてきた。集団で返り討ちにと動いた冒険者達を止めたのは、レオニスの声だった。
「そこまでだ」
レオニスが周囲を牽制する。リーダーらしき人物も遠くからこの様子を伺っており、レオニスを見るなり「手を出すな」と仲間に警告する。レオニスの発する威圧と桁違いの強さを感じ取ったのかもしれない。
「これは単なる痴話喧嘩だ。それでいいな?」
リーダーらしき人物へと問いかけると、彼も頷いた。
フラミーは床で倒れているラルドを見つめていた。魔法使いの女はフラミーが恐いのか、ラルドへ駆け寄る事も出来ないでいるようだ。色々な想いがフラミーの中で駆け巡る。そうしていると、とことことフラミーに近づいて肩へと手を置いた人物がいた。振り返ると、それはリリウムだった。
「もう!すっごい苦かったんだから、あの薬」
ぷっくりと頬を膨らませて怒るリリウムに、情けない顔で謝ろうとしたフラミーは、後ろからぼんと力強く押される。
「やったじゃん、カッコよかったよ」
エウレアは戦闘にしか興味がなかったらしい、ラルドの首を絞めた時の格好を楽しそうに真似していた。
「…ありがとう」
フラミーはみんなにお礼を言った。自分勝手をしたのに追いかけて来てくれた事、励ましてくれた事、見守ってくれた事…そして最後まで味方でいてくれた事。色々な事を含めての感謝だった。
「そうそう、なんかフラミーって尽くしすぎて男をダメにするタイプかと思ったけど…やれば出来るっていうか」
「弱い男なんか、最初からダメだろ?」
「はは、なんか色々ごめんね?」
リリウム・エウレア・フラミーはわちゃわちゃと、思い思いにしゃべっては楽しそうに酒場をあとにした。種族や性格、なにもかも違う三人はなぜだかとても満足しているようにも見えた。最後に出るレオニスが威圧を残したまま後ろ手に酒場の扉を閉めるその時まで…ずっと、ずっと。
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