第3話

とんでもないハプニングがあった映画の日から、早くも数十日がたった。長い夏休みもいつの間にか終わってしまい、授業が再開すると同時に今度は文化祭の話が頻繁に上がるようになった。俺のクラスはたこ焼きを売ろうということになった。

案自体はたくさん出たが、多数決を取ったら驚くほどきれいに決まった。俺のクラスは凝り性な奴が多いから、早く決まって準備時間が増えたのは良かったのかもしれない。対して俺は、夏休み中は基本的に惰眠をむさぼっていたせいで、朝起きるのがものすごくつらい。そんでもって、当然だが文化祭の準備がものすごく大変だ。ここ最近は頭がちゃんと働かないから、準備作業はこまごました疲れにくいものに徹しているんだけど。

内田ウチダ!! ちょっとこれ買ってきてくれないか?」

「……はいよ」

クラスの中心になっているやつの一人に、メモ書きと小さな財布と畳まれたエコバッグを渡される。

「よろしくね」

と俺の肩をたたいたそいつは、すぐに向こうのグループの方に戻ってしまった。

リストを見ると、マジックペンやらカラーセロハンやらスズランテープ(?)やら、結構な量があった。窓の外を見れば、遠くに見える積乱雲すら歪む炎天。この下を歩かなきゃならないのかと憂鬱な気分で、俺は教室を出た。

────ふと、なんとなく立ち止まって振り返り、隣の教室の中をのぞく。クラスメイトはいくつかのグループに分かれて、メニュー表だったりのれんだったり、各々楽しそうに作業している。その中の一組に、成瀬もいた。机四つを覆うほどのでかい看板担当だ。あいつは今にも鼻歌を歌い出しそうな様子で、大きなペンを片手に看板を描いている。しばらく立ち止まっていると、さっき俺に買い物を頼んできた奴が怪訝そうにこっちを見てきたから、俺は早足で教室の前から離れた。

ホームセンターやら百均やら文具店やらは、高校から歩いて十分かそこらのところに全部ある。本来は文化祭の準備時間も授業時間扱いだから外に出るのはアウトなわけだが、これだけ近いならと買い出しを黙認されているのだ。俺以外にも複数人の生徒の姿が見える。無理やり押し付けられたっぽいやつ、度を越した生真面目君っぽいやつ……校舎外なのを良いことにひたすらイチャついてるカップルもいた。俺はバカップルどもに脳内で中指を突き立てながら、後に続いて文具店に入る。

ぎらついた太陽が容赦なく照り付ける屋外と違って、冷房の効いた店内は冷蔵庫かと言う程涼しかった。

「えーっと……お、あったあった」

親切に天井から下がっている看板に従って通路を進むと、棚いっぱいにものすごい量のマジックペンが並んでいる。種類も色も豊富で、巨大な壁のようにそびえる棚は妙な威圧感があった。

メーカーとか色とかは指定されていたから、さほど時間をかけずにお目当てのモノが見つかった。セロハンやらなにやらほかの品も一通りカゴに放り込んでいく。見つからなかった、2・3個を除いて全部取ったころには、大きなカゴの8割以上もの量になっていた。

「お買い上げありがとうございましたぁ~」

若干やる気のない店員からレシートを受け取って、買ったものを詰めたバッグを肩にかけて外に出る。

冷えた店内からいきなり炎天下に出たおかげで、網の上で焼かれているような気分になった。残りの品を買うために百均に向かう。今度はちゃんとお目当てのものがあって、もう店を回らずに済むと安堵のため息をついた。肩にかけているバッグに追加で押し込み、店を出る。学校の方に一歩踏み出したところで、いきなり後ろから声をかけられた。

「お前も買い出しか?」

「ん、慧人か……そうだよ」

「そんなにいっぱい買うものあるんか、お疲れ」

「ありがと」

慧人─天城アマシロ 慧人ケイト─も俺と同じく買い出しが終わったとこらしく、俺たちは二人で学校まで歩く。その途中で、いきなりあいつの話を振られた。

「そういえば、どうなんだ。成瀬とはうまくいきそうなのか?」

「はあっ? な、なんだよいきなり」

予想していなかった質問だったから、動揺が声に出てしまう。慧人はしたり顔になって迫ってきて、どうなんだどうなんだとしつこく聞いてきた。

「なんもないよ、なんもないから」

「本当かぁ~? 嘘じゃないだろうな」

「嘘じゃねーって」

「……ふうん」

さすがに飽きてきたのか、向こうも口を閉じた。でも、こっちを面白がるような視線はずっと向けられて、ものすごく居心地が悪い。

「そうやってうじうじしてっと、そのうちイケメンな先輩とかに取られるかもよ~?」

「ぶっ!?」

「ははっ、うろたえすぎだろ」

「お、おまえなぁ……」

俺があいつに仕返しをする間もなく、

「おっさき~」

と走って行ってしまった。ガスバーナーで炙り殺さんばかりの日差しとアイツのいじりで、俺のなけなしの体力はすっかりそこを尽きてしまった。やたら重いバッグを持って階段を上り、教室の前まで這う這うの体でたどり着く。俺に注文してきたやつはドアのところで待っていて、俺を見つけるとこっちに歩いてきた。

「お疲れ様、ありがとう」

「これで合ってるか?」

「ええと……うん、大丈夫」

あいつはバッグを軽々と肩にかけると、手に持っていたスポーツドリンクを差し出してきた。

「さっき先生が差し入れに持って来たやつだよ」

「おお、ありがとう」

受け取るや否や、キャップを乱暴に外してラッパ飲みする。

《ゴクリゴクリ》

喉を鳴らして飲むスポドリが、疲れ切った五臓六府に心地よく染み渡っていくのを感じた。

500ミリを流し込み、大きく息を吐く。教室に入って作業を再開する前に少し休もうと、近くの壁に寄りかかったところで、隣の教室からあいつの笑い声が聞こえてきた。別のクラスメイトから貰った2本目を開けて飲み始めたところだったので

「グハッ……ゲホッゲホッ……」

思わずむせてしまう。口元を腕で拭いながらチラリと覗くと、あいつがクラスの男子と談笑している。両者ともすごく晴れやかな笑顔で、ちょっと甘い空気が漂っている気すらした。

いや。別に、クラスメイトなんだから話をするのは当然のことだ。仲も良い方がいいに決まっている。だから、あれはとやかくいう状況でもないのだけど。だけど、なんだかものすごくむかむかする。それと合わせて、心が引き裂かれるような感覚もした。

あいつのあんな笑顔は、ここ最近見たことがない。なんだったら、俺の前で笑顔になったのなんてここ数年で何回あったっけ? 本当に、数える程度のような気がする。普段からよく会うから、ちゃんと考えていなかった。やっぱりあいつは俺と一緒にいるのは苦痛なんだろうか。自分の態度が良くないのはわかってはいるけど、幼馴染だからと甘えていた。好きだというのが恥ずかしいっていうのもあるけど、というかそっちの方が大きいけど。文句を言う権利なんてないのに、あいつが俺以外の男子と楽しそうに話をしているのを見ていると、息が詰まりそうだった。



「……どうしたの?」

「なんでもない」

クラスメイトの問いかけに仏頂面で答えて、クラスに戻った。それ以降の作業は全く集中できなかった。空も赤く染まってきて、そろそろ終わりだと片づけを始める。結局、俺は戻ってきてからほとんど作業を進められず、しまいにはクラスメイトに心配される始末だ。知られたくないから

「大丈夫」

の一点張りで逃げたけど、聞かれるたびに重いものがのしかかってきてどうしようもなかった。

鉛のように重い荷物を背負い、帰り際に隣の教室を覗く。向こうはとっくにみんな片付けも終え、ほとんどの生徒がいなくなっていた。



……………………あいつに会いたい。会ったところでなにをするかなんて全く考えてないけど、とにかくあいつと顔を合わせたかった。



「ねえ」

「ん、何?」

窓枠に寄りかかって談笑していた男子二人組の一人に声をかける。俺はなるべく平静を装って、あいつの所在を聞いた。

「もう帰ったよ」

「……そうか、ありがとう」

俺は軽く手を振って、昇降口に向かう。靴を履きながら、スマホであいつに

『会える時間ある?』

ってメッセージを送ってみたけど、帰ってきたのは「今は忙しいからちょっと無理かも」の無慈悲な一言。俺は泥沼に引きずり込まれた気分で外に出る。空にはどんどん黒が染み出して、街頭に止まっていたカラスが飛び立つと、

《カアカア》

と孤独に鳴き出した。その輪郭は、妙に歪んで見えた。結局ずっと文化祭の準備で忙しく、俺があいつにまともに会える機会はなかった。たまに廊下なんかで目が合う程度のことはあっても、一瞬ですぐに逸らされた。



本気で嫌われているんじゃないかとすら思えてくる。俺にはつっけんどんな態度ばかり取るあいつ。あの日クラスの男子と笑い合っていたあいつの顔を、ふとしたときに思い出すと嫌な気分になって仕方がない。おまけに慧人が言っていたように、あいつを他の男に取られる夢を最近は何度も見ていた。そういう夢を見て起きる朝の気分もすこぶる悪い。最近、あいつのことを考える時間がどんどん増えている。女々しい男みたいで嫌だったけど、こんなにあいつのことが気になるのも、俺があいつを好きだからだろう。隣の家に住む幼馴染のあいつ。小さい頃は普通に仲良くやれていたはずなのに、いつしか距離ができていた。成長するにつれて幼馴染と疎遠になることなんて、よくあることだとは思うが。あいつとこのままの関係で、満足できるわけじゃない。でも余計なことをして、さらに距離が空いてしまうことも怖い。けれど何もせずにぐだぐだしている間にあいつが他の男のものになったら、後悔してもしきれない。……男らしく、ここらで本気出すとするか。文化祭で告白とかよくあるシチュエーションだし、イベントで告る方が成功率高いとかなんとか聞くし。文化祭の日なら他にも告るやついるだろうから、俺だけがフラれるわけでもないだろうし。



告白しようと思いついてから、はっきりと決断するまでに三日。あいつに送るメッセージの文面を考えるのに丸一日。送信ボタンを押すのに三時間──と馬鹿みたいに時間をかけて、俺はあいつに

『文化祭、一緒に回らないか?』

とメッセージを送った。しばらく既読はつかなくて、あいつからの返信が来たのは文化祭の前日の夜。

『12時半から13時半までなら空いてるけど』

とのことだった。たかが1時間、されど1時間。俺にとってはものすごく貴重な1時間だ。この一時間の間に、俺はあいつに長年の想いを告白する。俺は

『じゃあ、12時半お前のクラスの前で』

と返信して、ひたすらに明日の告白方法を考えることで夜を明かした。

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