第2話

夏は熱中症で救急車に搬送される人が多いけど、だったら出かけないで家の中で小説でも読んでいればいいのに。そうすれば救われる作家さんだっているはずで、そうすれば熱中症だってずいぶん減ると思うんだけど。家の前でそんなことを考えて、その考えはセミの鳴き声にかき消される。

暑いけど待っている。一応。10時なんて宣言は一時撤回された。あいつの少し遅れるという発言で俺の方も一時は家の中に引き篭ろうとしたけど、また母さんからの冷やかしが始まると思うと面倒な気持ちが勝って、炎天下の地獄のような外の木陰でこうして待つことにした。積み上がっていく積乱雲を眺めていると、セミの鳴き声がとても近くに感じて、思わず真上を見上げる。新緑の葉が日の光に透けて、その先の空の色と相まってステンドグラスの様だ。新緑の葉と真っ青な空を見ていると、否が応でも夏が来たのだと実感してしまう。

「……なんでまだいんのよ? どういう了見かしらないけど二人で行ったらまた勘違いされるでしょ?」

あいつは炎天下の中、まぶしいほどの白い肌を自慢げに見せつけるみたいに堂々とこちらにやってきて、さも迷惑そうに注意してきた。せっかく待ってやったのにそんなことを言われるゆえんはない。

けど、待っていたなんて言うつもりは毛頭ないからその言葉を甘んじて受ける。

「うるせぇな。ちょっと忘れものしただけたっつの」

「その割には結構汗かいてるみたいだけど」

と、いいながらあいつはふいに笑う。見透かされているとこちらも気づいてはいる。けど、そんなこと言えない。

「ま、とりあえず行ってやるか。なんか昔思い出して懐かしいし。あ、でも集合場所に近づいてきたら別行動ね。また騒がれると厄介だから」

「昔って小学生の時の通学路か……。どんだけ昔話だよ」

「文句でもあるの? ……幼馴染の女の子をけなげに待っていた哀れな非モテ男子を不憫に思ったから仕方なく一緒に行ってあげるって言葉のほうが的確だったりして」

だからそうやって笑うなって……。そうやって笑われると、こちらとしても言葉に困る。

「なんてね。ほら、さっさと歩く。早くしないとみんなにおいてかれるよ?」

背中を強引に押されて、涼やかだった日陰から焼けるような日差しの下にさらされる。一応形だけは別行動という事で先にあいつが、そして若干の間をおいて俺がその後ろをついていくことになった。ただ、隣家にすんでいるのでどうしても来る方向は同じになってしまう。どうしてもそれだけは避けられないのをみんなも理解していると思っていた。

「なんだ、一緒じゃなかったのか」

俺がついてから開口一番に言われた言葉だ。一緒じゃなかったのか。一緒に来るものだと思われていたという意味の言葉。その言葉に過剰に反応してしまったのはどうやら俺だけのようで、集合場所のファミレスでドリンクバーを飲みながら談笑している。成瀬のクラスの連中は、そのあとこの言葉の真意を誰一人として口にすることはなかった。冷たいアイスコーヒーで体から失われた水分を補い、失う度に火照っていった体をその冷たさで癒して、ほっとしたのもつかの間。俺はここ最近で一番の危機的状況に陥ることになる。



事の発端は、俺たちが約束の映画館についてからの事だ。さっきのアイスコーヒーが祟ったのか、急に腹に痛みが走った。あいつと俺を待っていたみんなは、俺の腹の事情など気にするそぶりなど見せない。雰囲気がもう待つつもりはないと言っていた。

「ごめん、先行ってて」

まるで敗走する落ち武者みたいな情けない恰好でトイレに直行するしかなかった。

「ちょっと、早く持ってって。言い出しっぺが遅刻した分ジュースくらいおごれって」

チケット売り場に戻ってみると、そこには自販機でジュースを選んでいるあいつが立っているだけで、ほかの連中は誰一人としていなかった。



『はめられた』



頭の中をこの5文字のひらがなが埋め尽くした。悪寒にも似た寒気で足元から震え、うまく舌が回らない。

「も、もしかしてっ。お、俺らだ、けっ?」

「……そうだけど?」

たとえ暗闇といえど、あいつの隣。匂いや気配であいつ存在を嫌でも感知してしまう。意地の悪いことに真っ暗ではない。少し視線を寄せるだけで、あいつのシルエットが薄っすら見えてしまうから余計に緊張してしまう。

緊張しているという事を自覚すると余計に緊張してしまうので、話なんてもう頭に入ってくることはない。流行っているという理由だけであいつが選んだ恋愛映画。俺にはスクリーンの話なんかより、あいつの隣のほうがよっぽどはらはらした。

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