第5話「回想:河村愛衣」
「かひゅ……か、ががぁ……ッ!!」
失敗した。
失敗した、失敗した、失敗した。
俺は何て迂闊なことをしてしまったんだろう。
「や、やめ……ぅうぁ……」
捜査に参加しながら演技をするのは意外なほど疲れる――そんな簡単なことに思い至らないとは、あまつさえそれが原因で大切な彼女からの手紙を見つけられてしまうなんて、俺は自分が許せない。
「はなし、はっ……なして……!!」
許せない、許せない!
でも今一番許せないのは――この女だ。
沸き上がるこの”怒り”の気持ち、それを抱かせた相手は何と言ったんだったか……!!
ああそうだ! 彼女の手紙を読んで、こいつは!あろうことか『汚れた雌豚』だと、彼女を、芽依のことを罵ったのだったな……!!!
「わる、いのは……――あなた、じゃっ……ないの……!!」
そうだとも。
俺のことを悪くいうのはいい、それはこいつに許された正当な権利だ。『いい夫』という奴に俺はなれなかったのだから、そのことを責められるのなら俺は甘んじて受け入れていただろう。
だがそれを、ずっとずっと苦しんできた芽依に向けることだけは、それだけは――それだけは絶対に間違っている。
そんな俺の怒りによって殴り飛ばされ、首を絞められ、苦しみに呻いているのは――
――俺の妻である、川村愛衣だった。
――今日はこれまでの捜査によって疲労がピークに達していた日だった。
頭は鈍く痛み、目が霞む、体は重りでも乗せられたようだ。
コーヒーの飲み過ぎで胃も荒れていることだろう。
連日の聞き込み、監視カメラの映像確認、被害者の関係者を調べ上げることような生活を続けていたらこうもなろう。
それに加えて捜査線上に俺の存在が出ないように細心の注意を払っていたのだ、精神も大きく疲弊していた。
周りからはやけに熱心に捜査に取り組んでいるなと思われていたことだろうし、相沢健一の殺害現場に残しておいた書き置きによって犯人と何かしら関わりがあると知った俺が責任を感じて自分を追い詰めるような捜査をしているように見えていただろう。
実際は証拠となるようなものがあれば隠滅できるよう目を光らせていただけだと知れば、あいつらは俺を狂人というのかもしれない。
しかし実際はそんなことにはならず、今日この日まで俺は二人を殺した殺人犯であることは警察の誰にもバレてはいない。
だからこそ、油断があった。
まさか警察関係者ではなく、自分の妻に俺の秘密が暴かれることになるなんて。
この頃部屋に込もって芽依からの手紙を読み返していたのが不味かった、この行動を不審に思った妻が隠してあった手紙を読んでしまうなんてこと、想像できるわけがない。
ましてや疲労からその収納の鍵を閉め忘れていたなんて、それこそ思いもよらないことだ。
家に帰ってきた俺に、いつもの様に『おかえり』も言わずにリビングのテーブルに座らせた。
そして手紙を出し、俺に『これはなに?』と聞いてきた。
疲労なんてぶっ飛んだ。
それの存在は俺にとって芽依との最後の繋がりだ。それが他人の手にあることに言い知れないほどの嫌悪感が胸の奥から沸き上がってきた。
それによって何も言えない俺に、これまで押さえつけてきた憤りが爆発したあいつはここぞとばかりに溜まった不満を吐き出して、叩き付けてきた。
――これまでの生活はいったい何だったのか?
――私の努力は無駄だったのか?
――どうして私だけが頑張らなくてはならなかったのか?
――親との関係に悩んでいたのにあなたは何もしてくれなかった。
――私は結局……貴方にとって他人だった。
そして、そして――
「じゃあ、お前は……芽依が悪かったとでもいうのか?」
――そして俺は、妻を殺した。
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