神妙な花
いつも思い出す。彼女の机に生けられた白いユキヤナギを。
無数に咲いたその無垢で愛らしい花に、いつも僕は彼女の姿を重ねてしまう。
気づかぬうちに僕らは彼女を踏みにじってしまったのかもしれない。もし足元をちゃんと見ていれば。
あの可憐な花はまだ咲いていた。…かもしれない。
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地元のよく行くそのファミレスに、こんなに団体の客が入っているのを僕は初めて見た。
ここのところ続いていた雨空はすっかり晴れ、窓の外の真っ青な空には白い雲が浮かんでいる。今日、僕ら元六年三組は生まれて初めての"同窓会"をしていた。
「まだ梅雨じゃないから、厳密には"五月晴れ"じゃないよ」
今日の幹事、委員長が理屈っぽく、皮肉っぽく口にした。…あの頃から全然変わらない。テストの成績が良いからって、いつも僕らのことを見下して…。結局、中高一貫の進学校に入学したとは聴いていたけど、わざわざ『まぬけで能天気な』僕らを集めるだなんて、どんな心変わりがあったのやら。
「…何よ?ひょっとこ。
言いたいことがあるなら、ハッキリ言ってよ」
じろっと彼女に睨まれた。『ひょっとこ』は僕のあだ名だ。昔から彼女にはよく絡まれた。そんなに僕は顔に出やすいのだろうか。
あの頃のようにすばやく謝り、身を縮める。別に、言い争いたいわけじゃない。彼女のことは嫌いじゃない。
あぁ。それにしても、あれからもう三年が経っているなんて。『光陰矢の如し』とは聴くけれど、自分が少し"おじさん"に近づいたみたいで、少し嫌な感じがした。会うたびに、『一年経つのは早いな』と言うおばあちゃんの家にいる親戚のおじさんみたいで。
僕の身長が五センチ伸びても、おじさんは無職のままで、僕が中学校を卒業しても、『俺はまだ童貞を卒業してないのに』と下品に笑っていた。気持ち悪い。
「はいはーい!聞いて!」
手を叩いて、委員長が声をあげた。
「みなさん、本日はお集まりいただきありがとうございます」
彼女の妙に格式張った挨拶を聴いて、僕は頭から脂ぎった汚いハゲ面を追い出した。
今日は初めての"同窓会"なのだ。
中学まで一緒だった人もいるけれど、転校した人や委員長みたいに受験した人も少なくなくて、久々の顔が何人もいた。…懐かしい。
「――というわけで!
本日はごゆっくりお楽しみください。かんぱーい!」
委員長の声を合図に、ドキドキしながら、僕もみんなと一緒にコップを掲げた。
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ちょっとの不安もあったけど、見かけほどにはみんな変わってなくて、すごく盛り上がっていた。途中の罰ゲームで、僕はどぶ色コーラをお腹いっぱい飲む羽目になったけど、そんなこんなで、宴もたけなわ。
ふと僕は激しい尿意を覚えて、席を立った。…絶対、あのコーラのせいだ。
店員さんたちからの刺すような視線に、少し騒ぎすぎているかもしれないと、考えながらトイレに向かうと、委員長がじっと何かを見ていた。始まりの時のことが、ほんの少し気まずくて、後ろを早足で通り過ぎようとする。すると、彼女はよく通る声で呟いた。
「ねぇ、ひょっとこ。この花覚えてる?」
彼女の視線の先、トイレの前の花瓶には無数に咲いた小さな白い花。
それを見た瞬間。びびっと僕の記憶が甦る。
小柄で色白の、ショートカットの可愛い子。
委員長とはまた違うけれど、意志の強い、
何があったのか、僕は知らない。女子の間でいざこざがあったらしい。
だけど、彼女が『自殺した』ことを先生がみんなに言った後、彼女に意地悪をしていた委員長たちは学校にあんまり来なくなって、他の何人かも転校していった。僕はあの子とは仲がよかったわけじゃなかった。だから、悲しいとかは分からなかった。
だけど、彼女の机に置かれたこの花が、授業中に視界の端そよそよ揺れるのが何だか嫌だったことだけ覚えている。
「ユキヤナギ。花言葉は『気まま』、『殊勝』。まるで、…―――」
その後に何か言いかけたけど、罪悪感に襲われたように、目を臥せて黙ってしまった。
ふと、長い睫毛とその上のまぶたにはキラキラが乗っていることに気づいた。よく見ると、肌も何だか粉っぽい…。
「…これ、
―――。………可愛いわよね、ホントに」
絞り出すようにそう言った後、はにかんだ彼女の瞳はうっすら濡れてるみたいに光って見えた。
「なんかさ、最近、何にも上手く行かなくってね…。何なんだろうなぁ」
ポロポロとこぼれる言葉は小さいのに、僕の耳にハッキリ届いてしまった。
「…そうだ、あたしも『僕』って言ってみようかな。なんてね。
…今からじゃ、もう遅いか。遅いな。…遅いよね。あぁ、もう馬鹿だなぁ、あたしは。
『正しい』ことなんて、世界が違えば、変わるのに。あぁ、もう、…ごめんね。ごめんね」
無理に微笑みながら、だんだん消えいるように声を震わせていく彼女に、僕はかける言葉がみつからなくて。ただただ見つめることしか出来なかった。
それでも何か言おうと口を開きかけたそのとき、僕の膀胱が限界突破の悲鳴をあげた。
「オシッコモレチャウゥゥっ!」
甲高い早口でそう叫んだ僕に彼女は一瞬目を丸くしたあと、クスクス笑った。トイレへと駆け込むときに、後ろから聴こえた転がる鈴みたいな彼女の声を僕はずっと覚えている。
長い出水を終えてトイレから出ると、彼女は席に戻っていた。小学生の頃みたいに他の女の子たちとハキハキと楽しげに何か話していた。僕はなんだか、ほっとした。
…全然何にも解決なんてしていなかったのに。
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…あのとき、どうするべきだったのか。今になっても分からない。委員長とは、その同窓会以降、もう二度と会うことはなかったし、もう会うことはできない。
ユキヤナギ。あの愛らしい花を見るたびに僕は二人の可憐な女の子たちのことを思い出し続ける。もう忘れないでおくことしか、僕にはできない。
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