木につながる葡萄の枝は
交わる前なら朱
だって、失神するほどでもないから。
『飛んで火に入る夏の虫』というならば、夜の繁華街は年中夏かな。
そう呟くと、"店長"はわたしの頭を軽く小突いた。
「また、そんな嫌味言ってー」
恒例となった同窓会。
毎回、全員とは言わないまでも、なんだかんだで毎年開かれていた。今夜はそのうちのひとりが自分の店を持った記念も兼ねての食事会。
「自分の店って言っても、母さんのお店を引き継いだだけだから、そんなに苦労はないんだけどね」
そう言って笑うけれど、彼が学生時代からずっと家の手伝いをしていたことは、転校生だったわたしですら知っている。小学校のクラブ活動は料理クラブを選んだのに、中高では部活にも入らず、夜に家の手伝いをしながら、大学じゃなくて料理の専門学校に通っていたことも…。
「まぁ、今日は楽しんでいってよ!目一杯サービスするからさ」
店長は
ふふ、今夜は久々に楽しいお酒が飲めそうだ。生ビールをぐぅーっと
「白いお髭がついてるぞ」
目をくりくりさせながら、既に赤く染まった顔を揺らすひょっとこ。手の甲で拭って、笑顔を返した。
あぁ、休肝日なんて知るもんか!
******************************
「……最近、ちゃんと寝れてんの」
店長がホットワインを差し出しながら、心配そうに言った。
…彼はホントに周りをよく見ている。嬉しいのか、情けないのか、よく分からない感情が胸に広がって、頬がふにゃっと歪んだ。
「大丈夫!
てか、働き過ぎはひょっとこでしょ」
さっきまで、隣で上司の悪口を叫んでいたひょっとこは、気持ち良さそうに寝息を立てている。今日で二十連勤だったそうだ。明日から一週間、有給をとるらしい。
そのうち、ぶっ倒れるようなことにならなきゃいいけど。
わたしは大丈夫だ。大したことはない。週休二日ももらえているし、上司にだってパワハラなんて受けていない。大丈夫だ。まだ大丈夫。
「でも、お前、人と話すの苦手だっただろ」
あぁ、その通りだ。まさか営業職に就くなんて学生の頃は思いもしなかった。
でも、まぁ、わたしには他の人みたいな何かはないからな。…わたしには何にもないからな。
「…そういえば、もうイラストは描いてないの?
よく見せてくれただろ」
ごくり、と自分が唾を飲む音が聴こえた。店長には聴こえていないだろうか。わたしは変な顔をしていないだろうか。
「…小学校の頃の話でしょ。もうとっくにやめたよ」
声が震えないように気をつけながら、そう言って笑みを浮かべる。
「…そうか」
少しの間のあと、心底残念そうな表情になる店長。
「お前の絵。僕は好きだったんだけどな」
どっと胸から言葉が溢れて、思わず口を
言い淀んでいると、ちょうど別の人に呼ばれて、店長は厨房へ料理とお酒を取りに行った。…助かった。
店長の後ろ姿を見送って、わたしはホットワインのカップを両手でそぉっと包み込む。温かいその中から、甘く芳醇な香りが立ち昇る。綺麗な赤い液体を見ていると、胸にも熱がじんわり広がった。
…そう。もうやめたんだ。夢を見る時間はもう終わり。
わたしだって、色鮮やかな
…でも。でも、何にもないわたしに色も光もあるわけない。絵は欲目に見ても下の上。苦手な人よりマシなレベル。おまけに、奇抜なアイディアも、引き寄せる話術も、もちろん、優秀な営業力もない。何のスキルも持っていない。
ないない尽くしのわたしの夢は、誰の眼にも見えやしない。
…大丈夫、大丈夫。無能でも、わたしは幸せだ。
家族とも仲はいいし、恋人とも上手くいってる。それに、ほら。こうして楽しく飲み会を開いてくれる、気のおけない友だちだってたくさんいるじゃないか。
大丈夫、大丈夫。わたしはまだ幸せだ。
それに、そもそも
暗い無色彩しか創れないなわたしにも、明るい世界は楽しいし、鮮やかな世界は美しい。
…ほら、何の問題もありゃしない。
「…大丈夫?」
戻ってきた店長が心配そうにわたしを覗き込む。
いつの間にか、カップは冷めてしまっていた。湯気の消えた赤ワイン…。
「温かいのを入れ直そうか?」
申し訳なかったけれど、つい彼の好意に甘えた。あの赤い水面に映ったわたしの昏い眼が、もう棄てたはずの自分のように見えて…。
ふと目をあげると、カウンターの端に生けられた白い花。それは、しゅうっと伸びた長い茎に小粒な花をたくさん咲かせていた。
「可愛い花ね」
「ん?…あぁ」
珍しく店長が気まずそうな反応をした。何か地雷を踏んでしまったか。
「いや、悪い悪い。
飾っておいてなんなんだけど、少し気まずい話題でさ…」
誤魔化すように笑顔をつくると、少し声を落として語り始める。少し周りを気にした様子で。
「お前が転校してくる少し前に、自殺しちゃった子がいたんだよ。で、これはその子の花なの。ユキヤナギ。
その子が亡くなったしばらくは、この花が教室にあったから、この花を見てると、少し後ろめたいんだよな…」
店長は優しげな、少し困ったような目で花を見つめた。
「そっか…」
当時のわたしは、自分のことで精一杯で、そんな事情なんて気づきもしなかった…。ホットワインの甘さが身体に
「…それともうひとつあってね。委員長って覚えてる?」
彼は自分のビールをぐっと呷った。少し酔いが回っているのか、ほんのり顔が赤くなってきている。
「六年生の後半は、中学受験であんまり学校来てない子だったんだけど…」
いや、委員長のことはわたしもしっかり覚えていた。同級生の中でも、飛び抜けて大人びていて、『委員長』というあだ名がぴったりだった。卒業後の同窓会で幹事もしていてくれたし、それに何より…。
「彼女も自殺したちゃったんだよね…」
わたしは小さくうなずいて、口を
「…ふたりのことを忘れたくなくて、俺が頼んでいつも生けてもらってるんだよ」
いつの間に目を覚ましたのか、ひょっとこが頬杖をついて、濁った瞳でこちらを見つめる。頭が痛いのか、顔をしかめていた。二日酔いみたいになっているのかもしれない。
「一緒にすると、あの子は怒るかもしんないけどな」
わたしが首を傾げると、店長が横から口を挟んだ。
「委員長はあの子をイジメてた側だからね」
「え?!どうして?」
わたしは『正しい』イメージの委員長とイジメが結びつかなかった。
「俺らも詳しくは知らないんだよ…委員長本人も、きっとイジメのつもりじゃあなかったんじゃねぇかな。一人称が『僕』だったとか、ちょっとしたいろんな意見の衝突。
…それが、ひとり対多数だったっていうだけなんだよ」
ホットワインを一口飲んだ。今度はまだ温かった。
…唐突にわたしも自分のことを『僕』と呼ぶ時期があった頃を思い出した。たしか中学生の頃。…絵を描くのが大好きだったあの頃。
「…委員長はさ」
頬を机に押しつけるように突っ伏して、ひょっとこはぶつぶつ呟き始めた。また眠くなってきたのかもしれない。
「最後になって、『あたしも僕って言ってみればよかった』なんて、言い出すんだぜ…。
…信じらんねーよな、自分がそれでいじめといてよ。…あっちで…あの子に…怒られちまえばいいんだよ…」
消えいるような鼻声でそこまで言うと、ひょっとこは小さな寝息を立て始めた。
「言うだけ言って、寝ちまったな」
店長と目をあわせて、くすくす笑いながら、わたしの『僕』に思いを馳せる。わたしにはまだ『僕』のことが受け入れられない。
いつの間にか、ホットワインは空になっていた。
「どうする?おかわりする?」
「んー…次は何かカクテルでもお願いしようかなぁ。何があるの?」
「有名どころは作れるよ。最近、『アースクエイク』っていうのも覚えた」
「
夜はどんどん更けていく。そして、あっという間に朝が来るのだ。店内は明るく、愉しげなみんなの声に満ちていた。わたしはそれを聴きながら、まぶたを閉じて夢を見る。
あぁ、きっとわたしはまた『僕』と一緒に紙ゴミの制作に精を出すのだろう。そして、また『僕』を殺すのだ。苦しくて、苦しくて…。
「はい、お待たせ」
淡黄色のそれは一口飲むと、舌と喉を焼きつくした。脳に響くような刺激に、思わず瞳がカッと開く。頭がクラっとして、カウンターに手をついた。
「…ぶっ倒れないように気をつけてね」
店長はニヤニヤ笑って見てた。…わたしは辛口のお酒苦手なの分かってて、わざとコレを薦めやがったな!
…でも、まぁ、それでも大丈夫。辛くても苦しくても、まだ大丈夫。このくらいなら、大丈夫。
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