回想の「夢」≠仮想の「夢」

@Zzz_nbys

回想の「夢」≠仮想の「夢」

 朝。五月蠅い目覚まし時計の音が唐突に鳴り響く。


「……」


 重たい瞼に抗いながら、薄目で目覚まし音の発生源を見つけ、手を伸ばしてスヌーズに切り替える。


「……」


 即座に瞼と体の重さに意識が押し負ける。

 十分後、二十分後と繰り返し、三十分後にようやくスヌーズを切って、のそのそと布団から這い出る。いつも通りの朝。快適かつ確実に起こしてくれるような目覚まし時計というのはもはや従来の時計の形状をしておらず、例外なく値段が高い。いくらか科学技術が進歩しても貧富の格差が解消されることはそうそう無く。政府様は長年何をやってきたのか。さっさと人工知能による統治のクローズドテストとやらが始まれば良いのに。シンギュラリティも近いとか言われてるし。

 ……ダメだ、寝起きから愚痴が零れるとは、相当疲れてるな。今日はあの実験だというのに、こんな状態で大丈夫なのだろうか。いかにも精密そうな機械を使うのだろうし。まぁ、楽しみではあったが、いざうまくいかなければ辞退するか。後日に都合がつくとも限らないし、仮についたとしても似たような体調だろうから。最新技術の一端を垣間見れただけでも良しとしよう。

 支度を済ませ、玄関を出る。行き方は昨日の内に一通り調べておいたが、ウェアラブルAR端末の道案内機能も一応使う。今日の実験に使うものほど高価で高機能なものではないが、知らぬ間に技術が進歩していることを感じさせられる。一昔前に比べれば一般的に使われるようになったし、高価な目覚まし時計よりはコスパが高いと踏んで思い切って買った。その案内に従って交通機関を乗り継ぎ、目的の研究所へ向かう。






 『目的地に到着しました。お疲れさまでした』


 道案内の音声と共に、研究所に足を踏み入れる。独特の匂いと雰囲気に若干胸を高鳴らせながら、一般の来訪者向けの受付端末に向かう。生体認証とAR端末の接続を無事済ませ、被験者用の待合室に入る。AR端末によって視界に表示されたおおよその待ち時間を見ながら、そわそわして自分の番を待つ。そうこうしているうちに自分の番となり、遂に実験室へと辿り着いた。用途の検討がつかない機器類や忙しない様子の研究員たちに目を引かれながら、案内された席に着く。


「こんにちは、被験者番号○○○番の○○さんで間違いないでしょうか?」

「はい、そうです」


 軽い本人確認を済ませ、諸々の確認に入る。


「先にお送りした資料で御理解頂けなかった部分や御質問はありませんか?」

「少し疲労が溜まっている気がするのですが、実験に支障はありませんか?」

「実験前や実験中に問題が発生しましたらお伝えしますので、とりあえずは御心配要りません」

「わかりました」

「他に質問はございませんか?」

「いえ、大丈夫です」

「では、こちらの各項目へのチェックと、署名と生体認証の二重での同意確認をお願いします」


 渡された端末で作業を行い、いよいよ実験の準備に入る。普段使っているスタイリッシュなAR端末とは打って変わってだいぶゴツめで、計測機器と一体になっているVR端末を取り付け、それに加えて様々な計測機器を繋いでいく。


「資料の記載通り、商用での利用が禁止されている完全没入型を使用しますが、意識した動きはこちらで把握しておりますので、急遽中断したい場合は所定のジェスチャーをお願いします」


 ああ、遂に。遂にこの時が来た。


「それでは、いつ頃の『記憶』にしますか?」

「……そうですね、中学……二年生、くらいで」

「承知致しました。これも資料通り、フィードバックを提出して頂きますので、それを実験中も意識していてください」


 しばらくの間が空いて。


「それでは、始めます」

 リンクスタート、なんて心の中で呟いてみた刹那、身体の感覚が抜け落ちていった。






 ……この視界と感覚は、自転車を漕いでいるのか。場所と向かう方向からして、登校中か。昔懐かしい中学校への。

 そう、実験が始まった。「記憶」を真の意味で再現する技術の臨床実験だ。ここで言う「記憶」というのは自分で思い出す記憶ではなく、忘却によって思い出せない部分まで脳から読み取り、当時の五感をそのまま再現したものを指す。言わば「記憶の記録」だ。プライベートの問題があるのと、五感の互換性の点で、一旦暗号化した上でこうして本人のみが体感する形式をとっているが、実用化されれば裁判の際等に確実な証拠として部分的に使用されたりするのだろうと思っている。人工知能による完全管理社会の実現とどちらが早いやら。

 そして、実験の「目的」はそうだが、「手段」に用いられている完全没入型VRシステムも、初体験でかなり楽しみにしていた。何せ現実の体が動かせないことや体感時間の差等々、濫用による危険性が高すぎて、商用利用が法律で禁止されている。まぁ、そもそも高価過ぎて大抵の人には到底手が出せない代物だが。因みにこの実験は記憶の再現のため、自分の意識した動きが反映されることは無い。

 そんなことを考えている内に、中学校に着いたようだ。校門から入ってすぐの駐輪場に向かおうとした、その瞬間。


「ッ……‼」


 ふと視界に入った人物の姿に、「記憶」の自分と「今」の自分が同時に息を呑む。普段の自分の登校時間的にあまりその場所では見かけないが故に、尚更嬉しく感じてしまう、その思い人。視線を引かれながらも、平静を装って自転車を駐める。先に行っているその人の背中を追うようにして、生徒玄関から校舎、教室へ。あえてその年代の記憶を指定した成果を早速実感して、思わず顔が綻びる。動かないけれど。現実の研究員には筒抜けなのだろうか。

 退屈に感じるかもと少し不安だった授業の間は案外懐かしみの感情が強く、つつがなく進んだ。そして午後、担任との面談があった。その時の担任との会話、たった今目の前で繰り広げられているこの会話が、今後の人生に深く影響し、挙句の果てには「夢」にまでなってしまうなんて、当時の自分には予想できるはずもなく。ただ、先生の言葉に妙に納得している過去の自分の、腑に落ちたとでも言うべきその感覚に、少し笑ってしまった。相変わらず身体には反映されないが。

 更にその後、集会での風紀検査。当時もうんざりしていたが、その後はなぜあの理不尽に反抗しなかったのか不思議になった、この光景。特に髪の毛の検査。……いや、反抗しなかった理由は明らかだ。反抗なんてしたら学校で生活しにくい上に、従っても自分は大して不利益を被らないから。頻繫に検査に引っかかる一部の少数派の気持ちなど微塵も顧みないその行為に、今更ながら怒りを覚えるが、瞬時にそんな自分自身に呆れ返る。中学校卒業後から「今」に至るまで、環境が変わって、その場での規則が変わる度に、無意識に同じような理由で、違和感を拭い切れないままに順応した振りをしていた。同じような思考は何度も繰り返したはずなのに、その度に目の前の人間関係に気を取られて、その曖昧な心地良さに身を任せて、いつの間にかまた事なかれ主義に陥っている。その繰り返し。……変わらないのだろうか、今後も。「夢」を叶えたその後も。

 その後、部活動や習い事の場面になっても、そんな思考がこびりついてしまい、楽しむ余裕も無いまま、ただ懐かしいなとか思って気を紛らせながら、実験を終えてしまった。戻ってきた身体の感触は、いくらか疲労感が増しているようにも思えた。






 まぁ、過去と現状を省みる良い機会だったと捉えよう。そう思い、研究員にお礼を言って実験室を後にする。フィードバックに書く内容を考えながら、帰るため出入口に目を向けると。


「ッ……」


 ついさっき経験したような息の詰まりと共に、視界に入った人物の後ろ姿を凝視する。……たった今の実験が無ければ気付かなかったのではないだろうか。何と声を掛けようかと悩みながら、念のため顔を確認するため、早足で追いついて少し横に距離を空けたまま、そっと横顔を覗き込む。すると、視界の端に映り込んだこちらに気付いたのか向こうもこちらに視線を向け、一息の間の後、少し目を見開いた。詰まった息をどうにか吐いて、話しかける。


「……お久しぶり、かな?」

「……うん、お久しぶり」


 気まずさと歯がゆさをこらえきれず、互いに苦笑いを零す。


「もしかしなくても、あの『記憶』の実験に参加してた?」

「うん、ついさっきまで。……いつの記憶にした?」

 それ、こっちが聞こうと思ってたのに。

「……内緒」

「中二の時とか?」

「……」

「え、当たり?」


 少し笑われた。卑怯じゃん、そんなの。


「……そっちは?」


 ジト目で問いかけると。


「……実はこっちもなんだけど」


 思いがけず期待通りの言葉が返ってきて、何も言えなくなる。向こうも黙るし。どうするの、この膠着状態。……少しの間の後、思い切って静寂を破る。


「……じゃあ、体感的には久しぶりじゃないね」

「そうだね、最初の返事も一瞬迷った」

「……なんで中二の時にしたの?」


 なけなしの意地で反撃を試みる。


「え、言わせたいの?」


 敵わなかった。また口を噤んでいると、自分の心境が自分のものではない声で聞こえてきた。


「見納めのつもりだったんだけどね」

「……え?」

「嬉しい方向に予定が狂った」


 ……言わせてばかりでは、いられない。少しくらい、成長を実感したい。


「……同じじゃん」

「……」


 初めて反撃に成功した。


「また会えるとは思ってなかった」

「……ありがとう」


 もともと早かった鼓動が、その声と表情で跳ねる。


「……こちらこそ。……ねぇ、この後は時間ある?」

「うん」

「良かったら、なんだけど。……立ち話もなんだし、どこかでもう少し思い出話とか、しない?」


 もう少し他の言い方が無かったものか。


「……もちろん。できれば、思い出だけじゃなくて、これからのことも」


 ……結局、この人には敵わなかった。






 翌朝。珍しく目覚まし時計の音より先に目が覚め、一人でキョトンとする。ああ、そう言えば、昨日は実験内での時間加速の影響と疲労が相まって、いつもより早く眠くなったからさっさと寝たんだった。……夢、じゃないんだよな、昨日のことは。中学の時は大して話せなかったのに、よく話せたな。これも大人になったってことなのか。そんなことを思い、寝起きから顔がにやける。その時ふと、実験のフィードバックのことを思い出す。せっかく時間に余裕があるため、支度をしながら内容を練り、いざ自由記述欄に、少し洒落た心持ちでこう書き込んだ。


【今回の実験で、自分が記憶の中で自由に動いたり、それに対応して記憶の人物たちの言動が変化したりしなくて良かったです。もしそうだったら、過去をやり直せたらという後悔にばかり囚われてしまいそうだったので。過去は、過去でしかなく、だからこそこれからを生きる上で重要なのだと、記憶の「夢」とこれから叶える「夢」は繋がっていながら別物なのだと、そう再認識する絶好の機会となりました。本当にありがとうございました。】

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