5-7 目覚(完)
目を開くと、真っ白なタイル貼りの天井が見えた。
これ、二か月前にも見た景色だ。そう思った。
真っ白な布団に包まれて、ベッドの上に横たわっている。
左手側には棚があったはず。見ると、やはりそこには棚があって、本が置かれていて、その上には玲汰のスマートフォンが乗っかっていた。
起き上がろうとしたが、体が思うように動かない。諦めて力を抜き、とりあえず周囲を確認した。相部屋で、カーテンで仕切られたスペースもあれば、オープンにしたままテレビを見ている患者もいる。そして、自分の腹部あたりに、何かが乗っかっているような感覚があった。見ると、制服を着た女子生徒が一人、うつ伏せになって眠っている。高い位置で結われたポニーテールが布団に垂れていた。
すると彼女は唸って目をこすりながら、体を起こした。玲汰はそれをじっと見つめる。そして、ピタリと目が合う。
瞬間、彼女の瞳孔が大きく開き、そして驚きの表情はすぐに満面の笑みに変わった。
見慣れたその笑顔に、玲汰の目頭が熱くなる。彼女も、すぐ目元に涙をためた。
「ただいま、優香」
***
どうやら、こっちの世界では風間玲汰は二年間行方不明だったらしい。
数日前、突如オカ研部室内で倒れている状態で発見されたのだという。
二年間どうしていたかの聞き取りや、体に異常はないかの検査を終えて、学校に通う頃には雪が降る季節が訪れていた。
中学校は教員達のはからいで同級生たちと共に卒業したことになっていて、高校へは転入という形で通う事になった。
久々に会った──彼らからすると二年ぶりに言葉を交わすことになった守人は、サッカー部のキャプテンとして活躍しているようだ。頭も坊主ではなくフサフサで、黄色い声援を全身に浴びている様子はかつての玲汰が知る守人そのものだった。
真美は手芸部に所属していて、口数も少なく、休み時間は一人で本を読んでいた。八重子はというと、そもそも知り合いですらなくて、声を掛ける事も掛けられる事もなく、一度校内ですれ違うくらいの事のみ。少し寂しさを覚えてしまうが、楽しそうにカメラを構えている姿を見て安心した。
クラスの担任として雨谷と出会ったときには思わず身構えてしまったが、どうやらこちらの世界では至って普通の教師なようで、左手の薬指には銀色に輝くリングをはめていた。どうやら昨年結婚したようで、なんと相手は守人の兄である修人だそうだ。
そしてオカルト研究部はというと、現在も活動を続けており──やはり一度廃部になったらしい。優香が会長としてなんとか同好会までこぎつけ、現在部活動として認められるように色々頑張っているところだった。玲汰の知らぬ一年生や二年生たちも数名加入していて少し戸惑ったけれど、馴染むのにそう時間はかからなかった。
学校の授業も、二年間分の内容を全て知っていた事に教師たちは驚いていた。追いつくために頑張ってるんですと濁したが、かなり優秀な生徒だと思われてしまって後の高校生活が少し不安になる。
玲汰の傍には、常に優香の姿があった。環境は変わったけれど、二年前と同じ光景がそこにはあって、失ったと思っていたものが再び自分の手元に帰って来たような感覚がした。
でも、そこにこの二年の間に手に入れたものは、ほとんど残ってはいなかった。
本当は狭間幽香なんていなくて、そもそも異世界なんてなくて。今までの二年間は全て、眠っている間に見ていた夢だったのではないか。平穏な日々を過ごしていく中で、玲汰はそんな風に思い始めていた。
夢だったら、いつか忘れてしまう。皆と怪異を乗り越えた事も、そして幽香と過ごしたオカ研での他愛のなかった日々も。
──「そうね……私は本が好きだから、作家に……なりたかったかしらね」
そんな幽香の言葉を思い出したその日から、玲汰は幽香と出会ってからの出来事を一字一句、丁寧に、一つだって洩らさぬように、紙に綴った。冬休みの課題もそっちのけで、毎日毎日、あの日々を忘れまいとして……。
やがて──玲汰は大学に通う事となり、引っ越しが決まったのをきっかけに部屋の荷物を整理していると、その時に書いた原稿を見つけた。
そして長い時間をかけて、中身を精査して脚色したものを、今は皆が読んでいる。日本中の皆が、玲汰の書いた本を、読んでいるのだ。
狭間幽香の、怪奇連鎖を。
***
昼休み。午前の講義のかったるさを癒してくれる、たった一時間の憩いのひととき。
「カレシに振られちゃった」
弁当箱の上に箸をおいて、ため息をつく。お弁当の中身は半分も減っていない。
隣の席で、学食の生姜焼き定食を食べていた友人が「えっ」と、期待していた通りの表情で箸を止めてくれた。
えっ、マジ、どうして? と前のめりに聞く彼女に、他大学に通う彼氏が「同じサークルの女子と付き合うことになったから別れてくれ」と言ってきたきり音信不通になった事を伝えた。
「え~なにそれ、めっちゃヒドいじゃん!」
昼休憩の時間で騒がしい食堂の中でもひと際オーバーリアクションでうるさい。少し周りの目が気になったが、それでも気持ちを理解してくれるのは素直にうれしかった。
でしょ、と少しばかりの愚痴を言って、またお弁当をつつく。
「周りの人に聞いたら、実は二か月間は二股かけてたらしくて。なんか最初はすごくつらかったけど、だんだん一週回って腹が立ってきちゃった。乗り換えとかホントあり得ない。バチでもあたってヒドい目に遭っちゃえばいいのに」
さっきからお弁当の中身は減っていない。気づくと、友人は既に食べ終えていた。そして、いちごミルクのパックにストローを差し込みながら、こんなことを言った。
「じゃあさ、ハザマさまに頼んでみなよ」
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【ハザマさま】
憎くて憎くてたまらない。この世から消してやりたい。そんな人が居るなら、ハザマさまにお願いしてみるといいよ。
ハザマさまはね、本が好きなの。
だから、消したい人の数だけ本を持って、誰も居ない教室のドアに四回ノックして。
「ハザマさま、ハザマさま。いらっしゃいましたら、一度ノックをお返しください」
持って行った本がハザマさまに気に入られたら、ノックが返ってくる。
そして、ハザマさまに消したい人の名前を告げるんだ。
そしたら、ハザマさまがその人を“ハザマ”に連れ去ってくれるんだって。
でも、もし持って行った本がハザマさんの嫌いなものだったら──あなたが“ハザマ”に引きずり込まれちゃうから、気を付けてね。
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狭間幽香の怪奇連鎖 完
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