4-4 疑心
折り紙ほどの大きさの紙に、隙間など一切作らずみっちりと、
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
真っ赤な掠れた字で。赤黒いその字は、和紙に深く染み込んでいた。まるで血で書かれたような、そんな色の字だった。
「玲汰センパイ」
背後から突然掛けられた声に、玲汰の心臓は大きく跳ねた。とっさに御守りをポケットに突っ込んで振り返ると、八重子がこちらを見上げていた。
「長かったですねぇ。くひ、おっきい方ですかぁ?」
「えっとまぁ、そんなとこだよ……っていうか、おっきい方とか言うな」
「別にいいじゃないですかぁ、ストレートに言ってないだけマシですよぉ。でも……」
八重子はゆっくりと玲汰の後ろの方を指さした。
「トイレはあっちですよ?」
智花の病室から慶人の病室へ行くと、トイレへ向かう。玲汰が今までトイレに居たならば、逆方向から歩いて来たことになる。
何か言い訳をしなければ、と正面を見ると、廊下の向こうに自動販売機が見えた。
「あぁ、トイレの後に飲み物を買ったんだよ。喉からからだったから飲み干したけど」
ふぅんと八重子。今、疑心暗鬼になっているからか、八重子の目が全然笑っていないように見えてしまう。
「何、飲んだんですかぁ?」
ぎくりとした。自販機には実際には立ち寄っていないため、何がラインナップされているかを知らない。どの自販機にもある飲み物と言えば……。
「み、水だよ」
八重子はまさか、自身が疑われていると気付いているのか。
「八重子はなんでここに?」
「くひ、私も飲み物、買いに行ってたんですよぉ」
言って、オレンジジュースのペットボトルを見せてきた。
「さ、戻りましょ」
八重子が玲汰の隣を通り過ぎていく。
まさか病室を出てからずっと後を付けられていた、なんてことは──いや、気にしすぎか。
八重子の後に続いて病室へ戻ると、八重子の母の姿はなかった。どうやら先に帰ったようで、守人と真美だけが残っていた。
慶人の右手を見てみると、特に何か変わった様子はない。さりげなく向かいの窓側へ移動して、左手を確認した。すると、智花の右手薬指に見られたものと同じようなアザが中指にあった。偶然とは考えにくい。やはり、今回の怪異に何か関係しているように思える。
ベッドの脇には黒いカバンが置かれている。この中に猿の指が入れられているかもしれない。ただ、どうやって確認するか、だ。
「手がかり、見つからなさそうだね」
「そうやなぁ。なんか怪しいモンがあるっちゅうワケでもないし」
この流れに乗って、ストレートに言うしかない。
「なぁ、八重子。そのカバン、調べてもいいかな」
ベッド脇にあるカバンを指さして、八重子に尋ねた。
「いいですよぉ。ケイに……お兄ちゃんの着替えとかが入ってるだけですけど」
案外あっさりと承諾してくれた。ここには最初から入れていないか、或いは既に回収済みということか。もし猿の指が猿夢を見て昏睡状態に陥る原因だとして、既に昏睡していたら本人の手元から離れた場合はどうなるのだろう、目覚めるのか、或いは影響なしか。それは明日、浅間智花の状態を確認すれば分かることだ。
玲汰は遠慮なく慶人のカバンの中身を確認した。八重子の言った通り、慶人の着替えの衣類以外に何か怪しいものは、ましてや猿の指は見つからなかった。念のために外ポケットも漁ったが、何も入ってはいなかった。
やはり、既に回収されたか、それとも他の場所に仕込んであるか……そもそも無いのか。
他に仕込みそうなところを考えてみて、昔「枕の下に写真を入れて眠ると、その人の夢が見られる」という話を聞いたことを思い出した。慶人の枕の下にあるかもしれない。
帰り際、四人で病院の出口まで来たところで、玲汰は全身のポケットを探るフリをした。
「ごめん、忘れ物したみたいだ。先に行っててくれ」
そう言って、玲汰は急いで瀬和慶人の病室に戻った。そして、枕の下に手を突っ込んだ。
指先に触れたビニールの感触。引っ張り出すと、やはりそれはポリ袋に入った猿の指だった。
猿夢を見る人は、ニュースや電車内の異臭による印象が影響して複数人いるが、昏睡状態になる条件として、この猿の指を所持していることという可能性が非常に高まった。そして、二人の指にあったアザ。それぞれ所持していた猿の指と同じ個所にアザができているのでは。
まさか本当に枕の下にあるとは、ここへ猿の指を仕込める人間といえば八重子自身か、彼女の身内、或いは慶人の知人や病院のスタッフか。外部から面会と称して忍び込むこともできなくはないだろうけれど。関係性の深さで言うならば、やはり八重子自身か身内の犯行が濃厚だ。
玲汰は自分のカバンに付けていた御守りの中も確認した。智花の拾ったものと同じく、猿の指と和紙がしっかりと入れられていた。自身も標的だったのだ。何故臨時放送に名前がなかったのかは分からないが、きっと守人、真美、八重子の御守りの中にも仕込まれているだろう。
玲汰は合計三本の猿の指をカバンの外ポケットにしまうと、足早に玄関へと戻った。
三人は待っていてくれた。
「玲汰センパイ、何を忘れたんですかぁ?」
八重子が上目遣いで聞いてくる。無邪気な瞳の奥は真っ黒で、吸い込まれてしまいそうだ。
少しでも危険性が減るならば、今ここで猿の指のことを伝えて、彼らの御守りに仕込まれている猿の指を回収すべきだ。だが、御守りに猿の指を仕込むなんてことは八重子の身内や慶人の知人、病院のスタッフには不可能だ。つまり、全員と接点を持つ八重子にしかできない。慶人と会ったのは今回が初めてだった以上、真美は容疑者から除外される。となると、ここで猿の指のことを話すということは、八重子にお前が犯人ではないか? と訊くようなものだ。どんな行動を取るか分からない。心苦しいが、ここでの事は話さない方が良いだろう。
「いや、忘れたと思ったらポケットに入ってたよ。スマホ」
八重子は釈然としないような表情を見せた気がしたが、なんとか話を逸らすことができた。
帰りの道中、先に真美、八重子と別れ、そして学校前で守人と別れた。
今、手元に三本もの猿の指がある。冷静になってそれを思うと鳥肌が立った。見た目も人間のものに似ているから、余計に気味が悪い。
玲汰はさっそく幽香に電話をかけた。
『こんにちは、玲汰クン。何か進展はあった?』
相も変らぬ淡々とした彼女の口調に、玲汰は妙な安心感を覚えた。
『……とその前に玲汰クン、何かヘンなものを持っていない? なんだか気分が悪くなるのだけれど』
離れていても、幽香はソレを感じ取っているようだ。
病院で智花が御守りを拾っていたこと、そして御守りの中身は猿の指と、「死ね」と書かれた和紙だったこと。慶人の枕元からも猿の指が見つかり──おそらくそれは守人や真美たちのものにも仕込まれているであろうことを伝えた。
『そう。猿の焼死体が、こんな事に使われていたなんてね』
「おれも、まさか電車から見つかって、こんな事態を招くとは想像もしてませんでしたよ。ところで、猿の指を二人から回収しましたけど、これであの二人は助かるんでしょうか。猿夢を見るのは記憶の印象からで、そして昏睡は猿の指の所持が条件。だとするなら、猿の指を手放せば助かるのではと思うんですが」
『どうかしら。そんなに単純なこととは思えないけれど……くねくねも、見ている間呪われるわけではなくて見たことが条件となって呪われた。猿の指も、持っている間呪われるわけではなくて持ったことが条件となって呪われる。かしらね。
それに、所謂その猿の指は『乗車券』ね。それを持っていないと猿列車には乗ることができない……逆に、それを持っていると乗せられる。そして、乗ったまま戻って来られない……つまり昏睡状態になるってこと』
「猿の指が乗車券なら、やっぱり皆から猿の指は回収しておいたほうがいいんじゃ……」
『そうね。瀬和さん以外の二人からは、回収したほうがいいかもね』
「……先輩は、八重子が犯人だと思いますか」
『濃厚よね』
「……」
『気持ちは分かるわ。私も、オカ研のかわいい後輩達を犯人だと疑うのは心苦しいもの。だけれど、彼女が怪異を使って私たちを殺そうとしているなら阻止しなければならないし、もしこれがただの勘違いであったなら、それに越したことはないもの。もし彼女が犯人だったとして、玲汰クンに怪しまれているかもと、そんな風に瀬和さんが感じ取っているような節はある?』
「院内で浅間智花さんの病室に行ったとき、後を付けられている気がしました。あと、忘れ物を取りに行ったフリをして、瀬和慶人さんの病室から猿の指を回収したときも、何か怪しまれているような感じがありましたね」
それを聞いて、幽香は少し沈黙してから、
『今から病院へ戻ってみて。もしあの子が犯人なら、玲汰クンに回収された可能性のある猿の指の有無を確かめに戻るかもしれないわ。もし病院へ彼女が戻っていて、お兄さんの病室で枕の下を確認していたなら、疑いは確信へと変わるわ』
玲汰は走って、来た道を戻っていった。
息を切らしながらたどり着いた病院。八重子と別れてからまだ十分ほどだが、果たして。
『瀬和さんは居た?』
「はぁ、いえ、見当たらないですけど……、いや、さすがに、はっ、やりすぎでは」
肩を上下させながら、少しずつ息を整えていく。この時期にこんなに走っては、汗が滝のように流れ落ちてくる。
『玲汰クン、体育の成績悪いでしょう』
「ほっといてください」
幽香のからかいに悪態をつきながら病院内へ進むと、そこに見慣れた姿の女子生徒がいた。あの後ろ姿は──八重子だ。彼女は病院へ戻っていた。さきほど自分たちと慶人の見舞いをしたばかりだというのに。
「……八重子が居ました。またかけなおします」
幽香との通話を切って、玲汰は忍び足で彼女の後を追った。
八重子は迷うことなく廊下を進み階段を上がって、慶人の病室へと向かって行く。
熱を持って流れていた玲汰の汗はすっかり冷え切っていた。
行くな、そっちへ行くな。そう願っても、とうとう八重子は慶人の病室までたどり着いてしまった。彼女の小さな手が引き戸を開き、小柄な体はすっと中へと吸い込まれていった。
廊下に誰もいないことを確認して、階段の物陰からさっと病室の前へ立つと、怜太はそっとドアを、ほんのわずかに開いて覗き込んだ。
八重子は慶人の横たわるベッドの脇で彼をじっと見降ろしている。後ろ姿しか見えず、どんな表情をしているのか分からない。
そして、彼女は右腕の袖で顔をぬぐう仕草をした後、そっと枕の下に手を突っ込んで何かを探り始めた。目当てのものが指先に触れなかったのか、突然動きが機敏になってしばらく探り続けた。その瞬間、玲汰の中で疑惑が確信へと変わった。この目で枕の下を探る場面を見たからには、これはもはや疑いようがない。
動揺し思わず扉から手が離れてしまった。扉が音を立てて閉まる。
「だ、誰!?」
玲汰はとっさにその場から離れ、なるべく静かに、でも足早に階段を下りた。
そのまま振り返らず、急いで病院から出ると、しばらくの間は自宅までの道を走った。
八重子だった。オカ研メンバーを、自分たちを怪異で殺そうとしているのは八重子だった。
あのときくねくねの存在を真美に話し、鈴木家の抜け道から現れ、真美に道之駅のサッちゃんの話をし、オカ研メンバーに猿の指が入った御守りを渡した……一体どうして。自分の兄まで手にかけて。
「……八重子が、瀬和慶人の枕の下を確認していました」
幽香に電話を掛けて、そのことを報告した。
『明日タがイムリミットだけれど、玲汰クンはどうするつもり?』
「それなんですが」
玲汰の手元には今、三本の猿の指がある。呪われた怪夢へのチケットが三枚もあるのだ。くねくねと対峙したときや臨時放送に名前が載らない事から、玲汰には何かしらそれらに対しての耐性があるらしいが、これに加えて真美と守人のものも合わせれば、猿の指は五本となる。
これだけ呪いの要素が集まれば、猿夢を見られるのではないかと思った。そしてこれを使って、猿夢を見ることで何か手がかりを得られないか、玲汰はそう考えていた。いくら耐性があるかもしれないとはいえ、そのことに確証はないし、それに臨時放送で名前がなかったからといって死なないという保証もない。あまりにも危険な目論見ではあるが。
「そう。あまりオススメはしないけれど、思うようにしなさいな。私はそれを手伝ってあげる」
幽香も危険すぎると思ったようだが、承諾してくれた。
大切な友人の命がかかっているのだ。できることは、やりたい。
玲汰はさっそく、さきほど別れたばかりではあるが真美と守人にグループ通話で連絡を取った。これから二人にまとめて説明をする。
『八重子の御守りから猿の指と死ねと書かれた和紙が出てくる』。このことをどう伝えたものかと悩んだが、状況が状況であるがために、言葉に詰まりながらもありのままを本人たちに話した。二人とも最初は、何を趣味の悪い冗談を言っているのかといった反応だったが、声色から、すぐにそれが本当であるということを察してくれたようだった。
彼らに御守りの中身を確認するよう促すと、電話越しに守人の吐息が漏れる音が聞こえてきた。真美は小さな悲鳴を上げて、その後パサっという軽い音が聞こえた。
『こっ、これ……、どうしたらいいの』
電話越しの真美の声は明らかに震えていた。鼻をすするような音も聞こえてくる。もしかすると泣いているのかもしれない。彼女の気持ちとしては、一刻も早くそれを手放したいだろう。
「これからおれが二人の持ってる猿の指を回収しに行く」
猿の指が猿夢の切符ならば、それを手放せば危険はなくなるはず。今夜、二人はぐっすり眠っても問題なくなるということだ。
『それやと玲汰が危ないんとちゃうんか。いくら臨時放送に名前乗ってなかった言うても』
「臨時放送に名前があるお前らが一番危ない。名前がなかった分、おれが指を持っているほうがいくらか安全だろう。大丈夫、先輩に策があるから心配いらない」
『また責任を私に擦り付けたということね。ひどいわ』
守人と真美から猿の指を回収できた事を話したところで、彼女はいつも通り、抑揚もなく言葉を連ねた。もちろん、これから猿の指五本を握りしめて猿夢に挑むことは幽香以外には誰にも言っていない。
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