4-3 御守
その後、一行は慶人と浅間智花の入院する病院へと見舞いに訪れた。あまり大きいとは言えない院内。薬品だろうか、独特な香りがする。
緑色の廊下を抜けて、目当ての瀬和慶人の病室へ入っていく。個室のようだ。
ベッドに横たわっている男性のそばで、椅子に腰かけている中年の女性。八重子の母親らしい。玲汰たちは軽く会釈をした。
「ケイ兄、来たよぉ」
八重子が慶人に駆け寄って行く。
玲汰からしてみても、あまり彼の顔を覚えているわけではなかったが、とてもやつれていて血色も悪い。伸びてきているひげも、そんな印象を掻き立てているのかもしれない。
「八重子。お兄さんがこうなる前に、何か変わったところはなかったか?」
母親が居れば、もし八重子は犯人だったとしてもヘタな嘘は吐けないだろう。今のうちに聞けることは聞いておこう。
「いえ、特には……最近同じ夢を見るとしか。猿夢ですけど」
「道之駅のことは?」
八重子が考え込むようにしたところで、彼女の母が口を開いた。
「慶人は隣町の工場で働いてるから、毎日道之駅から電車に乗って出勤してたの。最近、電車内で妙な臭いがするみたいな話はしてたけど……」
猿の印象は、焼死体のニュースで誰もが知るところだ。そこへ、慶人には電車内の異臭で電車の印象がつくことになる。本当に記憶に印象付けることで猿夢を見ているのかは分からない。それでも自分たちに共通している点として見逃せない部分だ。ここで、夢が命に関わる怪異へと変貌すると思われる要素を見つけられれば、解決に向けて大きく前進できるのだが。
「ごめん、ちょっとお手洗いに行ってくる」
言って、玲汰は慶人の病室を出た。
通りがかった看護師に浅間智花の病室を聞き出し、彼女の個室へと入った。
傍には女性が座っていた。母親だろうか、にしては若い。挨拶すると、
「えっと、あなたは……智花の友達?」
驚いたような、警戒しているような表情だ。玲汰の学生服を見ると、少し肩の力を抜いてくれたようだが。
「あ、はい。吹奏楽部の後輩で、浅間……智花先輩にはクラリネットでお世話になっていて」
とっさに嘘を吐いた。浅間智花はクラリネット奏者だと聞いている。少なくとも、これを言えば怪しまれないだろう。
「あら、そうだったの。私は智花の姉の智美です」
言って、智美は会釈した。顔は智花に似ていて、しかし髪型はかなり短い。
「でも、クラのパートに男の子が居たかしら」
「え、いや、その、最近入ったんです。先生にそろそろ部活動に入れって言われて……」
「そうだったの。智花は面倒見がいいから、クラリネットを選んで正解ね」
ほっと胸をなでおろしつつ、下手な事は言うものではないなと思った。彼女が目覚めた後のことが心配になるが、今は。
ベッドの傍まで寄って、智花の顔を覗き見る。慶人と同じく、やつれていて血色も悪い。
「智花先輩って、道之駅から電車で通学してるんでしたっけ」
「ええ。電車通学よ。最近は電車内で何か変なにおいがするって言っていたっけ。猿の焼死体が見つかったりして、気味が悪いなって思ってたところに、こんな事になって……」
道之駅、あまり行きたくはないが、やはりそこで電車を調べる必要がありそうだ。
そこでふと、智美の足元に手提げカバン程のサイズの黒いケースが置いてあることに気が付いた。尋ねると、
「智花のクラリネットよ。私物を学校でも使っていて、とても大事にしているものだから」
「あの、見せてもらってもいいでしょうか」
智美は少しためらったようだが、気を付けてねと言って差し出してくれた。
ベッドの上にケースを置いてソフトケースを開け、内ケースを開く。中には分割されたクラリネットが収納されていて、本体はマットブラックに程よいツヤがあり、非常に綺麗な状態だ。しっかりと手入れが施されているように見受けられる。
特に、何か怪しい点も無い。ケースを閉じて返そうとしたとき、ふとソフトケースの外ポケットにも何か入っていることに気付いた。
ちらりと智美のほうをうかがうと、もういいだろうと言いたげな雰囲気を出している。あまり他人のものを隅々まで見るのも良く思われないだろう。しかし、気になる。
玲汰は智花の顔へ視線を向け、何かに気付いたように「あっ」と声を出した。
どうしたの、と智美が智花のほうを向いて彼女の顔を覗き込む。
「今、智花さんが動いたような気がして」
もちろん嘘だ。智美の注意は完全にクラリネットから逸れた。その間に、玲汰は音を立てないよう細心の注意を払って外ポケットを開いた。なんとそこには、“厄除御守”と書かれた青い御守りが入っていた。以前、八重子が皆に配ってくれたものと非常によく似ている。何故彼女がこれを持って居るのか。もしかしてこれは以前玲汰が落とした、幽香へ渡すはずだったものなのでは。
「智花、ほんとに動いたの?」
期待とも疑いともまじったような声で、智美はこちらを睨みつけた。いよいよ怪しまれているようだ。玲汰はとっさにその御守りを胸ポケットに突っ込んで、
「……すみません、見間違いだったかも。指がピクリと……したように見えたんですけど」
と誤魔化しながらクラリネットを手渡した。智美が訝し気にクラリネットを受け取る。
彼女が玲汰の視線を追って、智花の手を見た。すると、
「あら、こんなアザ、あったかしら」
智美が智花の指に触れた。見ると、眠る智花の右手の中指全体が、まるでケロイドのように小さく膨れて変色していたのだ。智美の反応からするに、以前は無かったものらしい。もしかすると、何か今回の怪異に関係があるかもしれない。
「あ、あの。瀬和八重子って生徒、知ってますか? もしくは、智花先輩はそういった名前の子と交流があったりとかは」
さきほどクラリネットのソフトケースから見つかった御守り。これは玲汰が落とした幽香のものかもしれないが、八重子から渡されたものである可能性もある。八重子は浅間という名前の人物に知り合いは居ない様子だったから、直接渡したわけではないだろう。かといって、幽香に渡そうとして人違いで渡したのなら、言葉を交わした時点で人違いだと気づくはず。
智美は首を横に振った。少なくとも、瀬和八重子という生徒は知らないし、そういった名前の生徒と交流があったという話も聞いたことがないという。
やはり、この御守りは玲汰が落としたのを智花が拾っていたのだろう。吹奏楽部はよく空き教室に散らばって練習していて、クラリネットはオカ研部室の隣を頻繁に使っている。玲汰が御守りを付近で落としたのなら、彼女が拾う事は十分にあり得る。
もしかすると、この御守りが猿夢で昏睡状態に陥る原因なのではないだろうか。浅間智花に加えて、今この御守りは臨時放送で名前があった真美、八重子、守人が所持している。慶人も所持しているかもしれない。八重子の肉親である以上、可能性は極めて高い。
そして、なぜ“御守り”を持つ真美、八重子、守人がまだ昏睡状態になっていないのかといえば、そこで彼らの持っていた幽香からの御守りが黒ずんでいたことを思い出す。くねくねのときに玲汰の代わりに黒焦げになったときと同じく、その御守りが身代わりになってくれていると考えれば説明がつく。御守りからの呪い、所謂穢れを吸収して、そのために黒ずんでいったのだ。そして明日、いよいよ吸収しきれなくなった御守りは効力を失い、本人に牙をむく──。
浅間智花は狭間幽香との人違いで昏睡状態になったわけではなく、偶然御守りを拾ったせいで被害に合ったという可能性が高くなった。しかし、この御守りは幽香が受け取るはずだったものだ。依然、オカ研メンバーが標的となっていると思われる事に変わりはない。
「じゃあ、おれはそろそろ失礼します。早く目を覚ますよう祈っています」
そろそろ冷や汗も滴りそうだったので、玲汰は足早に浅間智花の病室を出た。
なんとかやり過ごす事ができてほっと胸をなでおろす。
玲汰は瀬和慶人の病室に向かいながら、気になっていた御守りの中身を確認した。御守りの中には内符というものが入っており、それは神聖なもので、御守りを開けるとそれが穢れて力が薄れてしまうと言われている。しかしこの状況下でそんなことを考慮している余裕などない。
恐る恐る紐を解いて袋の口を広げた。すると中に、黒く毛むくじゃらの、細く短い棒のようなものが入っていた。よく覗いてみると、先端に爪のようなものがある。まるで人の指──これは猿の指だ。真美たちが話していたニュースの事を思い出す。指の切り取られた猿の焼死体が電車内で発見されたこと──これはきっとその猿の指だ。
それと一緒に、一枚の紙が折りたたまれて入っていた。ざらりとした質感のこれは和紙だ。取り出して広げて見ると、そこに書かれていたものにぞっとして、怜太は思わず御守りを落としかけた。肝が一瞬にして冷えていく感覚。
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