3-8 予兆

 翌日は朝から雨が降っていた。


 放課後、部室で幽香に昨日の道之駅での事、きさらぎ駅へたどり着いた事を、例の動画を見せつつ全て報告した。曇り空で暗く、じめじめとした空気の中での報告は、まるで怪談話でも披露しているかのような感覚だった。


「玲汰クン、怪異に出会ったらすぐ私に連絡して頂戴ね」


 興味津々な態度で聴いた後、幽香はふぅん、とあごに人差し指をあて、真剣な声色で言った。


「あ、はい……ですけどその間はずっと圏外で」


 本当は、サッちゃん──テケテケに遭遇した時点ですぐ連絡を取りたかったが、霧の影響なのか、電波を拾うことができなかったのだ。


「繋がった時点でもいいから、できるだけ早くね。だって……」


 含みをもたせるようにそこで言葉を切って間を置くと、


「電車から降りたその駅……いまあなたが居るこの世界が、本当に以前、電車に乗る前にあなたが居た世界だなんて、保証はある?」


 その言葉に玲汰の心臓がドキリと跳ねた。


「い、いや……何言っているんですか。真美も居るし、ちゃんと学校に来て、先輩だってここに居るじゃないですか」


 幽香は黙ったまま、何も言わない。


 玲汰が焦り始めた頃、耐えかねたようにぷっと、幽香が吹いた。


「ふふ、冗談よ。ジョーダン」


 玲汰は自分の顔が熱くなるのを感じた。恥ずかしさと、怒りに。


「大丈夫よ。あなたはちゃんと帰ってきているわ、電車に乗る前の世界に、ちゃんとね」


「ちょっと、おれをからかうのもたいがいにしてくださいよ、こっちは真剣なんです!」


 あの後、家に帰ってベッドにもぐりこみながら、玲汰は道之駅での事を考えていた。


 テケテケとなった男子生徒は何者だったのか、あそこで死んだ人だとするならば──冷静になって思い出してみれば、あれは二年前、道之駅で自殺した三人のうちの一人だったのではないだろうか。事件当時、新聞やニュースで被害者の写真が出ていたのだ。


 スマホで当時の事件記事を漁って見れば、二年前といえども最近のものなので画像は見つけやすかった。やはりそうだった。道之駅で自殺した三名、今邑竜彦、貴志祐太、大松京介の内の一人、あれは今邑竜彦だ。例の都市伝説に合わせて呼称するならば、


「タッちゃんね」


 玲汰の推測を聞いて、幽香はその怪異をそう命名した。


「まさか、踏切で轢断された上半身だけの霊が本当に存在するなんてね」


 幽香は興味深そうに話を続けた。


 下半身を欠損した、上半身だけの霊として語られる都市伝説は数多とある。その代表的なものがテケテケだ。両腕を使って移動する際にテケテケという音が鳴ることからその名が付けられたそうだ。元々この都市伝説は、“冬の踏切事故”の怪談がベースとなっているようで、そこへテケテケという、足を失った哀れな霊の呪いのような要素を付け足され、やがてその話はサッちゃんの四番の歌詞、といった都市伝説へと繋がっていく。


「電車に轢かれて真っ二つになるのは滅多にないそうですが、あり得なくもないみたいですね」


「不幸なことにタッちゃんはそうなってしまった、ということかしらね」


 滅多に起こらない事が彼に起こり、その苦しみから地縛霊となり、テケテケとしてあの駅に留まっているのだろうか。


「今邑竜彦が霊となったなら、他の二人はどうなったのかしら」


「それなんですが、おれがよる駅で見た二つの真っ黒な影が、残りの貴志祐太と大松京介なんじゃないかな、と思うんです」


 もう一度、例の動画を幽香に見せながら言った。


 今邑竜彦だけが道之駅に縛られ、貴志祐太と大松京介は先による駅、黄泉へと渡ってしまった。二人は、あれからずっと、黄泉で今邑竜彦が来るのを待っているのではないだろうか。いつも三人でつるんでいた、大事な友人であるから。駅のベンチでじっと待っていて、でも電車が来ても乗る気配はなかった。しかし、その電車に玲汰が乗っていることが分かった途端に立ち上がって確認していた、ように思う。


「成る程。おもしろい考えね。じゃあ、その二人の元へタッちゃんを送ってあげないとね」


「そうですね。被害が出る前に……」


「まぁ、何はともあれ、怪しい駅で降りなくて正解だったわね。その電車は明らかにあの世へ向かっている電車だったと思うわ」


 降りていたら、きさらぎ駅の都市伝説で語られているような事か、或いはそれ以上に恐ろしいことが起こりえたかもしれないから、と幽香は言った。


 そこでふと、気になった事がある。


「なんか最近、急に怪異やら何やらに遭遇し出したというか」


 臨時放送から始まり、黒いくねくね、タッちゃん、きさらぎ駅。それらはどれも危険な怪異で、いずれも命が奪われかねないものだった。そしてそれらは、特に玲汰たちオカ研メンバーの周囲で巻き起こっているように思える。


「誰かが怪異に遭遇しやすい体質なのかしら」


 それで言えば、玲汰がいずれの怪異にも遭遇していることから、自身がそういう体質ではないかと言える。しかし、


「おれの場合、突然そんな体質になったりするんですかね」


「オカ研なのだから、この町の誰よりもオカルティックなものに近いのが私たちよ。偶然こそあるにしろ、他の人より遭遇しやすくても兼ね理解はできるわ。スピリチュアルなグッズもここにはたくさんあることだし」


 幽香が周囲を見回す。


「……また誰かが呪われる事があれば、きな臭くなるけれどね」


 ぼそりと呟いた。


「そういえば、今日、他の皆は来ないのかしら」


 幽香がぱっと気分でも変えたように、入口の方へ視線をやってたずねてきた。


「真美は写真部のほうで、八重子はどうやら今日は学校を休んでいるらしいです。なんでも、お兄さんが昏睡状態になってしまったらしくて」


 真美が、今日はオカ研に顔を出せないと伝えに来たとき、一緒にその報告を受けた。


 八重子の兄については、くねくねを解決した後、彼女を家まで送ったときに一度だけ顔を合わせたことがあった。


「そう。お兄さんが昏睡状態に」


 何か引っかかるのか、幽香が繰り返した。


「それと守人なんですが、野球部の顧問に掛け持ちは無理だろうと許可が出なかったそうです」


「ふうん。玲汰クン、ハーレム状態じゃない」


「八重子と同じこと言わないでください。会長なら部員が増えなくて残念がるとこでしょ」


 この幽香と八重子、案外思考回路が似ているのかもしれない。二人は気が合ってしまいそうだ。部室内に揃ったときには、いつものからかいに拍車がかかる恐れがある。


「あ、八重子といえば、皆に御守りを用意してくれたみたいで。狭間先輩にも渡しておいてって言われてたんでした」


 思い出して、カバンの中を漁った。


 が、ない。玲汰は自分の分はカバンに付けているのだが、幽香に渡す分をカバンに入れたはずなのに見つからない。中身を取り出したとき、引っかけて落としてしまったのかもしれない。


「すみません、おれの付けてる分を……」


「構わないわ。また見つかったら渡して頂戴な。瀬和さんには、お礼を言っておいてね」


 どこで落としたのだろうか、記憶を探っても思い当たる節はない。他人から渡されたものなのだから、しっかり探さなければ。


「私が言った御守りは、皆付けている?」


「はい、みんなちゃんとつけてましたよ」


「そう。なら、いいわ」


 なんだろう、対抗心でも燃やしているのだろうか。


「じゃあ、今日はもう良い時間なんで帰りますね」


「気を付けてね。あと、同好会の設立届、そろそろもらっておいて頂戴」


 了解ですと返して部室を出かけたところで、


「そうだ、狭間先輩は……その、やりたい事とかって、あるんですか」


「やりたいこと?」


「その……夢、とか」


 以前から気になっていた事を、いつもタイミングが掴めなくて聞き損ねていたので、思い切って口にした。


 突然の質問に、幽香は意図を汲めずに居る様子だったが、しばらくして、あぁと気づいたように、いつになく小さな声で言った。


「そうね……私は本が好きだから、作家に……なりたかったかしらね」


 まるで、今はもう諦めてしまったような言い回しだった。


 その時の、うつむき加減に視線を机に落とした幽香の表情は、玲汰の脳裏に焼き付いた。


***


 部室を後にして廊下を歩いていると、下の階から男女の大勢の掛け声が聞こえてきた。どうやら、野球部とソフトボール部が室内でトレーニングをしているようだ。


 廊下の窓から外を見ると、朝から続けて曇り空の下、雨が降り続いている。勢いは今朝よりも弱くなっているようだが、これではグラウンドはぬかるんでいることだろう。


 階段を下りていると、野球部とソフトボール部の部員たちは階段を駆け上がり、駆け下りを繰り返していた。


 一階まで来ると、ちょうど書類の束を抱えた雨谷恵子が廊下を歩いているところに遭遇した。


 玲汰が挨拶をすると、雨谷は口角を上げて笑みをこぼした。


「部活動に入るんでしょ」


 言われて怜太はドキっとした。


「タロットで占ったんですか」


 ふふんと得意げに鼻を鳴らして、雨谷は付いておいでと怜太を職員室へ誘導した。


「よかったわ。やっとあなたも部活動に入ってくれるのね」


「厳密には同好会なんですけどね。設立の申請書が欲しくって」


 それにまだ部員が一名足りない……ということは言わないでおいた。


 雨谷に続いて職員室に入り、彼女のデスクへ向かう。


 申請用紙とついでに、かつてのオカルト研究部の設立申請用紙も見せてもらえるよう頼んだら、それもすんなり承諾してくれた。


「それにしても、まさかオカ研同好会を立ち上げるなんてね……」


 私の占いでもそうは出なかったわ、としみじみと呟く雨谷。それもそうだろう、最初こそ自分で提案していたけれど、時間が経ってまさか玲汰のほうからそんなことを聞かされるとは思いもしなかっただろうに。きっとどういう心境の変化か聞きたいところだろうが、彼女は何も訊いてくることはなかった。表情は柔らかく、玲汰にはそれが嬉しそうに見えた。


「同好会の顧問の件なんですが、雨谷先生にお願いできないでしょうか」


「わかったわ。あんまり顔は出せないかもしれないけれど、昔顧問だったし、何より玲汰くんのお願いだものね」


 笑顔で快く引き受けてくれた。


 あとは守人が埋められなかった穴をどうにかするだけだ。同好会設立の日は近い。


 玲汰は少し胸が熱くなるのを感じた。何か目的を持って行動し、それが形になってくると、何とも言えない達成感が湧いてくる。


 雨谷は机下の引き出しから大量の資料を取り出してしばらく探った後、二枚の用紙を玲汰へ渡した。一枚はかつてのオカ研の設立申請用紙、もう一枚は白紙の同好会設立申請用紙だ。


「ありがとうございます。……へぇ、これが当時の」


 黄ばんだ設立申請用紙を受け取り、目を通す。


 申請部名、オカルト研究部。活動内容、超常現象の解明。


 なんだ、当時も活動内容もとい目標は同じだったのか。顧問、雨谷恵子。部員、……。


 そこにあった名前に、玲汰は目を見開いた。生徒の一覧に、知った名前が三名あったからだ。


 雨谷は玲汰が驚いた名前に察しがついているのか、目を伏せた。


「良い子たちだったわ。少し素行は悪かったけれど、死ななければならないような……まして自殺なんてするような生徒ではなかったわ」


 自殺した三名、今邑竜彦、貴志祐太、大松京介の名前がこの用紙に記されていたのだ。


 申請用紙に記載されている年月は二〇〇八年六月。優香は一年生のときに入部し、それから玲汰が活動に混ざった。その頃彼らは三年生だったはずだ。引退もしていないだろう。しかし、玲汰は彼らのことは事件後、ニュースや新聞で初めて知った。ということは、


「幽霊部員だったわ。部ができた当初は、よく来ていたけれどね」


 玲汰が知らないわけだ。


 用紙を雨谷に返却して、彼女がそれを棚へ片づけているとき、ふと目をやった机の上に、見覚えのある写真が飾られていた。埃をかぶった黒いフレームに収まっているそれは、学生の集合写真だ。後ろに写っているのはここの学校の校舎で、生徒たちは皆、体操服姿をしている──これは鈴木彩の家に飾られていた集合写真と同じものだ。


 そこで玲汰は、ここに写る鈴木彩と仲良さげに肩を組んで笑い合っている人物に既視感があったことを思い出した。


 鈴木彩がこの学校で生徒であったのは十年以上も前の話だ。雨谷の現在の年齢からして、彼女の受け持つ生徒だったということは考えられない。であるならば、


「先生、この写真って」


 机の上にある写真に視線を向けて尋ねてみた。


「あぁ、それね。私もこの学校の生徒で、そのときの体育祭で撮った集合写真よ。ここへ教師として来たとき、懐かしくって」


 雨谷はどれなのか聞いてみると、「当ててみて」と言われた。テキトウに迷ったフリをした後、鈴木彩と肩を組む生徒を指さした。


「お、当たり。よく分かったわね」


 雨谷は、鈴木彩と友人……いや、恐らく親友だったのだろう。それを失った辛さは、優香を失った玲汰にも痛いほど理解できる。この学校へ教師として来たときには、一体どんな心境だっただろうか。それも、同じクラスメイトが犯人だったと知れば──。


「ちなみに、これが八木くんのお兄さんよ」


 これ以上この話題を掘り下げても雨谷の気分を落ち込ませるだけと思っていた玲汰に、雨谷は写真の端っこの男子生徒を指さして言った。


「そういえば、同級生なんでしたっけ」


 守人の兄である八木修人は、今はこの町の小学校で教師をしている。雨谷も、ここで高校の教師をしていて、一応教員仲間でもあるということになる。


 鈴木家で見たときには気づかなかったが、よく見ると面影があるし、何より白い歯をむき出しにして豪快に笑っている顔なんかは今と変わらない。


「……じゃあ用紙も貰いましたし、失礼します」


 雨谷も写真部室に戻らなきゃ、と、二人同時に職員室を出た。


 校舎の昇降口まで来ると、カバンから折り畳み傘を取り出して帰路につく。


『さっき先生に同好会の申請用紙をもらいに行ったとき、ついでに昔のオカ研部の申請用紙を見せてもらったら、例の三人は元オカ研部員でした』


 幽香へメッセージを送り、この事実をすぐに報告した。すると間髪入れずに返事が来た。


『霊の三人組?』


 タッちゃんが霊だから例とかけているのだろうが、玲汰はあえて触れずに話を進めた。


『これで、二年前の事件から続いている被害者たちはみんな、オカルト研究部の関係者ってことになりましたね』


 今邑竜彦、貴志祐太、大松京介三人の不可解な死から始まり、風間優香、そして達野真美。くねくねの第一発見者である瀬和八重子も含めるべきか。全員、オカ研、同好会のメンバーだ。これは果たして、このオカ研というものに何か怪異を寄せ付ける因縁があるのか、それとも誰かが怪異をけしかけているのか。


 いや、そもそも例の三人が本当に怪異によって命を絶ったのか定かではない。今はまだ不可解な自死としかわかっていないのだ。それでも、皆オカ研のメンバーであるという共通点に変わりはない。ここに何かある、という可能性は高い。


『こっちでも色々調べてみるわ。しばらく部室には顔を出せないけれど、あなたも気を付けて』


 いつでも連絡は受け取るから、と、幽香はそうメッセージを寄越した。


 その翌日、約束していた通り、放課後には真美と夕食へ行った。次の日には八重子も学校へ来るようになり、彼女の兄は未だに昏睡状態ではあるが、命に別状はないとのことだった。


 最後の一人の部員はなかなか見つからないけれど、それでも放課後にかつてのように人が集まって他愛ないオカルト活動をする日々はとても充実していた。玲汰の日常は変わっていった。


 やはり、オカ研メンバーがターゲットとなって怪異が襲い来るなどという推測は杞憂だったのではないだろうか。幽香もそろそろ戻ってきて、この輪に加わってはくれないだろうか。


 そんな風に感じ始めていた矢先、彼女から一通のメッセージが届いた。


 授業が終わり放課後、部室へ向かおうとしていた時の事だった。


『今夜、臨時放送があるわ』


 玲汰たちの日々に、再び暗い影が落ち始めていた。

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