3-6 噂話

「あの駅、サッちゃんが出るって噂があるよね」


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【サッちゃん】


 ある真冬の時期の夕刻のこと、空から雪が舞う中、桐谷佐智子は下校中だった。


 いつもの通学路、目の前の踏切で遮断機が下りていくタイミングだった。


 見たいテレビ番組がもうすぐ始まってしまう時間になる。急いで渡ろうと佐智子は全力で走った。しかし、踏切へ入った瞬間に何かに足が引っかかった感覚があった。


 雪が積もり見えなくなっていた溝で、足をくじいてしまったのかもしれない。佐智子は線路上に倒れ込んだ。


 遮断機は降り切り、警報機の甲高い音が辺りに響き渡っている。その音が、佐智子の危機感を煽る。徐々に近づいてくる電車の音。やがて電車のヘッドライトが、足を痛め身動きの取れない佐智子を照らす。


 どうにか逃げようと必死でもがくが、足は痛めて立ち上がれず、這いつくばっても雪で滑って思うように動けない。


 一瞬だった。


 目の前まで電車が迫った後は、黒い大きな影が自分の上を通過していっただけで、その後は何事も無かったかのように遮断機はすっと上がり、警報の音もいつの間にか止んでいた。


 助かったのだろうか?


 相変わらず足は痛いけれど、ただそれだけで電車に跳ね飛ばされることもなかった。


 とにかく起き上がろうと上半身に力を入れた佐智子だったが、しかし思うように力が入らなかった。電車が迫る恐怖に身がすくんでしまったのだろうか。


 しかし、そこである違和感に気付いた。地面に着いた手が、異常なほど滑る。見るとそこは真っ赤な水たまりになっており、手にも赤黒い液体がべっとりとへばり付いているではないか。


 そこではっとなり、佐智子は自分の腰から下に目をやった。


 驚きに大きく目を見開いた彼女の瞳に写っていたのは──切り離された自分の下半身だった。


 自分の目を疑った。何が起きているのか、瞬時に理解が追いつかなかった。さっきくじいた足の痛みはまだ残っているのに。


 一瞬にして分断された下半身に、痛覚が追いついていないのだ。


 パニック状態に陥った佐智子は必死に両腕を動かして踏切の外へと出た。そこで、徐々に腰や腹部あたりの痛みを感じ始めた。出血で意識も朦朧としはじめる。どうにか振り向いた踏切の先で、誰か人影が立っているように見えた。


 もしかして、あの人が私の足を引っかけたの……?


 しかし、もう視界もぼやけ、考えもあやふやになりまとまらない。感覚も薄れていく。


 佐智子はゆっくりと、息を引き取った。


 サッちゃんはね 線路で足を なくしたよ

 だから お前の 足を もらいに行くんだよ

 今夜だよ サッちゃん


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 サッちゃんの都市伝説自体は、玲汰も知るところだった。これがあの有名なサッちゃんの歌の、四番の歌詞であると広まったのだ。そしてこの四番の歌詞は、聞いてから三日以内(地域によって変わってくるが)までに五人に広めなければ、サッちゃんが足を奪いにやってくる、と言われている。いわゆる、不幸のメール形式の都市伝説なのだ。


 しかし、まさかこれが自分の住まう街の唯一の駅で現れるというのは初耳だった。


「道之駅に出るって、初めて聞いたな。いつごろからそんな話が出てたんだ?」


 まさか自分がそんな話を聞き洩らすなんて、と思った途端に自分の都市伝説への思い上がりぶりに少し恥ずかしくなった。


「二年前くらいだったと思う。たぶん玲汰くんがその……ずっと家に居た頃に流行った話かも」


 ならば、玲汰が知らなくとも無理はない。だが、全く聞かないことなんてあるだろうか。


 真美の話によれば、二年前からその道之駅で行方不明者が出るようになり、やがて利用者も極端に減っていったのだという。二年前といえば、そこで三名の男子高校生が自殺した時期だ。どうやら、それと絡めて怪談話も広まったようだ。それが様々な変遷を経て、サッちゃんの都市伝説に行き着いたらしい。


「へぇ、そうなのか。で、その話を回したのはおれで何人目?」


「何人目って? ……あっ、やだなぁ、別に広めてるとかじゃないよ」


 冗談で聞いた事に真面目に否定するあたり、真美らしい。


 道之駅のサッちゃん。まさか、くねくねの次はこれ、ということはないだろうな。

 玲汰はサッちゃんの噂が心配になっていた。


 不幸のメール形式であるこれが、もし本当に実在する怪異だったとして、広まっていったならば、留まるところを知らず全国に拡大し、多数の犠牲を出してしまうだろう。それこそ、リングの貞子のように、無限に広がっていく。くねくねのときのように、元を断つほかなくなる。


 サッちゃんの犠牲になると足を奪われるので、犠牲者は上半身のみのむごたらしい状態で見つかるという。この噂が始まったのが数年前で、それが本当に実在するものならば、既に何人かは亡くなっているはずだ。死体が見つからないのなら行方不明者として、既に報道されているだろう。それがないということは、この怪異は実在しない、か。


「それは誰に聞いた話なんだ?」


「うーん、二年くらい前だから……ごめん、覚えてないや。ただ、八重子ちゃんがこの話をしていて、それで思い出したの。八重子ちゃん、ホントにこういう話好きみたいだから」


「そっか。おれも五人探して聞かせないとな」


「や、やめてよ、もう……」


 しばらく二人で会話をし、時間はちょうど良い頃合いになった。


 そろそろ帰ろうか、と言ったところで、真美が少し言いづらそうにしながら、


「あ、玲汰くん、その……あ、そうだ。……ちょっと道之駅、見に行かない?」


「でも、真美の家から離れちゃうけど」


 玲汰の家と真美の家は、学校を真ん中にして西と東で反対方向にある。一緒に帰ることはできない。さらに、道之駅は南方向。どちらの家からも遠ざかる。


「そ、そうだよね、ごめん」


 そこで、もしかして自分と一緒に帰りたい──が帰れないので、せめて口実を設けて下校したかったのでは? ということに気が付いた。しかしさすがにそれは考えすぎだろうか、自意識過剰かもしれない。


 この状況に思考がぐるぐると回っている。


 今のこの真美の恥ずかしがり方。少し頬が赤らんでいるようにも見えるが、それは窓から差し込む夕日と混ざって判別できない。それもこれも、八重子が妙なことを言ったりするからだ。


「ま、まぁおれも少し興味はあるし、行ってみようか」


 ついそう言った矢先、優香の言葉が脳裏をかすめたが、嬉しそうに頷いた真美の顔を見て、すぐ片隅に追いやってしまった。今まで十七年間生きてきて怪異との遭遇はたった一度きり、今回道之駅に出向いたところでそうそう遭遇するものでもないだろうと踏んだ。それに、くねくねの時のような事がこの噂から起こらないとも限らない。確認したい気持ちもあった。


 道之駅は、学校を裏から出て南方向へ二十分ほど歩いたところにある。この通りは古い民家が立ち並んでいて、駅までは一本道となっている。道中、スーパーなどの店は一件もなく、唯一のコンビニが一つぽつんとあるだけだ。自販機だって見当たらない。


 駅があるのは山の麓あたりなので、ホームの正面には木々が生い茂り、たまにタヌキやイタチが顔を出す。猿が下りてくることも稀にあって、以前問題になっていたなと記憶している。


 駅の脇には踏切があり、山道へと続いている。ここの高校に通っている生徒のうち数名は、その山奥に家を持つので、ここを通る人も少なからず居た。それでも、玲汰と真美が駅に着くまでの間には人っ子一人見当たらなかった。


 駅は電車が来る気配もなく、辺りはしんと静まり返っていた。


 日も暮れる頃で、寂れた無人駅は赤く染まって不気味だ。そこへカラスが鳴くものだから、雰囲気は抜群である。駅から黒い人影がぬっと出てきて、こちらをじっと見つめて監視している──そんな妄想が捗る。


 が、何も無い駅でずっとうろうろしていても仕方がない。結構長い距離を歩いたために少し喉も渇いてきていた。真美もそう思っていたようで、もう帰ろうか、と話していた、そのとき。


 カンカンカンカン……と、踏切警報が鳴り始めた。


 すっかり静かな事に慣れていたものだから、思わずびくっと肩をはずませて驚いた。隣に居た真美も全く同じ動きで驚いたため、つい吹き出してお互いに笑い合った。


 そこでふと目をやった踏切のランプ。玲汰の表情から笑みが消えた。


 真美にどうしたのか聞かれて、そのランプを指さした。


 警報のランプが白かった。少し黄ばんだ白く濁った色が、点灯している。白いランプなど、見たことが無い。それは真美も同じだった。


 気が付けば周囲は霧につつまれていて、その向こうまで伸びる線路は白くて見えなくなるほど濃くなっていた。


 この状況は、どう考えても異常だ。おかしい。ランプが白だなんて。それに、昨日も今日も快晴だったはずだ。急にこんなに霧が立ち込めるはずがない。


 真美も玲汰にぴったりくっついてきていて怯えている。


 突然自分たちの周囲に巻き起こる怪現象に焦り始めていたとき、そこへ、背後から「すみません」と、若い男の声がした。真美と一緒に振り返ると、玲汰と同じ学ランを着た学生が立っていた。見知らぬ大人であれば飛び上がって驚いているところだったが、同じ学校の学生らしく、少し安心する。


 どうかしましたか、と尋ねてくる彼に、まず白い踏切ランプについて尋ねた。たまに故障でああなるみたいです、と言われ、妙に釈然としない答えに首をかしげたが、その手のものに詳しくないので何とも言えなかった。


 この人物、どこかで見たような気がする……。なんだったか、全く思い出せない。知り合いではない、そう、言うなればテレビや写真で見たことがあるといった感覚が近い。


 ところで、と男子学生は一本の缶ジュースを差し出してきた。ラベルはオレンジジュースのようで、近場の自販機で買ったら当たりが出て、二本目が手に入ったので譲ってくれると言う。遠慮しないで、とプルタブを上げて開き、真美に半ば強引に手渡した。


 申し訳なさそうに受け取る真美。


 近場の自販機で買ったジュース。それを男子学生はもう一本を手に持っている。


 この駅へはそんなに頻繁に来ないし、今日ここへ来たのは数年ぶりだ。それでも昔見た記憶の通りの景色だった。店や家が増えた様子もなく、一件だけ寂しそうに立つコンビニがあるだけ。駅のホームも人っ子一人いないし、自販機は置いていない──近場に自販機などないのだ。コンビニで買ったのならわかるが、もう一本は当たったと言っていた。彼は何故、そんなウソをつくのか。


 白い信号。霧に包まれた駅。見知らぬ男子学生。当たった缶ジュース。


 真美がゆっくりと、渡された缶ジュースの飲み口に唇を付けようとした。そのとき。


「飲んじゃダメだ!」


 玲汰はとっさに、真美の手を掴んで傾いた缶ジュースを止めた。


 突然手首を掴まれ、真美が驚いて玲汰を見る。


 手渡されたものを飲んではいけない。怪しすぎる。


 一瞬、男子生徒の顔がわずかに歪んだ気がした。しかし笑顔を取り繕って、持っていたもう一本を玲汰に差し出した。


「はは、飲み物が欲しいそんなのでしたら、差し上げます僕のも」


 そう言って、彼は手に持っていたもう一本の缶のプルタブも開けた。プシュっと、音を立てて缶が開く。わざわざ開けて渡すあたりが、なお怪しい。どうしてもこれを飲んで欲しいと言っているように感じられて、気味が悪い。


 玲汰の真剣な表情から察したのか、真美も唇に近づけていた缶を離した。

「ありがとう。私たちそろそろ帰るところだから、その途中でいただくね」


 軽く会釈して、彼の傍を通り過ぎようとする。だが。


「これはどうぞ清潔の問題は飲んでくれます」


 一瞬、耳に入って来た言葉に理解が追いつかなかった。さっきの言葉も違和感があったが、聞き間違いではなかったようだ。


 男子学生は一体何を言っているのかと思い、彼の顔を見た途端に背筋が凍り付く感覚に襲われた。さっきまで優等生風だった彼の雰囲気は、目の焦点も合っておらず、表情もひきつっていて不自然だった。


「ください。これを飲みます。だからくれます、そうです。そうですそうです」


 口元から泡を吹きながら、支離滅裂な言葉を発し始めた彼を見て、真美も顔を青くしていた。


 危機感を覚えた玲汰は、持っていた缶ジュースを投げ捨て、真美の手を引いて、元来た道を走って戻った。真美もこの不可解な状況を察したのか、玲汰に身を任せている。


「そうです、私を足がくれます、くれますくれますくれますくれますくれますくれます」


 背後から、先ほどの青年の声とは全く異なった、深く堕ち込むようなどす黒い声が飛んできた。エコーのかかったようなその声は鼓膜にねっとりとまとわりついて、全身に鳥肌が立った。


 いつの間にか周囲の霧も一層濃くなってきて、一メートル先も分からなくなっていた。


 さきほどの男子学生は、やはり──黄泉戸喫を誘っているのではないか。玲太はそう考えた。

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