3-4 部員

 翌日、登校し教室へ入ると、友人と楽しそうに話している真美の姿が目に入った。自然で、いつも通りの真美だった。そんな当たり前の景色に、つい目を奪われてしまう。


 入口から席へ向かう途中もずっと視線を送られている事に気付いたのか、彼女と目が合ってしまい、どうしていいか分からず、つい逸らしてしまう。


 カバンを下ろして椅子に腰掛けると、既に席に付いていた守人が話しかけてきた。


「よお。達野さん、元気そうで良かったわ」


「いつも通りすぎて実感沸かないよな」


 感覚は守人も同じようだった。


 するとそこへ、真美が机の傍までやって来た。


「お、おはよう玲汰くん。なんか……久々な感じする」


「おはよう。元気そうでよかった」


「うん。玲汰くんのおかげ、なんだよね。ありがとう」


「おかげって?」


「八木くんから全部聞いたよ。私のために、危ないことしてくれてたんだね……」


 守人がこちらを睨んでいると思っていたが、その目にはどこか期待が込められているようにも感じた。やれやれ、と心の中でため息をつきながら、


「おれだけじゃないよ。守人の助けがなかったら、どうにもならなかった」


 言った傍から、腕を組んでウンウンと深くうなずく守人。


「八木くんも、ありがとう」


 にこりと柔らかな笑みを向けられて、守人の鼻の下はかつてないほどに緩み伸び切っている。


「あのまま死んでたら私、死んでも死にきれなかったと思う。まだ撮りたい写真だっていっぱいあるし、伝えきれてない事とかもいっぱい……だから、今度は私がお化けになってたかも」


 真美は冗談も混ぜて恥ずかしそうに言った。


 それを聞いて玲汰は、自分がもしあのまま死んでいたら、どうだったろうと考えた。実際、くねくねに首を掴まれた時は死を覚悟した。そのとき頭に浮かんだものは何だったか。優香を連れ戻すことや、真美を救うこと。それだけが未練だったように思う。


 しかし、それらは真美の言っている事とは少し違う気がする。それはきっと、自分が生きていく上で楽しんだり、目標にしたりしている事だ。優香や真美を救う事はその場の目的であって、自分の事ではない。


「確かにな~、俺もあの時は“玲汰を助ける事に夢中”であんま意識せんかったけど、死んでたらと思うとぞっとするわ。まだ甲子園で優勝してへんし、プロにだってなれてへんのやから」


 死の瀬戸際で、玲汰には真美や守人のように、やりたい事がたくさん残ってるのに死にたくないといったような悔いは生まれていなかった。案外、自分が事故で死ぬことになってもあっさり受け入れてしまえそうだと思った。


 くねくねと対峙して生死の間を彷徨うような稀代な体験をしても、二年前から変わらず、玲汰は空っぽなままだった。それを今この場で二人に指摘されたような感覚がして、それ以上考えたくなくなり、玲汰は話題を逸らした。


「……にしても、真美は信じるんだな。こんなオカルトなこと」


 真美の態度だと、すんなり怪異の存在する事実を受け入れているようだった。守人が彼女に話したであろうくねくねを祓った事も。


「あのとき、帰りに見たの。田んぼの向こうでくねくねが踊ってるのを。はっきり見ちゃったから……火だるまになって苦しんでる人だって分かっちゃって」


 その後の記憶が全く無いのだと言う。全身がとてつもなく、沸騰した湯に浸けられているように、ただただ熱かったという感覚だけ。


「ああ、くねくねに呪われたんだなって。だから、都市伝説とかに詳しい玲汰くんが解決してくれたって聞いても、何も疑わなかったよ」


「そっか。まあ、おれもくねくねが出るまで信じてはなかったけどね」


 隣で守人があうあうと会話に入り損ね続けているのは無視した。すると真美が、


「ところでね。今、オカ研の同好会メンバーを集めてるんだよね?」


「……それもコイツから?」


「そう。俺、俺! 俺も掛け持ちだけど入ったんや」


 嬉しそうに声を張り上げる。イラっとしたがぐっとこらえた。


「私も、その……掛け持ちになっちゃうけど、入ろうかなって。今回のお礼もしたくって」


「え、ホンマに!?」


「なんでお前が一番に喜ぶんだよ」


 腰を浮かせて前のめりになる守人を押し込める。


「ありがとう、真美。きっと先輩も喜ぶよ」


 昨日の今日で早速二人もメンバーが集まったとなれば、幽香のことだ、さぞ無表情のまま喜んでくれることだろう。褒めてあげるわ、と両手を広げるに違いない。そして、戸惑う自分を見て、からかうように微笑むのだ。想像して一人で悔しくなっていると、


「センパイ? って、オカ研の人?」


「そうだよ。くねくねの件も、先輩が全部指示してくれたから解決できたんだ。おれなんかよりも、先輩にお礼を言わなきゃだな」


 真美が礼を言った傍から、また鼻高々な態度を取る幽香の姿が目に浮かんだ。真美や守人が彼女と会ったら、一体どんな印象を抱くだろう。きっと、自分と同じに違いないけれど。


「そうなんだ。じゃあ、今日の放課後、部室に行ってもいいかな? 雨谷先生に言ってからになっちゃうけど」


「分かった。先輩にも、真美が同好会に入ってくれること言っておくよ」


「あ、俺も行くわ」


 予想通り、真美が来るとなった途端に守人も手を挙げた。


「野球部はいいのかよ」


「え、あー、……ちょっとくらい構わん」


「絶対ダメだろ」


 どうにかするから、行くったら行くと聞かない守人。


「じゃあ、放課後に行くね」


 始業のチャイムが鳴り、真美は自分の席へと戻っていった。


 同時に、入口から雨谷恵子が入ってくる。昨日、コンディションが最悪そうだったが、今日はそうでもなさそうだ。髪もある程度まとまっている。


「はぁ……俺、野球部やめてオカ研一本でいこうかな」


 守人が肩肘を付いて、ため息まじりにそんなことを言った。


「いや、写真部入った方が確実だろ」


「その手があったか」


 本気か冗談か分からない守人に、突っ込む気は起らなかった。


***


 放課後、一旦真美と別れ、守人も一度野球部室に荷物を置いてくる、と言って走っていった。


 玲汰も荷物をまとめ、カバンを持って一人オカ研部室へ向かう。


 部室の扉を開けると、中には既にいつもの席で本を読んでいる幽香の姿があった。


「どんな本を読んでるんです?」


 カバンを下ろして、彼女の右斜め向かいの席に腰を下ろす。


「怪談よ。この本は私の最もお気に入りの本なの。何度も読み返しているわ」


 出会った頃から今まで、幽香は常に同じ本を読んでいるらしい。よっぽどお気に入りなのだろうか、にしても飽きないものだなと思う。


 改めて彼女が持つ本を見る。ブックカバーで隠れて、その表紙を確認することはできない。


「それ、なんていう本……」


「玲汰クン」


 幽香がはっきりとした声で名前を呼んだ。


 はい、と思わず背筋が伸びる。


「昨日言っていた部員の子は今日来るのかしら。八木くん、ね」


「あぁ、はい。この後顔を出すって。……あ、実はもう一人増えたんです」


「達野さんね」


「なっ、なんで分かったんですか?」


「だって、玲汰クン友達いないじゃない。八木くんを除けば、あとは達野さんだけでしょう」


 なんだそれ。自尊心を激しく傷つけられた気がする。だが、否定できないのが悔しい。


「瀬和さんという線もあったけれど、流れ的には達野さんよね。助けてくれたお礼に、だとか、協力してくれた狭間さんという素敵な女性にお会いしてみたいとか、そんなところよね」


「後者はあり得ませんが、だいたいそんなところです」


 じゃあ、と両手を広げる幽香。


「はい、ご褒美」


「やると思った」


「あら、今日もいいの? それとも一気にできるようにストックしているのかしら?」


「ハグの回数を溜めてるわけじゃありません! てか、ストックできるんですかそれ」


 残念そうに手を引っ込める幽香。


「あ、そうそう。私、この後用事があるの。今日はこれで帰らせてもらうわ。残念だけれど、二人にはまた後日、お会いするとしましょう」


「いやまた急ですね」


 彼女が席から立ち上がった。


「まぁ、分かりました。その事はおれから二人に言っておきます」


「よろしくね。……なに、私が居なくなって寂しい?」


「はやく行ってください」


 手で追い払う。


 くすくすと笑いながら、幽香は玲汰の隣を通り過ぎて行った。


「そうそう。くねくねの時に玲汰クンに渡したものと同じ御守りを、他のコたちにも渡してあげて頂戴。また怪異に遭遇することが無いとも言い切れないから」


「わかりました、渡しておきます」


 言われた御守りを人数分金庫から取り出すと、また椅子に座り、頬杖をついた。その間に、幽香はいなくなっていた。


 どうにも幽香と居ると調子が狂う。やはり、優香と幽香は、見てくれこそ瓜二つだが、中身は似ても似つかない。何をどう取り繕うとも、あんな性格にはならないだろう。


 そういえば、優香は心霊現象研究家になりたいと言っていた。幽香には、そういうものはあるのだろうか、とふと考えてしまう。


 一人になり、突然静かになった部室。


 今朝の教室での真美と守人との会話が、まだ玲汰の頭の片隅に屯していた。


 今日も隣の教室からクラリネットの音色が聞こえてくる。前よりはまとまってきている気がする。


 この部屋で自分一人になることは初めてだった。ここへ来ると、大抵誰かが先にいた。それはだいたい優香だったし、今は幽香が居る。玲汰が訪れるときにここが空っぽだったことは一度もなかった。ここを去る時も、いつも部員の皆と一緒だった。


 一枚の壁を隔てて届いてくる、聞きなれないメロディをバックにして、かつての賑やかだった頃につい思いをはせた。


 一人はラジオのアンテナを天にかざして宇宙と交信を図ったり、一人はタロットカードで運勢を占ったり、一人はドクターキャツポーで学力向上を図ったり。


 今思えば胡散臭い上になんて怪しすぎる集団だったのだろうと思うし、自分もその一員だったのだなとも思うと胸がかゆくなる。でも、本当に楽しかった。誰もが活き活きとしていた。


 今では、誰も居なくなった部室に、たった一人──。


「こんにちは」


 感傷に浸っていると、突然背後に声がかかった。振り向くと、入口に達野真美の姿があった。続いて、その後ろから、ひょっこりと誰かが顔を出す。瀬和八重子だ。


 二人は通学カバンを下げて、部室内に足を踏み入れた。

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