3-2 暗雲
「……昨日は本当にありがとうございました」
放課後、部屋に入ってさっそく、狭間幽香が席に居ることを確認するなり、挨拶もすっ飛ばして頭を下げた。
昨日は守人に言われて行動を起こしたが、幽香の協力なしではあのままくねくねに殺されていただろう。自分たちが無事で、そして真美を救うことができたのも、全ては彼女の協力があったからに他ならない。
「当然ね。私のおかげなのは分かっているわ」
いつも読んでいる本を閉じると、幽香は胸を張って、得意げな表情を浮かべた。
今さっきまで感謝の気持ちでいっぱいだったのに、なんだか急に失せてしまった。
釈然としないでいると、彼女は玲汰の顔を見て、
「でも、実際にくねくねを倒したのはあなたなのよ。……おめでとう」
打って変わって、優しい表情で微笑みかけた。
「……優香」
つい、口から零れてしまう。その表情が、あまりにも姉の優香に似ていた。
誕生日を祝ってくれたとき、かるたで勝ったとき──そんな時々の微笑みに、似ていた。
「あら。私のことを下の名前で呼んでくれるのね」
「勘弁してください」
恥ずかしさに顔が一瞬で熱くなる。
「いいのよ。あなたの二人目の姉と思ってもらっても構わないわ」
言って、両手の平を出しておいで、と幽香。
玲汰は無視して、幽香の斜め前の入り口側の席に腰をかけた。
「姉弟でそんな恋人みたいなことしないでしょ」
「照れているのね」
「からかわないでください!」
この人の姉弟のイメージは一体どんなだ。
幽香と会ってから早一月半ほど。ずれた感覚を持っている人だなと身に染みて分かってきている。最初から変わった人だなとは思ってはいたけれど。
「ところで……あの黒いくねくねは、どうしてあの家の地縛霊になったんでしょうか。目当ての人も殺し終えて、満足しなかったんですかね」
玲汰は昨晩、くねくねにとどめを刺した集合写真をポケットから取り出して机に置いた。二枚に千切れ、一方には一直線に切り裂かれた跡がある。
「そうね、大方鈴木彩に告白でもして振られたんでしょう。腹いせに殺して、自分も死ぬ。そして、強い思いは霊となってその場に留まり、家もろとも自分の物にしたくて入ってくる人々を呪い殺そうとした……といった具合かしら」
振られた腹いせ。いかにもありそうな話だ。
しかし、そう思う一方で何か妙に引っかかる部分があるように思える。
「当時事件の調査が難航したのも、自分のものにした家に入って来た人たちを追い出すため、というので理解できます。でも、今になって何で……外に出てきたんでしょうか」
当時の新聞記事を見た限りでは、屋内に入った人たちは呪われている。しかし、家の付近に黒いくねくねした影を見て体に異常が現れた、といったような文面は見当たっていない。それに、その当時から今までの間にくねくねが外に出現していたならば、少なくともこの近辺でそういった噂が広まっているはずだ。なのに、玲汰はそれを聞いたことがない。
「このくねくねは最近になって“外に出た”、と」
「ええ。まず当時の事件はその青年が起こした。でも彼はどうやって鈴木家に侵入したのかしら」
「それは……納屋から地下室への道を見つけた」
「そう。警察も見つけられなかった、正確には見つける前にくねくねに妨害された、だけれど……でもそれをどうやって見つけたのかしらね。きっと家族以外知らないはず。玲汰クンの話では、納屋に繋がっていて、それも床板の一角から出るようなものだったのよね」
「そうです。多分、親しい人でしか知らないような……納屋だって家の人以外は誰も近寄らなさそうに思います」
「或いは鈴木家の人間ととても親しい人物。青年はきっと知らないでしょうね。であれば、例えば……鈴木彩と親しくて、でも死んでほしいと思っていた誰かが教えた、とかね。
ところで、玲汰クンはどうやってその地下室を見つけたのだっけ」
「それは、八重子が出てきたから」
言って、玲汰ははっとなった。八重子はどうして知っていたのだろう。いや、知っていたというよりは見つけた、だろうか。家に入る方法を探して、納屋にたどり着いた。そこで偶然、床板が外せることに気付き、中を通って行ったら家の中へ侵入できたのかもしれない。
「偶然見つけたの、でしょうか」
「青年も?」
言葉が出ない。
「瀬和さんが──」
八重子が、何らかの方法でくねくねを外に出したと言いたいのか。
「だとしたら何のために? あのとき八重子もくねくねに殺されかけたんです。わざわざ現場に行くなんて危険は冒さないでしょう」
「まぁ、それもそうね。私とあなたの最初に交わした約束の目的は、達野さんを助けること。それは達成されたのだから、何はともあれこの件はこれでおしまいね」
幽香はそれ以上くねくねについては何も言及しなかった。
「……そうだ、狭間先輩に報告があります」
この場の微妙な空気感を取り繕うように、玲汰が口を開いた。
真美を救う手伝いと、玲汰の姉である優香を連れ戻す手伝い。その対価として、玲汰はここオカルト研究部復興のために幽香を手伝う、そう約束していた。
「まずは一人、メンバーをゲットしました」
「ほんとうに? やるじゃない。優秀ね」
本当にそう思っているのかと疑わしくなるくらいの演技じみた棒読み具合だったが、口角の上がり具合を見るに喜んではいるのだろう。
「守人が掛け持ちですけど、協力してくれることになりました。同好会まであと二人ですね」
「八木くんがね。玲汰クンは良い友達を持っているのね」
「そうですね……彼がくねくねのような怪異に襲われたなら、きっと真美のときと同じようにすると思います。そう思える友人ですね」
そう言った玲汰を見て一瞬、幽香は嬉しそうな、安心したような、そんな表情を見せた。
「それにしても、よくやったわ。さぁ、褒めてあげるわ。おいでなさい」
言ってまた、両手を広げてくる幽香。
「いや、行きませんよ。ていうか、さっきから何ですかそれは」
「恥ずかしがらなくてもいいのよ」
ほら、と手招き。
「恥ずかしいとかじゃなくて、褒め方がハグってなんですか」
「ご褒美? みたいなものよ」
「自分の女性としての価値をそれなりに自負しているんですね」
「もちろんよ」
「その自信はホントにどこから……」
怪異に関しても自身にしても、常に自信に満ちていて、弱点などこの人に存在しないのではないかと思えてくる。それくらい、常に胸を張っている幽香。
「……狭間先輩、そんなにおれのことハグしたいんですか?」
さっきから手玉に取られてばかりのような気がしてならない。少し反撃に出た。が、
「そうよ」
あっさり認められて、次に用意していた言葉が出せなかった。
「だって、玲汰クンかわいいんだもの」
ふふ、と微笑む。
後輩とはいえ、そんな風に見られていたのか。別に異性として好意を寄せられたかったわけではないが、男としては喜んでいいのか悲しめばいいのか複雑な気分にさせられる。
「まぁ、いいわ。これから親睦は深めていけるものね」
さっきから彼女にからかわれてばかりだ。滲み出るSっ気にたじろきながらも、玲汰はいずれ幽香の弱みを握ってやろうと心に誓った。
「そういえば同好会の設立届はまだ貰っていないから、折を見て担任から貰っておいて頂戴」
「わかりました。……ていうか、なんかメンバー集め関連は全部おれがやるんですね」
彼女自身は部員集めのための行動はしているのだろうか。雰囲気から、完全にこちらにまかせっきりになりそうな気がする。
「心配しなくても、あなたの働きにはお姉さんの捜索でしっかり報いるわよ」
オカルト研究同好会を部活にする。これに協力する対価として、真美と、そして玲汰の姉である風間優香を救う手伝いをしてもらう。それを持ちかけられた時は、真美が危険な状態にあったために藁にもすがりたい気持ちで幽香に協力してもらった。
当初は、霊感があるなどと発言する、うさん臭さ全開の彼女を信用できなかった。しかし、鈴木家にてくねくねを解決へと導いてくれた幽香の手腕ならば、或いは本当に、異世界エレベーターで失踪してしまった優香を救い出せるのではないだろうか。そんな期待が、玲汰の中に生まれていた。
「じゃあ早速だけれど、当時あなたのお姉さんが消えたときの事を聞かせてもらえるかしら?」
「分かりました。あのとき、おれたちは──」
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