2-10 写真

「何でさっきまで部屋に転がっとったもんが、お前の首を絞めとるんやと思ったけど……もしかしてソイツの霊なんちゃうかって」


 息を切らせながら話す守人。


 すると、言っている傍から、態勢を崩していたくねくねがむくりと起き上がった。



あついあついあついあぁつぃ



 まずい。またさっきの頭痛が襲ってくる。


 身構えたところで、隣の守人の様子がおかしいことに気付いた。


「あ、あつい……」


 守人の目が虚ろだった。


「あつい、あつい……あついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあつい」


 呪文のように繰り返しながら、守人はその場に倒れ込み、もがき苦しみはじめた。


 まるで、くねくねと踊るように。


「そうか、さっきおれを助けるために……」


 地下で見た死骸とそっくりだと言っていた。くねくねを椅子の脚で殴りつけたときに、その姿を見てしまったのだ。


『八木くんも呪いにかかってしまったようね』


「何を冷静に言ってんですか! どうすれば!」


『玲汰クンも見たのよね、くねくねを。でも、何とも無い?』


 そういえばそうだ。どうしてかは分からないが、首を締めあげられたときにくねくねを見ているのに、真美や守人のような症状が出ていない。



ああああああああついあいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいぃ



 途端、再び脳が激しく揺れるような頭痛が玲汰を襲った。


 揺れる視界に、ゆっくりとこちらへ近づいてくる黒いくねくねの姿が見えた。


 このままでは二人ともくねくねの餌食となってしまう。


 痛みの中で、守人の様子を見た。


 ずっと、あつい、あついともがいている。もがいているだけで、玲汰のような頭痛に襲われているようには見えない。


「も、もしかして……おれだけなのか……?」


『達野さんや八木くんは同じ症状、玲汰クンだけは違う……そう』


 幽香が何かつぶやいているが、言葉が頭に入ってこない。


『でも今はそれどころではないわ。玲汰クン、写真を破いて』


「し……写真?」


『いいから早く、くねくねが来るわよ!』


 言われて、すぐ目の前までくねくねが迫っていることに気付いた。


 写真を拾うと、フレームから乱雑に取り出す。


『鈴木彩と青年を引き裂くように、真っ二つに!』


 黒いくねくねはこれを探し、持っていた玲汰を襲った。これに映る、鈴木彩を見つめる青年。きっと鈴木彩に想いを寄せていたのだろう。それも、尋常ではないほどに。その気持ちの向け方が歪んだ結果──彼はくねくねとなった。幽香はそう推測し、玲汰も理解した。


 叶わなかった恋の末、二人が写る唯一の写真となったこれが、くねくねになり果てた青年にとって大切なものであることは確実だ。


 写真のてっぺんを、右手と左手の指でつまむ。


 くねくねの動きに動揺が見られた。そこで、玲汰は確信した。


 手をそれぞれ前後に持って行き──写真が破れてゆく。


 中央に、亀裂が走る──二人の関係に、亀裂が──思い出が引き裂かれてゆく。



あああああああああああああああああああぁぁッ



 悲痛な叫び。


 共に、玲汰の頭から痛みが引いていった。


 効いているのだ。くねくねに、この攻撃が。


「真美と守人を解放しろ、黒焦げ野郎!」


 そして一気に力を込め、写真を真っ二つに破り切った。


 その瞬間、糸が切れたようにくねくねはその場に膝から崩れ落ちていった。


「やった、のか……?」


『それはフラグでしょう』


「ちょっ、そんなこと言わないでください!」


 玲汰のイメージでは、解決すればくねくねは消え去ると思っていた。しかし、そいつはまだ目の前でうなだれた様子で存在している。


『どう、八木くんの様子は』


 言われて、隣で苦しんでいたはずの守人に目をやる。


 胸は上下しているものの、さっきよりは落ち着いている様子だ。


「ってことは、真美も」


『どうかしら。でも、可能性は高いわ』


「やった! じゃあこれで……」


『待って。まだ終わってないわ。まだくねくねはそこに居るのでしょう』


 言われて、再びくねくねを見る。


 すると、くねくねの周囲が揺れていることに気付いた。その周囲の空間が、まるで蜃気楼のようにゆらゆら揺れているのだ。それに、気づけば緊張とはまた違った汗が、額にじんわりと浮いている。部屋の気温が上がっている。


『どうかした?』


「この部屋が暑くなっていて……それにくねくねの様子が」


 くねくねの黒い体のあちこちが少しずつひび割れ、その隙間が赤く発光していた。わなわなと震え、まるで今にも爆発しそうな雰囲気を漂わせている。


 ただならぬ威圧感に、全身の毛が逆立つような感覚に襲われてしまう。


 そんなとき、服の裾が引っ張られ思わず過剰に反応してしまった。見ると、守人が運動部とは思えないほどの弱弱しい握力で裾を摘まんでいた。そして、唇を震わせながらうつろな目で口を開く。


「怜太。昔な……昔、俺が兄貴にボコられとったときな……一回だけ、かばってくれたこと、あったやろ」


 何を言い出すかと思えば。今はそんな話をしている場合ではないと、遮って言おうとしたが、突然強い力で引き寄せられた。


「聞いてくれ。……ホンマにあの一回だけやったけどな、うれしかった。ビビリで気の弱いお前が……そん時、こいつとはずっと友達で居ようって、決めたんや。


 さっき助けたんはな、そんときのお返しや。十年越しの、お返し。


 それに……お前は姉ちゃんがおらんくなって、その上、達野さんまでおらんくなるやなんて。俺が達野さんの事を好きって事以上に、納得できん。絶対できん。


 ……せやのに、せやのにこんな足手まといなって、すまん」


 大の男が今にも泣きだしそうに顔をくしゃくしゃにしている。


「そんな事ない」


 怜太もつられて、目頭が熱くなってきてしまった。


「達野さんは、優しい子なんや。怜太もよう知ってるやろ。俺が一方的に好意を伝えたときも、俺ん事傷つけんように……言葉を選んでくれた。気まずいやろに、今までと変わらん風に接してくれて……せやから、どうか救ってやってくれ。どうか」


 まるでこれから死んでいく人のような台詞を吐いて、守人はゆっくりと、目を閉じた。同時に裾を摘まんでいた手も、だらりと垂れ下がり床で小さく跳ねた。頬に伝っているのは汗なのか涙なのか、判別できない。


「おい……」


 守人の体をゆする。


 怜太は頭が真っ白になった。天と地がひっくりかえったような無重力な錯覚に陥ってしまう。

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