2-8 幽閉
「うわあああぁっ!」
太い声が家中に響き渡った。守人の声だ。
玲汰は急いで階段を駆け下り、リビングへと突入した。しかしそこに彼の姿はない。急ぎ向かいの和室に駆け込もうとし、ふと右側、玄関から正面に伸びる廊下に人影が見えた。廊下に、尻もちをついた守人の姿があった。
彼の視線の先、廊下の床ど真ん中に正方形の穴がある。その穴はだいたい人が一人入ることのできるくらいのサイズだ。
先ほどここを通ったときには気づかなかった。二階に居るときに聞こえてきたのは、ここの入り口が開く音だったのだろう。これは抜け穴か、或いは地下室への入り口か。
「人がおったんや。女やった気がするけど」
少しうろたえながらも答える守人。よっぽど驚いたのだろうか、その姿勢のまま動こうとしない。腰を抜かしたようだ。
そこに人が居たということは、もしかするとくねくねがいるのかもしれない。
玲汰は恐る恐るその穴に近づき、中を照らして覗き込んだ。照らされた先には、穴の底で、守人と全く同じ姿勢で座り込んでいる小柄な女性がいた。グレーのだぼっとしたパーカーに、七分丈ほどの黒のパンツ、白のスニーカーを履いている。そして、ツーサイドアップの髪型には見覚えがあった。
「瀬和さん? 何でこんなところに」
「八重子、ですよぉ……」
言いながら、いてて、と左足首をさする八重子。こんな状況でも名前で呼んでくれないことを指摘している。今はそれどころではないというのに。
「八重子、はやくそこから上がってくるんだ。急いでここを出ないと、もう丑三つ時になってしまう……くねくねが出てくるんだ!」
この高さはだいたい一五〇センチほど、八重子本人と同じくらいの高さだ。そこに、地面と垂直に鉄パイプの梯子が掛けられている。すぐに上がってこられるはずだが、
「ス、スミマセン……足をひねったみたいで」
守人とばったりでくわしたときに落っこちたのだろう。
守人に穴の中を照らすよう言うと、玲汰はスマホを上着のポケットに入れ、穴に入って八重子の傍に立った。
「この抜け穴の入り口って、ここからどれくらい?」
「えっと、五分くらい、ですかねぇ」
結構かかっているなと思ったが、暗い中一人で歩くと歩幅も狭まるか。
「じゃあ、ここを上って玄関から出るほうが早いな」
八重子を肩車して、守人に引き上げてもらおうか。そう考えていると、
「私、玄関が開いてなかったので、偶然見つけた抜け穴からここへ入ったんですけど……センパイたちはどうやって入ったんですかぁ?」
「守人がこじ開けて、中に入った後は内側から鍵は閉めてないはずだけど……」
八重子の話によれば、彼女がここへ来たのは自分たちが家へ入った後だ。
言って守人の方を見上げると、彼の表情は明らかに青ざめていた。
「……ホンマは、俺が開けたんと違うんや」
震える唇で独白する様子は、完全におびえ切っていた。
「と、とにかく上がって玄関から出るぞ!」
もう考えている余裕もない。玲汰は八重子の股をくぐると、彼女が困惑するのもお構いなしに肩に載せ、梯子を掴んで支えにし、出口まで一気に持ち上げた。
「守人、引き上げてくれ」
守人が八重子の脇に手を添えて、上まで引き上げてくれた。続いて玲汰も上がる。守人が彼女を背負ったのを確認すると、すぐに廊下を抜けて玄関に向かった。
見ると、扉には内鍵がかけられていた。さらに、チェーンまで。驚く暇もなく、さっさと開錠するとドアレバーを引いて扉を押した。しかし、微動だにしない。何度押しても、引いても。鍵は開いているはずなのに、一ミリも動かない。すると、
「っつ!」
握っていたドアレバーが突然、熱した鉄板のように熱くなった。咄嗟に手を放したが、触れていた左手がじんじんと痛む。
ドアレバーを見ると、ほんのりと高温発光していた。
右手でポケットから取り出したスマホに示された時刻は、午前二時を回っていた。
スピーカーからは小さく音が漏れている。幽香だ。
『ちょっと、玲汰クン。鈴木家から離れられたのかしら?』
何度も声を掛けたのだけれど、と。
八重子に気を取られていて、ポケットに入れっぱなしにしていたため幽香の声が聞こえなかったのだ。
「いえ……すみません、閉じ込められたみたいです」
途中で八重子に会った話をすると、
『そう、マズいわね。そこは完全にそいつのテリトリーだから、その瀬和って子が入って来た抜け穴の入り口も閉じられている可能性がありそうね。……いえ、でも確認しないことには正確な事は言えないわ。抜け穴から出られないか試してみましょう』
玲汰は守人たちに抜け穴から出てみようと提案し、廊下の奥へと引き返した。
そこで、ある事に気付いた。鼻が妙な匂いを察知したのだ。この、肺に溜まるような重い空気は──煙だ。よく見れば、ライトで照らす先の空気が白く濁り始めており、それがゆっくりと流れているのが目視できる。家中に、うっすらと煙が立ち込め始めていた。
三人は姿勢を低くし、口元を腕で覆いながら進んだ。
守人に上から穴を照らしてもらいながら、玲汰は抜け穴を降りていく。地面に足がつくと振り返り、抜け穴の道、どこまでも続く長い真っ暗な道にライトを向けた。刹那、そのライトは、細い道のど真ん中に立つ何者かを照らした。それを見た瞬間、体が飛び跳ね、叫び声を上げそうになる。
誰も居ないはずのその場所に、ひっそりと佇む影。うっすら煙をまとったその影は──いや、それは影ではない。黒いから、影に見えたのだ。
その黒いものを理解する前に、玲汰は急いで抜け穴の梯子を駆け上り、穴の扉を閉じた。
説明するまでもなく、二人は何があったのかを察したようだった。
ここに居ては危ないと、三人が廊下から離れようとしたそのとき、後ろから金属を叩く音が、梯子を上る音が聞こえてきた。コツン、コツン、とゆっくりと一定のリズムを刻む音が。
怪異が追いかけてくる。
三人はリビングに駆け込み、ドアを閉じるなりテーブルや椅子を移動させて入口を塞いだ。怪異相手にこれが通用するかは分からないが、とにかく無心に錘になりそうなものを集めた。
「ど、どうするよ玲汰……」
玲汰はリビングの窓全てが開かないことを確認し、
「多分、あの廊下の抜け穴から出られるはずだ」
「なんでそう思うんや」
「さっき降りたときに、くねくねが道を塞いだんだ。閉じ込めるために全部の出入りできる場所を塞いでいるのに、あそこだけ。おれたちを外へ出したくないからだと思う」
確証はない。だが、可能性は高いはずだ。
『そうね、希望はあるわ』
「あ、えっと、ちなみにあそこから出入りはできますけど、あれ、抜け穴じゃなくて部屋に続いてました……」
椅子に座った八重子が言うには、あの先には防音室があって、ピアノや譜面台が置いてあったという。
説明する八重子の唇は震えている。手も、足も。
「くひっ……あんなに理想のUMAだのなんだのって言ってたのに、やっぱ怖いですね」
言って、ぐずっと鼻をすすった。
「そういやその子、お前の知り合いなんか?」
日付は変わったが、感覚的に今日会ったばかりの後輩を知り合いと言っていいものだろうか。
「瀬和八重子です。おぶってくれて、ありがとうございます。守人センパイ」
にこりと笑ってはいるが、やはり強張っている。
『話はそれくらいにして、これからどうするかを話しましょう。ここの奥さんは料理研究家だったのよね。塩はあるかしら。気休めではあるけれど、盛り塩を入口に置いて塞ぎましょう』
玲汰と守人はキッチンへ行き、器具や食器類を漁った。塩はすぐに見つかり、複数種類あった中で天然のものを選ぶ。成型する際、幸いにもシリコン型に円錐状のものがあった。水を少量使用し塩を固めた後、無地の白い円形の小皿に盛る。それらをドアの端と端に置いた。
『首、肩回りに、これも気休めだけど擦り込んでおいて』
憑いた霊を祓う際に効果的と言われている方法らしい。強い霊には効かないこともあるとか。
『あと、何か良い匂いのするものは持っていたほうがいいわ』
霊は生前の状態に惹かれるらしい。体臭や生臭い匂い、トイレの匂いなどだ。逆に、お香や香水の匂いを嫌うという。お香は当然神聖なもの故であり、また、ネットで霊にファブリーズが効いたという話があったが、これは生き物に由来するものとは逆の人工的な匂いであるために、霊はそれを嫌い、効果を発揮したのだという。
しかし、部屋を見回しても特にこれといったものはない。あったとしても、十年以上前のものだ。液体は気化して残っていないだろう。線香はあるかもしれないが、仏間は廊下を横断しなければ入ることができない。くねくねが居る、廊下を。
『瀬和さんが居るじゃない』
女の子って良い匂いがするでしょう。と、幽香は笑いながら玲汰にそう言った。
「いや、そうですけど!」
小柄で小動物のような彼女に対し、一体どうすればその香りの恩恵を分けてもらえると。
『でもいざとなったら、本当にその子の近くに行きなさい。効果なんて薄いけれど、一瞬の時間稼ぎくらいはできるはずよ』
「確かにエエ匂いはしたわ」
「ちょっ、やめてくださいよぉ……」
入口に盛り塩、首と肩を清め、匂いによる対抗は八重子。
今できる対処はこれくらいか。
『丑三つ時を乗り切れば、ある程度くねくねによる干渉は緩くなるはずよ。そうすれば家から出られると思うけれど、私の見立てではそこまで逃げ切れるかは怪しいわ』
玲汰は息をのむ。
『……覚悟を決めなさい。ここで、くねくねを祓うわよ』
***
目撃した真美に呪詛をかけたくねくねをここで祓う。そうすることで、真美は救われ、自分を含めた守人や八重子たちも無事にここから脱出することができる。
『玲汰クン、私がした話を覚えている? 口裂け女や、テケテケの』
「それぞれ、生前に由来する回避方法があるって話でしたよね。まず、あの黒いくねくねが一体鈴木家の誰なのかを知らなければ」
『玲汰クンは、誰なのか分かったかしら?』
「おそらく、鈴木彩かと思います」
玲汰は見解を述べた。
鈴木家の姉妹、彩と宮はアイドル好きで、それはリビングの雑誌や部屋のポスターなどから推測できる。そして、妹の宮はアイドルを目指していたのではないか。
彼女の机から履歴書類やオーディション記事が掲載された雑誌が出てきたからだ。しかし、夢半ばで彼女は亡くなってしまった。姉である彩は、妹の夢を引き継いで、自分もアイドルを目指すことにした。
それがさっき二階で見た彩の履歴書から察する答えだ。それも叶えることができなかったために、この世に未練を残し、黒いくねくねとなり果ててしまった、のではないだろうか。
年齢的にも家族の中で最も幼く、これからやりたい事だってたくさんあっただろう。それに、妹の夢を継いでやれなかった無念の程は計り知れない。彼女の両親に推測できる未練とは比べ物にならないと思える。
『なるほど。理解はできる内容ね。きっと、彼女たちがアイドルを目指していたのは本当でしょう。でも……』
言いかけて、幽香が言葉を止めた。そして、
『来たわ』
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