2-7 調査

 現段階で持っている情報と推測を幽香へ伝えたところで、複数の写真立てが並んでいる端っこにもう一つ、伏せられたように倒れているものがあることに気付いた。


「あ、もう一つ写真がありました」


 言って、それを起こして手に取る。


 白と赤の体操着を着た生徒の集合写真だった。体育祭の写真だろう。並んだ大勢の生徒たちと教師の後ろには、学年とクラスが記された大きな看板がある。看板には、生徒が描いたのであろうテレビアニメのキャラクターが笑顔で手を振っている。この中に、鈴木彩がいるのかと、大量の顔を順に見ていく。どうにも個々が小さく、中々判別がつきにくい。


「この子とちゃうか」


 するといつの間にか隣に来て写真を覗き込んでいた守人が、左側に写る一人を指さした。


 動くときに邪魔にならないように髪を結っているから、分かりづらかったのかもしれない。右隣の女子と仲良さげに肩を組んでいる。確かに、整った顔立ちは他の生徒たちと比べると際立っているように思う。守人の指した子が鈴木彩で間違いないだろう。


 そこでふと、玲汰は気になった。


 鈴木彩が仲良さげに肩を組んでいる女子生徒、どこかで見たような気が……。


「なぁ、玲汰。こいつ」


 守人の声に思考が途切れる。


 彼は全体の右側に写る一人を指した。


「こいつ、この子のことめっちゃ見てへん?」


 坊主頭の生徒が、写真を撮るタイミングだというのに、視線だけでなく首ごと鈴木彩の方を向いている。


「まあその可能性もあるけど、絶対この子を見てたとも言えないだろ」


「いいや、俺には分かる」


「なんだその自信は……あぁ、真美のことか」


「ち、違うわ! ちゅーか前から気になっとったが、なんでお前は達野さんのことを……ま、まま、真美って呼び捨てにしとるんやっ」


 ともあれ、鈴木彩はこんなに美人なのだ。クラスでもさぞ人気だったと思われる。写真で見るに、笑顔も映える子だ、男子からは好意を寄せられることだって多かったはずだ。この坊主の男子生徒も、そのうちの一人だったのだろうか。とはいえ、さすがに集合写真のときまで、首ごと露骨に意中の相手に視線を向けているとすればよっぽど想いが強いと見える。


「どう思います?」


 守人が無視するな、と憤慨しているのをよそに、幽香に投げかけた。


『まあ、よっぽどその子のことが好きで好きで仕方がなかったのでしょう。それはもう、四六時中、彼女のことが頭から離れない程に』


 恋とはそんなものなのだろうか。四六時中頭から離れない程とは、どんなことだろう。常にその人の事で頭がいっぱいになるのか。玲汰はそう考えたときに一瞬、優香の事が脳裏に浮かんだ。しかしそれは──。


『ところで玲汰クン、この家に仏間はある?』


 幽香の声に思考から引き戻され、玲汰は持っていた写真を元の通り伏せて置いた。

「どうでしょう。まだ一部屋目なので」


 そういえば、家に入ったとき左手に襖があった。きっと和室だろう。仏壇があるとすれば、そこに違いない。そのことを幽香に伝えると、玲汰は守人と共にその和室に向かった。


「何かあったか?」


 道中に守人へ収穫を聞くと、


「キッチンに鈴木秋絵著の料理本が一冊置いてあった。秋絵って、ここの奥さんやろ」


 どうやら彼女は料理研究家だったらしい。遠目に見たときも、キッチンには多くの食器や調理器具、調味料が見受けられた。


「書きかけのレシピとかもあったし、何か料理を考案してる最中やったんかもな」


 リビングを出て、和室の入り口へ。


 襖を開けると、八畳の広さと板間、そして右手に仏壇があった。


 そこに建ててあった写真を見て、玲汰は驚いた。写真に写っているのは、さきほどリビングで見た写真の少女だったのだ。鈴木家の娘は確か、彩と言ったか。


「仏間、ありました。ここの娘さんの写真が……」


『さっき見た写真に写っている子に、何か違いはなかった? 例えば、歳が違うとか』


「そうですね……確かに違いました。犬と写っているもののほうが幼かったです」


 そう言われて、もう一度仏壇の写真を見た。


 これは、幼い頃のものだ。犬と写っているものと同様に髪が短い。一体どういうことだ。鈴木彩は、幼い頃に既に亡くなっていた? では、火災で亡くなった鈴木彩は。


『きっと、彩さんの妹ね』


 なるほどと納得した。それで、顔が似ているのか。


 妹に先立たれ、自分たちも火災で亡くなった。なんて悲惨な運命を辿った家族なのだろう。


「ここの部屋にはこれ以外に何も無さそうやな」


 玲汰と守人は和室を出て、廊下奥の方へと向かった。そこにあったのは洗面台と風呂場、トイレ、物置だった。洗面台と風呂場には特に目ぼしいものはなく、物置も開けて中を見てみたが、中は救急箱や雑誌のバックナンバーの束、古いおもちゃなどが詰められているだけだった。


 これで、一階は大方調べ終えた。次は、二階だ。死体が発見された、二階。


 二人は階段まで来ると、二階へ続く暗闇を見上げた。


 先が全く見えず、どす黒い。どこまでも続いていそうな……。


『わっ』


「うわっ!」


 幽香の声に飛び跳ねた玲汰に守人が飛び跳ねる。


「お、おどかすなやっ」


「急になんなんですか……!」


『ここで躊躇っていても仕方ないわ。時間もあまりないのよ』


 促され、玲汰は幽香に怒りたい気持ちもほどほどに、おそるおそる階段へ足をかけた。


 体重がかかり、ギシリと軋む音が響く。ゆっくり、ゆっくりと階段を上っていき、守人が後に続いてくる。自分の足音に遅れて着いてくる、別の足音。


 ふと、廃墟ビルで、背後を付いて回った何かを思い出す。着いてくる足音はあの時のものとは全く違う。それが守人のものであると分かっていても、背後の気配に背筋がぞくっとなる。


 さっさと上り切ってしまおうとライトで照らした先が、二階の床を見せてくれる。


 目線の高さにそれが来たとき、すっと、何かがそこを横切ったように見えた。黒い影のようなものが、右から、左へ。


 思わず立ち止まってしまう玲汰。


「玲汰、はよ行け」


「いや、今、廊下に黒いのが通って……」


 再び足が止まってしまった。


 ここまで来たのだ。ここに黒いくねくねが居ることも分かっていて来た。真美を救うために。


 そうだ、救わなければならないのだ。


 真美の命も、それに丑三つ時も間もなくだ。


 さっき時計を確認したところ残り十五分。それ以降はここに留まれば非常に危険だ。


 その後は何も考えないようにして、ただ階段を上ることだけに集中して二階へと上がった。


 二階は階段を上がった正面、右手、左手にそれぞれドアがあり、後は吹き抜けとなっている。


 正面にあるドアには、丸い書体で「彩」という文字の書かれた木製の札がかけられている。ピンク色がメインでハートマークなどがあしらわれており、可愛らしい札だ。しかし、若干煤けているし色あせてもいる。


 火は左の部屋から徐々にこちらへ燃え広がっていったのだろう。右の部屋にあまり被害はなさそうだった。


 二人はまず右の部屋へ訪れた。ドアハンドルを引いて、ゆっくりと開ける。


 一階もそうだったが、二階は特に、ドアを開けると向こう側に何かが居やしないかと思ってしまって仕方がない。


 開けた先は、腰ほどの高さの本棚が三つと、デスク、その上にパソコンが一台置いてある。どうやら書斎のようだ。奥の角にはガラスケースがあり、ミニカーが大量に並べられている。おそらく父親の浩二が使っていた部屋なのだろう。ミニカーは彼の趣味か。


 本棚にあるのはビジネス系の本と、たまに自己啓発本。


 パソコンは、この家に電気が通っていないので電源は点かなさそうだった。点いてもあまり中を見る気にはなれない。


 パソコンが置かれたデスクの傍らには紙の束が置かれていて、見ると日用品の企画書類のようだった。埃のかぶったそれを指先でつまんでぱらぱらとめくると、中は赤字のメモ書きであふれていた。修正だろうか、この数はかなり多い。そしてこの企画書類は完成することなく終わったのだろう。或いは、他の誰かが引き継いだのか。


『一応、この家の夫婦二人ともに何かしらの未練はありそう、といったところかしら』


 妻である秋絵は料理のレシピ、そして夫である浩二は仕事の企画。では、娘の彩は。


 玲汰と守人は書斎を出て、先ほど見た彩と書かれた札の部屋に向かった。


 黒く染まったドアレバーに手をかけ、ゆっくりと扉を押す。


 ところどころミシミシと音を立てる扉に、心臓の鼓動がスピードを増した。これまで回ったどの部屋よりも、緊張感が高まっている。


 しんと静まり返ったその部屋の中は、左半分が黒く、そして右半分がまだかろうじて綺麗な状態だった。左右それぞれにベッドがあり、おそらく姉妹で使っていたのだろう。火災で亡くなった彩が使っていたのは左側ということか。


 黒くただれた壁に、焼け崩れた机や椅子。焦げが作る黒い模様が、ここで起きた悲惨な事件を想像させる。まるでホラー映画の舞台のような雰囲気を纏っていた。


 彩の使っていた領域はもはやほとんどが黒く焦げていて、有益な情報が見つかるとは思えないような有様だ。


『一応、ちゃんと見ておくのよ』


 幽香に促され、焦げの傍に近づいた。そのときだった。


 バタン、と何かが床に倒れる音が聞こえた。平べったい、硬いものが床に倒れるような音だ。


 それはおそらく一階から響いてきたように思える。


「……先輩、一階から音が聞こえてきました」


 さっき階段を上るときに見た影。この物音。やはり、くねくねは今この家の中に居るのか。


 玲汰も守人も、身構えたまま。じっと耳を澄ませて、様子をうかがった。


 しかし、それ以降なにか音が立つようなことはなかった。


「俺、見てくるわ」


 守人が神妙な面持ちで、止める間もなく部屋を出て行ってしまった。


 時間もあまりない。玲汰は守人を追わず、調査を続行した。


 壁には何かが貼ってあったような跡が複数ある。反対側、妹の領域の壁を見ると、そこにはアイドルのポスターが貼ってあった。


 そこでふと、玲汰は足元に目をやった。


 床には円形の大きな絨毯が中央にひかれており、その絨毯の焦げ跡が目に留まったのだ。中央を横断する形で、燃え後が残っている。それは、ベッドから勉強机へ向かっているような線になっていた。火事は夜中に発生したという。眠っていた彩に火が燃え移り、床を這って妹の勉強机へと向かったように思える。


 新聞では、夫妻は一酸化炭素中毒、彩さんは火傷によるショック死、と書かれていた。部屋の焼けた状態から鑑みるに、火元は隣の寝室だろう。となると、彩も一酸化炭素中毒になりそうなものか、或いは早々に目覚めて気付くのではないだろうか。


 廊下の焼け跡も見ると、よく考えれば焦げ跡は寝室からこの部屋へは続いていなかった。この部屋も同時に出火したのだとすれば説明はつくが、同時に火が起こるなど偶然にはあり得ないだろう。扉や窓は全て施錠されていたと書かれてはいたが、これは思った以上に根が深そうに思える。


 原因不明の火傷が起こるせいで、捜査も進まなかったということもある。


 玲汰はそこで考えるのをやめて、焦げ跡の辿った先、妹の勉強机を探った。


 引き出しを開けると、そこには黄ばんだ複数の雑誌と書類が収納されていた。雑誌には付箋がされており、開くとそこは女性アイドルのオーディションに関するページだった。


『もしかすると、鈴木家の姉妹はアイドルを目指していたのかもね』


 アイドルに憧れ、自らもそうなりたいと思っていたのか。或いは、想像するに、妹がアイドルを目指していたが夢半ばで他界。姉である彩がそれを受け継ぐ形で、その道を目指したのかもしれない。


 書類には彩のプロフィールが記載されていた。


 生年月日(1977-5-20)、住所、身長体重(164-49)、スリーサイズ(85-54-84)、学歴や芸歴、趣味特技(絵-知恵の輪)、好きな芸能人(桐ヶ谷美鈴)、好きな言葉(艱難汝を玉にす)、志望動機や自己PR……。家族構成の欄には妹の存在がない。亡くなった人は記載しないからだろう。


 そして、二人目の妹か弟の事だろうか、名前がまだ決まっていなかったのか、書いて消した跡はある。跡は「香(カオル)」と読める。


 大きく二枚、全身とバストアップの写真が貼られている。リビングにあった写真といい、彩という女の子は非常に整った顔をしている。存命であったならば、きっと華々しいデビューを飾ったことだろう。


 もう一枚、書きかけの書類があった。鈴木宮と書かれている。年齢を見て、それが妹のものだと分かった。


 一通り目を通すと、書類と雑誌を元の場所へと戻した。


 時刻は間もなく丑三つ時を迎えようとしている。


『そろそろ家を出なさい。運が悪ければくねくねと接触してしまうわ』


 言われて部屋を出て、そういえば守人がまだ戻ってきていない事を思い出した、そのときだった。


「うわあああぁっ!」


 太い声が家中に響き渡った。守人の声だ。

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