2-6 侵入
守人に連絡を取ると、今すぐ向かうと返事が来た。
深夜で人気のない道を、ただひたすらに全力で走った。黒いくねくねが目撃された場所、鈴木家に向かって。
こんな田舎町であるから、玲汰の家から鈴木家の半ばほどになると田畑が広がり、街灯がなくなる。ちょうど脇腹も痛み、呼吸も荒くなっていたため、ここからは歩くことにした。
急いで出たために懐中電灯などは持っていない。幸い、スマホは就寝前には必ず充電を行っているので、電源は数時間持ちそうだった。そのライトを点灯し、夜道を照らしながら進んでいくことにした。
しばらく歩いていると、後方から光が当たって玲汰の前に大きな影を作った。振り向くと、その光源がこちらへと向かってきている。ベルの音。自転車だ。自転車は玲汰の傍まで来ると、すっと止まった。
地面に足を着いた人物にスマホのライトを当てると、それは紺色のジャージ姿の守人だった。
かなり急いで来たらしい守人の肩は上下している。
守人は玲汰に「乗れ」と自転車の荷台を示した。そのまま二人乗りで、急いで鈴木家へと向かう。少し肌寒いくらいの夜風は心地よく、これから怪異の元へ向かうとは思えない程にすがすがしい。
鈴木家の前まで来ると玲汰は荷台から降り、守人はそばに自転車を停めた。
街灯もない夜であるから、遠くからでは全く姿形も見えなかったが、目の前まで来ると月明りでその姿は思ったよりもはっきりと確認できた。こぢんまりとした、二階建ての洋風な一軒家。二階から上は焼けたせいか黒ずんでいる。
よく見ると、経年による劣化か壁には無数の蔦が這っており、その隙間からはひび割れが覗いていた。もっと学校の近くにでもあれば、お化け屋敷などと呼ばれ名を馳せたことだろう。それだけ雰囲気があった。深夜に見ているためでもあるだろうけれど。
怪異が存在するであろう建物を前に感じる、この畏怖。玲汰は思い出していた。廃墟ビルを前にしたときのことを。
さきほど見た時計で時刻は零時半ごろだった。あのときは丑三つ時だった。今ならまだ、怪異に影響されることはないかもしれない。丑三つ時になる前に、調べられることは全て調べておいたほうがいい。
しかし、そこで幽香の忠告を思い出した。霊は常にそこにいて、黄昏時と丑三つ時は、霊と人間が接触しやすくなる時間帯。つまり、その時刻ではないからといって何も起こらない保証はないのだ。
それでも、今更引き返すことはできない。強く拳を握りしめ、意を決する。
お互いに頷き合って、鈴木家の玄関へと向かった。
黒く重い扉のドアハンドルを引くと、やはり鍵がかかっているようだ。周辺を回って、窓が開いていないかを確かめてみたが、どこもしっかり施錠されていた。
「仕方ねぇ、やるか」
言って、守人はポケットからポーチを取り出すと、そこから針金を二本手に持った。
「中学ん時、ちょっとな」
「厨二かよ……」
守人は「ピンシリンダーだな」やら、なにやら呟きながら、二本の針金を鍵穴に入れてガチャガチャとピッキングを始めた。しかし、何分経っても一向に開錠される気配は見られない。
「開きそうか?」
「あとちょっと……と思うんやけど」
そわそわしている玲汰にとっての体感時間ではかなり長い間待っている気がしたが、それでも十分ほどしか経っていなかった。
やがて二十分が経過した。
「あとちょっとや」
さらに十分が経過。
「もうすぐや……」
さらに……。
「おい」
「もう開くって!」
守人が焦りにとうとう雑に手元をいじると、カコンと、開錠される音。
「え……?」
守人の口から疑問の声が小さく漏れた。
「お、開いたか?」
聞いたが返事がない。
守人は微動だにしない。まるで、理解できない現象にフリーズしてしまったような。
「……次はもっとはよ開けられるよう練習しとくわ」
ピッキング道具をポーチにしまいはじめた。
こんな機会はそうそうないからと、そんなつっこみを入れられる空気ではなかった。
ドアを目の前に、いざ入るタイミングとなると、やはり足がすくむ。
目の前の扉が、より一層禍々しい場所への門のように見えてきた。
この向こう側に何者かが居て、今まさに自分たちを招き入れんとしているような。
「よっしゃ、今度こそ入るか」
何も気にしていないように振舞っているが、よく見ると坊主頭からだらだらと汗を垂れ流していた。
玲汰がドアハンドルを握り、ゆっくりと下げて手前に引く。ギイと悲鳴を上げながら、それは小さく口を開けた。何年ぶりに開かれたのだろうか、中からは埃っぽい湿った空気と、カビたような香りが充満していて、鼻の奥を刺激した。
中へ入ると、玲汰はスマホで、守人は持ってきていたらしい懐中電灯で周囲を照らした。
背後で扉が閉まったが、お約束的に鍵が勝手に閉まるということはなかった。
玄関から目の前に短い廊下が奥まで続き、その右隣には二階へ続く階段が、右手にドア、左手に襖がある。
お化け屋敷に入ったときとは比にならないほどに湧き上がる恐怖感をこらえつつ、玲汰たちは土足で家に上がった。
床にも棚にも埃が溜まっており、歩いた箇所には靴跡が残った。
ここで自分たちは、黒いくねくねを解決するための手がかりを集めなければならない。
「玲汰、別れるか?」
「いや、何が起こるか分からないから一緒に行動しよう」
「わかった。それでまずは何を調べればいい?」
「くねくねの正体が家族のうちの誰なのかが知りたい」
その後に、その人物の過去にまつわる情報を集め、その中から撃退法を見出す。
まずは右手の部屋からだ。引き戸を開けると、そこはリビングだった。
正面奥の柱に大きく“艱難汝を玉にす”と書かれた書道額が飾られているのが目に入った。左手にシステムキッチンがあって、リビング内を見渡せるような作りになっている。リビング中央にはテーブルと、それを囲むように椅子が四つ。右手奥には大型のブラウン管テレビが設置されていた。どこも乱れておらず、綺麗なままだ。
守人はキッチン側へ行き、玲汰はテーブルに近寄った。
テーブルの上には枯れた花の入った花瓶と、マグカップ、三冊の雑誌が置かれている。
玲汰は雑誌に注目した。重なったそれらを指で避けて、表紙を確認する。一冊はファッション雑誌、もう二冊はアイドルの特集が組まれた雑誌のようだ。
ここの家族は、誰かがアイドル好きのファンだったのだろうか。
それぞれの雑誌をぱらぱらとめくってみる。
このファッション雑誌の内容は女性向けのもので、アイドル雑誌は女性アイドルを取り扱っている。そして、ファッション雑誌は見るに十代~二十代向け。鈴木家の娘は当時高校生だったから、これらはその娘の持ち物である可能性が高そうだ。
次に、窓際の傍にある棚に注目した。
棚の上には、フレームに収められた写真が二つ置かれている。家族写真のようだ。旅行に行ったときのものだろうか、玲汰よりも少し年の若そうな、髪の長い少女と、中年の男女が並んで笑顔で写っている。
その写真の隣には、小学生くらいの少女が白い毛の大きな犬と戯れている写真がある。鈴木家の娘の幼い頃の写真だろうか。髪は肩くらいまでで、もう一つの写真と比べると短い。少女はどちらに写っている姿も、容姿端麗で非常に絵になっている。
鈴木家の人たちの顔は、これで把握できた。もしこの場でくねくねが現れたならば、顔を見て誰だか判断できるかもしれない。とはいえ、今目の前に現れられたら一巻の終わりだが。
するとそのとき、玲汰のポケットから大きな音が鳴り響いた。
心臓が大きく飛び跳ね、つま先から頭のてっぺんまで一気に鳥肌が立つ。
守人のほうを見ると完全にその場に固まっていた。
すぐに画面を確認すると、幽香からの着信だった。
「すまん、電話だ」
出ると、あの静かで落ち着いた声色が聞こえてくる。
『こんばんは、玲汰クン。今、何してるの?』
「何で恋人みたいな言い草なんですか」
『なるほど、鈴木家を探索。楽しそうね、どうして私を誘ってくれなかったのかしら』
思わず黙り込んでしまった。
『あら、図星ね。ホントに鈴木家に忍び込んでいるとは思わなかったわ』
「カマかけましたね!」
『おおよそ、予想はついていたわ。だって夜中に達野さんの家あたりに救急車が走っているのだもの。焦るのも分かるわ』
それを知っているということは、幽香の家もその付近だということだろうか、或いはそこが見える地域の。というより何故彼女が真美の家の場所を知っているのだろう、それも霊感、第六感による察知なのだろうか。便利すぎやしないか。
「おい玲汰、いつまで話してんねや」
「先輩だ。話すと長くなるけど、コレに協力してもらってる」
そういえば、守人には真美と黒いくねくねのことだけで、幽香のことは話してはいなかった。今ここで一から説明している暇はない。簡単に、霊感や怪異の撃退経験があるらしい、ということだけを伝えた。守人はそうなんか、と半信半疑そうな態度だったが、屋内探索にすぐ戻っていった。
『私にナイショで鈴木家に行ったことは後でお説教として』
「……すみません」
『私がいなくてもどうにかなりそうかしら?』
「いえ、その……まずあの黒いくねくねが鈴木家の人として、次に三人家族のうちの誰なのかを探ろうとしてるんです。その後はどうしよう……ってなったと思うので」
『分かったわ。じゃあ、電話越しになるけれど、今持っている情報を頂戴な』
玲汰はビデオ通話に切り替え屋内を写すと、彼女にテーブルの上の雑誌のことと、自身の推測を述べた。
『なるほど。鈴木家の娘はアイドル好きで、昔は犬を飼っていたらしい、と』
家の周辺を回ったときには、犬小屋のようなものは見当たらなかった。新聞にも犬のことは書かれていなかったあたり、火災が起こるまでの間に亡くなったのだろう。
などと、現段階で持っている情報と推測を述べたところで、複数の写真立てが並んでいる端っこにもう一つ、伏せられたように倒れているものがあることに気付いた。
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