2-5 憂虞

 くねくねは存在した。黒いくねくねを目撃してしまった。本当に、この目で怪異を見ることになる日が来るとは。数年間愛好してきた都市伝説に邂逅した興奮と、この世の存在ならざる者に関わってしまった恐怖とが入り混じった、複雑な気持ちを抱きながら、玲汰は自販機で買ったペットボトルのお茶を一口飲んだ。


 冷たい液体が喉を通り、ひやりとした感覚が火照った体と頭を落ち着かせてくれる。


 一息付いて、玲汰は近所の図書館に向かった。


 道中スマホで、この近辺で住宅火災がなかったかを調べた。数件ボヤ騒ぎの記事がヒットしたが、どれも被害者は出ていない。もっと、悲惨な事件。人が亡くなったような……。


 すると、今から十七年ほど前、玲汰が生まれた頃に起こった事件で、一家三名が焼死した事件の記事を発見した。しかし、十七年前にして田舎の事件だからなのか、詳細な記事はなく、個人がまとめたものしか見つからない。詳しい情報は得られそうにない。


 そこで、玲汰は図書館に到着するなり、受付へ行ってその年の地方紙を閲覧できないか確認した。すると、職員に二階のパソコンコーナーへ案内され、一枚のCD-ROMを手渡された。ラベルには玲汰が希望した年が印刷されたシールが貼られている。


 パソコンを起動すると、CD-ROMを挿入し中に保存されているフォルダを開く。

 スマホで見た記事によれば三月下旬にその事件は起こったそうだ。その時期の新聞記事を見付けて表示し、次々に見ていくと、やがて目当ての事件を扱ったらしい見出しが見つかった。


【一軒家で火災 三名焼死】

 二十四日、二十一時二十分ごろ、鈴木さん方の二階から出火、焼け跡から三名の遺体が見つかった。遺体はこの家に住む鈴木浩二さん(42)、妻の秋絵さん(41)、娘の彩さん(17)とみられ、夫妻の死因は一酸化炭素中毒、彩さんは火傷によるショック死と推測される。秋絵さんはこの日、産後の退院で帰宅しており、赤ちゃんは要再検査と診断され退院が延長となったために無事だった。出火原因は現在のところ不明。家の扉や窓は全て施錠されていたことから、第三者の関与によるものではないとされている。通行人によって通報され、火は一時間後に消し止められた。近隣の住宅へ燃え移ることはなく、火災のあった家も全焼は免れている。


 スマホで見た事件のものはきっとこれだ。他に死者が出た火災の記事は見当たらない。


 しかし、生まれたばかりのこの赤ん坊は家族を失ったのか。改めて悲惨な事件だったのだと思うとやるせない気持ちになった。


 記事は小さかったが、翌日、翌々日と新聞記事を見ていくとその事件についての続報は「不可解な点も複数あったが、結果として火元は一階のコンセントから埃に引火し──とみられる」とあった。文章の隣に掲載されている家屋の写真も、黒いくねくねを見たとき傍にあった建物で間違いなさそうだ。


 そしてもう一つ、気になる記事があった。


 玲汰はそれらの新聞記事を印刷し、それを持ってオカルト研究部室へと戻ろうと席を立つ。


 しかし、時計を見ると間もなく十九時になるところだった。校門は十九時半には完全に閉じられてしまうので、校舎内の生徒たちはそれまでに戸締りも全て済ませ下校せねばならない。


 玲汰は図書館を出ると、帰路につきつつ、幽香にメッセージを送った。


『今、調べものが終わりました。まだ部室ですか?』


『もうすぐ閉門だから今帰っているところよ』


『わかりました。通話で話したいことがあるんですけど……』


 すると、デフォルメされた猫が「OK!」と言っているスタンプが送られてきた。本人の雰囲気とのギャップを感じながら、玲汰はアプリの通話ボタンを押して幽香にコールした。


『ご機嫌いかがかしら』


「あまりよくないですね」


 八重子に案内されてくねくねを目撃し、御守りが燃えてしまうまでの経緯を話した。


 黒焦げのおまもりをポケットから取り出して、手の平に転がす。


『御守りを持たせておいてよかったわ。それがなければ、今頃黒焦げになっていたのはあなただったかもね』


 やはり、これが玲汰の身代わりになってくれたようだ。しかし今、これと同じことが真美の身にも起きていると思うとぞっとする。居ても立っても居られない気持ちになる。


 その焦げた御守りはまだ持っていなさい、と幽香は言った。焦げても砂にまみれても、御守りは御守りである、と。見た目は真っ黒だが振れば音はするし、ストラップ部分は無事だ。


 今度は学ランの外側の胸ポケットに入れておくことにした。


「ところで、黒いくねくねの事なんですけど』


 印刷した記事の写真を添付し、送信する。


「黒いくねくねが現れる場所について、関連しそうな事件があったので図書館で調べてました。そしたら、気になる事件があって」


 記事にすぐ既読がついた後、しばらくの沈黙の後に話し始めた。


『なるほど。この事件の被害者が、黒いくねくねの正体であると言いたいわけね』


「そうです。黒いくねくねの姿を見たとき、そばに焦げた家屋がありました。記事の写真と同一のものです」


 そして玲汰は、印刷したもう一つの記事も幽香に送信した。


【火災現場で捜査官数名が原因不明の大火傷】

 二日前に故・鈴木さん方で発生した火事の現場調査に訪れていた捜査官数名が、謎の大火傷を負い緊急搬送された。いずれも命に別状はなかったが全身の皮膚が焼けただれ、重症だという。現場は消火されて以降火災などはなく、火傷の原因は未だに不明である。


 原因不明の火傷。


 真美の母が言いかけた、「皮膚が……」その後の言葉を想像すると、「焼けただれる」。確証はないが可能性は高いだろう。だとするならば、この記事の症状と一致すると思われる。


 この記事の火傷を引き起こしたのは、黒いくねくねなのではないか。そう推測した。また、被害者のその後については不明である。


『鈴木さんなのかしらね、黒いくねくねの正体は。その事件で命を落とし、何か未練があってその地に縛られ、永遠に死の瞬間を繰り返し踊り続けて、見る人々に呪詛をかけている、と』


 おそらく、このような現象が起きることから、詳しい調査や家の取り壊しがされないまま放置されているのだろう。そして、十数年経った今もあの家はこの地に残っている。


 人が亡くなっている事件の現場であるから、心霊スポットになりそうなものだが、規模のことも鑑みれば例の廃墟ビルのほうが話題性が高かったのだろう。それも今では玲汰が引きこもっている間に取り壊されたため、この家が取って代わるのも時間の問題かもしれない。


「色々情報は得られましたけど、問題はどうやってくねくねを解決するのか、ですよね」


 生前に基づいた解決方法があると言うが、それは具体的にどうすればいいのか思いつかない。


 例の口裂け女やテケテケを参考にするのならば、これからくねくねの正体と見られる鈴木家の人たちについて調べる必要が出てくる。そして、調べて得られた膨大な情報の中から、有効な手立てを掴まねばならない。


 なんて長い道のりだろう。本当に、真美を救うことができるのだろうか。


『今日はもう帰って休むといいわ。明日、片を付けましょう』


 心配で仕方がない玲汰に対して、幽香は変わらぬ口調で言った。何か策でもあるのだろうか。


「でも、真美は明日、早ければ今日のうちに……!」


『落ち着きなさい。解決にはあなたの命もかかるのよ。一晩眠って、冷静な頭で挑んだ方がいいわ。間違ってもあなた一人でその家に行こうだなんて思わないようにね』


「……わかりました、大丈夫です」


『そう、ならいいのだけれど。じゃあ、また明日、ね』


 通話が終了し、スマホをポケットにしまう。


 話している間に家までの道のりが半ばあたりまできていた。


 明日、早ければ今日。ずっと、そのことばかりが頭の中をめぐる。どうやって解決するのか。幽香に何か策はあるのか。考えても答えのない問題に延々と苦しまされている感覚に陥ってしまう。そんなうつむき加減に歩を進めている玲汰の背に、聞き覚えのある声がかかった。


 振り返ると、そこには通学カバンとは別にエナメルバッグを抱えている守人がいた。


 白いはずの野球部ユニフォームは茶色く汚れている。部活帰りのようだ。


「こんな時間に帰っとるやなんて、珍しいやんか」


 守人は真美を意識している。そのことは、普段彼の彼女に対する態度を見ていれば誰だって分かる。真美自身がそれに気づいているかは分からないが。


 そんな守人に、真美が死んでしまうかもしれないなど伝えたらどうなるだろう。取り乱すのか、それとも冷静に状況を判断するだろうか。話すまいと思っていたが、いざその判断を下すときになってみれば分からないものだった。話せば危険なことに巻き込んでしまうことになる。


「おい、どないした?」


 思わず黙ってしまったところへ、守人が心配そうに声をかけてくる。


「学校でも思い詰めとったカオしとったやろ。……何かあったんか」


 玲汰と守人は小学生の頃から一緒で付き合いが長い。彼の妙に勘の鋭いところも知っていた。


「信じてもらえるかは分からないけど……」


 玲汰はとうとう、真美が今危険な状態にいること、それは黒いくねくねによる仕業であること、その黒いくねくねを解決するために集めた情報、それらを守人に順を追って話した。


 話している間、守人は口も挟まず、バカにするでもなく、真剣に聞いてくれた。


 そのうち、玲汰の中でわだかまっていたものが少しずつ溶けていく感覚があった。全て溶けきることはなかったが、心が軽くなった気がしたのだ。こんな話をすると、自分がとうとうおかしくなっただとか、真美をバカにしているのかだとか、言われるかと思ったのに。


「それ、どうやって達野さんを助けるんや」


「まだ分からないけど、たぶん、あの家を調べたら何か分かるかもしれない……と思ってる」


 幽香に釘を刺されたが、そうでなければ一人で調査に行っていただろう。自分と同じ状況になれば、きっと守人だって……むしろ、好意を寄せていることから、自分以上に気持が逸っていたことだろう。


「その家に行って、何が分かるんや」


 幽香が言っていたことを説明した。怪異には生前に由来する、撃退法や回避法が存在すること。今回もその例に漏れず、黒いくねくねの生前に由来する何かを発見できれば、解決の糸口となるだろう、ということを。


「なるほどな。そうすれば、達野さんは助かるかもしれん、と」


 守人は足を止めて、腕組をしたまま考え込んだ。そして、


「せやったら、今すぐその家行こうや。今得られる情報はもう揃ってるんやろ。あとは家行って調べることだけや。達野さんはいつ死んでもおかしくないんやったら、今すぐ行動せんと」


 玲汰の心は揺らいだ。


 玲汰自身も、幽香に制される前はそのつもりでいた。行って今すぐ解決して、真美を救いたいと。しかし、それは無謀だ。いくらこの手の知識があるからといって、それは映画や本で得たものでしかない。幽香の助力なしに、自力で解決できる自信が持てない。


 玲汰はなんとか守人の気を静めて、彼は完全に納得はしていないようだったが、鈴木家に向かうことはなくなった。帰り道は途中まで一緒のために、道中気まずい空気が流れたが別れ際はお互いちゃんと言葉を交わした。


 その日の夜のことだった。


 玲汰は布団の中で、昨日と同じようにくねくねのことや、真美のことを考え続けていた。


 時刻は二十四時、午前零時になろうとしている頃。


 レース越しに見た窓の外、夜空は星が見えない。静かで、玲汰にとっては不気味な夜だ。そんな中に、一つの怪音。不安を掻き立てるような、危険を知らせる音。救急車のサイレンだ。


 玲汰は飛び起きて、窓からその音の元を探した。


 遠くに赤く光るそれを見つけたとき、はっとなった。あれは、真美の家がある方だ。


 サイレンは音を歪ませながら遠ざかってゆく。同時に、玲汰の中の黒いもやが膨れ上がる。


(違う、あれは真美を乗せたものじゃない!)


 真美が汗と血で滲ませた服を着ていて、真っ赤に爛れた肌を?きむしりながらもだえ苦しむ。ついそんな姿を想像してしまい、余計に不安感が募った。


 時計を見ると、既に零時は回っていた。それが余計に、玲汰の不安を煽った。


 スマホを手に取って、真美に連絡を取ろうとした、が。


 守人の言葉が脳裏をよぎる。


「達野さんはいつ死んでもおかしくないんやろ。だったら、今すぐ行動せんと」


 気付くと、玲汰は部屋着のままで家を飛び出していた。

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