2-3 電話
数回のコールの後、やはり真美ではなく母親が出た。
『真美の母です。……玲汰くん?』
真美とは中学生の頃にお互いの家に何度か行き来したことがあり、玲汰と真美の母は顔見知りであった。いつもは落ち着いていておっとりした雰囲気のある人物だったはずだが、声からはなんだかそわそわした様子が感じられる。
「こんにちは。真美が学校を休んでいるので、お見舞いに行こうかなと思ってたんですが……これからお伺いしても大丈夫でしょうか」
「どうもありがとう。でも、真美はあまり体調がよくなくって。さっきようやく寝付いてくれたところだから──」
真美の母が話す声にまじって、スピーカーの向こう側から小さく声が聞こえてきている。
これは……真美の声だ。あつい。と言っているように聞こえる。
真美の母はぐっすり眠っていると言っているが、それは嘘だ。やはりただの発熱などではなく、症状はもっと酷いものなのだろう。
「そうですか、わかりました。ところで、真美は体調を崩す前に何か言っていませんでしたか? たとえば……くねくね、とか」
「ああ、そういえば。そのくねくねか何かを見てしまったと言っていたわ。その後、ね。高熱が出て……皮膚が……」
思いつめるように言葉に詰まり、
「いえ、なんでもないわ。とにかく、真美が良くなったらまたよろしくね」
締めの言葉を口にして、このまま通話が切られると思ったとき。真美の母の声が離れて、誰かと会話している口ぶりになった。何やら言い合っているようだが、ほどなくして、「少しだけね」と言って、話し相手が変わった。
「れい、たくん」
真美の声だった。しかし、ひどく弱弱しい口調だ。普段からおとなしい彼女だったが、それ以上に小さくて震えて、蚊の鳴くような声をしている。そして、呼吸も荒い。
さきほど母親がつぶやいていた言葉と、この電話越しに聞いた声。実際に耳にしてみて、実感と焦りがわいてくる。
「真美。おれ心配で電話を……」
「電話、ありがとう……ずっと、話したいって、思ってた……」
怜太は何と返したらいいのか分からず、言葉に詰まってしまった。大丈夫か、なんて大丈夫じゃないのは分かっているし、かといってはやく元気になれよとも言えない。
「私、ね。お医者さんも、何でこうなったか……分かんない、んだって。酷くなるばっかりで……」
真美は一人続けた。
「前に、ね。怜太くんと、将来何になるかって、話をしたとき。カメラマンかなって……言ったけど、ホントは迷っててね。自分が何になりたいか……わからなくて。楽しいとは思ってたけど、本当にこれでいいのか、自信がなくて……」
怜太はとにかく相槌を打った。それに食い気味に話す真美の様子からして、おそらくこちらの声は聞こえていない。意識があまりはっきりとしていないのだろう。そんな中で、必死に話している。そこには、以前のように夢中になってまくしたてて話す彼女はいなかった。
「前にね、コンテストで写真が入賞したとき……うれしかったけど、本当は先輩が……入賞するはずだったの。先輩が撮った写真はね、すごかったんだよ。先生とかも、見た人みんな、褒めててね。私も、きれいな写真だって……思ったよ。きっと、賞を取るって。でもね」
そこで激しい咳がスピーカーから流れた。母親が「無理しないで」と言っている。
「その後、ね。私が部室の鍵閉め当番だった日。部屋を見て回ってたら、先輩がね……部室にカメラを忘れて帰ってたの。そのとき、明日になったら先輩も来るしって……思ってそのままにして帰っちゃったんだ。
そしたらね……次の日、カメラがね、なくなってたの。先輩も先生も、みんな大騒ぎで……。写真のバックアップ、取ってないって言ってて。
先輩、結局その写真でエントリーできなくって。結局、私が入賞しちゃったの。わ、私、ごめんなさいって。あの日、カメラを置き忘れてるの、見たんだけどって」
そこまで話して、真美の声が大きく揺れた。
「あっ、あのときちゃんと、先輩に連絡してっ……持って帰ってたら、先輩は入賞、できたんだって……っ。
ホントはちょっと、こうなることっ、期待してた自分がいて……でも実際、そうなったら喜べなくって……自分勝手なの。私、自分勝手なのっ!
喋ったら自分の事ばっかりだし、それがっ、行動にも、出ちゃったんだって。罰が当たったんだ。当たったの! 八木くんにだって……私が傷つきたくなくって、ごめ、ごめんなさいっ、ほら、また、今もまた、自分の事ばっかり。
ごめんなさいっごめんなさいっ……嫌いにならない、で……っ」
最後は言葉になっておらず、泣き崩れていった。
「真美、おれは──」
言おうとして、ブツリと通話が切れてしまった。母親が見かねて切ったのだ。最後に宥める言葉が耳に入った。
「……」
今の話は真美の性格がよく出ていると思った。真美は決して自分勝手などではない。写真に関しては大事な写真をバックアップもとらず、カメラごと部室に置き忘れた先輩に責任がある。百歩譲って真美に比が少しでもあるとしよう。
それでも、真美がそこまで責任を感じる必要などない。それに人は常に何かを期待して生きている部分があるだろうし、誰だって良からぬ事の一つや二つ、一瞬でもよぎってしまう事だって多々ある。
八木くんにだって……そこだけ少し引っかかるけれど。
「達野さん、優しい子なのね」
「はい。……これは罰なんかじゃない」
「じゃあ早いところくねくねを解決して、彼女に言ってあげましょう。あなたは悪くないって」
幽香の言葉に静かに頷き、怜太はさきほどの通話から得られた情報を黒板に追記した。
・真美の母の様子は切迫していた。
お見舞いに来てほしくない様子。本人と話した所からも、よっぽど真美の症状は重い事がうかがえる。
・真美は「あつい」と言っていた
おそらく、その熱さに悶える姿がくねくねの症状に似ているのではと推測される。
・真美の母は思わず「皮膚が」と言っていた。
もしかすると、あつさによって皮膚が爛れているなどの症状があるのではないか。
「では、あながちあの本の説は間違っていないかもしれないわね」
玲汰は先ほど本で見た一説を思い出す。
・口減らしに張り付けられたまま、焼かれて黒く焦げた説
口減らしの部分はさて置き、黒いくねくねは「焼かれて黒く焦げた」姿であることはかなり濃厚なのではないだろうか。
「なるほど。今私たちが追っているくねくねは、くねくねであるけれど、私たちが知るくねくねではないようね」
白ではなく、黒。気が狂ってくねくねと踊るではなく、あつくてくねくねと身もだえる。
「……急がないと、真美が危ない」
「達野さんからお話は伺えたし、次は瀬和さんから話を聞くのがよさそうね」
時計を見ると、時刻は十六時半を回っていた。写真部が活動を終え、帰路につくころだ。
「直接、瀬和八重子に話を聞いてみます。そのまま、目撃した場所も見て来ようかなと」
玲汰はカバンを肩にかけて立ち上がった。
「もうすぐ、ちょうど黒いくねくねが目撃された時刻……黄昏時になるわね。玲汰クンは、知っているかしら。黄昏時や、丑三つ時がなんなのかを」
「知ってます。簡単に言えば、霊が出る時間帯ですよね」
あの世とこの世が繋がるとされる、人が怪異と出会う時間帯。
黄昏時や丑三つ時という言葉が都市伝説や怪談に多く用いられることもあり、広く知られる時刻だ。黄昏時とは、夕暮れに他人の顔が判別しづらくなり「誰ぞ彼」という問いから来ているとされる。「彼は誰ぞ」という、明け方を言うかたわれ時というのもある。
そして、丑三つ時という時間の呼び方には、近代以前の時刻の表し方にある。二十四時間を二時間ごとに区切り、それぞれに十二支を割り当てて一日の時刻を表したのだ。それは十二時辰と呼ばれた。
二時間は更に四等分されており、丑三つ時とは丑の刻の三つ、つまり現代で言うと午前二時から二時三十分を示す。陰陽五行思想というものにおいて、丑の刻は陰の気が満ちているとされる時間帯。有名な百鬼夜行や丑の刻参りなども、この時間帯に行われる。
「そうね。認識としては間違ってはいないけれど、厳密には“霊が出る”という表現は正しくないわ。霊が出る、というより見える……そんな時間帯、といったほうが近いわね。
実際に霊は昼でも夜でもそこに居て、ただ見えないし触れられないだけ。
ただ、ある時間帯になると、あの世とこの世の波長が近くなって、普段は見えないものが見えたり、触れられないはずのものに触れられたりするようになる──つまり、霊が人間に、人間が霊に、接触しやすくなるの」
いずれの時刻も、相手を判別しづらい明るさである。それが人なのか、はたまたあの世の者なのか。これから、その黄昏時の時刻になる。八重子や真美が黒いくねくねを目撃したのもこの時間帯だ。そこにずっと居たけれど見えなかったものが、見えてしまったのだ。
「そこの奥の一番下の、大きい引き出しを開けてみて」
幽香が指さした。
言われた通りにその棚の引き出しを開けてみると、中には小さな金庫が置いてあった。
「鍵は一番上の引き出しに二重底があるから、その裏側にテープで貼り付けてあるわ」
その鍵で金庫の扉を開け、覗き込む。何やら様々な書類などが乱雑に入れられていて、その中でも目を引いたのが木製の鈴だった。複数ある内の一つを手に取って見る。赤い紐が結ばれているストラップになっていて、木のなめらかな肌触りに、揺らすと柔らかい音がする鈴だ。
「それを持って行きなさい。厄除けの御守りだから」
そういえば優香も持っていた気がする。家族で神宮へお参りに行ったときに買っていたっけ。
学ランの胸ポケットにしまった。
「気を付けて行なさいな」
幽香に見送られて、玲汰は部室を後にした。
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