二、くろくねくね

2-1 歓迎

 NNN臨時放送で真美の名前を見かけた後、一睡もできずに朝を迎えた。洗面所で顔を洗う時に鏡で見た目元は浅黒かった。


 水曜日、今日を含めてあと三日で土日か、なんてことを考える徒歩通学の時間も、玲汰の頭の中では達野真美の四文字が、あのゴミ処理場を背景に何度も何度も繰り返し流れた。


 幽香の言った通りに、指定時刻にテレビを点けるとNNN臨時放送が流れた。それだけでも衝撃的だというのに、放送内で友人の名前が流れた。そしてそれは、“明日の犠牲者”である。


 臨時放送の言う明日が、深夜放送なだけにいつを示すのかが定かではない。零時以降を日付が変わったとみなして、放送した日が今日水曜日なのであれば、木曜日となるのだろうか。


 それに真美は本当に、犠牲者になってしまうのだろうか。


 放課後、また幽香の元を訪れ、あれがどういうことなのか問い詰めなければ。


 学校へ着くと教室へ入り、席に着く。右隣の席の守人は机に突っ伏して眠っていた。


 教室にはほとんどの生徒が既に登校しており、空席はまばらだ。しかし、そんな中で一際、玲汰には目立って見えた空席があった。


 達野真美の席だ。


 玲汰の心がざわめきだす。


 頼むから来てくれ。そう願いながら、朝のホームルーム開始時間まで気が気ではなかった。しかし真美の席だけが埋まらないまま、ベルが鳴り響く。同時に教室へ雨谷が入ってきて教壇へと立つと、最初に真美が欠席であることを皆に伝えた。雨谷の言うところによれば、どうやら発熱とのことだった。


 はぁ、と深いため息をつく。玲汰は少しほっとし、胸をなでおろした。


 しかし、安心しきってはいけない。このままそれが原因で犠牲者となる可能性だってまだ残っているのだ、あの臨時放送が真実を伝えているのならば。真美が欠席したことも、臨時放送と偶然重なったわけでもあるまい。


 やはり、行って確かめなければ。元オカルト研究部室へ──狭間幽香の元へ。


 その日の授業は全く耳に入らなかった。


 守人が、達野さんがいなくて寂しいなぁなどとボヤいていたが、玲汰にとっては何を呑気なことを言っているのかと思う。真美は今日、明日に死んでしまうかもしれないというのに。ともあれそれを知るのはきっとこの学校で玲汰か幽香くらいだ。


 今すぐ三年生の教室へと駆け出して幽香に問いただしたい気分になり、昼休みに三年生の教室へ覗きに行ったり、周辺をうろついたりしてみたが、幽香を見つけることはできなかった。


 そして遂に放課後を迎えた。


 ホームルームが終わるなり、カバンに荷物をさっさと詰め込んで教室を飛び出した玲汰。去り際に、守人に「お前今日どうないしたんや」と言われたが気にしなかった。


 玄関を出て、向かいのB棟へと走る。階段を駆け上ってゆく。


 元オカルト研究部室の扉を、息も整えぬままに開いた。


 昨日と同じ、埃っぽく、古びた本の匂いが充満した部屋。毎日滅亡カレンダーも、日付は更新されていない。


 中央の長机には、本を読む幽香の姿があった。彼女は突然開いた扉に驚くでもなく、そっと本を閉じると玲汰を見た。


「あら。いらっしゃい」


 にんまりと口角を上げる所を見ると、私の言った通り来たわねとでも言いたげで、玲汰は勝負に負けた気分になった。しかし、今はそれどころではない。


「テレビ、見ました。あれはどういう……」


「扉をちゃんと閉めて。ここでは私が長であるから、ルールとマナーは守って頂戴ね」


 そして「座って落ち着きなさい」と促され、昨日座ったのと同じ席に腰を掛けた。


「あれは一体何なんですか? 誰かのいたずらですか? それともあなたが? それに……それに、おれの友達の……達野真美の名前が、ありました」


 一瞬流れた沈黙の後、幽香が説明を始めた。


「何かが起こる時にだけ、その前日にあの放送は流れるわ。私はただ、その何かが起こることを察知できるだけ。だから、きっとこの日に臨時放送があるだろう、そう予測したのよ」


 幽香が何かをしてあの放送を玲汰に見せたわけではない。となると、あれは本物で。


「あんな不気味な放送があるなら他にも見ている人だっているはずなのに、こんな話題、聞いた事なんて一度もありません」


「そう? 私の周りでは一時期話題になっていたわよ。


 NNN臨時放送を見るには条件があるの。私も最初にそれを見たとき、あなたと同じような疑問を持ったわ。だから、色々調べたの。そしたら、NNN臨時放送は放送される時間、つまり深夜二時に着いているテレビの放送を乗っ取るように映ること。だから、放送が始まるまでに点いていなかったテレビには映らない。


 そしてもう一つ、それを見たと話していた人は皆、“霊感がある”や“霊を見た事がある”と言っていたわ」


「でもおれは霊感もなければ霊を見た事も……」


 言いかけて、二年前の異世界エレベーターの事を思い出した。優香が異世界エレベーターによって行方不明となる場に居合わせたこと。NNN臨時放送を見られる条件を満たしているのかもしれない。


「玲汰クンには心あたりがあるものね。……ともあれ、臨時放送があるという事は、それは良くないとても不吉なことが起こる前触れって事ね」


 幽香には、それが起こる前触れを霊感で察知できるのだという。


「不吉なことって……怪異、でしょうか」


 黙って頷かれた。途端、玲汰は頭が痛くなった。異世界エレベーターに続き、NNN臨時放送。そして、彼女の言葉。この世に怪異は、存在するのだ。


「今までにも似たようなことがあったんですね」


「そうね、あったわ。ちょうど二年前にも……」


「それは優香が失踪した事件のことですか?」


「それもそうだし、同じ時期にそれ以外の事件も起こったわ」


 そういえば確かに、女子高生失踪事件の前に、生徒が数人死亡する事件があったはずだ。それらも気がかりだったが、今最も気になっていることは、真美のことだ。


「あの臨時放送が言う、明日の犠牲者の明日とは、いつのことを差すんですか? 真美はいつ、犠牲になると?」


「それは、だいたいは放送された日付の翌日かしら。私もこのことに詳しいわけではないのよ。


 私が臨時放送を言い当てる仕組みについて簡単に言うと、例えば気圧の変化で体調を崩してしまう人がいるわよね。そうでない人もいる。それは、霊感のある人と無い人の違いみたいなもの。臨時放送のある日は、私は少し気分が悪くなるの。それは気圧の変化によるものとは少し違う……その違いを感じ取ったとき、あぁ、今日は臨時放送がある日だと理解するわけね」


 ただ察知できるというだけ。幽香はそう言った。


「じゃあ、真美は本当に……」


 今日。遅くとも明日、死ぬ──その事実に意識が遠のきそうになった。


「助ける方法は、ないんですか」


「どうかしら。例えば怪異に憑かれる、或いは呪われてしまったとして、その原因を除けば助かるとは思うけれど。でも、単純だけど、きっと難しいわ。それに、臨時放送の……予言かしら、それを覆すことができるのかどうかも定かではないのだし」


 玲汰はがっくりと肩を落とした。真美は犠牲になる。まだ生きているけれど、これから……。それが分かっていながら、自分には何もできないというのか。


 意気消沈の怜太を見て、幽香は言った。


「でも今回は私の近くで起きているから……原因は分かるわ」


「何ですか!」


 反射的に顔を上げ、思わず声が上ずる。


「くねくね、よ」


 聞いた途端、玲汰の頭の中で、一か月前に真美と教室掃除の時に話した事がよみがえった。


「玲汰くん……くねくねって、知ってるよね?」


 真美はそう言った。後輩の瀬和八重子という子が、下校時にくねくねらしきものを目撃した、と。そして、真美の通学路はその八重子と同じ道だということを。


 見間違いではなかったのだ。真美は、くねくねを目撃してしまったということか。


【くねくね】

 遠くで白い何かが揺れている……そんなとき、それの正体を知ろうとしてはいけない。

 田んぼや川などで見かけることが多いと言われているそれは、白く、人では不可能な動きでくねくねと踊っているように見える。

 遠くから眺めることに問題はないが、くねくね踊るものの正体を知ってしまうと、精神に異常をきたし、同じように踊り狂いはじめるのだ。


「それも霊感で?」


「そうね、まぁ、そんなところね。……誤解のないように言っておくけれど、そもそも霊感なんて別に特別なものではないわ」


「霊感が特別なものではない? どういうことですか?」


 霊感や霊能力といえば、それを使ってお祓いをしたり、はたまた心を読んだりなど、超能力に近い印象がある。


「霊が“視える”という人がいるわよね。それは、他人よりも少し“視力が良い”だけ。“感じる”という人もいるわよね。それは他人よりも少し“敏感”なだけ。


 犬って、人間よりも嗅覚が優れていて、人の鼻では察知できないような臭いにも気づくことができるわよね。霊感も、それと同じ。ただ他人よりも少し視力や聴覚、嗅覚が優れているから察知しやすくなっているの。


 動物なんかで、何もない所に向かって吠えだす犬とか、自然災害の前に異常行動を取ったりする鴉がいるでしょう。それは感覚が優れていて、一般人では察知できないものを認識しているからよ。霊に対してもそれは同じなのよ。霊も霊感も特別なものではなくて、飽くまでも自然の一部でしかないの。


 ただ、察知できる人が極端に少ないからあまり広く認知されていないだけ。“霊感”だなんて胡散臭いイメージの付いてしまった言葉を使うから受け入れづらいのよね。そうね……それでいうと、第六感(シックスセンス)はまだ現実味があるわね」


 幽香にはそれがあって、そしてのその第六感が、くねくねの存在を察知させたのだという。


「待ってください。確かに彼女から、後輩が黒いくねくねを目撃したという話を聞きました。でも真美がくねくねの犠牲者になってしまうのなら、踊り狂って……担任からは真美の症状は発熱だと聞いているんですけど」


「確かにその通りね。ただ、本当の症状を伝えないようにしているという事も考えられるわ。生徒たちに、クラスメイトが踊り狂っているために欠席、なんて言うかしら」


 言われてみればそうだ。生徒たちは混乱するだろう。それに、先生本人も信じるだろうか。


「じゃあ、今も真美は家で踊り狂っている、と」


 思わずそんな姿を想像してしまい、すぐ振り払った。真美があまりにも不憫だ。


「どうかしら。後輩の話を達野さんから聞いたところによれば、そのくねくねは黒かったらしいじゃない」


 そうだ。真美の後輩である八重子の話によれば、目撃したのは一般的に知られている白いくねくねではなく、稀な黒いくねくねであったという。ネットで調べた際には、確かに一部では黒いくねくねの目撃情報はあれども、それが一体どういったものなのか、白いものと何が違うのかは明記されていない。黒いくねくねを見てしまったことによる害は、今のところ不明なのだ。


 それに、くねくねは目撃し、それが何かを理解してしまった時点で気が狂い、もはや助からないものと思われている。真美の場合はどうなのだろうか。


「黒いくねくねを見ると、発熱するのか? いや、調べてみないと……。狭間先輩は今までに、怪異を解決したことはありますか?」


「ええ。あるわ」


 幽香は、その自信に満ちた瞳を一切ぶれさせることなく答えた。


 あのときはもう居なくなってしまった優香をどうすることもできなかったが、今回はまだ、一縷の望みは、ある。真美を救うことができる……そう、思いたい。


「入ります」


 玲汰は言った。はっきりと。


「同好会に入ります、正式に。協力します、部員集め」


 それを聞いた途端、幽香の口角はまるで口裂け女のようにぐっと吊り上がった。


「だから、手伝ってくれませんか。優香を連れ戻すこと……これから真美を助けることを」


 一泊置いて、幽香は玲汰の目をまっすぐに見据えて、こう言った。


「ようこそ、オカルト研究同好会へ」

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