1-6 霊感
「え? いや、さっき見たら裏に名前が……」
とっさに本の裏表紙を確認した。
しかし、どこにも「狭間」という文字はない。あるとするならば、浅間洋一、というライターの名前が記されているくらいだった。そんなはずはない。これを、わざわざ狭間と読み間違えたりするだろうか。それに、狭間という文字を読んだときには、それは達筆で書かれていたと記憶している。
「私がそれを持ち歩いた記憶もないわね」
「じゃあ、これは……」
幽香のものだろうと思って持ってきたが、本人が違うと言うのだ。では、これは一体どうしたものか。持って帰るつもりもなく、かと言ってここに置いていくわけにもいかない。職員室に落とし物として届けるしかないだろう。
「折角だし、読んでみてはどう?」
「いや、いいです。誰が持っていたかも分からないものだし、それに、読んだことありますし」
瞬間、幽香の表情を見て玲汰は「読んだことがある」と言ったのを後悔した。幽香はかっと目を見開き、口角をきっと上げ、不敵な笑みを作り出して玲汰を鋭い視線で射抜いた。
「そういえばあなた、名前を聞いていなかったわね」
いつの間にか、幽香は元の無表情に戻っていた。さっきのは錯覚だろうか? しかし、玲汰の全身には隅から隅まで鳥肌が立っている。
「風間玲汰です」
「れいたクン……。ユウレイの霊、で霊汰かしら?」
「王の令で、玲汰です」
「そう、残念。もしそうだったなら、私とあなたで幽霊なのにね」
残念そうに眉を下げた。
「面白いことを言ってしまってごめんなさいね。本題に戻るわ」
「言いましたっけ」
なんだ、この人は。喋り方も性格も似ても似つかないのに、まるで優香と話しているような感覚になり、当時のような掛け合いで言葉が出てくる。
根の部分は似ているのだろうか。
それにしても、さっきまでの妖艶な雰囲気とは打って変わって、突然、一風変わった感覚を持つ残念系美人のような印象を受ける。おそらく彼女のツボは、一般人とは決定的に違う場所にあるのだろう。
「単刀直入に言うと、玲汰クン。オカルト研究同好会に入って頂戴」
さっきの奇妙極まりない笑みの理由はこれか。
「私、ここオカルト研究同好会の会長をしているの」
口を挟む間もなく、彼女は続けた。
「といっても、メンバーは私一人。学校の規則としては、同好会とすら認められていないわ」
規則では、メンバーを五人以上と、担当してくれる顧問の先生の署名を書類に集めた後、生徒会へ提出。その後審議され、認可が下りた場合にのみ同好会として成立する。ちなみにその上の部活動として認められるには、同好会が一年間の活動で何か成果を残さなければならない。
「私はずっと一人で活動を続けている寂しい会長なの。是非、『日常に潜む! 都市伝説の謎②』を読んだことのある風間玲汰クンに、オカルト研究部復活の手助けをしてもらいたいと思うの」
本当に寂しがっているような人物には見えなかった。言葉も相変わらず抑揚がなく、あらかじめ用意されていた台詞を読んでいるだけのように聞こえる。最も、本当にそうだ、と言われても信じてしまうような怪しい雰囲気が彼女にはある。たとえば、霊感を持っている……だとか、言い出しそうだ。
「ちなみに私、霊感があるのよ」
「ホントに言い出した」
いよいよ本格的に怪しくなりだして、玲汰はすぐその場を去りたくなり、席から立った。
「すみませんが、そんな胡散臭い事を言われても部活動に入るつもりはありません。オカ研なんて尚更です。失礼します」
ここへはただ、落とし物の本を届けに来ただけだ。だというのに、優香にそっくりな幽香という女性に会って、オカルト研究同好会の会長で部員を集めているという。さらにそこへ勧誘されて。本だってそもそも誰の物かもわからず終いだ。
幽香が優香にそっくりだというだけで、胸がきゅっと締め付けられたような感覚と緊張感に苛まれる。やはりここへ来るべきではなかった。ここから出なければ。
「どうして入会してくれないの?」
幽香は単純で当然の疑問を、でも玲汰には答えたくない事を投げかけてきた。
「他人には言えないようなことでも?」
「ち、違います!」
じゃあ、なぜ? と幽香。
「……とにかく、入るつもりはありませんから」
「ここでかつて活動していたオカルト研究部は、二年前に事件を起こしたそうね。廃墟に侵入して肝試しを行い、一人の行方不明者を出したって話」
幽香が唐突に話し始めた。玲汰の眉がぴくりと反応する。
「もしかして、あなたがそれほど消極的で同好会へ入ろうとしないのは、それが原因かしら」
玲汰は何も返す言葉が思い浮かばなかった。肯定もしたくなかったし、かといって否定の仕方も浮かばなかった。
沈黙は肯定だった。完全に図星だ。
玲汰は立ち尽くしたまま、埃まみれの机に視線を落としている。そんな玲汰に構わず、幽香はまくしたててきた。
「その子が行方不明になっていなければ、私と同級生だったことでしょう。私は最近この学校に転校してきたばかりだから、その子とは一度もあった事はないのだけれど。名前は確か……風間優香、だったかしら」
そこでちらっと見た幽香の顔が、ああなるほど、とひらめいた表情になった。
「あなた、その優香さんの弟さんなのね。だから、因縁のあるこのオカルト研究部に関わりたくなくって、同好会としての復興に協力してくれないのね」
「それは……」
今度は何か言い返してやろうとしたが、思うように言葉が出ない。
「その事件では異世界エレベーターが行われたそうね。取り壊しの決定した廃墟ビルに電気が通っていたことも不思議だけれど、まさか本当に異世界へ行ってしまう人が出るだなんて。オカルト好きとしては非常に興味深いことよね。
さらに聞いた話によれば、優香さんがエレベーターに乗った後に、部員の一人がそれを追って、続けて異世界エレベーターを行ったそうじゃない。でも、行方不明になったのは最初の彼女一人で、続いたもう一人はならなかった。
これって一体どういうことなのかしらね。……もしかして、後に続いたもう一人って、あなた?」
「すみません、もう、帰ります」
喉の奥から絞り出した言葉は、それだった。
「優香さん……あなたのお姉さんを連れ戻す手伝いをしてあげるわ」
踵を返そうとした玲汰に、幽香がニヤリとしながら提案した。
「優香を、連れ戻す?」
「そうよ。異世界へ行ってしまったあなたのお姉さんを、連れ戻す手伝いをしてあげる」
そんなこと、可能なのか。
「あなたは信じてるんですか。オカルトなんて」
まるで自分に問いかけているようだった。自分も、信じる、信じないの狭間に居るからだ。
「信じるも信じないも、私には霊感があるもの」
自分がその証明になっている。幽香はそう言った。
「じゃあ、その霊感とやらで優香を連れ戻す、と?」
「正確には、知識とこの霊感をヒントに、という感じね」
信じきれないが、嘘を言っているようには見えなかった。二年前のあの事件の体験が、玲汰の中でオカルトの実在を後押ししていた。
優香を救えるかもしない。そして、幽香が優香にそっくりなことも、何か関係がありそうな予感がする。
「……わかりました。あなたがその霊感を証明してくれるまでは、様子を見ます」
***
「……と言っただけで、入部するとは一言も言ってませんからね」
一月前、幽香と初めて会ったときの事を回想し終えて、記憶に確かな自分の発言を伝えた。
「あら、そうだったかしら。口頭だっし、随分前の事だからよく覚えていないわ」
右手をひらひらさせてとぼける幽香。
「あなたが霊感を……優香を連れ戻す手助けになるという証明をしてくれれば、おれは部員集めだろうが何だろうが手伝います。でももう一か月経つんですよ。そろそろ見せてくださいよ」
いつも煮え切らない態度の幽香に対して、そろそろ苛立ちも覚え始めていた頃だった。
どうせ、タネも仕掛けもある手品の類で誤魔化すくらいしかできないのではないだろうか。玲汰はそんな風に高をくくって幽香に挑むような台詞を投げつけた。
一方で、幽香は焦り一つ見せることなく、堂々としている。
「……いいわ、ちょうど良いタイミングね。明日の二時にテレビを点けなさい」
「それだけ、ですか?」
あっさりと言われて、玲汰は拍子抜けした。呆気にとられた。手品の一つすらしない。
「その、テレビがどうなるって言うんです。チャンネルは? あなたの霊感とどう関係が?」
「私の霊感が、そう告げているの。質問よりも実際に指示通りにしてみることね」
一切の態度を変えない幽香の断言ぶりに、玲汰は気おされてこれ以上質問できなかった。どこからそんな自信が溢れているのだろう。それに、皆まで言わない所が怪しい。これも、明日の二時とは十四時のことだ、とか、午前二時のことだ、など、場合によっては解釈の違いによって逃げることもできる。それに、番組の内容によっては「それが、私が感じ取ったもの」と言ってこじつけることだってできる。
「疑っているわね」
玲汰のまなざしにその念を感じ取ったのか、幽香はクスリと笑った。
「今晩の午前二時よ」
そしてとうとう、正確な時間を指定した。
「ある番組が流れるわ。あなたもよく知っているでしょう、奇妙な番組が、ね……」
少し遠い目をして、彼女は言った。そして気を取り直したように玲汰の目を見ると、
「それで。本当にそんな番組が流れたならば、あなたは同好会へ入ってくれるのかしら」
人差し指をあごに当てる仕草。彼女の癖なのだろうか。
「今ここですぐに証明してくれるのかと思いましたけど、そうではないんですね。残念ですけど……僕はもうここへは来ませんし、あなたとも会うつもりはありません」
この学校へ通っているからには、すれ違ったりすることもあるだろう。そのときは、会釈くらいはする。
「……失礼します」
最後にもう一度幽香の顔を見てから、入口へ向かった。
すると、幽香はそんな玲汰の背中に声をかけた。
「そう。ならせめて、その本はあなたが持っていて。そして、ここへ来る時は必ず持ってきて」
「今言ったでしょう。もう、来ません」
「いいえ。あなたは必ず、またここへ来るわ」
ドアを開く手が一瞬、止まる。
「……私には分かるわ。霊感ではなく、これは直感」
どんな理由だよと思いながら、玲汰は逃げるようにオカルト研究同好会の部屋を出て行った。
レースのカーテンを透かして月明りが差し込み、薄暗い部屋がしっとりと照らされている。
オカ研部室を訪れたその日の夜、玲汰は自室の布団にもぐったまま、延々と幽香の事を思い出しては考えていた。
──「二時にテレビを点けなさい」
玲汰の脳内でリフレインする言葉。
壁にかけられた時計に目をやると、もう一時間もすれば、“丑三つ時”に突入する頃だった。
テレビを点けろと指定された時間が、近づいている。
今度は、その時計がかけられた壁の下にあるテレビに視線を向けた。オフになったテレビは赤いランプを点灯したまま眠っている。玲汰はずっと幽香のことを考えて、寝付けないでいるというのに。
実のところ、玲汰は幽香の指示通りにテレビを点けるか点けまいか、迷っていた。幽香の言っていた霊感が実際にあろうがなかろうが、もうあの部室に立ち寄るつもりも、彼女に会うつもりも無い。だから、今更確認したところで……それに霊感なんて、あるわけがない──そう思っていた。
それに、幽香の言う通りにテレビを点けるという行動が、これから大きな事に繋がってしまうような気がしてならない。
優柔不断な自分と自問自答している間に、とうとう時は丑三つ時を迎えようとしていた。
──「異世界へ行ってしまったあなたのお姉さんを、連れ戻す手伝いをしてあげる」
また、幽香の言葉が思考を横切る。
点けてはいけないと、玲汰は布団を頭までかぶって、自分を抑制しようとする。
でも、もし、優香を連れ戻せる可能性があるなら?
「……」
結局玲汰は僅かな望みと、昔からの好奇心には勝てず、いそいそと布団から這い出してベッドから降りると、テレビのリモコンを握った。
あと一分だ。
二十八インチサイズのテレビの正面にあぐらをかき、リモコンの電源を恐る恐る、押した。
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