1-4 転機
真美や守人たちと比べて、自分は何も──。
「玲汰くん?」
箒を持った真美に声を掛けられ、思考が現実に戻ってくる。
そういえば今日は、彼女が掃除当番だったか。毎日クラスの生徒に割り振られている当番は二人一組だったはずだが、もう一人の姿が見当たらないあたり、サボって行ってしまったようだ。怜太は少し迷ったが、肩に掛けていたカバンを机に下ろすと、自分もロッカーから箒を手に取った。
「二人だと、すぐ終わるし……」
自分でも不器用だなと思ったが、真美に笑顔で「ありがとう」と言われ、まんざらでもない気持ちになった。
掃除をしている間、こんなに話をするのは久しぶりだねとか、最近は休みの日になにをしているのだとか、他愛もない事で思っていたよりも会話が弾んだ。
高校生になった今では、真美は休み時間になると友達と話をするか、カメラを片手に校内をうろついていた。高校に入ってからは写真部に所属したようで、花壇の花に留まる蝶や、部活動に励む生徒の写真を撮っているところを何度か見かけたことがある。他の生徒ともよく一緒に話をしている所も見かけるので、以前よりも活発になったような印象がある。
「この前ね、すごく良い写真が撮れたの」
今はそれを見せられないから、と口頭でどんな写真かを説明してくれる真美。
どうやら野球部の練習試合中の写真を撮ったらしく、うちの野球部のバッターが球を打ち上げたシーンだという。
「その日は快晴だったの。日が照っていてものすごく暑かったけど、すごく良いスポーツ日和って感じで皆の汗が輝いてたんだ。私が撮った写真でも汗がきれいに散っていてね、選手たち皆が飛んでいく球に視線を送ってて、本当にキレイなワンシーンだなって自分でも思っちゃって、先生に見せてもコレすごく良いじゃないって褒めてくれたの。これならコンテストで良いセンいくって褒められちゃってそれでね──」
久々に真美のスイッチが入るのを見た気がする。彼女は出会った頃から、好みのジャンルの話となると途端に熱が入り、早口で勢いよく語りだす癖がある。
以前より強化されているように感じて、玲汰は圧倒されて少し驚いてしまった。
「だからね今度是非玲汰くんにも見てほしい!」
「真美はカメラマンになるのか?」
今はもっぱら、読書よりも写真を取る事に夢中になっているように感じる。
「この前に校内新聞で見たけど、コンテストで入賞してたんだっけか」
「あ、うん……それは……」
コンテストの話題を出した途端、真美はばつが悪そうな表情になってしまった。何かあったのだろうか。あまり踏み込んでいい雰囲気に感じなかったので、少し話を逸らそうとした。
「あー、昔は作家になりたいって言ってなかったっけ」
「玲汰くん、そんな事覚えててくれたんだ。……ううん、まだよく分かんないけど、今は写真を撮るのがすごく楽しいんだ。だからカメラマンを目指すのも良いかなって、ちょっとだけね。思ってる」
そう話す真美の表情はほんの少しだけ明るくなっていた。
「……そっか。良いと思う。カメラ構えてるトコ、様になってるし」
そうかなぁと照れる真美。
塵取りにゴミを集めてゴミ箱へ捨て、教室の掃き掃除を済ませると、
「ありがと、おかげで助かった。ゴミは私が出してくるから、玲汰くんは先に帰ってていいよ」
玲汰は百七十センチに近い身長で、それよりも頭一つ分低い真美が、よいしょ、と大きなゴミ箱から袋を取り出す。そんな姿を見てさすがに放ってはおけなかった。塵取りと二人分の箒をロッカーに片付けると、玲汰は真美の手から大きなゴミ袋を取り上げた。
「いいよ。おれが持ってくから」
申し訳なさそうにする真美に、「じゃあ最後、教室の鍵閉めは頼んでいい?」と持ち掛けると、「わかった」と素直に頷いてくれた。
ゴミ捨て場は、ここA棟の二年A組の教室を出て左に二度曲がった先にある昇降口から、階段を下りてすぐ目の前、B棟側にあった。
ゴミを運ぶ道中、何故か着いてきた真美はこんな話を切り出した。
「玲汰くん……くねくねって、知ってるよね?」
唐突に都市伝説の話題を出され、玲汰の心臓はドキリと脈打った。
「……正体を知ってしまうと気が狂うっていうやつ、だろ」
元は二〇〇三年ごろにインターネット上で流行った怪談話だ。
「確かこうだったよね。
ある兄弟が田んぼの脇道を歩いている時、遠くにゆらゆら揺れる白いものを見た。
お兄さんが双眼鏡でそれを確認すると、みるみる顔が青ざめていって冷や汗を流し始めるの。正体が分かったのかって弟が問うと、分かったが見ない方がいいと言って、お兄さんは双眼鏡を落として家へ帰っていってしまった。弟も双眼鏡を拾って確認しようとしたけど、お兄さんの様子が怖くて見られなかったみたい。
家へ戻ると、いきなり家族に「アレを見たのか」と聞かれて、見てないというと安心してた。その中でお兄さんだけは狂ったように踊っていて。それの姿はまるで、さっき遠くに揺れていた白いもののように……っていう。
物語の締めくくりに、お兄さんはしばらくしてから田んぼに放つって家族に言われてたって書かれてるんだよね。なんか気味の悪いというか後味の悪い話って思うよね。
最後にお兄さんが田んぼに放たれるってことだけど、これってつまりくねくねを見た人はやがてくねくねになってそれが連鎖していくのを示唆しているように感じるんだよね。お兄さんが放たれて、それを見た誰かがまた気が狂って田んぼに放たれて、どんどんくねくねが増えていくそれって、くねくねはくねくねを増やすことが目的なのかな、一般的な生物と一緒で繁殖の代わりにそれを……あっ……ご、ごめん……」
とっさに顔を伏せた真美の顔は、みるみる真っ赤になっていった。
「いや、気にしてないよ。相変わらずでむしろ安心した」
カメラにハマってもまだ、こういう話は好きでいるようだ。
「……この話、玲汰くんには言わないでおこうと思ったんだけど、気になることがあってね」
気になること? と玲汰が問うと、
「実は写真部の後輩の一人が、くねくねを見たって言ってたの」
「くねくねを見た……?」
「そうなの。後輩の瀬和八重子って女の子がね、下校中にあぜ道を歩いてたら、田んぼ三枚分くらいの距離の向こうに黒いモノがゆらゆら揺れてるのを見た、って言ってて」
ゆらゆらと蠢くそれはその場で踊り続けており、周囲には白いもやのようなものがうっすらと漂っていたそうだ。その瀬和八重子という生徒は、はぞっとしてすぐ目を逸らし、走ってその場を去ったのだという。彼女自身はくねくねを知っていたので、正体に気付く前に見るのをやめられたらしい。
「でも黒かったんだって。くねくねって白いもんね?」
「黒いのもいるらしいよ。白いのとどう違うのかは分からないけど」
ネット上では稀に黒いくねくねの目撃情報がある、とされているが詳細はどこを探しても記載されていない。そもそもくねくね自体が都市伝説という珍しい存在であるのに、その中でも稀に黒いものが存在する、というのであれば更に遭遇率が低いことだろう。
「そうなんだ。やっぱり詳しいね、玲汰くんは」
「まあ……」
ついぶっきらぼうに返事をしてしまった。
以前は自らどっぷりとオカルトに浸かっていたが、優香が失踪して以来は敬遠しているものの、案外こういった類の話は身近にありふれているものだなと実感する。
そうこう話しているうちにゴミ捨て場が見えてきた。メッシュの収集庫の中には既に複数個のゴミ袋が入れられており、左に燃えるもの、右に燃えないものと書かれている。
「八重子ちゃんのクラスで少し話題になったらしくって……もしかしたら玲汰くんのクラスにも広まるかもしれないなって。ただ、それだけなんだけど」
玲汰は最近そういった類の話を自ら進んでしていない。それは二年前の事件が関係している。それを知っていて、心配してくれたのだろうか。
また一人の何気ない話から連鎖していくのだろうか。
玲汰はくねくねの話を聞いてただ、そう心配になった。きっと、この話を聞いてくねくねを見に行こうと言い出す生徒が出てくることだろう。最悪、気が狂ってしまう人が現れるかもしれない。考えすぎか。第一、異世界エレベーターの件で、本当に異世界エレベーターが原因となって優香が失踪したと決まっているわけではない。この世に怪異が存在する証拠などないのだから。ただ、触らぬ神に祟りなしという信条なのは依然として変わらない。
「ごめんね、やっぱり話さないほうがよかったよね」
急に考え込んだ玲汰に、気を悪くしたのだと受け取った真美が謝罪する。
「あぁ、いや、気にしてないよ。ただ、みんなくねくねを見に行こうとしたりするのかなって」
あわてて取り繕った。
「そうだよね。見間違いだろうなって思うけど、ちょっと怖いよね。八重子ちゃんと私、帰り道一緒だから……」
その日は別々に帰ったんだけど、と。つまりくねくねが出現する付近を、真美が通るのだ。
玲汰は収集庫の中にゴミ袋を放り込んで、手を払った。
「もしそれっぽいのが居ても、見ないようにすれば害はないよ」
大丈夫、と念を押す。
怪異が実在するかは分からない。八重子という生徒が目撃したそれが一体何なのかも分からない。「正体が分かれば気が狂う」それを、確認する勇気を持った人が果たしているだろうか。
作り話にしろ、本当によくできているな、と思う。
「そうだよね。……じゃ、もどろっか」
真美が収集庫の扉を閉める。
ホラー小説を読み漁るような子でも、やはり現実で、となると怖いものは怖いか。
そう思いながら、歩き出した彼女の背についていこうとした、そのときだった。
ゴミ捨場がある側にはB棟、一年生の教室とその他特別教室や各部活動室がある。ここから窓越しに廊下が見える。そこを、一人の女子生徒が右手へと通っていった。
一瞬だけ見えた横顔。腰まで届きそうな長い黒髪で、あの丹誠な顔立ちに泣き黒子。
「優香……?」
その姿はすぐに見えなくなった。優香のような誰かが向かった先にあるのは二階への階段だ。
「ごめん、先帰ってていいから」
頭にはてなマークが浮かびそうな表情の真美に謝ると、玲汰はB棟の入り口へと回り、長い黒髪の女子生徒が通った廊下まで走った。
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