第36話 ドラグディアの音楽祭
報告会があってから2日後。ヴィクトリアが言う音楽祭が王都ドラグディアで行われる。楽しみにしているのか、やたらと事務員の作業効率が上がっていた。事務長を務めているラオリーがやや苦笑いなのも、部下達が張り切っているためだ。
「雰囲気が暗いよりかはマシだな」
精神的には健康そのものだろうとエイルは仕事部屋でボソリと言った。数少ない亜人の仲間が書いた書類に目を通す。フィー公国で起きた小さい紛争の支援活動の報告書だ。南東部にある民族の違う者がぶつかり、戦う身分ではない女性や子供たちを保護し、怪我や病気を治したと書かれている。大きい支障は起きず、2ヵ月程度の活動で終わったらしい。読み終わった証拠として、サインを羽ペンで書く。
「んー」
ずっと書類と睨めっこをしていたため、エイルは立ち上がり、背筋を伸ばす。時計を見て、外を見る。王都に住む人々が屋台を楽しんでいる様子が分かる。
「そろそろ行くとするか」
まだ空が青く、太陽が出ている時間帯だ。だが今日は珍しく、エイルは日中に退勤をする。生地が薄いジャケットを羽織って、建物の外に出る。太陽の光の強さに目を瞑りながら、人混みの中に入っていく。意外に音楽祭の会場は本部として使われている建物の近くにある。歌劇場が歩いて数分の距離にあるためだという説が有力である。
「竜の歌姫が生で見られるなんて……ああ……もう死んでいい」
「はえーよ」
通りすがりの男性2人組の会話のように、今日行われる音楽祭には有名な人が出場する。会話で出てきた竜の歌姫もその1人である。あまり歌の界隈に詳しくないエイルでさえ知っている女性だ。
「男爵イモを揚げたものがあるよー!」
「ビールがあるぞー!」
いつも通っている大通りに祭り限定の屋台がたくさん並んでいる。ほとんどの人は屋台で何かしら購入をしているが、エイルは特に買うつもりがないのか、素通りである。理由は時間がないからだ。早めに足を動かす。
「ドラグディア音楽祭へようこそ!」
広場から可愛らしい女性の声が聞こえてくる。
「ギリギリ間に合ったか」
エイルはホッとした表情で会場を見る。人が多く、頭で見えづらくなっているため、足の指先で立つ。不慣れなため、すぐに普通の立ち方に戻ってしまったが、ある程度は見ることが出来た。木で組み立てた舞台で、花の飾りを付けている。更に何かしらの魔術が付与されている。数日でやったとは思えないクオリティだとエイルは感じた。
「やっほー! 竜の歌姫だ!」
男性の声でやかましくなる。女性は静かだが、そわそわとし始めている。見たことがないため、エイルはどうにかジャンプをしてみる。ピンクブロンドの髪で青色の瞳をしている10代後半の女性が竜の歌姫のようだ。赤いドラゴンをイメージしたドレスを着ている。彼女は息を大きく吸う。
「ボエ――!」
女性とは思えない。いや。竜の咆哮に似た何かが響き渡る。魔力に込められ、声量がどんどん大きくなっていく。大音量に慣れていないエイルは両手で耳を塞ぐ。
「あー!」
激しい曲調に合わせ、周囲の一部の人は頭をぶん回したり、叫んだりしている。魔術を使っているわけではないのにエイルの心が熱くなる。
「みんなありがとー! たまに遊びにおいで! そんじゃ。サルビアちゃん! よろしく!」
拍手や口笛など、ファンからの好意的な応援を竜の歌姫は受け取りながら、舞台裏に入った。
「今……サルビアと言ったな」
エイルにとって、聞き覚えのある人物名だった。ヴィクトリアからは音楽祭を開く程度しか知らなかったため、歌手として参加することについては予想外だった。
「やはり見惚れる奴が出て来るか」
金髪青眼の綺麗な女性サルビアが現れる。人魚は容姿に優れている。見た男性が惚れるレベルだ。実際、エイルの近くにいる男性2人組は頬を赤くしている。
「遠い海からやってきました。よろしくお願いいたします」
サルビアは丁寧にお辞儀をし、歌い始めた。演奏無し。アカペラと言われる奴だ。透き通るアルトの声が遠くまで届く。
「海だ」
海の中にいると思わせる不思議な空間がそこにある。感受性が高い者なら、更に綺麗な光景が見えていたのかもしれないが、生憎エイルにはそういうものはなかった。それでも十分だった。
「ありがとうございました。次は仮面を被った音楽集団です。名前はまだないとのことですので……あはは」
最後に苦笑いをしたサルビアの次は本当に仮面を被った集団だった。その後も様々な人達が舞台に出て、個性豊かな演奏や歌声を披露した。あっという間に太陽が沈み、空が暗くなっていた。
「明日から頑張るとしよう」
エイルは穏やかな笑みでそう言い、自分の家に帰った。歌に魔力を込める人達が多かったのか、普段より熟睡しやすかった。そして、音楽祭を見に来ていたエイル以外の仲間達も同じだったとか。
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