第32話 もう1つの仮面

 ラオリー・グラジオラス。かつてはグラジオラス商会の会長を務めていた。癖のある短い茶髪に茶色のたれ目で眼鏡をかけている男性。世界が違ったら、俳優になっていたのかもしれない。そう思わせるほどの容姿だ。心地が良く、落ち着く低い声を有し、優雅に動くため、温厚であるという印象が強い。


 実際、ドラグ王国にある本部での働きも似たような感じだった。確かに温厚であることは1つの側面だろう。ただし……それは彼がもう1つの顔を出していないだけのことだった。エイルがそう思わせる機会は幾度もあった。その内の1つを紹介するとしよう。


 その前にほんの少しだけ説明を。ノーボーダーズは独立・中立・公平な活動をするため、国家からの支援を受け取らず、民衆から金を受け取っている状態である。それだけなら苦労はしなかった。亜人も救う方針のため、貴族の反応を気にして金を出さない人が多く、中々集まらないのだ。そんなわけで、活動の合間に資金のやりくりをしている。


 本題に入ろう。巨人の島での支援活動が終わり、暖かくなってきた時期だった。少しずつドラグ王国周辺国に支部を置き始め、ノーボーダーズ全体の人数が増え始めていた。当初はグラジオラス商会からの資金援助でどうにかなっていたが、経費が重なっていき、課題として取り上げられるようになった。因みにこの時はまだ本格的に民間から寄付金を受け取っていたわけではない。


「活動するにも金が要るな」


 ノーボーダーズ本部にある小さな会議室、真ん中にテーブルがあり、囲うように人がいる。その中でエイルがボソリと言った。この場にいるのはラオリー・グラジオラス筆頭に事務をやっている者だ。蝶ネクタイをした金のやりくりに関する専門家が眼鏡をキランと光らせる。


「ええ。グラジオラス商会の寄付金だけでは賄えないです。更に寄付がいるでしょう。具体的にはこれです」


 お金の専門家がさっと結果を書いた紙をエイルに渡す。ゼロの桁が10もある。エイルの眉間に皺が寄せる。


「本格的に民間から金を集めるべきだね。ポスターを国全体に行き渡らせ、事務に集めるシステムを考えよう。この辺りは事務に任せて欲しい」


 ラオリーの言葉にエイルは縦に頷く。


「そうだな。細かい調整などは君たちに頼もう。それで。他にも何かあるのだろ。ラオリー・グラジオラス」


 エイルの反応でラオリーは企んでいる笑みなのか、あるいは優しい笑みなのか、何とも言えない表情をする。


「大したことではないさ。寄付金集めの時にやってもらいたいことがあってね。ここの長として、同行をしてもらいたい」


 エイルは少しだけ目を瞑り、静かに開けた。息を短く吐く。


「分かった。いつ同行すればいい」


 了承した数日後、エイルはラオリーと共にとある商会がある建物に出向いた。転移陣を使い、商業都市と呼ばれるドラグブレスに到着する。カラフルなレンガの建物が立ち並び、数々の商店で賑わっている。黒色のレンガで出来たと思われる建物が今回の目的地である。色合いを考えると、厳つい印象しかない。また天気はそこまで良くなかったため、余計にそう思わせてしまうところもあった。


「ここがコリアンダー商会だ。貿易を中心にやっていて、最近は相当儲けている。寄付金に期待が持てるところだよ」


 ラオリーはそっとドアノブを握り、音を立てずに開ける。カランカランと鈴の音が室内に響き渡る。ざっくばらんにホールを見渡す。赤い絨毯、装飾の無い金の灯り、飾り気のない木の柱や壁。落ち着いた感じが伝わってくる。改めて真正面を見る。商会に仕えている2人が出迎えていた。黒いスーツのようなものを着こんでいる。執事のようなものだろう。


「ようこそ。コリアンダー商会へ。ラオリー・グラジオラス。エインゲルベルト・リンナエウス。ご案内をいたします」


 客になるかもしれない相手に冷たい印象を与える声だ。表情も氷のように冷たい。お辞儀をしたり、言葉遣いが丁寧だったりするが、歓迎をしていない。そう感じてしまうのも無理はない。


「最近はどうだね」


 冷たい接し方に慣れているのか、ラオリーはいつものように微笑みながら、彼ら2人に話しかけている。


「さあ。私達は雑用係なものですので分かりません」


 本当に答える気がゼロだ。その後は無言の状態が続いた。更に絨毯で足音が消えていたため、文字通り静かに案内された。


「こちらにお入りください。会長、2人をお連れしました」


 会長がいる部屋に着いた。執事っぽい人が開ける。6畳ぐらいの広さで黒いソファー2つと、その間にある低いテーブルしかない。


「ああ。お前はもう下がっていろ。いつもの仕事に戻れ」


 執事のような人が退散した。コリアンダー商会の会長は右側のソファーに座っている。短く切りそろえた焦げ茶色に白髪が混ざっている。髭を整え、眉毛も整えている。小太りをしたお洒落なおっさんと言った所か。


「久しいな。ラオリー・グラジオラス。急に君から連絡来るとは思わなかったよ。それで今日はどんな儲け話をするつもりだ」


 流石は商売人と思うぐらいの台詞だった。


「まあ。とりあえず座りたまえ。用意した茶でも飲んでくれ」


 座っても良いという許可を貰ったため、エイルとラオリーは左側のソファーに座る。見た目は固い感じをしているが、案外柔らかいものだ。どうにか姿勢を整え、コリアンダー商会の会長を見つめる。会長は口を開く。


「君が噂に聞いていたガレヌスの弟子か」


「はい。エインゲルベルト・リンナエウスと申します。エイルとお呼びください」


 エイルはお辞儀をして名乗った。ついでにちらりとラオリーを見る。ラオリー本人はただ微笑むだけだ。


「長く事情を説明して頼むのも君の好みではないだろう。単刀直入に言わせてもらう」


 商売人として付き合いが長かったこともあり、ある程度彼の性格を把握しているのか、ラオリーは本題から入るつもりのようだ。


「エインゲルベルト・リンナエウスが作った組織、ノーボーダーズに金を寄付して欲しい」


「断る」


 コリアンダー商会の会長が即座に答えた。


「明らかにこちらに利益がない。それに亜人の救助も行うのだろ? こちらはあまり好まない。野蛮な種族を救うなんて正気かと疑うよ」


 商売人としては当然のことだろう。金が全てである職種故、儲けのない話は受け付けないのだ。またノーボーダーズは亜人も救う方針の組織のため、嫌う人もいるのも当然の話だ。


「前例のない話です。拒否したくなる気持ちも分からなくもありません」


 そう言ったエイルはラオリーをちらっと見る。断られたはずなのに、彼は未だに微笑んだままだ。寒気を感じさせる笑顔だ。


「今の気持ちを変えるつもりはない。とっとと帰ってくれ。なんだ。ラオリー・グラジオラス。その薄気味悪い笑顔は」


 コリアンダー商会の会長の顔が青くなっていく。体がカタカタと震え始めている。


「本来なら穏便にやっておきたかったが仕方がない」


 ラオリーは革で作られたブリーフケースのような鞄から紙を取り出す。


「もし断ったら、この件を公に発表しようと思う」


「止めてくれ! 知られたら今後商売に支障が出てしまう!」


 事情を知らないエイルは眼球を動かしてどうにかラオリーが持つ紙を見る。軽く読んだ印象としては、そこまで大したことではない気がする……だ。だからこそ、何故コリアンダー商会の会長が嫌がっているのかが理解出来ない。


「そのことを貴族に知られたら……金儲けどころか店すら潰される! 知っているだろ! ここを支配しているロベリア家のことを!」


 この街を支配しているロベリア家は亜人を嫌っている。拠点地としている彼の立場を考えると、確かに拒否したくなるものだろう。


「ああ。知っているよ。ロベリア家が亜人を嫌っていることも、暴力を振るったりもしていることもね。まあ落ち着いたまえ。もうじきあそこは潰れる。仮に君が亜人相手に援助してると知らされても、何も問題はないはずだよ」


「大有りに決まってるだろ! もうじき潰れるだ!? だいぶぼけてきたんじゃないのか? 引退して病にでも罹ったんだ。そうだろ。エイル君。診察でも」


 コリアンダーが慌てふためく。エイルはラオリーの様子を見る。本部で共に仕事をしている時に認知が落ちている様子はなかったと記憶している。記憶、計算、思考、喋りなどから異常は感じなかった。つまりどういうことかというと……至って正常である可能性が高いということだ。


「いやあれでも健康そのものです。ぼけたとかそういうのではない。腹の底が黒過ぎて、俺でも分かりません」


「酷いことを言うね。まあ否定はしないよ。手段は色々と使う主義だからね。だからこれは正気のまま言っているのさ」


 場が静かに凍る。エイルとコリアンダーはラオリーを恐ろしいもののように見る。彼は気にせずに、茶を啜って言う。


「ロベリア家がただ亜人を嫌うだけなら良かったんだ。だがね。数年前に邪魔されたんだ。ただ亜人相手に値引きしたというだけで、数日間監禁になった。その時に商売人として悟ったよ。あれがいたら、グラジオラス商会の発展すら見込めないとね。その時から少しずつ準備をしていったんだよ。自滅するように仕向けてね」


 穏やかな笑みをして、とんでもないことを発言した。どういった手段かは口に出していないが、ろくでもない感じだろう。


「まあこちらはそこまで大したことはしてないがね。潰せる証拠を見つけて、4大貴族に報告をしただけだ。どれだけロベリア家が否定しても、問題がないぐらいに。苦労するかと思ったら、腐るほどのものを持っていたんだ。使う手はない。そのお陰であともう少しでロベリア家は貴族じゃなくなる」


 現在のドラグ王国は腐った貴族を処分するために、ある程度の情報の提示や多数決によって、貴族の権利などをはく奪出来るシステムがある。意外にも法に則っての行動だったようだ。証拠を捏造したのではとか、法外的な何かで集めたのではないかとか、別の疑問が浮かんでしまうのは……人の性なのかもしれない。


「はあー……だからお前を敵に回したくないのだよ」


 コリアンダーがおもいきり息を吐き、楽器の鈴のようなものを鳴らす。さきほどの執事らしき人が顔を出してきた。


「はい。何か御用でしょうか」


「今すぐに事実確認をしておけ」


「承知しました」


 執事らしき人が何処かへ行った。


「すまないが……すぐに答えられない。数日待って欲しい」


 コリアンダーが初めて頭を下げた。


「俺は構わないのですが」


 エイルは戸惑いながら言い、さり気なくラオリーを見た。


「何故そこで私を見るのだね」


「いや。何でもない」


 エイルは思わず視線を逸らした。この話の数日後、確認が取ることが出来たのか、コリアンダー商会はノーボーダーズに金を寄付することを決めた。本部でその報せを受け取ったエイルは事務仕事をしていたラオリーの元に行く。事務をやっている他の者もいるため、別の部屋で気になったことを言う。


「無事にコリアンダー商会から寄付金が来る。……最初から彼が承諾すると分かって選んだのではないか?」


 コリアンダー商会は亜人が嫌いという立場を取っている。これだけなら援助を頼もうとしないだろう。だがラオリーは実際にやった。同行した時に見た紙の内容から、こっそりと亜人の支援や人権活動家の支持をしていたことを知った現在はエイルにも分かる。個人としての動きを知っていたからこその選択だったのだと。ラオリーは朗らかに笑って答える。


「あまり素直じゃないからね。例え最初は拒否していたとしても、いずれは頷く。そういう奴だよ。ロベリア家に関しては、ただの偶然に過ぎないけどね」


 どちらにせよ。いずれコリアンダー商会は金を寄付している未来だった。何もかもお見通しで、ありとあらゆる手段を使い、目的を果たす。商売人として、邪魔になる者は排除をするという姿勢をほんの少し見たエイルは思った。


「この人が味方で良かった」


と。

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