第15話 ラオリー・グラジオラス

 治癒魔術師の人員募集のポスターをドラグ王国中のギルドなど目立つ所に貼った結果、200人程が申し込んできた。エイルの予想を遥かに上回る結果だ。2桁だと予想していたのだ。何が出来るのかなどを書き込む欄を設けておくべきと言うルーシーのアドバイスが無かったら、選考で頭を悩ませていた所だろう。


「嘘を書いている可能性もあるからね。確認はしておくよ」

「治癒魔術師に関する事は俺がやっておく」


 人脈を持つダンデと治癒魔術師に関するパイプを持つエイルが書類通りなのかを問い合わせたりなどして確認をする。部屋にある机に志願書が積まれている。まだ半分も行っていなさそうだ。


「治癒魔術師でも違う感じがするのはあれかい? ベッドで療養してる人を看たりとか、助手をしたりとか。施設の主の補助って書いてるし」


 自称紳士は推測を語りながら、1枚の書類を読む。


「ああ。代々拠点地を決めてる治癒魔術師の跡を継がない奴がそれを担っている」


 治癒魔術師には診療所を作って代々継がせるタイプと、放浪しながらやっていくタイプがある。基本診療所の主は男性ばかりで、跡を継がない人はその助手として、働いている事が多い。女性の数少ない働き場だが、ある程度の魔術の腕と身体や病などの知識と精神的な強さが無いとやっていけない。


そして、専門を学ぶことが出来る学び舎は金がかかる。庶民では到底手が届かない。狭き門と言われる理由がこれだ。


「かなり狭いが、貴重な女性の働き場だ。男女関係なく申し込める。それでも割合は恐らく男性の方が多い。だから志願者も男性が多いかと思ったんだが、ほとんど女性だな」


 エイルは思った事を口にした。


「言われてみればそうだね。8割はそうじゃないかい?」

「能力さえあれば十分だから制限は設けてはなかったが……何故女性の方が多いんだろうな」


 ダンデは楽しそうに疑問を答える。


「女性も働きたいと望んでいるからじゃないのか? マチルダの時もそうだったはずだ。自分でも活躍出来る場があると聞いた時の反応を思い出してごらん」


 初めてマチルダと出会った時を思い出してみる。明るい顔で応じていたはずだ。


「言われてみれば、嬉しそうにしていたな」

「同じ女性でも働く方が性に合う人だっているのさ。俺だって自由に動きたくて、ギルドに入ったわけだし。どんなに優秀でも男じゃなければ働きづらい。あっても狭き門を潜らないと無理。それが今のドラグ王国さ。働きたいと思ってる女性がたくさんいてもおかしくないのも分かるだろ?」


 男尊女卑の風潮があるドラグ王国だからこそ、特に性別に関する制限を設けていないノーボーダーズの募集に殺到している。女性ならではの考えにエイルは納得した。


「確かに頷けるな」


 正直彼に性別どうこうはどうでもいい。活動出来るレベルに達しているのか、過酷な環境下で働く覚悟はあるのか、それだけだ。


「問題は知識が本当にあるのかだ。ルーシーに色々と聞いてみるか。採用試験とか実技試験とか」


 雇い主としての経験があまりないため、彼女に相談してみることにしたようだ。ダンデは苦笑いして、山積みの書類を指す。


「そういうのは先に全部見てからだよ」

「うっ」


 前途多難である。2人で目を通し終えるまでに1週間はかかるだろう。事実を確認しながらなので、2週間はかかりそうだ。ストレスが溜まって、爆発しそうだ。


「休みながらやっていこう。ルーシーもやってくれるはずだろうしね。一度休憩を挟もうか。知り合いの女性から良い茶葉を貰ってね」

「良い香りすると思ったら。頂くが」


ティータイムに行くと思っていた矢先、


「コンコン」


とドアをノックする音が耳に届く。


「作業中か?」


凛とした女性の声、マチルダだ。重い荷物を持つ作業に手伝いに行っていたはずだ

が、終わって帰って来たのだろう。


「いや。休憩に入る所だ。何かあったのか」

「そのー……だな」


 声がくぐもっている。言いづらい何かがあるのだろう。数秒の沈黙後、マチルダははっきりとした声で言う。


「エイル。貴殿に話があると訪ねてきた人がいる」


まさかの来訪者、しかもエイルを指定である。


「誰かは聞いているのか」


 ひょっとしたら知り合いの治癒魔術師が覗きに来たのかもしれない。そう思っての発言だったが、返答は予想斜め上のものだった。


「グラジオラス商会を務めていた長だ。ラオリー・グラジオラスと名乗っている」


 グラジオラス商会、ドラグ王国の商いを仕切る組織だ。商会と書いているものの、商材の仲介を担ったりするので、商社に近い。ドラグ王国民なら、知らない人はいない。大企業のポジションにいるようなものだ。


ある程度知っているからこその疑問が浮かぶ。何故設立したばかりの組織に訪問してくるのだろうか。ガレヌス先生の世話になった話は聞くが、まだエリアルが生まれていない時期だ。警戒すべきだろう。話を聞いて、判断をしようと思い、立ち上がる。


「彼は何処にいる」


 訪問者は引退したと聞くが、地位が高い事に変わりはない。もしもの事があれば、何かしらの罰則が来てもおかしくない。


「念のため、中に入らせて、ホールで待っている。見張り代わりの使い魔の目が届くところだ。外よりかは安全だろ」


 人を守る事に慣れているからこそ、冷静に判断出来ている。


「そうだな。それが最善手だ」


 やや警戒気味で聞いてくる。


「どうするつもりだ。応じるか。正直私には見当付かなくてな」

「断定するには早い。応じるさ。行こう。すまないな。ダンデ。また後でだ」


 例の彼を迎えに、エイルはマチルダと共にホールまで行く。


「お待たせしました」


 癖のある短い茶髪に茶色のたれ目。眼鏡をかけており、質の良いコートを羽織っている。派手さはないが、雰囲気で金持ちだと分かる。


「君がエイル君だね」


 心地が良く、落ち着く低い男性の声。普通の女性ならイチコロものだが、警戒中のエイルにとって、余計に怪しさを増長させている。


「初めまして。私はラオリー・グラジオラス。グラジオラス商会の会長を務めていた者だ」

「名前はお聞きしています。エインゲルベルト・リンナエウスと言います。どのような用件でこちらに」


 エイルは悟られないように、感情を出さずに聞く。ラオリーは微笑みながら、答えてくれる。


「いや。大したことではないんだ。彼女が数か月も組織で活動してると聞いてね。用事が終わったことだし、ついでにちょっとだけ君の顔を見ようかと思って」


 彼女とは一体誰の事だろうか。2人は顔を見合わせる。


「すまないが、名前を言って貰わないと分からない。教えてくれ」


 マチルダは困惑しながら、彼に質問をした。


「ヴィクトリア嬢。以前魔術学院に通っていた3年程、共にしていた学友と言うべきか、娘と言うべきか。難しいね。適切な言葉が思いつかない」


 魔術学院の卒業生らしい。学友と言っていた辺り、交友関係だったのかもしれない。


「そうですか。彼女はここにいませんよ。元教師と一緒に行動を取っています」

「そうか。残念だ。色々と魔術の議論が出来ると思っていたが」


 目的を達成したなら、帰るはずだが、そういった動きが見られない。何か他にも目的があると考えて良さそうだ。


「何を企んでいるのですか」


 目の前の彼は引退した身とはまだ健在だ。そして商売人の性を持ち、汚い手も平気で使うという話を耳にしている。益になるような何かをやるために、動いている可能性が十分にあり得る。それだけではなく、人が好むような微笑みで心情が読みづらくなり、警戒心を更に強くさせる。


「人を救う手伝いをしたいだけだよ。意志と技術だけでやっていける程、甘くはない事を知っているはずだ。エインゲルベルト・リンナエウス」


 エイルは舌打ちをしたいが、隙を見せるわけにはいかないので、どうにか堪える。


「救うには道具や薬などもいる。必要な数が無ければ、動けないし、資金も当然いる」


 問題点である事は分かっているので、否定をする事が出来ない。


「だからこそ」


 彼が結論を言おうとしている時だった。


「ッバアーン!」


 勢いよくドアが開く音でセリフが止まり、振り向いている。赤毛のツインテールの少女、ヴィクトリアが戻ってきていた。大きい音を立ててしまった事に反省をしたのか、静かに閉めている。彼女はラオリーを見て、驚愕している。


「大きく開けすぎてしまったわ。って。お父さん!?」


 まさかの呼び方であって、聞き覚えのある呼称でもある。


「ヴィクトリア嬢。お久しぶりです」


 ご丁寧に挨拶をしている。


「何でここにっ!?」

「用事があってね。ついでにこっちに来たのさ」

「そ……そうなのね。だからエイルと話を……その割に警戒されちゃってるけど」


 エイルの顔が険しく感じ、色々と察する。彼は困ったように頬をかく。その様子を見た少女はため息を吐く。


「まあ良いわ。改めて紹介するわ。彼はラオリー・グラジオラス。ドラグ王国唯一の魔術師育成機関である魔術学院で3年間共にしていた学友よ。計算能力が高くて、空間転移とかそういうものを専門として、学んでいたわ」


 本当に学友だった。この時、エイルは魔術学院について、知っている事を思い出す。


「年齢を考えると怪しいものだが……そうか。11歳以上が原則と書かれているだけで、上限はなかったな」

「私の息子が跡を継いだ後に入学したんだよ。魔力量、基本的な知識は10代前半からあったけど、忙しかったからね」


 ラオリーは10代後半に会長が突如亡くなり、跡を引き継いだ。次男だが、長男は既に他界しており、制度上そうなった。意外に引退して、魔術学院に入って来る人はある一定数はいる。信じない人がいるようだが、11歳以上が原則なだけで、例外は腐る程ある。ヴィクトリアもその例外の1人だ。


「っと少し話が逸れてしまったね」


 彼女がいてくれたお陰で、疑いは晴れてきた。あとはどう接するのかだ。商売人として、こちらに来ているとなると、長くなりそうだと判断したエイルはある事を提案する。


「その前に移動しませんか。ずっと立ち話してるのも疲れるでしょう。応接室に案内します」

「すまないね。この歳になると立ちっぱなしは辛い」


 エイルの提案に彼は甘える事にしたようだ。顔を見ると、本当に疲れている事が分かる。2階にある応接室に案内し、話の続きをする。対面形式でやっていく。取引に近いため、エイルとラオリーだけである。


「それで何をするつもりですか」

「私もノーボーダーズに入ろうかと思ってね。事務仕事全般を希望する。経理、物資調達、人材管理を引き受けるつもりだ。君もやるつもりだろうけど、現地での指揮が最善だろ?」


 まだ事務員については会議している最中だ。その事もあって、未だに募集をしていない。ありがたい話だが、勝手に採用してもいいのだろうかという漠然とした不安がある。彼の立場を考えると余計に。


「確かにそうなんですし、ありがたいのですが、立場として問題は」

「心配はいらないよ。引退した身で商会に関われない。そういう仕組みになっているからね。それに人助け出来るような事をやりたいだけだよ。私は」


 グラジオラス商会は若い人が多いという話は本当のようだ。商売人が人助けというと、疑わしい所もあるが、本音っぽい事が何となく感じる。


「あなたがそうおっしゃるのなら分かりました。事務員としてお願い出来ますか。こちらにサインしてくれると助かります」


 契約書と羽ペンを彼の前に出す。手慣れた感じでサラサラと書き終えた。


「それとだね。これを受け取ってくれ」


 ラオリーは片手で持つタイプの茶色の革の鞄から何かを取り出す。書類だ。紐で纏めている。エイルは結んでいる部分を緩め、1枚1枚を手に取り、見ていく。必要な物資のリストと商店について纏めている。


「凄いですね。ここまで知り尽くしている人は早々いないですよ」


 商社の長として、商売人として、築き上げてきたからこそ、出来た表だ。一介の治癒魔術師であるエイルでは出来ない事だ。


「今までのツテがあるからね。仕事として、何があるのかぐらいは把握してるつもりさ。必要な物資はそこから買うと良い。それと金銭管理についてだが」

「その辺りはルーシー・カトレーと会議中ですね」


 乗せられている気がしなくもないが、進まないよりマシだろう。エイルはそう思いながら、彼と話し合いを続けた。3時間程経ち、様々な問題点について話し終わった。まだ序盤のため、会談で出た結論が全てではないが。


「すまないね。私の話に付き合ってもらって」

「いえ。いずれはやるつもりでしたし、むしろ何も情報が無い状態で、あれだけ提案出来る事に驚きですよ」

「これでも経営をしていた身だからね。それにこの歳だから、経験則で分かるんだ」


 トントンとノックする音が聞こえる。


「ラオリー・グラジオラス殿。従者が迎えに来ましたよ」

「迎えが来てしまったか」


 マチルダのセリフを聞き、何故かラオリーは困った笑顔だ。


「心配する必要もないというのに」


 立ち上がって、ドアノブに手が触れる。


「暫くはこちらで経営について話し合おう」

「その事についてなんですが、書類選考もやっておかないといけなくて」

「それも手伝おうか。それで予定より早くに終わるはずだ。それと今週中にカトレー家の彼女も呼んで欲しい」

「分かりました。そうします。道中お気を付けて」


 治癒魔術師の選定をする前に、事務員1人を確保した。元グラジオラス商会の会長として務め、魔術学院に通い卒業した才能が溢れる一方で、何となく怪しい雰囲気を醸し出している。やはり変人に分類されるからだろうか。


急に来訪してきたため、この出会いは予想外だったが、とんでもなく優秀なので、受け入れて良かったとエイルは思う。

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