後編

この頃から僕の生活の天候は晴れから曇り、のち雨へと変わっていく。今更係を変えてくれ、と言うわけにはいかずゴミ捨ての時は毎回あの場所へ行かなくてはいけなかった。あいつらはいつも居るわけじゃなかったけど、ゴミを捨てているほんの数秒間だけでも、とてつもない緊張感が全身に走り、何もしてこない時も有ったが身体的特徴をからかわれたり、相変わらずほうきを使って叩かれ、特にほうきの枝を無理矢理耳に突っ込まれた時は自分の惨めさと何も出来ない悔しさで少しだけ泣いてしまった。「こんなことで泣いてやんの」という言葉が耳に残る中、教室に戻る前に服で涙を拭き、何もなかったという表情で教室に繋がる廊下を歩く。それでも、人の視線が気になって仕方なかったんだ。


自分のクラスも変わり始めた。あいつらが自分達の後輩に僕の存在を知らせたのか、同じ部のクラスメイトとその友達が僕をからかったり、無視するようになった。悲しいことに、彼らの中には僕が中学になって新しく出来た友達も混じっていた。自分を理解してくれている、お互いに助け合える存在であろうと信じていた仲間の寝返りは、時に暴力以上に痛みが残るものだった。この頃からライングループに「来なきゃいいのに」「あいつ男のくせに弱っちいよ」「死んだら面白そう」といった書き込みが増えてきたんだっけ。


それから授業の間の教室移動は一人でするようになった。うっかり机の中に置き忘れた教科書や、持ち帰るのを忘れた体操服が見つからず、少し経ってから教室ではなく少し離れた理科室のゴミ箱からそれぞれボロボロ、あるいはひどく汚れた状態で見つかった事も有ったな。段々とクラスの居場所が無くなっていく・・。嫌な思い出に限って場面が変わらないのは何故なんだ?


担任の先生に相談する事も勿論考えた。しかし、あいつら定番の「チクったら分かってんのか」という言葉、先生がまだ新任で、様々な事に対しあくせくする様子を見ていると、いきなりこんな相談を持ち掛ける事に対して後ろめたさが有ったという事、相談する事=負けを認めるような気がして結局行動には移せなかった。母さんも、小学生の時よりも仕事の大変さ、それに追われている事がはっきりと理解出来るようになり、相談する気分にやはりなれず、今に至る・・という感じか。もう勘弁してほしい。現実を辿るだけの夢なんて、夢じゃない。


すると突然、視界が真っ暗になり、少しずつ何かの音が大きくなっていく。よく聴くと、それは音ではなく誰かの声のようだ。聴き取り不可能な曖昧な形のそれはエコーを効かせながら、ある一定の間隔で繰り返され、少しずつしっかりと聴きとれる声に形を変えていく。


「・・・・良かったね」


一体何が良かったと言うのだろう。こんな人生に対し皮肉を込めて言ってるのだろうか。それとも、僕がこの世から死んで、消える事に対しての良かったなのか。ただ、声色を考えてみると、その言葉には不思議と影や暗さといったものが感じられず、それは女性の声にも聴こえた。母さんの声だろうか?やがて真っ暗闇のどこからか、白い光が差し込んで・・・。






「お兄さん、お兄さん!」




はっと目を覚ます。目の前には心配そうな顔をした駅員さん、そして人気のないホーム、空は黒く、僅かに星が瞬いているのが見えた。そして手には、電池切れのスマホが。


「随分長い間眠っていたみたいですね。体調悪くありませんか?」


「はい、大丈夫です。すみません、わざわざ声をかけて下さって・・」


流石にずっとこの場所に留まるわけにはいかず、僕はアナウンスが孤独に響くすっかり空いた駅を通り抜け、家路についた。駅のロータリーには、相変わらず数台のタクシーが停まっていたが、朝見かけたタクシーとは当然車種も色も運転手も違っていた。


微かに鈴虫の鳴き声が聴こえる夜の道を、一人歩く。昼間はともかく、夜になると少し涼しい。前はこの感覚が憂鬱だったけど、よく眠れたというのも相俟って、今日は妙に心地良い。それにしても、配信はどうしよう。あれだけ大々的に宣言したのに、結局何も出来ず色々言われるに違いない。家が近づいてくる。まだ母さんは帰ってないだろう。


そう思った矢先、玄関には灯がついていた。何と説明しようか。色々考えながら、少しずつ二度と開けないだろうと思っていたドアの取っ手に、情けなくも手をかける。無言の帰宅。この場合、生きているからその表現は合ってないかな。ドアが閉まる音が家中に響いた後、母さんがドタドタと早く、リズミカルなテンポで駆け寄ってきた。


「どうしたの今日!?担任の山下先生から職場に連絡が来て、まだ学校に来てません、って言われて心配で早く家に帰ってきたんだから。朝はやたら早く出掛けるし、スマホに電話やメッセージ送っても、連絡ないし。どこ行ってたのホントに」


僕をしかりそうな少々ヒステリックな感情も見え隠れするが、息子がとりあえず帰ってきた事実に対する安心感が勝っていたのか、その声は思ったより落ち着いているように聴こえた。そして僕は思わず、こう答えた。




「後で説明するよ。それより、お腹空いた」




僕はリビングで、母があらかじめ作ってくれたおにぎりを食べながら、今までいじめに悩まされていた事、それがきっかけで今日自殺を試みようとしていた事、結局寝不足で長く眠ってしまってそれが出来ずに帰ってきた事等、時に涙目になりながらも赤裸々に語った。おにぎりはしょっぱいけど何故か凄く美味しくて、言いたい事を言うと、今まで悪霊のように憑りついていた肩の荷が降り、清々しさが全身を駆け巡った。母は怒るかと思いきや、真面目に話を聞いてくれ、それだけ辛かったら退学届を出そうとか、フリースクールの提案をしてくれた。話を聞いて、提案する。ただそれだけの事なのに、僕はその母の優しさが凄く沁みたのだった。


朝出て行ったばかりなのに、不思議と懐かしい感覚が有る自分の部屋に戻ると、僕は帰った後すぐ充電していたスマホを使って「謝罪配信」というタイトルで配信を行い、緊張して徹夜してしまったら朝の駅で寝落ちしてしまった事、長い夢の中で妙な声を聴いた事を謝りながら伝え、その声に出逢う為に生きていく事を宣言し、配信を辞めた。案の定「大嘘つき」「結局生きたいんじゃん」「腰抜け」「やっぱ死ぬ死ぬ詐欺だったか」「ニュースやトレンドチェックしてたのに何も起きねーからおかしいと思ったよ」といったコメントが寄せられたが、気持ちも体も軽い今の僕には、別に何も気にならなかった。


それからの僕は中学を退学し、中高一貫のフリースクールへ入学、卒業資格も取得し、何とか大学へ進学した。いじめという経験故に人と接する事は他の人と比べると億劫になり、友達も出来にくい分色々苦労したりと正直冴えない学生生活を送ったが、耐性がついた分だけ思ったよりも悩み事を持つ事は少なくなった。そして今、僕は割と最近仲良くなっている数少ない同い歳の知り合いの女性と公園のベンチに座ってあれこれ喋っているわけだ。


「ねえ、何か面白い話してよ。そうだ、まだ中学の頃とか話してくれてなかったよね」


「うーん、ちょっと情けないというか恥ずかしい思い出なんですけど」


「いいよ、ちゃんと聞くから」


「実は中学の時、いじめられていたんです。掃除の時、ゴミ捨て係だったんですけどゴミ捨て場に嫌な先輩達が居て。そこに行く度ほうきで叩かれたりして我慢してたら今度はクラスメイトもいじめてくるようになりました。自分の悩みを吐き出せる場所も無く、配信ライブを始めたらそこでも罵詈雑言浴びせられ、自殺配信をして死んでやると宣言したんです。でも電車に飛び込むはずが寝落ちして、結局夜まで寝てたらスマホの電池も切れちゃって。死ぬ気も無くなって自殺はやめると宣言して配信を辞め、結局母に相談してフリースクールに行ったんですよ」


その辺りまで話すと、彼女の表情が少し驚いたような不思議なものに変わっているのに気付いた。


「どうしたんですか!?」


「その配信していた時のユーザー名ってさ・・」


「えっーと、ijimerareoっていう芸のない名前でしたけど」


気のせいかもしれないが、彼女の瞳孔が大きくなったような気がする。さっきよりも少し遅いテンポで、彼女は語り出した。


「実は私も、同じ頃いじめとか家庭の悩みで自殺しようか凄く悩んでいたの。そしたらたまたま配信サイトであなたが自殺するのを辞める配信を観て、何故かほっとしたというか、私も生きてみようかな、という気分になったんだよ!」


彼女の目は微かに潤んでいて、気付くと僕は自然と彼女を抱きしめていた。そして彼女はこう言った。




「生きていて、本当良かったね」


その声は、あの時夢で聴いた声と全く同じだった。

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不思議な夢・命を絶とうと決めた日に コウキシャウト @Koukishout

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